これは僕が大学四年生の時の話である。就職活動真っ只中の僕は、家の近くのスーパーにある証明写真機をよく使っていた。
今ならスマホで証明写真を撮影できるらしいが、その時の僕は知らなかった。なので、企業に履歴書を送るたびに新しい写真が必要となり、それを撮るために何度もスーパーに足を運んでいた。
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ある日、僕はアパートの部屋で、通算十社目の不採用通知を受けた。しかもあり得ないことに、そのすべてが書類選考の段階での門前払い。
ただでさえコミュ障な僕は、苦手な面接を克服するために何度も大学のキャリアセンターに通っていた。
それなのに、その成果を発揮する機会は失っていくばかり……。
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心が折れた僕は、何もかもがどうでもよくなり不貞寝してしまった。しかし、数時間に及ぶ仮眠のおかげか、目を覚ますと気分が晴れていた。
すっきりと回復した頭は、ある企業の履歴書の提出期限が明日中に迫っていることを思い出した。その時もうすでに窓の外は闇に包まれ、時計の針は十時をまわろうとしていた。
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慌てて机に向かう僕だったが、すぐに証明写真のストックを切らしていることに気づいた。完全に自分のミスだったが、なんてついていないのだろうと再び気が滅入りベッドに戻りたくなる。
それでも、この数ヶ月でぼろぼろになった体に喝を入れ、散歩がてらに写真を撮りに行くことにした。本当のことを言えば、明日は朝早くから別の企業の面接があって、今以外に写真を撮る時間の余裕がなかったのだ。
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ボックス型の写真機があるスーパーは、アパートから徒歩十分のところにあった。夜道を歩きながら、頭の中では明日の面接のシミュレーションを繰り返す。
ようやく特訓の成果を発揮できる、貴重な機会を不意にしたくはなかった。そのためには早く寝て体調を整えなければいけないと思い、途中から小走りでスーパーへ向かった。
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軽く汗をかき始めた頃、真っ暗な駐車場の中で一際輝く写真機の光を見た。建物の脇でぽつんと佇む写真機は、九時で営業を終えたスーパーとは違い二十四時間稼働していた。
写真機に近づくと、こんな時間にもかかわらず先客がいることに気づいた。写真機のカーテンから足が見えた時、僕は一瞬どきりとしたが、それ以上に涙が出そうになった。
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中の人も僕と同じ、就活に頭を悩ませている仲間なのかもしれない。カメラの前で真面目な顔をした自分と何度も向かい合ってきたことを思うと、これまでの苦労が蘇って静かに泣きたい気分になった。
しかし次の瞬間には、僕の目は違う涙で溢れそうになった。カーテンからはみ出て見える誰かの足の、その異常性に気づいたからだった。
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その足は、黒のパンツスーツにスニーカーといういかにも写真を撮りにきただけの就活生のものに見えた。しかし、ただひとつ不可解な点として、つま先の向きが逆を向いていた。
つまり、スニーカーのつま先は膝の内側の方を向いていて、普通の人間ならば絶対にあり得ない形の足だった。一瞬カップルが向かい合って座っているのかと思ったが、見れば見るほどそうではないことがわかった。
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目の前の足がこの世のものではないと悟った僕は、すぐに振り返ってアパートまでの道のりをダッシュした。普段から使っている写真機なだけに、写真を撮るたびによくわからない存在と同じ椅子に座っていたのかと思うと、気持ち悪くなった。
部屋に戻っても動揺を抑えることができず、風呂に入って早々寝ることにした。今日中に書くはずだった履歴書は、本当はどうでもいい企業だったと理由をつけて諦めた。
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明日面接を受ける会社で、何としても内定を決めてやろうと思った。もう就活を終えたいという気持ちはもちろん、証明写真を撮りたくないという願望も少なからずあった。
そして僕はベッドの上に横たわり、頭の中で繰り返し面接を受けていた。しかし、昼寝したのにもかかわらずすぐに眠りに落ちていき、内定が決まって喜ぶ自分の姿を、夢の中で見た気がした。
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次の日の朝、僕はスーツに身を包んで部屋の机に向かっていた。この時すでにコロナが蔓延していて、一次面接はリモートで行う企業がほとんどだった。
画面には上半身しか映らないとはいえ、もちろん下半身もスーツで武装していた。そして面接が始まって十分ほど経った頃、僕は緊張しながらも自分らしく受け答えができていた。
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「君、なかなか勉強してるねー」
面接時間も半ばに差し掛かり、少しだけ和やかなムードが流れ始めた。僕は褒められたことでつい口元が緩み、あやうくガッツポーズしそうになった。
面接の練習に加え、企業ごとの得意とする分野についてある程度勉強を重ねていた。その地道な努力を評価してもらえたことに、これまでのすべてが報われる気分だった。
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「本当はね、今日の面接は心配だったんだよ」
面接官を務める画面の中の男は、割と真面目な顔つきでそう言った。僕は背後から急に刃物で刺されたように感じ、さあっと血の気が引いていくのがわかった。
僕は初めて返答にまごついた。そんな僕の様子を見て、面接官の男はフォローするように話し始めた。
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「いや、今日初めて顔を合わせる人にそんなことを言われるのもおかしいよね。ただ、君から送られてきた履歴書を見て、少しだけ不安だったんだ。
君は気づいてないかもしれないけど、履歴書の写真、少しおかしいよ。履歴書の内容自体は真面目だし、今日面接してみて決してふざけているわけではないとわかったけど、他の企業ではもしかしたら書類選考の段階で落とされるかも」
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僕は彼の指摘に心当たりがあった。自分で言うのも何だが、これまで履歴書を送った十社とも面接すら受けられないことに、何か別の理由があるのではないかと考えていた。
それに、昨日の夜写真機で見た逆向きの足。もしかしたら、そのような不可解なものが写真にも写り込んでいたのではないか。そう思って履歴書の写真を、差し支えなければ画面越しに見せてもらえるよう頼んでみた。
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「もちろん。いやあ、君がふざけているわけじゃないことがわかって、こちらとしては安心したよ」
言いながら男は、カメラに履歴書を寄せて見せた。僕は不採用の原因を知って安心するどころか、突きつけられた写真を見て、思わず喉がぐっと鳴った。
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それは、ひと目見ると僕の顔写真に違いなかった。しかし、ぼんやりとした白い何かが、僕の顔に重なって写っていた。まるでピントの合わない写真を見ているようで気分が悪くなった。
それでも言葉を失って見つめていると、やがて目が慣れてその輪郭が浮き上がってきた。白い何かは、女の顔だった。履歴書に貼った時には少しも気づかなかったことを不思議に思った。
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それくらいに、今でははっきりと見えていた。僕はしばらく何も言えずにいると、面接官の男は何かを言った。
……違う。その声は、男の声ではなかった。
女が、喋っている。
写真の中の女の口が、ぱくぱくと動いて何かを訴えている。
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「うわっ‼︎」
僕はたまらず後退り、椅子ごと床に倒れ込んだ。その音を聞いて面接官は、何事かと画面に顔を近づけた。
「すみません…」それから僕は写真の顔が動いたことを正直に言った。また、昨日の夜に写真機の中にいる得体の知れない人の姿を見たことも。
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「そんなこともあるんだねえ」
少しも怖がる様子のない間延びした声を聞き、僕はようやく平静を取り戻した。なぜかこの時「この上司のもとで働きたい」と、熱烈に思う自分がいた。
これも一種の吊り橋効果なのかもしれない。画面越しに笑う中年の面接官が、とても頼り甲斐のある男に見えた。
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「それで、女は何て言ってたの?」
その質問に僕は答えられなかった。すみませんと謝る僕に、彼は初めて落胆の表情を見せた。
怒っているようにも見える表情豊かな男の顔を見て、僕はますます入社の意欲を昂らせた。
「僕を、御社で働かせてください」
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面接時間も終わりに近い頃、僕の正直な気持ちは、するすると口から出ていった。
「じゃあ、いつか思い出した時に、女の言っていたことを教えてもらおうか」
男は、にっと笑ってこちらを見た。
間接的な採用通知を受け、僕は思わず泣きそうになった。
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それから一週間後、すぐに最終面接を受けさせてもらうことになった。その時には、別の写真機で撮った写真を貼った新しい履歴書を持参した。
面接室に入ると、三人の面接官が横並びに座っていた。その中にあの時の男はいなかったが、「例の写真の子」と覚えてもらっていて、すぐに打ち解けることができた。
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そして、僕は見事内定をもらい、晴れて社会人としてスタートを切った。今もその会社で、それも有難いことに、あの男の部下として働く日々を過ごしている。
不気味な履歴書の写真は、僕のことを何よりも「証明」してくれたのだと今になって思った。上司となった彼は、「あの写真のおかげで君の素が見れたよ」と前向きな言葉をかけてくれた。
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僕は、彼のことを信頼している。これからもこの会社で働き続けたいと思っている。
だから、写真の女が言っていた言葉を先日ふと思い出したが、決して彼には言わないでおこうと思う。
「この男に殺された」なんて、得体の知れない女の狂言に決まっている。
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僕の信頼するあの人が、人を殺したなんて信じられるわけない。
でも、昨日の夜、たまたまあのスーパーの前を通った時、証明写真機の中にあの時と同じ足が見えることに気づいた。
僕は恐怖を感じていたが、それ以上にもう一度彼女の声を聞いてみたいと思った。
恐る恐る写真機の前まで近づいてみると、突然軽快なメロディーが響き始めた。
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どうやら写真がプリントされているらしく、やがて取り出し口から、かさりと渇いた音がした。
僕は震える手で写真を取り出した。
誰かに殴られたような血だらけの女の顔が、今度ははっきりと写っていた。
その時、写真ではなくカーテンの奥から、悲痛な叫び声が聞こえてきた。
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shake
「早くあいつを捕まえて!」
僕はこれから警察署に、証明写真を持っていくつもりだ。
そして、もし僕の話を聞いてくれる人がいれば、ありのままにすべてを話そうと思っている。
作者退会会員
日常怪談No.40
人の力を借りました。