これは私が、とある居酒屋の席で会社の部下である堀田美優から聞いた話だ。
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18歳で高校出たての新卒なのだが、まだ若いのに少し陰のある子だった。
以下はその時の彼女の不可思議な告白だ。
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笑うかもしれませんか、私は鏡が怖いんです。
いや正確には鏡を見るのが怖いんです。
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例えば朝、洗面所に入る時とかは腰を直角に曲げたまま洗面台の前に行き顔を洗い歯を磨くと、そのままの姿勢で室を出ます。
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化粧とかも出来るだけ短時間で済ませるようにしてます。
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外出して歩道を歩く時などもショップウインドウに視線を移さないようにしています。
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美容院に行くときはアイマスクを欠かしません。
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「どうして?」ってよく親しい友人とかに聞かれます。
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その問いかけに私はこんな話をします。
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中学生の時、一時期クラスで【裏拍手】というのが流行りました。
はい、左右の手の甲を合わせるようにして拍手するあれです。
これって別名【死者の拍手】と呼ばれていて、とても不吉な行為と言われているみたいですね。
放課後クラスメート数人と、そのことで盛り上がっていたとき1人がこんなことを言ったんです。
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「深夜2時に鏡の前で【裏拍手】すると、死者が現れるらしいよ」
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その時は単なる作り話の類いだと皆で一笑にふしたんですが、軽い好奇心から私はある日の深夜それをやってみたんです。
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それは期末試験が迫ってきていた頃だったと思います。
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私は2階の自室で遅くまで勉強をしていました。
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家族はとっくに皆寝静まり、私1人が窓際にある机の前で頑張っていました。
ふと時計を見ると、時刻は2時近くになってます。
そろそろ寝ようかと、大きく伸びをした時でした。
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机の片隅に立て掛けてある小さな鏡が視界に入りました。
その時ふと私は以前クラスメートが言っていた【裏拍手】の話を思い出したのです。
もう一度時計を見ると、時刻は1時56分。
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─確か2時に【裏拍手】をすると、死者が現れると言ってたような、、、
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でもどうせ作り話に決まってる。
などと思いながらも好奇心に負けた私は目前に鏡を置くと、2時になるのを待ちました。
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その時すでに心臓の鼓動が少しずつテンポを上げてきていたのを、今もはっきり憶えてます。
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そしていよいよ2時になりました。
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私は緊張した面持ちで鏡を覗き込みながら、左右の手の甲をポンポンポンと三回合わせます。
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果たして、、、
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しばらくは緊張しながらじっと鏡を睨んでいました。
でも映っているのは自分の顔だけで何の変化もありません。
辺りを見回してみましたが室内にも何の変化もありません。
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─なんだ、やっぱり作り話か
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肩透かしをくらったような気分でため息をつき電気を消すと、さっさとベッドに潜り込みました。
その日は勉強疲れもあったからすぐに寝落ちするかと思ったのですが、何故か中々寝付けないんです。
布団の中で右に左に寝返りをうちながら微睡みが来るのを待っていました。
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それからどれくらいが経った頃でしょうか。
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─ギ、、、、
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何か板が軋むような音が微かに聞こえたんです。
その音は一定のゆったりしたテンポで少しずつ大きくなってきます。
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─ギ、、、、ギ、、、、ギ、、、、
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その時私はふと、去年病気で亡くなったじいちゃんを思い出したんです。
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じいちゃんの部屋は廊下を挟んだ私の部屋の前です。
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たまに深夜になると用を足しに階段を軋ませながら階下に降り再び2階に上がってきていたんですが、その時に聞こえていたのが正にその音でした。
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─じいちゃんが階段を登ってきてる!
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そしていよいよ軋む音は間近に近付くと、一旦ピタリと止みました。
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私は布団の中で芋虫のように丸まり、震えながら「こっちにくるな、こっちにくるな」と繰り返してました。
すると、
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shake
─ガタッ、、、ガタッ
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前の部屋の襖ががたつく音がしたかと思うとスーっと開く音がし、最後はカタンと閉まる音がしました。
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一気に脱力した私は、そのまま微睡みの泉に浸かっていきました。
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翌朝私は「あれは空耳、あれは空耳」と自分に言い聞かせながらいつものように階下に降りて、洗面台の前に立つと顔を洗い始めました。洗い終わって顔を上げ姿見を見たその時です。
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一瞬でパッと背中が粟立ちました。
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肩越しに見える背後の壁の前に誰か立っています。
それはじいちゃんでした。
白装束に身を包んだ、去年亡くなって棺に横たわっていたそのままの姿で、じいちゃんが立っているのです。
ただその2つの目には白目がなく洞穴のように真っ黒でした。
ガクガクと膝を震わせながらも、私はゆっくりと振り向きました。
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しかしそこには誰もいません。
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ほっと息を継ぎ再び前を向いた時、また背中が粟立ち一気に心拍数が上がります。
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正面の姿見にはじいちゃんだけが映っていて、私と向き合うように立っているのです。
じいちゃんは微かに微笑みながら枝のようなか細い手を、ゆっくりこちらに差し出してきました。
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まるで、こっちにおいでと言うように、、、
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それから信じられないことですが、その筋張った手が鏡の中からニュッと出てきて、私の手首を掴んだんです。
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ひ!
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私は必死にその冷たい手を振りほどくと、そのまま床に倒れ込み気を失ってしまいました。
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それからというもの、じいちゃんは事あるごとに鏡の中に姿を現すようになったんです。
だから私今は出来るだけ鏡は見ないようにしてるんです。
もちろんじいちゃんの姿を見るのが怖いということもあるんですが、それよりなによりもいつか死者の世界に連れていかれてこの世から消え去ってしまうんじゃないかという恐怖から、、、
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ここで堀田美優の話は終わった。
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そしてこの一週間後から彼女は会社を休みだす。
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始めのうちは体調不良という連絡があったのだが、やがて連絡もなく休むようになる。
携帯に電話をしても繋がらない。
マンションの管理人に問い合わせると、何度となく呼び鈴を押してみたが返事がなく集合ポストには郵便物が溢れかえっているということだった。
それでとうとう私は警察に通報した。
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そこですぐに警察は彼女の自宅マンションに向かい、管理人立ち会いのもとに立ち入った。
そして徹底的に室内を調べたが結局、堀田美優は見つからなかったということだった。
室内はきちんと片付けられていてカーテンも閉じられており、テーブルの上には手付かずの夕食らしきものがそのまま置かれていたという。
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不審に思った警察はさらにマンションの防犯カメラを調べたのだが、最初に会社に連絡を入れた日の翌日からは彼女が部屋から外出した形跡は一切なかったらしい。
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう