中編5
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シャープペンシル

「俺気づいたんだけどさ」

クラスの中心的存在である久保田が、驚きに満ちた叫びをあげた。

それは数学の小テストの最中で、担任の鈴木先生の受け持つ授業中でもあった。

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「何、久保田くん?いま小テスト中だけど」

怒らなければ別嬪の鈴木先生はいつも怒ってばかりで、この時も自分勝手な振る舞いをする久保田を、爆発寸前といった表情で睨みつけていた。

それでも久保田は臆することなく、

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「俺、もう何ヶ月もシャーペンの芯補充してないや」と呑気な調子で言うのである。

彼の言葉に、教室のあちこちで失笑が漏れた。そんなことでテストを中断するなとか、それはお前が勉強してないからだといった野次が飛ぶ中、しかし久保田はいたって真剣な顔で、手に持っているシャーペンを見つめていた。

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すると、今度はクラスのマドンナ的存在である須和田さんが、周りの女子たちと賑やかに話し始めた。

「でも言われてみれば、私もシャー芯変えたことないかも」

「うちなんて、この赤ペンとか何年も使ってる気がする。これたしか二年前に買ったやつだじゃなかったっけ?」

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そこでようやく各々が、最後にシャーペンの芯を替えたのがいつだったかを振り返ってみた。そして驚くことに、このクラスにいる誰もがここ数ヶ月のうちに芯を替えた記憶がないのだという。

シャーペンだけでなくペンの類はすべてそうで、その他には液体のりやテープ、ホッチキスの針なんかも、買い替えたり中身を詰め替えたりしていないのに一向になくならないことが判明した。

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騒ぎはみるみるうちに大きくなった。僕は問題を解くのを諦めて前を見やると、鈴木先生が心底驚いた顔をしているのを発見した。てっきり口々に喋り始めたみんなを見て呆れ顔をしているだろうと思っていたので、僕は彼女の意外な表情に面食らってしまった。

鈴木先生は、いつもの威勢を失った様子でこう言った。

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「実は私も最近、ケースに入れて持ち歩いているチョークが勝手に補充されていたり、カバンに忍ばせている飴玉がいつまでもなくならなかったり。こないだなんかは、いつも使ってる目薬が半分から全然減らないことに気づいたの」

これって、誰かの悪戯なの?先生の問いかけにもちろん誰も首を振らない。この現象は悪戯の域では説明できないことを鈴木先生自身もわかっていて、しかし動揺を隠せずに誰かに救いを求めるような、そんな質問の仕方だった。

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ふと、斜め前の席の三本さんが、僕の方を遠慮がちに見ていることに気づいた。何かを訴えかけているような視線に、僕ははっとして立ち上がった。

「今度は佐藤くん?もう、みんな、どうしたの?」

憔悴しきっている鈴木先生に向かって、僕は三本さんの期待に応えるべく、堂々とした態度でこう言った。

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「補充されていた、で思い出したことです。僕は美化委員の仕事として三本さんと一緒に毎朝花瓶の水を換えているのですが、ある日を境に誰かが代わりにやってくれていることに気づきました。誰がやってくれたのかはわかりませんが、ただ、チェック表にはいつも、"藤田"とサインがしてありました。

なので、シャーペンの謎についても、藤田という人が関係しているのではないでしょうか」

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僕が言い終わると、さっきまでとは別のざわめきが周りから起こった。「藤田なんて奴いたっけ?」「誰がやったか関係なく気持ち悪いね」「てか、佐藤ってあんなに喋れたんだ?」

もはやテストを真面目に解いている人はひとりもなく、頼みの綱の先生も普段の冷静さを失っていて、教室の中は乱れ切っていた。

「本当に、藤田って書いてあったの?」

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鈴木先生は質問するや否や、自分で確認した方が早いことに気づいたのか、教壇を降りて一目散に後ろの黒板へと歩き出した。

そして美化委員の仕事のチェック表を見るや、青ざめた表情をして後ずさった。

結局その後、テストは中断になった。

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なぜなら、チェック表にたしかにサインされていた「藤田」という名前を見て、鈴木先生が倒れてしまったからである。

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その日の放課後、僕と三本さんは二人きりの教室で向かい合っていた。

薄暗い教室で二人きりというシチュエーションに、淡い期待を抱かずにはいられなかった。

僕たちはしばらく見つめ合っていたが、やがて三本さんは口を開いた。

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「今日は大変だったね」

あの後、鈴木先生はほかの先生によって保健室まで運ばれた。彼女が倒れたのは、クラスどころか同学年にもいるはずもない名前が、チェック表に書かれているのを見て目眩がしたからというらしい。

まさか鈴木先生があんなに脆い人だったとは。でも、僕も「藤田」さんには、驚かされてばかりである。

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「今日の佐藤くんはかっこよかったよ」

美少女のそんな褒め言葉に、僕は顔を綻ばせずにはいられなかった。

「シャーペンの謎、早く解決するといいね」

ああ、やっぱり。僕は笑った顔のまま、複雑な心境で前を見た。

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自分の目の前にいるのは、決して三本さんではない。

三本さんは、シャーペンのことを「シャープペンシル」と言うのだ。

それじゃあ、三本さんの顔をした、目の前の美少女は誰?

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「シャーペンの謎に、藤田さんは関係するのかな」

僕の問いかけに、すぐに反応は返ってこなかった。代わりに、中身が新しく補充された「三本さん」は、僕に腕を絡ませて抱き寄ってきた。

「もう、藤田さんはいなくなったよ」

耳元でそう囁く声に、僕は目眩を覚えそうになった。

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次の日の朝、美化委員の仕事のために教室に一番乗りすると、すでにチェック表に名前が書いてあった。

「三本」と、それからその下に、殴り書きのような「だまされるな」の文字。

でも、僕はそれを消して、自分のシャーペンで「藤田」と書き直した。

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これでいいんだ。今の「三本さん」は、以前と違って僕を好きでいてくれる。

やがて三本さんは二番目に教室にやってきた。チェック表を見るや、くすりと笑って僕に寄り添った。

「藤田さん、いなくなったと思ったのに」

本物の三本さんは自分の存在を知らしめるために、今でもあらゆるものの中身を補充し続けている。

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そんな三本さんのことを思いながら、隣で笑う彼女に向かって、僕もまたくすりと笑い返した。

「いつまでもそばにいてね、三本さん」

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