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中編3
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かっぱ

「私ね、昔、かっぱを見たことがあるの」

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 妻は、回転レーンを流れてくるかっぱ巻きの皿に手を伸ばしたところで、不意につぶやいた。

 六月のとある週末。私と妻、それに二歳になる娘とで、近所の回転寿司屋に晩御飯を食べに来た、その席でのことである。

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「かっぱ、って……『あの』かっぱかい?」

 私は、穴子寿司を頬張りながら尋ねた。

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「頭に皿があって、手足に水掻き、背中に甲羅、くちばしがついた、全身緑色のお化けのこと?」

「テンプレだとね。でも、地方によっては肌の色が赤黒かったり、甲羅を背負ってなかったり、季節によって川から山へ引っ越したりするらしいわよ。――私の場合、そういうのとも違うんだけど」

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 妻は妙なところで博識だ。

 僕は、娘が本日三皿目のハンバーグ寿司に手を伸ばそうとするのを阻止しながら、妻に話の続きを促した。

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 高校の頃の話よ。

 私が地元の女子校に通っていたことは、アナタ知ってるわよね? その学校には、塚本という名前の男性教師がいたわ。担当教科は数学。当時、四十代半ばくらいだったと思う。大柄(おおがら)で汗っかきで、いつも肌がテカテカ光っていたわ。生徒たちからは嫌われていた。なぜって、私たち女子のことをイヤらしい目で見てくるんだもの。実際、彼が手を出した生徒がいるって噂もあった。本当かどうかは知らないけど。

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 でね――。

 ある時、授業のために教室に入ってきた塚本を見て、私思ったの。かっぱだ、って。ちょうど今くらいの、紫陽花の咲く梅雨のはじめの頃だった。

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 別に彼が急に、テンプレなかっぱの姿に見えたわけじゃないの。確かに頭頂部は薄くなっていたけれど、そういうことじゃなくて。

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 ――濡れてたの。全身ぐっしょり。まるで今、川から上がってきたばかりみたいに。

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 その日は曇っていたけれど、雨は一滴も降っていなかった。暑かったから校内のプールでひと泳ぎ? 授業前に? まさか。

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 気づいたのは、私ひとりだけだった。クラスメートたちは、皆当たり前のように授業を受けていたわ。私だけが、濡れたアイツを見ていた。それはとても奇妙な感覚だったわ。

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 ――その日の夜、塚本は事故に遭って死んだわ。運転していた車ごと川に落ちて、溺れて死んだ。

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 飲酒運転してただとか、飛び出してきた自転車を急ハンドルで避けようとしただとか、色んな噂が立った。手を出された女生徒が、アイツの持病の薬入れに睡眠薬を入れたんだ、なんて話もあったっけ。

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 結局どれが本当だったかなんて、私は知らないし興味もなかった。ただ、その日の昼間に見た濡れた姿の幻と、瞬間的に彼をかっぱみたいだと思ったことだけが、ずっと頭の片隅に引っ掛かっているってわけ――。

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 話を終えると、妻は冷めたお茶をすすった。

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「――不思議な思い出だね。で、なんで急にそんなことを思い出したんだい? まさか、かっぱ巻きが原因かい?」

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 それなら、これまで何度も思い出すタイミングはあっただろう。妻と一緒に寿司を食べたのは、なにも今日が初めてのことじゃない。

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「今日は雨、降ってないわよね?」

「え? うん。今日は一日曇りだったけど、なんとか持ったよね」

「――あそこ」

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 彼女は、回転レーンを挟んだ向こうを見るよう、視線で僕を促した。そこにはカウンター席でひとり寿司を頬張る、五十過ぎくらいの白髪気味の男性が見えた。

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「あのおじさんがなにか?」

「――濡れてる?」

「――え?」

「あの人。濡れてるように見える? 全身ぐっしょり濡れている?」

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 もう一度、彼の方を見る。

 濡れてるわけがない。もしそんな格好の客がいたら、店内の注目を集めているだろう。店員さんだって困るだろうし。

 ――いや、まさか。

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「――濡れてるように見えるのかい? 君には」

「見える――」

「昔みたいに?」

「ええ、あの時みたいに――」

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 僕らはしばし呆然と、男性のことを眺めていた。そのうち、向こうでもこちらの視線に気がついたのか、怪訝な表情を浮かべた。

 ――その時だった。

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「かっぱぁ」

 娘がレーンからハンバーグ寿司の皿をつかみ取りながら、その男性の方を見て無邪気に叫んだのだった。

 

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