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中編6
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大輔と花子

【チンパンジー】

chimpanzee. 霊長類の一種。 チンパンジー属。 ヒト属,ゴリラ属,オランウータン属とともにヒト科の4属を構成し,現生の生物の中ではヒトから見て最も系統的に近い存在である。

コトバンクより

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今年40になる久米の悩みは2つあった。

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1つは、未だに独身だということ。

もう1つは、大輔と花子のこと。

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大輔と花子というのは、彼が勤めているF市立動物園で飼育されている番い(つがい)のチンパンジーのことだ。

彼はこの2頭の飼育担当だ。

番いということで、園も一般の来園者の方々からも、赤ちゃんを期待されていた。だが園に連れてこられてもう10年経つのだが、未だに懐妊の兆しもなかった。

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それはとある初秋の月曜日のこと。

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久米は朝から園長室奥のソファーに座っていた。

アフロヘアーの髪に愛嬌のある丸顔。

縁なしの丸メガネを掛けていて、

上下サファリ調の制服に身を包み黒い長靴を履いている。

テーブルを挟んで正面には、熊谷園長が座っている。

動物園に赴任してからまだ1年も満たない新人園長だ。

噂では、大阪の役所で会計の仕事をしていたらしいのだが、金絡みのトラブルを起こし役所から追及され、どういう経緯でか、今年から九州北部にある、ここF市立動物園の園長として赴任してきたようだ。

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今年還暦になる白いワイシャツに黒ズボン姿の園長が、渋い顔をしてタバコを灰皿で揉み消しながら、口を開いた。

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「久米くん、今日きみをここに呼んだのは、他でもない。例の大輔と花子の件なんだ。

まあきみも忙しいことだろうから単刀直入に聞くが、何で未だに赤ちゃんが出来ないんだ?

園としても、まだかまだかと期待をしているのだが」

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久米は俯いたまましばらくじっとしていたが、やがて喋り始めた。

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「正直、自分にもよく分かりません。

自分があの子たちの担当になって今年でちょうど10年になります。その間自分なりに必死に飼育してきたつもりです」

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「それならどうして出来ない?」

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「…………」

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熊谷園長は少しイラただしげに新たなタバコに火をつけると、話を続ける。

「きみも分かっているだろうが、ここ数年、当園の来場者数は減少の一途を辿っている。このままいくと赤字が続いて閉園という事態にもなりかねない。

こんな時に、うちで人気のチンパンジーたちに子供でも出来たら、少しは來園者数も増えるのではないか?と思ってるんだよ。

きみもそう思わないか?」

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「…………」

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久米は俯き無言を続けていた。

すると園長はしびれを切らしたように、最後にこう言った。

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「久米くん、うちの経営状態はここ数年最悪を更新している。今年中に花子が妊娠しなかったら、残念だが当園リストラ対象の1人になってもらうからね」

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「…………」

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久米は唇を噛んで無言のまま立ち上がると「すみません、朝の仕事がありますから」と残して園長室を出ていった。

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その日の園の仕事を終え、帰りの地下鉄の椅子に座る久米は正面の車窓に移る自分の姿を、ただボンヤリと眺めていた。

ラッシュ時間はとうに過ぎているから、車内に乗客は疎らだ。

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彼の脳内には、熊谷園長の言った「リストラ」という言葉がぐるぐる回っていた。

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─今さら、この歳でクビとかになっても、40の俺が行くところなんかあるわけないよ。

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独り愚痴ると、1つ大きくため息をつく。

すると、

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shake

─ピンポーン

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ラインメッセージの受信を報せる音がする。

彼は胸ポケットからスマホを出すと、画面上を操作してメッセージを画面上に表示した。

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─ごめんなさい。

急用が出来て、明日お会い出来なくなりました。

今年中は仕事が忙しくて難しそうです。

来年にでも予定が空いたら私からラインしますね。

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マッチングアプリで知り合った女性からだった。

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─あ~あ、つまりは、フラれたということか、、、

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彼はラインを閉じてポケットに戻すと、再びため息をついた。

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翌朝、久米はいつも通り動物園に行くと、餌やりをしたり檻の中の掃除をしたり事務処理をしたりして、夕刻まで過ごしていた。

平日の園内は朝からほとんど来場者の姿が見られず、閑散としている。

下手をすると園のスタッフの方が多いかもしれなかった

ベンチで彼が軽い休憩を取っていると、閉園を報せる場内アナウンスに続き、どこか物悲しい「蛍の光」が流れ出した。

彼はチンパンジーの檻に入ると、大輔と花子を隣にある仮のケージに閉じ込め檻の中の掃除を始める。

小一時間で掃除を終えると、2頭を再び戻してやった。

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そして久米が広いケージの隅っこにある木陰に座り、長靴を履いた足を投げ出しボンヤリしていると、いつの間にかメスの花子がやって来て、隣にちょこんと座った。

大輔は岩の上で寝ている。

花子は彼の気持ちが分かっているかのように、膝に乗せた彼の手に自分の手を重ねると、心配そうな目で顔を覗き込む。

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「花子、お前だけだよ、俺の気持ちを分かってくれるのは」

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久米はそう言って愛おしげに彼女の頭を撫でる。

すると花子は彼の胸に赤ん坊のように顔を埋めてきた。

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その日彼はチンパンジーの檻の中で一夜を過ごした。

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それから秋が過ぎ冬になろうかという11月の頃のこと。

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F市の地元紙であるF新聞の社会面の端に

【F市立動物園のアイドル花子がとうとうおめでた!】

という記事が載った。

一般にメスのチンパンジーの妊娠期間は約8ヶ月という。

だから順調にいくと花子の赤ちゃんが生まれるのは、翌年の凡そ6月頃になる。

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花子の懐妊で何とかリストラを免れた久米は、年明けも動物園での業務を続けることが出来た。

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そして春が過ぎ、梅雨がそろそろ訪れるかという頃、花子は無事、男の子の赤ちゃんを出産した。

園内は一気に感激ムードに包まれた。

前もって一般公募で決定した名前は【ジョージ】。

いきなり公開をすると、花子にもジョージにも良くないということで、しばらくは隣にある仮のケージに2匹を隔離して、経過を見守るということになった。

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そしていよいよ一般公開の日。

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その日は朝から雨にも関わらず、チンパンジーの檻の前には赤ちゃんチンパンジージョージの姿を一目見ようと多くの來園者が集まった。

檻の上部には「ようこそジョージ」という横書きの垂れ幕がしてある。

透明の仕切りパネルを通して見える檻の中を、緊張した面持ちで見守る人々。

少し離れたところでは、園長の熊谷が、地元紙の記者にインタビューを受けている。その横ではカメラマンがカメラを構えて待っていた。

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すると久米は聴衆の前に立つと、拡声マイクで喋り始めた。

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「皆様、本日はお足下の悪い中、登園にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。

番いのチンパンジー、大輔と花子がこのF市立動物園に来てはや10年。ようやく子宝に恵まれることになりました。

これは奇跡としか言いようがありません。

担当の私としましても、本当に嬉しいかぎりです。

それではこれより赤ちゃんの御披露目を致しますが、1つお願いがあります。

フラッシュでの写真撮影はご遠慮ください。

それでは、お願いします」

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久米の挨拶の後、ケージ内奥の扉が開く。

聴衆たちは一斉にスマホを檻に向かってかざしだした。

しばらくすると、オスの大輔が、続いてメスの花子が現れた。花子の背中には小さなチンパンジーが懸命にしがみついていた。

あちこちから、感嘆の声があがる。

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─わあ、可愛い!

ジョージ~ジョージ~

見て見て、あんなにちっちゃ~い!

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大輔と花子は聴衆のすぐ前を四つ足で通り過ぎ、しばらくうろうろすると、最後はケージ中央にあるひときわ大きな岩の前に座り寛ぎだした。

この位置だと、聴衆からもはっきりジョージの姿が見える距離だ。

感嘆の声はしばらく続いていたが、やがて何故か今度はあちこちから、どよめきが起こりだした。

最前列にいる若い女性たちが、ひそひそと話す声が聞こえる。

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─ちょっと見て、あれ何?

本当にチンパンジー?

キモいんだけど、、、

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地面に座り毛繕いをする花子の前で、

ジョージが戯れている。

一見、それは黒い毛皮に包まれた普通のチンパンジーに見える。

だがどこかおかしかった。

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1つは、

黒い毛皮の毛量が極端に少ないこと。

頭部、胸部、脚部にしか生えていない。

肌質も普通のチンパンジーよりも肌色でツルツルしているようだ

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そしてもう1つは、、、

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その顔が、

人間の顔そのものだった。

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fin

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Presented by Nekojiro

Concrete
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