中編3
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合わせ鏡

鏡に映る自分の顔を、小夜はうっとりとした表情で眺めていた。彼女にとって鏡を見る時間は至福のひと時で、容姿について人に褒められることは、何物にも変え難い快感だった。

小夜は時々洗面所で合わせ鏡にして、あらゆる角度から自分の顔を観察した。無限に映し出されるすべての顔を美しいと思う自分は、紛れもなくナルシストなのだと自覚しつつ、外ではそんな素振りを見せないようできる限りに努めていた。

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しかし八方美人を装う一方、無意識に人の顔を見て馬鹿にしてしまうのは、幼い頃からの彼女の癖でもあった。

「ねえ、さっきの人の顔見た?」

友人と街を歩いていると、自然と他人の顔について話題にしてしまう。それに対して彼女は何の罪悪感も抱かず、自信に満ちた足取りで、男たちの視線を払うように、お洒落なカフェの中へと消えていった。

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そんな小夜だったが、ある時から身の回りにあふれる"丸いもの"が、すべて人の顔に見えるようになった。最初こそ気のせいか夢の中の出来事だと思っていたが、二日三日と続くうちにこれは現実のことなのだと受け入れなければならなかった。

その顔はすべて、これまで自分が馬鹿にしてきた人の顔に見えるような気がした。当然彼女は、自分が笑った相手のことなんて全然覚えていなかった。しかしどの顔もかつて自分が馬鹿にしていても不思議ではないくらいに、不細工だと思えるものだった。

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キャベツ、サッカーボール、炊飯器、鍋の中の肉団子…。あらゆる丸いものが自分の嫌いな顔になることに、小夜の神経は参り始めた。そんな彼女を追い詰めるように、やがてその顔は話しかけてくるようになった。「私って不細工?」「僕って不細工?」「俺って不細工?」

友人とぶどう狩りに行った時なんかは悲惨だった。ぶどうの粒のすべてが人の顔になって口々に話しかけてくるから、彼女は吐き気を堪えつつ、ぶどうを食べない言い訳を友人に対して繕わなければならなかった。

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ある時、小夜は街を歩いていると、横に現れた顔を見て、その場でうずくまってしまった。その顔は彼女にとって決して馬鹿にできる顔ではなかった。

彼女の横には、ショーウィンドウにはっきりと映った自分の顔があったのだ。しかし、自分の顔の"丸い部分"が人の顔になっていることに気づき、彼女はショックで立ち上がれなかった。

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彼女の顔の目玉は人の顔になり、その顔の目玉もまた別の人の顔になり、その顔の目玉もまた人の顔になり…。

精神的に追い詰められる毎日に疲弊した小夜は、かつての美貌を失っていた。もはや誰にも容姿を褒められることがなくなり、自分に自信がなくなると、途端に周りが怖くなった。小夜は、外に出られなくなった。そんな自分を、暗い部屋の中で責め続けた。

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私は、不細工だ。他の誰よりも私がいちばん不細工なんだ。彼女はもう鏡を見ることなんてできなかった。自分の顔を確認することが、他の何よりも怖かった。

しかしたとえ自分の顔を見たくなくても、この世に存在する"丸いもの"をなくすことなんてできない。彼女の身の回りの丸いものは、世界一不細工だと思う自分の顔になり、そのすべてが口々にこう話しかけてきた。

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「私って、きれい?」

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