【重要なお知らせ】「怖話」サービス終了のご案内

長編21
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10 Rooms

1 . 鍵穴 

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目が覚めると白い箱の中にいた。私はいつのまにか眠らされて、何もないこの部屋に連れてこられた。

天井の照明によって照らされた空間は、窓も扉もなく、真っ暗闇と同じくらい私を不安にさせた。通気孔すら見当たらないから、このままでは窒息死してしまう。そう考えて余計に息苦しく感じていると、頭上からアナウンスの声が聞こえてきた。

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「これから、十分以内に、四方の壁のどこかにある、鍵穴を探してください。

もし、手元の鍵で、その鍵穴を塞ぐことができれば、隠し扉が開き、外に出られます」

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私ははっとして手元を見ると、たしかに鍵がひとつ落ちていた。

これはきっと誰かの仕組んだデスゲームだ。なぜ自分がこんな目に、という不満もあったが、鍵穴を探すことが先だと割り切ることにした。

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私が閉じ込められた箱は、一辺が十メートルほどの正方形の面に囲まれていた。つまり、とても大きな立方体だったが、脚立などの道具は見当たらない。

たとえ鍵穴を見つけても、それが手を伸ばしても届かないところにあればどうしようもないではないか。

しかし、その心配は杞憂に終わった。

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私は見事、鍵穴を見つけることができた。それも、穴の位置は立っている私の目の前にあり、簡単に鍵を挿せる高さだった。

私はふと覗いたその穴の奥が、黒ではなく白色であることを不思議に思った。たとえ鍵穴の中が部屋と同じ色に塗られていても、暗がりによって真っ白には見えないはず…。

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そこでようやく、この穴の仕組みに気づいた。気づいた時には手遅れだった。

私よりも先に、隣の部屋の誰かが、その鍵穴に鍵を挿した。壁の向こうでかちゃりと扉が開く音がすると、喜びの声をあげながら部屋を飛び出す軽快な足音が離れていくのを聞いた。

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私は塞がれた壁の穴を見て、ただ呆然と立ち尽くしていた。

手に握られた行き場のない鍵は、力なく滑って床に落ちた。

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2 . 瓶 

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ある男は不思議な瓶を拾った。それはラムネの瓶くらいの大きさで、一見すると何の変哲もない空っぽなガラスの筒に過ぎなかった。

しかし、その瓶には蓋がついていた。そして蓋を開けると、中から耳をつん裂くような女の叫び声が聞こえた。男は慌てて、蓋を閉めた。そうすると声は聞こえなくなった。

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男は不気味に思いながらも、苦しそうな叫び声を放っておくのもどうかと悩み、とりあえずその瓶を家に持ち帰った。

というのもこの男、瓶の中から声が聞こえるという異常性についてよりも、この瓶は自分に何かを訴えているのではないかと必死に解決策を考えていた。

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その後、瓶を拾った場所について調べてみると、昔凄惨な殺人事件が起きた現場だったということがわかった。被害者は全員女性で、瓶の中の叫び声は、殺された彼女たちのものに違いなかった。

さらに事件について調べると、犯人はまだ捕まっていないという。男は死んだ後も叫び続ける彼女たちに同情し、その瓶をテレビ局に持って行こうと思った。

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決して、自分が注目を浴びたいわけではなかった。

もう時効に近いこの事件を再び報道してもらい、一刻も早く犯人が見つかるように手助けしようと考えたのだ。

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そして、鞄に入れようと瓶を手に取った時、男は誤って床に落としてしまった。それは簡単に割れてしまい、その瞬間、何人もの女の叫び声が部屋の中に響き渡った。

男はその声に我慢できず、部屋を出て扉を閉めた。そうすると、女の声はぴたりとやんだ。

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どうやら、瓶の中身が部屋に溢れてしまったらしい。部屋自体が瓶の代わりとなり、扉や窓を開けると、大音量の叫び声が外まで聞こえるようになった。

いまでは男の住んでいるその家は、窓を開けると叫び声が聞こえる心霊スポットとして有名である。

そして男の意図とはまったく違う理由で、連日この家には、報道陣が押し掛けているのだという。

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3 . 爆発装置 

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大学の講義を終えてアパートの部屋に帰ってきた。

ふと机の上に目をやると、見慣れない紙と、コップのようなものを発見した。

それをひと目見た俺は、ただでさえ寒い真冬の部屋の中で、いっそう凍える思いをした。

紙は二枚あり、そのうち一枚が「部屋に爆発装置を仕掛けた」という差出人不明の告発書だったのだ。

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そしてもうひとつの紙には、部屋を爆破させないための条件について、タイピングされた文字で書かれていた。

「部屋の爆破を阻止する条件は二つある。

ひとつは、机に置かれたコップ内の温度を50℃以上に保つこと。

そしてもうひとつは、この部屋に隠された爆破スイッチを押さずにいること。

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その二つの条件を守り続ければ、爆発装置は三十分後に停止する。

見事爆破を阻止した時には、ワタシは正体を現そう」

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突然の爆破予告に戸惑いながらも、俺はやれることはやろうと思った。部屋中を見回してもスイッチらしきものはなく、第一見つけても押さなければいいのだと考え、もう一つの問題を解決することに集中した。

紙のそばに置かれたコップには、すでに煮えたぎるお湯が入れられていた。律儀にも温度計がさしてあり、現時点の温度は90℃近くあった。

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そのコップは見るからに怪しいもので、手榴弾のような形をしていた。今は熱湯でも、部屋の気温を考えると中身はすぐに冷えてしまうだろう。

そう考えた俺は湯を継ぎ足そうと、電気ポットに半分ほど水を入れて給湯ボタンを押した。

その瞬間、猛烈な爆発音とともに、部屋は粉々に吹き飛んだ。

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4 . 微生物 

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透明なガラスの箱に閉じ込められて、いったい何年が経つだろうか。世界と隔絶されたこの小さな箱の中で、俺はたしかに、自然という大きなものの一部分となって生きていた。

ガラスの向こう側は何もない砂漠が広がるばかりで、対照的にガラスの内側は、多種多様な木々と栄養豊富な土、それに、食べ物となりうる野菜の種子が揃っている。

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俺は食料調達も酸素の供給も、植物に頼り切って生きていた。この箱は少しの隙間もない密閉空間で、植物の光合成がなければ、とっくに酸素不足で死んでいただろう。

太陽の光は、透明な天井を突き抜けてこれでもかというほど箱の中に降り注いだ。しかし、光り輝く空は太陽の動きによって、一日に数時間、夜という真っ暗な覆いをかけた。

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夜になると箱の中は、驚くほどに静かだった。風がないために木々が音を立てることもなく、またガラスの壁は分厚いために、砂漠に吹き荒れる突風を少しも感じさせなかった。

ただ自分の呼吸音だけが、自然そのものの拍動のように体の内側から聴こえてくる。俺は自然の一部へと還り、自然もまた、俺を快く迎え入れてくれる気がした。

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そうやって何年も自然と共生してきたが、俺の命を繋ぎ止めてくれたいちばんの立役者は微生物だった。

排泄物や食べ物のゴミを土へと還し肥沃な畑にしてくれるのも、小動物の死骸を分解して清潔な環境を保ってくれるのも、すべて微生物のお陰であった。

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また、土だけでなく水も、微生物によって汚濁から守られていた。箱の中心部にある小さな池は、川のように流れがなくても、魚の泳ぎと微生物の浄化作用だけでいまだに透明に保たれている。

小動物や魚などの小さな生き物は、食料というよりは仲間のように思っていた。もちろん、タンパク質の補給のために、週に何度かは魚を獲って食べている。

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しかし、この箱の中で絶滅する種がないよう、最大限の注意を払っているつもりだ。自然環境の破壊はそのまま自分の身を滅ぼすことを意味し、俺を取り巻くすべてのものが、まるで自分のことのように愛おしいと思った。

だからある日の朝、池を覆い尽くすように突然捨てられていたゴミの山を見た時、俺は誰かに殴られたような気持ちであった。

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誰がどうやって…?住んでいるのは俺だけではないのか?その他さまざまな疑問が浮かんできたが、目の前のゴミの山はそのすべてを否定した。

ゴミの量は、尋常ではなかった。それに、人間が出すようなものとは考えられなかった。

まるでティラノサウルスが食べた後の草食恐竜の死骸のような、巨大な骨や肉塊がうずたかく積み上げられていた。

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池の水は腐りかけた血によってどろどろに濁り、辺りはすさまじい臭いに埋め尽くされていた。どこから湧いたのか無数の蝿が、砂嵐のように集っていた。

それでも、俺は挫けなかった。今こそ、自然に恩返しをする時なのだと思った。

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俺は自然に生かされてきた。木や水がなかったら今頃死んでいただろう。だからこそ、破壊された自然を元通りにするには、自分が立ち上がるしかないと思った。

決して自分一人の力ではこのおぞましい量の汚物には対抗できないが、今の俺には仲間がいた。俺は箱の中の空間を生活区とゴミ処理区に分け、骨や肉を少しずつ土に埋めていった。

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ゴミ処理区はやがて、土壌の肥えた畑にするつもりだった。そのためには、微生物の協力が不可欠だった。

それからさらに何年もの間、俺は池の周りの浄化に従事し、微生物は着々とゴミを分解していった。池の水がようやく元の純度を取り戻してくると、気持ちに少しずつ余裕ができた。

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ある日、ガラスの空を見上げながら、あのゴミはどこから降ってきたのだろうと考えた。それはこの数年間、忙しさを理由に忘れていた当初の疑問であった。

いや、思い出すべき疑問はそれだけではなかった。いまや抵抗なく受け入れてはいたが、そもそも俺は何のために、この箱に閉じ込められているのだろう。

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その時、ガラスの空の一部分が、突如として何かに覆われた。夜でも雲でもないその大きなものを見て、俺は自分の目を疑った。

それは、まるで信じ難い、皺だらけの巨大な人の手だった。それだけでなく、手のひらの向こうには、こちらを見て笑う人間のような顔があった。

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俺は目の前の光景に釘付けになっていた。大きな手は、ガラスの空の一部分をつまみ上げた。どうやら天井は、取手のようなものがついた蓋になっているらしい。そして初めて箱の内部は、新鮮な外の世界とつながった。

まるで巨大な換気扇を回したように、風で木々は揺れ、池は小波を立て、鳥たちはここぞとばかりに飛び立っていった。

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俺は、飼われていたのか。

絶望的な現実に追い討ちをかけるように、空からおぞましい量の赤いものが降ってきた。

それは巨人の手からこぼれ落ちた。というよりも、箱の中に捨てられた。

つまりこの箱は、奴らにとってのゴミ箱に過ぎなかった。その中で俺という存在もまた、せっせとゴミを分解する微生物に等しかった。

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それから死ぬまで、俺は微生物としての仕事を全うした。

数十年後、痩せ細った亡骸は奴らのゴミと一緒に、気の遠くなるような時間をかけて分解されていった。

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5 . ミニマリスト 

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僕の大学には、ミニマリストのMという男がいた。ミニマリストとは、必要最低限の物によって生活する人のこと、またはその生活様式のことをいう。

余分な物は持ち歩かないのはもちろん、アパートの部屋は引っ越し初日のような殺風景なものだった。どうしてミニマリストになったのか、僕は初めて部屋に入れてもらった時に訊いてみた。 

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「この世の中は混沌としすぎている。要らないものにほど存在する理由をつけ、本当に必要なものは蔑ろにする。学校然り社会然り、どいつもこいつも本質を見失っている。俺はせめて自分の住む場所だけでも理想の世界にしたいんだ」

そう言ってMは僕がいるのも構わずに、フローリングの床を拭き始めた。特に僕が踏んだところほど丁寧に磨くから、どうやら自分はこの世界の邪魔者らしい。

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それから二度と、彼の部屋に呼ばれることはなかった。また、その一件で彼とは疎遠になり、大学で顔を合わせても喋らなくなった。

Mとなんの接点もないまま、瞬く間に月日は過ぎていった。

最初で最後の部屋見学から半年が経つ頃、Mが大学を辞めたいう風の噂を聞いた。

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あの時のMの態度について、僕はいまだに根に持っていた。それでも、何の音沙汰もなく大学を去ったMの様子が気になり、同じ学部の友人であるAと一緒に彼の住んでいたアパートへと赴いた。

僕たちがアパートに着いた時、ちょうど彼の部屋から出てくる人の姿があった。それはプロの清掃員のような格好をしていて、Mはすでに引っ越してしまったのかと思い、なぜか少しだけ悲しい気分になった。

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しかし、僕の予想は見事に裏切られた。厳重な装備に身を包んだ清掃員は、部屋から出るとすぐにそれを脱ぎ始めた。

そして、中から出てきたのは、紛れもなくMだった。身ぐるみを剥いだ彼はまるでホームレスのようなぼろぼろの格好で、僕たちに気づく様子もなく、脱いだばかりの作業着に消毒を施し始めた。

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「何やってるんだよ」

僕は思わずMに訊いた。彼ははっとしてこちらを振り向き、すぐに落ち着きを取り戻した。

「掃除をしていたんだよ」

「掃除?」

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僕はAと向かい合い、二人して困惑の表情を浮かべた。Mは、僕たちの困惑を嘲笑うかのように、ぺらぺらと流暢に話し出した。

「俺は、あれから考えたんだ。自分はたしかに理想の世界をつくろうとしていた。しかし、そもそも理想の世界とは何なのか。自問自答の末、俺はようやく答えに辿り着いた。

つまり、俺の理想の世界には、もはや何も必要なかった」

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…Mの言い分によると、彼はあの部屋には住んでいないらしい。ただ、賃貸契約はそのまま継続し、毎日掃除だけしに来ているという。

大学を辞めたのは、無駄な肩書きはいらないから。何のしがらみもない真っ新な自分と、混沌から解放された純粋な部屋さえあれば、Mは満足なのだと笑顔で言った。

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「Mはいま、どこに住んでるの?」

「大学近くの公園だよ。この部屋には、何も置きたくないからね」

僕とAは次第に怖くなり、簡単に別れの挨拶を告げてアパートを離れた。

彼のアパートと公園には近づかないように気をつけながら、僕たちは残りの大学生活を満喫した。

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それから三年、僕は無事大学を卒業した。就職先の関係で他県へと引っ越すから、これから二度とMと関わることはないだろう。

今でもMは公園で寝泊まりしているのか。あの部屋を毎日掃除しているのだろうか。僕はもう、考えないことにした。

自分にとってその心配は、必要のないことなのだから。

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6 . 闇鍋 

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友人Aの誘いで闇鍋をすることになった。Aとは高校時代仲が良かったものの、卒業式以来顔を合わせておらず、久しぶりの連絡に胸が躍った。

Aと同じ大学の友人であるBとC、それに僕を含めた四人で食材を持ち寄って鍋にするらしい。僕は会ったこともないBの住むアパートの住所を送ってもらい、ワクワクしながら選んだ食材を携えて、指定された部屋に向かった。

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教えられた部屋番号を確認してチャイムを鳴らしてみるが、中から反応はなかった。まだ彼らは食材を選んでいるのだろうか。僕はAに連絡してみると、「俺たちはとっくに準備できてるよ。鍵は開いていると思うから先入ってて」と返信がきた。

彼の言い分に納得いかなかったが、僕はAの言う通りにした。内開きの扉を開けて部屋に入ると、やはり中には誰もいない。

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それどころか、そこは家具のひとつもない殺風景な部屋だった。肉や野菜など大量の材料は用意されているが、それらはすべて買った状態のまま床に置かれていた。

また、食器の類が一切準備されていないことに気づいた。肝心の鍋すらどこにも見当たらない始末。

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Aは準備はできていると言っていたが、今頃三人で食器を買いに行っているのだろうか。多少の不安を感じつつ、それでも待っていると、突然部屋の電気が消えた。

そこで、この部屋には窓がないことに気づいた。かすかな光さえない真っ暗な視界の中、今度はどこかから水の音が聞こえ始めた。

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あっという間に床は水浸しになり、僕は危険を感じてスマホのライトを頼りに玄関までたどり着いた。扉を開けようとするも、内開きのそれは膝まで溜まった水に押されて開いてくれない。

そして、床と壁が金属のように熱くなって水がぐつぐつと煮え始めると、自分が招待された意味をようやく理解した。

隣の部屋から三人の笑い声が聞こえたのを最後に、僕は闇の中へと溶けていった。

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7 . 部屋着 

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ある日、バイトから帰ってくると、送り主不明の郵便物が届いていた。

何だろうと思い部屋の中で開けてみると、私が部屋着にしているのとまったく同じ服だった。

送り主はおそらく男の人だろう。

汚い文字で私の名前が書かれた、メッセージカードがついていた。

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当然送られてきた服は着る気にもならず、翌日古着屋で売ることにした。また、メッセージカードは中身を読まずに捨てた。

それにしても、どうしてお気に入りの部屋着と同じ服が送られてきたのだろう。

誰かが、部屋にいる自分のことを見ているのだろうか。

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一応両親にも確認してみたが、そんな物を送った覚えはないという。警察に伝えることも考えたが、できるだけ面倒は避けたかったので、もうしばらく様子を見てみることにした。

しかし、それから一週間も経たないうちに、また同じ品が誰かから送られてきた。

それも、前回と同様メッセージカード付き。

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もしかしたらカードの内容で、送り主がわかるかもしれない。そう思って今回は開けてみると、たったひと言、

「売るなら古い方にして」

私はすぐにこの部屋から引っ越した。

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8 . 消えた風船 

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ショッピングセンターでもらった風船が消えた。家族三人で買い物に出かけ、家に帰ってきた矢先の事件だった。

五歳の娘は帰りの車の中でもぺたぺたと触って遊んでいた。ネームペンで「ミカ」と、名前まで書いていた。

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つまり風船は、彼女の大のお気に入りだった。そんな風船が突如として消えた。

どこにあるかわからない風船の破裂を心配しつつ、娘を宥めるのに苦心した。

彼女の泣き声の共振現象によって、家中のグラスが割れまいかとはらはらもしていた。

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それでも、私だって父親だ。いつかまた出てくるよ。また来週もらいに行こう。いくつか優しい言葉をかけてあげると、娘はしぶしぶ諦めてくれた。

娘の機嫌は、まるで風船のようだった。決して針で穴を開けてはならず、少しずつ空気を抜くように、納得してもらえるまで話し合うことが大切だ。

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消えた風船は、決して空へと飛んでいったわけではない。風船を宙に浮かべるには風船内を空気より軽い気体で満たさなければならないが、ショッピングセンターなどで配っている風船は、ただの空気をゴムで囲ったものに過ぎない。

そうであれば、家のどこかにあるはずなのだ。しかし、どれだけ探そうと、風船は姿を現してくれない。

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いつのまにか娘も妻も別の遊びに目移りし、私だけが恋焦がれる少年のように探し物をしていることに気づいた。

まあ、家庭の平和が保たれたのならいいか。ダーツの矢なんて風船のいちばんの敵だぞと思いながら、おもちゃの的に夢中になって矢を投げる、娘の楽しそうな姿を見ていた。

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しかし、ある日の朝、またもや風船絡みの事件が起きた。この日は平日で幼稚園があるからと、娘を起こすために子供部屋をノックした。

五歳とはいえプライベートを尊重するべきだと思い、私は必ずノックをする。だが、いつもは返ってくる元気なおはようが、待てども一向に聞こえてこない。

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まだ寝ているのかと思いゆっくりと扉を開けると、私の目に驚きの光景が飛び込んできた。小さなベッドの上には娘のかわりに、あの時の風船が寝ているではないか。

そうか、そうだったのか。娘は妻と協力して、私を驚かせるために風船を隠し持っていたのだな。私は朝から素敵なプレゼントを貰った気持ちになり、ほのぼのした気分で娘の名前を呼んだ。

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完全に騙された!参った参った。けれども、娘は姿を現さない。ドッキリの種明かしなんて、娘がいちばん楽しみにしているはずだろう。それとも、このドッキリにはまだ続きがあるのだろうか。

私は次第に楽しい気分よりも、娘の姿が見えない不安で胸がいっぱいになっていた。今度は娘が消えてしまったのではないか。そう思うと居ても立っても居られず、一階の妻のところへ駆け出した。

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「え?ドッキリなんてしてないよ」

吃りながら訊いた私に、妻はきょとんとした顔でそう答えた。

それならば、風船ドッキリは娘の独断なのか。

何はともあれ、娘の顔が早く見たくて仕方がない。

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妻と二人でおろおろしていると、突然どこかから破裂音が聞こえた。ああ、今度こそようやく種明かしだな。

そう思った私は、一目散に階段を登った。

粋な演出に思わず感心したが、これ以上はらはらさせるのはやめてくれ。

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しかし、娘の部屋へと駆けつけた私は、再び目の前の光景に言葉を失った。

ベッドの上には先程と変わらず、娘の代わりに風船が横たわっていた。

もういい加減にしてくれと風船を割ろうとした時、階下にいる妻の絶叫を聞いた。

私は手を止めて妻が叫ぶ理由を考え、やがて最悪の想像が脳裏をよぎった。

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思い起こせば、さっきの破裂音は、決して二階から聞こえたわけではなかった。

ふと、ベッドの上の窓にかけられたカーテンが、風によってはためいているのに気づいた。

窓から顔を出し地面を見下ろすと、私はようやく娘を見つけた。

幼い文字でミカと書かれた風船は、大切な娘の形見になった。

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9 . 色塗り 

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俺はある団体の主催する、リアル脱出ゲームというイベントに参加した。都内にあるビルを使って、ゲームの中で行われるような脱出劇を体感できるという企画だ。

なんでもこの団体は、他とは毛色の違った難題を課してくるらしい。童心に帰ってワクワクしながら受付を済ませ、指定された部屋へと案内された。

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その部屋には自分以外の誰の姿もなく、俺は想像と違う光景にたじろいだ。他に参加者がいないのか、それとも一人で脱出するルールなのか。

見知らぬ複数人で力を合わせて謎を解くような、和気藹々とした雰囲気を期待していた俺は、そうではないことを残念に思った。

それでも期待はずれの孤独は、かえって早く脱出してやろうと闘志を燃やすきっかけになった。

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部屋の中央にはテーブルが置かれ、その上にはさまざまな道具が並べられていた。

十粒ほどのブルーベリー、黄色のペンキ、鉢に植えられたサボテン、果物ナイフ…。

それに加えて、ルービックキューブほどの大きさの真っ白な立方体が、それらの道具とは少し離れたところに置いてあった。

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間もなくして、ゲーム開始の合図が鳴った。同時に入り口の扉にロックがかかり、俺は非現実の世界に身を浸している気分になった。

そして、くぐもった低い男の声で、脱出の条件が説明された。

脱出のテーマは、ずばり「色塗り」。俺がいるような部屋は実は複数用意されていて、これから参加者のいるそれぞれの部屋に、一色ずつ色が指定されるという。

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そしてその色を、真っ白なキューブの六面ともに塗ることができれば、部屋のロックが解除されるらしい。

なるほど、机の上の道具はどの部屋にもあるキーアイテムだが、指定色によっては使い方は違ってくるだろう。

俺はいよいよ胸を高鳴らせ、アナウンスに耳を傾けた。男の声は次々に、各部屋に割り当てられた色を発表していった。

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ある部屋は、青。

これは、ブルーベリーをすり潰せばなんとかなるだろう。手が汚れることは我慢するしかない。

次の部屋は、黄色。

この部屋の人は、ペンキがあるから楽勝だ。いや、楽勝すぎてつまらなくないか?

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次は、緑。

机の上に緑色はサボテンしかなく、塗料の抽出には少々痛い目を見るかもしれない。

…というのは引っかけで、緑色は、青と黄色を混ぜれば作ることができる。

つまりこの部屋の脱出は、何もサボテンをすり潰さなくても、ブルーベリーと黄色のペンキで事足りるのだ。

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そして最後に、俺の部屋の色が発表された。男声のアナウンスは、赤と伝えた。

俺は机の上を見回した。赤色のものは、一見して見当たらなかった。

いちばん赤色に近い道具は、果物ナイフだけ。

俺は、血の気が引くのがわかった。いくらなんでも、ただのイベントでそれはないだろう?

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それ以降、アナウンスは流れなかった。部屋の外に通じる連絡網はなく、俺が大声で叫んでも扉が開かれることはない。

もしかして、本当に、俺は赤色を抽出しないといけないのか?

赤は色の三原色のひとつだから、他のどの色を混ぜても作ることはできない。

だから、俺は純粋に赤色を生み出さなければならない。

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鋭利なナイフと自分の身ひとつで作れる赤色は、鮮血の他に何もない。

こんなのおかしい。ただのイベントでやることじゃない。

その時、俺の気持ちを汲んだように、突然マイクに電源が入れられた。

「参加者の皆様へ。大変申し訳ございません。こちらの準備物に不手際がありましたので、今すぐ不足した品を届けさせていただきます」

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なんだ、やっぱり。どうせイチゴを置き忘れたとでも言うのだろう。

俺はようやくほっと一息つき、キーアイテムが支給されるのを扉の前で待っていた。

しかし、それを届けるために扉を開けられては、脱出ゲームの雰囲気は台無しではないか。

もう二度とこの団体の企画には参加しないでおこうと思っていたところ、背後で物が落とされる音がした。

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どうやら、支給品は天井から落とされたらしかった。

やるじゃないか、と余裕ぶっていた矢先、床に落ちたそれを見て、俺の顔は真っ青になった。

「これで準備は整いました。では、脱出ゲームの再開です」

床に落ちていたのは、大量のタオルと絆創膏だった。

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10 . 密室殺人事件 

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「誰かいないのか!」

もう何度目だろう。俺の声は誰にも届かず、見えないガラクタとなって床に積もっていく。

俺は鉄格子がひとつあるだけのコンクリートの部屋に、ある男と一緒に閉じ込められていた。いつのまにかここに連れてこられ、男の呼びかけで目を覚ました時から、もう三日が経とうとしている。

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「お前もなんとか言えよ!」

俺は床に横たわる男の肩を揺する。しかし、ぴくりともその体は動かず、返事もない。

そりゃそうだ。俺は、哀れなこの男を自分の手で殺したのだ。鉄格子から見える外の灰色を見上げ、後悔の念から深いため息をつく。

それは今から二十四時間前、まだ知り合って間もない俺たちの、一時の激情による過ちだった。

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「もし、僕たちのうちどっちかが死ねば、優秀な警察さんは見つけてくれますか?」

事の発端は、男の挑発的な発言だった。

「何が言いたいんだ?」

この時の俺は理不尽な監禁と、極度の空腹に耐えかねて苛ついていた。

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「19××年9月にN県で起きた強盗殺人事件。この事件を担当していた当時の捜査本部は、犯人の見当もつかないまま、もうすぐ時効を迎え解散しようとしている」

俺は、男の淡々とした語り口を聞いてどきりとした。

数年前、どう足掻いても犯人の目星すらつかなかったあの事件のことが、まるで昨日のことのように思い出された。

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「僕は、その事件で命を落とした○○さんの婚約者でした。あの時、僕は警察側の事件に対する態度に失望しました」

男の声は、次第に悲痛を帯びていく。

「事件の解決に対する姿勢はもちろん、被害者側の気持ちを考えない無骨な振る舞いを見て、唯一頼りにしていた命綱を大勢の前で切られる思いでした。

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その時の屈辱は、今でも忘れられません。

僕は、加害者に対して抱いていた憎しみを、あなた方にもぶつけたくなりました」

そこで男は、動揺する俺の顔をじっと見つめた。その目は挑発的な光を宿し、その光の強さだけ、"俺たち"警察の人間に対する恨みという影も濃くなっているのだと思った。

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「たしかに、あの時の我々には力が足りなかった。犯人の検挙に至らなかったことは勿論、被害者家族への配慮が欠けていたことも反省している。

それでも、今ここで事件について話したところでどうしようもないだろう。何より、まだ事件は終わっていない。俺は一刻も早くここから出て、できることをやらなければならないんだ」

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「やっぱり、あなたは何もわかっていませんね」

男の声はこれまでの悲痛をも失った、感情のない静かな声だった。

一方で俺はというと、男とは対照的に負の感情を募らせていき、それは隠しきれない表情となって表へと出た。

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俺たち警察の人間にだって、それぞれの生活があり、家族がいる。目の前の男には絶対に言えないが、自分のために働いているという気持ちが俺の本音だった。

決して他人の人生を救うことだけに、自分や家族を犠牲にはできない。今この時にだって、こんな自分を心配してくれる妻と娘がいるのだから。

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だから、今自分たちがやるべきことは、過去の事件を蒸し返すことではなく、これからどうするかを考えることではないのか。

そう思っていた俺だったが、次の言葉を聞いた時、これまでなんとか保っていた冷静さをついに失い、乱暴に男の胸倉を掴んでいた。

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「あなたは気づいていないようですが、この独房に僕たち二人を閉じ込めたのは、実は僕自身なのです」

「どういうことだ!なぜこんなことをする⁈」

俺の豹変に、彼は少しも臆することはなかった。

「最初に言ったじゃないですか。もし僕たちのどちらかが死ねば、優秀な警察が見つけてくれるって。

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これは、あの事件を解決できなかった警察に対する僕の挑戦状です。この地下の独房で行われる密室殺人事件の謎、優秀なあなた方なら解けますよね?」

俺たちのすべてを馬鹿にしたような挑発的な態度に、ついに我慢の限界を迎えた。俺は、掴んでいた男の胸倉から手を離し、代わりに痩せ細った皮のような首に手をかけた。

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俺は完全に正気を失っていた。すでに二日間飲み食いも許されず監禁され、挙句の果てに唯一の仲間だと思っていた男が、自分をこんな目に合わせる犯人だという。

俺は、みすみす目の前の犯人を逃すほど間抜けではない。これまでだって家族に疎まれながらも、仕事優先で昼夜を問わず捜査に励んできた。

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もし、犯人の目星さえついていれば、必ず捕まえることはできたはずなんだ。たしかに被害者の気持ちに寄り添えてなかったのかもしれないが、俺だっていろんなことを犠牲にしてきた。

いつしか男の方も、遠慮の知らない力加減で俺を殺めようともがいていた。

俺はますます手に力を込め、そして数分後、男は無惨な表情を残して死んだ。

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俺は、人を殺した。

残虐な方法で、極刑も免れないような理由で殺人を犯した。

警察は優秀だ。彼らは有能だ。

だから誰か、早く俺を見つけてくれ。この無能極まりない犯人の俺を、誰でもいいから見つけてくれ。

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俺はその後、何日も祈り続けた。

しかし、この密室殺人事件が、誰かに解決されることはついになかった。

20××年9月、二十年前N県で起きた強盗殺人事件は、犯人が捕まることのないまま、時効をむかえた。

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