それは私がまだ小学校高学年のころ、、、
狂ったように蝉が鳴きわめく夏の朝方のことだった。
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小代子ちゃーん!
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同じクラスの文哉が私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
慌ててランドセルを背負うと、玄関口まで走る。
門前には男女の児童が数名、待っていた。
私はその一団に加わると、学校に向かって歩きだす。
狭い路地を数回曲がり進むと、最初の交差点が見えてきた。
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「小代ちゃん、ダンディーおじさん今日も立ってるね」
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友達の梨乃ちゃんが言うので見ると、前方の横断歩道手前で制服制帽姿のおじさんが旗を持って児童たちを誘導している。
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おじさんは私たちに気付くと、
「小代ちゃん、梨乃ちゃん、文哉くん、みんなおはよー」
と満面の笑みで挨拶をしてきた。
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私がきちんと「おはようございます」と礼を返すと、
おじさんは私の方を見て、
「ああ小代ちゃん今朝もお行儀がいいねえ」
と言ってニッコリ笑う。
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【ダンディーおじさん】はどこに住んでいて何をしている人なのか?
ずっと警察の仕事をしていて今はボランティアでやっているのでは?とか言われたりもしていたが、実際のところは誰も知らなかった。
とにかくいつも警備員のようなきちんとした格好をしていて物腰も柔らかく丁寧だったから【ダンディーおじさん】と呼ばれるようになったようだ。
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おじさんは早朝から黄色の旗を持って、テキパキと元気に児童たちを誘導していた。
はあい、赤だ、ストップストップ!
はあい、ちょっと待て、まだ黄色だよお~
はあい、青だ、さあ急げ急げ~
という感じでその目はいつも真剣そのものであり、その行動には一寸の隙も無駄も無かった。
あと男子生徒が喧嘩とかしていると、体を張って止めに入ったりもしていた。
そして未だ怒りの収まらない男の子二人の間に立つと、きちんとそれぞれの言い分を聞いて公平にジャッジを下す。そんなおじさんの大人な行動を、生徒たちは尊敬や憧れの念で見ていた。
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またおじさんは児童たちだけでなく、先生や父兄らにも絶大な信頼を得ていた。
というのは、かつてこんなことがあったそうだ。
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かつて私の住んでいた住宅街の近辺で痴漢事件が発生していたことがあったらしい。
それはいきなり背後から女性が抱きつかれたりとか、ベランダに干していた女ものの下着が盗まれたりとかいうもので、私の通う小学校の女子生徒も下校中に何人か抱きつかれたりしていたようだ。
ダンディーおじさんは、その犯人を現行犯逮捕して近くの派出所に連行したのだ。
なんでもその犯人は、おじさんの住んでいたアパートと同じアパートの住人で地元の大学生だったらしく、おじさんはその普段の彼の挙動から何か怪しいとマークしていたそうだ。
ある日深夜に外出するその大学生のあとを付けたところ、案の定帰宅途中の若いOLを背後から襲ったみたいで、おじさんはその場で取り押さえると、近くの派出所に突き出したという。
その功績でおじさんは年末に警察から表彰された。
そんないつも優しくて正義感溢れる立派なおじさんだったのだけど、あることがきっかけで私はそれまでとは少し違った印象で見るようになる。
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というのは、まだ初夏の頃、こんなことがあったのだ。
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朝方私はいつも通り他の生徒と一緒に登校していた。
交差点にはダンディーおじさんが立っている。
おじさんの後ろに立ち車が通り過ぎるのを待っていると、
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「ああ、どうしよう!」
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突然梨乃ちゃんの声がした。
見ると、梨乃ちゃんが四つん這いになって道路脇の側溝を覗き込んでいる。
どうしたの?と尋ねてみると、側溝に家の鍵を落としてしまったということだった。
金属の葢の隙間を覗くと確かに、金色の鍵が落ちているのが見える。
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2人でどうしよう、どうしようと騒いでいると、
「あれ、小代ちゃん、梨乃ちゃん、どうしたの?」と、ダンディーおじさんが笑顔で近づいてくる。
私が事情を説明すると、「よしわかった。じゃあ、おじさんが葢をずらしてあげるから、その間に鍵を取りなさい」と言って重そうな金属の葢を、よいしょっとずらしてくれた。
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梨乃ちゃんはまた四つん這いになって葢の隙間に手を突っ込むと鍵を取ろうとしていた。
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その時だ。
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私は何気におじさんの方を見て「え!?」と思った。
というのはおじさんは側溝から少し離れて立ち、体を傾けて梨乃ちゃんのスカートの中を血走った目で覗き込むようにしていたのだ。
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無事に鍵は取ることが出来て、私と梨乃ちゃんはおじさんに深々と礼をした。
でもその時私は全然感謝の気持ちにはなれなかった。
その日の夕飯時に私は母に、そのことを話したのだが、
母は「まあ、おじさんも男だからねえ」と言い父と顔を見合わせてさも可笑しげに笑った。
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そしてやがて楽しい夏休みはあっという間に過ぎ、始業式の日。
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朝いつも通り皆で路地を歩いていき、例の交差点に差し掛かる。
でも何故だろうダンディーおじさんがいない。
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「ダンディーおじさんいないね。どうしたんだろう。病気かな?」
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梨乃ちゃんが心配そうな顔で私の方を見る。
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そして交差点におじさんの姿が見えなくなって数日が経った頃だったと思う。
クラスの生徒の間で、奇妙な噂が起こりだした。
それは、あの交差点に立っていると何処からかダンディーおじさんの声が聞こえるというのだ。
梨乃ちゃんもそんなことがあったという。
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そしてとうとうそれは、新学期が始まり1ヶ月経った頃に起こった。
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蝉の鳴き声もようやく止んだ路地を皆と一緒に登校していると、突然キャー!という女の人の悲鳴が聞こえてくる。
あの交差点の方からだった。
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何だろう?と皆で走って行くと、エプロン姿のおばさんが道路脇で尻餅をついて側溝辺りを指差している。
どうしたんですか?と私が尋ねると、
「100円玉を落としたから拾おうとしたら物凄く臭い匂いがして、側溝の中を見たら、、、」とおばさんは息も絶え絶えに言う。
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私は梨乃ちゃんと歩いて、恐々一緒に側溝を覗き込む。
そして一気に背筋が凍りついた。
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金属の葢の隙間から、2つの血走った目が並んでいるのが見える。
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他の生徒たちも集まってきて、たまたまそこにいた近所のおじさんが側溝の葢をずらしていく。
同時に強烈な悪臭とともに数匹のハエが慌てて飛び出してきた。
あちこちから湧き起こる、
男子生徒の驚きの声。
女子生徒の悲痛な叫び。
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側溝の中にはダンディーおじさんが仰向けになってはまりこんでいた。
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いつもの制服制帽姿ではなく、ランニングにパンツという格好で直立姿勢だ。
その顔は青く痩せ細り完全に生気を失っており汚らしく無精ひげが生えている。
暑さのせいか身体のあちこちが腐り始めていて、顔にまで蛆が這いまわってきている。
そして亡くなって大分時間が経っているようなのだが、2つの瞳だけはしっかり開いていた。
その時私は思った。
ーあの目は、以前梨乃ちゃんのスカートの中を覗き見ようとしていた時と同じ目だ、と。
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警察は当初この件を事件・事故の両面から捜査していたようなのだが、最終的にはおじさんの覗き目的による犯行と断定した。
というのは、おじさんの遺体の傍らにあった本人のスマホ内のフォルダからは多くの女性や女児のスカート内の逆さ撮り画像が残されていたらしく、またおじさんの住んでいたアパートからは大量の女ものの下着が見つかったからだそうだ。
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう