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長編16
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総務課の仕事

「西崎さん、ちょっといいですか?」

会議が終わって自分のデスクに戻り、さあこれから溜まっている自分の仕事を片付けるぞと意気込んでパソコンに向かった途端、隣の部署の磯野智子がハイヒールの音を響かせ近づいてきた。

先月同じ部署にいたベテランの女性が退職し、彼女がこまめに面倒を見ていた社内の萬相談事が、最近は何故か俺のところに舞い込んでくるようになっていた。

相談事自体は総務課という部署故に仕方のない事なのだが、他にも課員は何名かいるのに多くの人が俺に声を掛けてくるのだ。

「西崎さんの人徳でしょ。黙って座っていても、そこはかとなくとても親しみ易い雰囲気が漂っているもの。」

隣に座る伊藤美月はそう言って笑うが、彼女はシングルマザーで子供の送り迎えがあるため時短勤務としており、

朝と夕方は席にいないというのもみんなが俺のところに来るひとつの要因になっていると思うのだが、さすがに彼女も子育てと仕事を両立させようと毎日頑張っている以上はそれを口に出して言うことは絶対に出来ない。

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◇◇◇◇

「四階の北西側角にある第六会議室なんですけど、あの部屋ってやっぱり空調がおかしくないですか?いつ使ってもなんだか肌寒くって。前にも鈴木主任に言ったんだけど、全然直らないのよ。」

俺の席の横に立って両手を机に置き、磯野智子は軽く怒ったような口調でそう訴えてきた。

「おいおい、この前磯野さんも立ち会ってあの部屋の温度測定までやって問題ないことを確認しただろう?」

彼女の声が聞こえていたのだろう、斜め前に座る鈴木主任がむっとしたような声で彼女の訴えに反論した。

「そんなこと言ったって、やっぱり寒いんだから仕方がないでしょ!」

「まあまあ、第六会議室はもう一度確認して連絡するから、磯野さんもそれまでは出来るだけ他の会議室を使うようにしてよ。」

口調が荒くなってくるふたりを宥めて一旦場を収めると、改めて自分のパソコンに向き直った。

「まあ、なんだかんだ言って磯野さんも鈴木主任に文句をつけているんじゃなくて、西崎さんに絡みたいだけなんですよ。総務でただひとりの独身男性だもの。モテる男は辛いわね。」

伊藤美月が自分のパソコン作業を続けながら、俺と鈴木主任を慰めるようにそう言った。

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「第六会議室ね・・・」

伊藤美月が独り言のような小さな声でそう呟いたのが気になったが、今日は午前中に受付ロビーにある接客エリアのレイアウト見直しや三階の座席増設の関する相談も受けており、

そちらはそれなりに予算も必要なため真剣に対処しなければならないことを考えた。

「それで鈴木主任、朝の相談の件ですが、三階の座席レイアウトについてはお願いしちゃっていいですか?佐藤部長のところです。僕は受付のレイアウト変更の話を聞いてきます。」

「とか何とか言って、西崎は受付の女の子と話をしたいだけなんだろう?」

今の磯野智子とのやり取りで臍を曲げたのか、珍しく鈴木主任が絡んできた。

「またそんなこと言って。それじゃ僕が佐藤部長のところに行きますから、受付をお願いしていいですか?」

「いや、そんなことしたら受付の女の子に疎まれるだけだからな。我々総務課の評判のためにも西崎が受付に行ってくれ。」

「わかりました。それじゃ佐藤部長の方はお願いします。」

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◇◇◇◇

受付の女性達は組織的に同じ総務部所属となっているため、顔と名前は知っている。

全部で四人在籍しており、ふたりずつのローテーションを組んで毎日切れ目なく受付に座るのだ。

「広田さん、今朝聞いた話なんですけど、何が問題なのか具体的に教えて貰えますか?」

「あら、西崎さん、わざわざすみません。美春ちゃん、ちょっと席外すね。」

訪問客がいないことを確認して受付のリーダーである広田佐代子は、隣に座っている宮永美春に声を掛けて受付カウンターの中から出てきた。

もう四十代半ばであろう彼女は経験豊富でしっかりしており、非常に頼りになる。

「こちらのふたつの商談席なんですけど、お客様から、商談中に通路を通る人から机の上のサンプルやタブレットの画面が丸見えになるから、何とかならないかという相談を受けているの。」

改めて席を見てみると確かにその通りだ。

お客様からすれば、売込中の商品を誰だかわからない通りすがり人の目に曝したくないというのは当然の要求だ。

ぱっといくつかの案が浮かんだが、彼女たちの職場でもあるのだから、彼女たちの意見もきちんと聞いてから決めた方がいい。

「もし良ければ、今日の夕方、受付時間が終了した後に三十分くらいでどんな風に変えるか打合せを持たせて貰えませんか?」

「そうして貰えると嬉しいわ。ちょっと待ってください。」

広田佐代子は受付カウンターに戻ると宮永美春に会議室を探すように指示した。

「えっと、十七時からだと・・・定時直前なのに結構混んでいますね。あ、四階の第六会議室が空いています。予約を入れておきますね。」

「了解。じゃあ、十七時に第六会議室で。」

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*********

四階の自席に戻るとまたパソコンに向かった。今日中に片付けなければならない資料がまだ二件ある。さっさとやっつけないとまた遅くまで残業しなければならなくなってしまう。

「じゃあ、お先に失礼します。」

十六時になり、時短勤務の伊藤美月が帰っていった。

またここからいろいろな問い合わせが増えるのだが、今日は何とかそれを避けたい。

どこかの会議室に籠って仕事をしよう。

試しに十七時から打合せである第六会議室の予定をパソコンで確認すると、運良くずっと空いていた。

改めて予約表を見てみると、他の会議室に比べて第六会議室の予約はスカスカだ。

「やっぱり磯野さんの言う通り、空調に問題があるのかな。」

とにかく会議室に予約を入れ、自分のスケジューラーにダミーの会議を設定すると、ノートパソコンと資料を抱えて第六会議室へと向かった。

折角の機会なので、ポケットに簡易型の温度計を放り込んで、磯野智子のクレームの確認もすることにした。

「やっぱりこの部屋は日当たりが悪いよな。」

まだ日が高い夕方四時なのに第六会議室は薄暗かった。

十名ほどが入れる大きさの会議室で、建物の北西の角になるのだが窓は北側だけで、その窓のすぐ外には隣のビルが建っており、この部屋に直接日が差すことはない。

三階より下のこの位置は備品庫などになってり、会議室として使われているのはこの四階だけなのだ。

部屋の照明をつけて椅子に座るとノートパソコンを開いて早速仕事に取り掛かった。

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「おっと、そうだった。」

肘に当たったポケットの硬い感触で思い出し、温度計を取り出すとテーブルの上に置いてスイッチを入れた。

数秒でピッという電子音がして表示が安定した。

「やっぱり22℃あるよな。何でこの温度で寒いって言うんだろう。あのおばさんは冷え性なのかな。」

磯野智子は俺よりふたつ年上なのだがまだ三十であり、おばさん呼ばわりは可哀そうなのだが、ひとり部屋にいて他に誰もいないのをいいことに八つ当たり半分で、面と向かっては絶対に言えない独り言を言いながら、資料を広げて作業に取り掛かった。

建物の隅にある部屋なので外の廊下を通る人もおらず、事務所の喧騒が小さく聞こえるだけで、非常に静かでありこれなら仕事に集中できる。

この会議室は予約も取りやすいし、ひとりで籠って仕事をするにはいいかもしれない。

順調に仕事が進み、パソコンのキーボードを叩く音だけが響く中で三十分が過ぎた頃だった。

「あれ?」

ふと顔を上げると、会議机の向こう側、俺の正面の椅子が机から出ている。

部屋に入ってきた時は全ての椅子がきれいに机にしまわれていたはずだ。

「俺が蹴飛ばしたかな?」

しかし会議机の幅は一間(180センチ)ほどあり、頑張っても足は届かず無意識に蹴飛ばせるような距離ではない。

しかし悩むようなことではないと、気を取り直して再びパソコンに向かった。

コトッ

自分の叩くキーボードとは別の小さな音が部屋のどこかから聞こえた。

何だろうと思い部屋の中を見回したがもちろん誰もいない。

テーブルの下に頭を突っ込んでみたが、何かが落ちている様子もない。

「気のせいか。」

再びパソコンに向かい作業を始めたが、それから十分ほどした時だった。

ギシッ

まるで椅子の背もたれに寄り掛かったような軋む音が聞こえた。

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音がしたのは俺の正面辺りからだったが、顔を上げてみても誰もいない。

しかし机から出ていた椅子の位置が多少先程と異なっているような気がする。

しばらくそのままその椅子を見つめていたが、全く何の変化もない。

ふと誰かに見られているような気がして周りを見回したが、もちろん誰もいない。

しかし会議室の出入り口のドアの上半分に嵌め込まれている凸凹ガラスにぼんやりと人影が見えていることに気がついた。

髪の毛が長いところからすると女性のようだ。

会議室の壁に掛かっている時計を見ると十七時五分前だ。

約束の時間よりも早めに来たのだろうか。

「広田さん?」

ドアに向かって声を掛けたがガラスに映る姿は全く動かず返事もない。

「広田さん?入って構わないですよ。」

しかし相変わらずその姿は全く動かない。

それによく見ると広田佐代子とシルエットが異なるような気がする。

着ている服も受付の制服であるグレーではなく、白い服だ。

違う人だろうか。

そのまま様子を窺ったが、全く動く様子がない。

俺はしびれを切らして立ち上がり、ドアのノブを掴んで手前に開いた。

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「??」

ドアの向こうには誰もいなかった。

しかしドアノブに手を掛け手前に引く瞬間まで、俺の目の前のガラスにはその姿が見えていたのだ。

何か光の加減でそう見えていただけなのだろうか。

俺は一旦ドアを閉めてもう一度ガラスを確認した。

そこにはたった今まで映っていた女性の姿はなかった。

やはりドアを開く瞬間まで誰かがそこに立っていたとしか思えないのだが、廊下に頭を出してみても人影は見えないし、周辺にすぐに隠れられる場所もなく、隠れるような時間もなかった。

もう一度ドアを開け、閉じてみてももうその姿は見えない。

そうしているうちに何だか自分の見間違いのような気がしてきた。

確かに見えていたような気がするのだが、今この時点での事実はそこに誰もいないのだ。

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そこへ廊下の向こうからこちらへ歩いてくる見覚えのあるグレーの制服を身に纏った女性達が見えた。

今度は間違いなく広田佐代子たちだ。フルメンバーの四人が揃っている。

「あら、西崎さん、私達が来るのをわざわざドアの前で待っていてくれたんですか?」

先程は受付にいなかった岸本いずみが驚いたようにそう言うと、宮永美春と西川美智代が笑った。

しかし岸本いずみは何処か不安そうに辺りを見回し、会議室を覗き込んでいる。

「あなた達、西崎さんにお待たせしてすみません、くらいは言ったらどうなの?」

さすがリーダーである広田佐代子は三人をたしなめた。

「いやずっとこの部屋で仕事をしていて、今たまたまドアから顔を出しただけなんですよ。皆さんはもう業務終了時間なのですよね?じゃあ、さっさと打合せを終わらせましょう。」

四人は会議室に入ると、俺が座っていた場所の向かい側に四人並んで座った。

これまで作業していた書類をざっと片付けると、背後にあるホワイトボードに現在のレイアウトと変更後の案をいくつか簡単な絵で表した。

「変更のアイデアとしてはこんなものかと思うんですけれけど、他にあれば遠慮なく言って下さい。取り敢えず話がしやすいように変更案にAから順に記号をつけておきますね。

じゃあまずA案から話をしていきましょうか。」

そしてみんなで意見を出して議論していたのだが、岸本いずみが何か落ち着かない様子で周囲をさかんに気にして口数も少ない。

「岸本さん、どうしたの?何だか落ち着かないみたいだけど、定時後に何か予定でもあった?」

「あ、いえ、そうじゃないんです。ごめんなさい。」

俺が見かねて岸本いずみに声を掛けると彼女は慌てて否定して俯いた。

「どうしたの?いずみちゃん、あなたらしくないわね。」

広田佐代子も同じように感じていたのだろう、それでも優しく彼女に問いかけた。

「あの・・・仕事に関係ない事なので言いにくいんですけど、社内の知り合いから、この第六会議室は不思議なことが起こるから使わない方がいいわよって言われたんです。

あ、いえ、別にそんな話を頭から信じているわけじゃないんですけど、ひょっとしたらって思うとやっぱり何だか不安で。」

「いやいや、その様子はしっかり信じているように見えるよ。」

俺は岸本いずみに笑いかけながらも、頭の中では先ほどの奇妙な現象、異常なくらいの予約の少なさ、そして磯野智子のクレーム。

それらのことがひとつの形を成してきた。

しかし総務課員という俺の立場上、それを認めていいものだろうか。

とは言え、彼女の言うことを真っ向から否定するのも棘が立つ。

「そんな噂があるんだね。じゃあさっさと結論を出して打合せを早めに終わらせましょう。」

とにかくその話題を流して元の話に戻り、二十分程でひとつの案に多少の修正を入れる形で決着した。

「じゃあ、これで工事の検討に入りますので、日程がはっきりしたら連絡します。」

早々に打合せを終わらせられたのは、まだ仕事が残っている俺にとっても幸いだった。

笑顔で四人の顔を見ると、岸本いずみが今度は強張った顔で入り口のドアをじっと見ている。

何を見ているのだろうと振り返ると、先程と同じようにドアの凸凹ガラスに女の上半身が映っているではないか。

「えっ、誰?誰なの?」

宮永美春がドアに向かって声を掛けたが返事はなく、ガラスの向こうに見える女の姿は微動だにしない。

俺は立ち上がってドアに歩み寄ると、躊躇することなくドアを開けた。

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「きゃ~!」、「いや~っ!」

そこには先程と同じく誰もいなかった。

彼女達は悲鳴を上げて椅子から立ち上がると、一斉にドアから離れるように後ずさりした。

俺はそのまま廊下に飛び出して周囲を確認したが、やはりその姿は何処にも見えない。

会議室に戻ると会議机の向こうで四人が固まってこちらを見ている。

「誰もいないよ。何だったんだろうね。」

「西崎さんは怖くないんですか?」

西川美智代が眉間に皺を寄せて俺に聞いてきた。

「実はさっき皆さんがここに来た時、僕が廊下に出ていたでしょう?実はあの時同じことが起こったんだす。」

俺は正直に説明した。

「だから、またかっていう感じだったんですけど、いったい何なんだろうね。何か光の加減かな。とにかく打合せは終わったのでこれで解散にしましょう。」

「西崎さんは、まだここでお仕事をするのですか?」

宮永美春が心配そうに聞いてきた。

「まあ、あと少しだからやっつけちゃいますよ。六時になってみんなが帰るまでは自分の席に戻ると雑音が一杯入るから。」

「あら、ごめんなさいね。私達も雑音を入れて。」

広田佐代子はあまり申し訳なく思ってはいなさそうに、取ってつけたように言った。

「いやいや、本来はそれが僕の仕事ですから。でも今日はちょっと終わらせなきゃいけない仕事があるんで、あと一時間くらいかな、頑張りますよ。」

「じゃあ、私達は邪魔をしないようにさっさと引き上げますね。」

広田佐代子はそう言ったものの不安そうにドアの方を見た。まだ先程の女の姿が気になるのだろう。

俺はもう一度ドアから廊下に出ると、廊下から会議室を覗き込んで手招きをした。

「大丈夫。廊下には誰もいませんよ。」

それでも四人は恐る恐るドアに近づくと廊下を覗き、誰もいないことを確認するとようやく安心して会議室を出て行った。

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◇◇◇◇

「さてと、頑張ってさっさと終わらせるか。」

気を取り直して一度パソコンの前に座ったが、やはり気になるためドアを全開にして、顔を上げればすぐに出入り口が見える位置へとパソコンを動かした。

これで開け放したドアの前に人が立てば凸凹ガラスを介さずに直接全身を確認できる。

俺はパソコンに向かうと中断していた作業にようやく取り掛かった。

しかしパソコンの画面の向こうにドアの開いている出入り口が見えているとどうしても気になってしまう。

頻繁に目の焦点を出入り口とパソコン画面の間で行き来させるのだが、何も起こらない。

徐々にその視線移動の頻度が落ち、やがて作業に集中してほとんど出入り口を確認することがなくなった。

思ったより作業に手間取り、考えていた一時間をはるかに超えて、気がつくともう夜の八時になろうとしていた。

バタンッ!

画面に集中している時に突然聞こえたドアが閉まる大きな音に椅子から飛び上がるほど驚いた。

ドアはチェッカーで全開位置に止まっていたはずなのになぜか勢いよく閉まったのだ。

風が吹いているわけではなく、地震があったわけでもない。

開いているドアが自然に、尚且つダンパーもついているはずなのにあれだけの音を立てるほどの勢いで閉まるはずがない。

やはり怪奇現象ということなのだろうか。

そのまま廊下の照明を乱反射しているドアの凸凹ガラスを見つめたが、あの女の姿は映っていない。

すると部屋のどこかでパチッと指を鳴らすような音が聞こえた。そしてそれと共に何となく肌寒さを感じ始めたのだ。

机の上に置きっぱなしにしていた温度計を覗き込んだが、空調がきちんと効いているのだろう、先程の22℃から変わっていない。

しかし体感的には明らかに温度が下がっているのだ。

磯野智子が言っていたのはきっとこの状態に違いない。

彼女は肌寒さだけを感じ、奇妙な現象には遭遇しなかったのだろうか。

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パチッ!

再び部屋のどこかで音がした。これがラップ音というものだろうか。先程よりも音が大きく、どこから聞こえるのだろうかと部屋を見回した。

「!!」

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自分以外には誰もいなかったはずの部屋の隅に白いブラウスに紺色の事務服を着た女が立っていた。

長い髪を後ろで束ね眼鏡を掛けた青白いその顔に全く見覚えはない。

ドアを開けたまま作業に集中している間にこっそりと入ってきたのだろうか。

しかし出入り口から入ってきてあの位置まで移動すれば、いくらなんでも気がつくはずだ。

それにこの女が着ている事務服は五年ほど前に廃止されており、いまはもうこの事務服を着ている社員はいない。

そうすると目の前のこの女はやはりこの世の存在ではないということか。

女と目を合わせたままじりじりと後ずさりした俺は背中が壁に触れたところで逃げ出そうとドアの方へ向き直った。

「!!」

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先程ばたんと勢いよく閉じ、そのままになっているドアの凸凹ガラスには先程と同じように白い服の女のシルエットが映っていた。

逃げ出そうとした足が一歩踏み出したところで止まり、事務服姿の女とガラスに浮かんでいる女の姿を交互に見比べた。

事務服姿の女は部屋の隅に立ったまま、特に近寄ってくる様子はない。

俺はガラスに映る女がドアを開けるといなくなっていることを繰り返したのを思い出し、意を決してドアに駆け寄るとドアを手前に引いた。

しかし期待を裏切って女はドアの向こうに立っていた。

白い無地のワンピースに裸足、セミロングの黒髪は何故か濡れて雫が垂れ、よく見るとワンピースも濡れて体に貼りついている。

そして青白い顔に感情のない眼差しでじっと俺のことを見つめているのだ。

声も出せずにそのままドアを閉めると後ずさりをして先ほどの立ち位置まで戻った。

閉じたドアのガラスには相変わらず女の姿が浮かんでいる。

壁に背をつけたままどうすれば良いのかわからず、再び事務服姿の女とガラスに浮かんでいる女の姿を交互に見比べていると、会議机からゴトゴトという音が聞こえた。

何かと思い会議机を見たが机の上には何も変わったところはない。

すると今まで俺が座っていた椅子が誰も触れていないのにひとりでにすっと横に動いた。

そしてその奥、会議机の下の薄暗い空間に、血だらけの顔をした下着姿の女が四つん這いで俺を睨んでいるではないか。

「うわっ!」

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◇◇◇◇

どうやら俺はそのまま気を失ってしまったようだ。

会議室の床に倒れているところを顔見知りの警備員が見つけてくれ、頬を叩かれて意識を取り戻した。

時計を見ると、午後八時を少し過ぎたところであり、倒れていたのはごく短い時間だったようだ。

「いや、みんな帰ってしまったと思っていのにこの会議室に電気が点いているのに気がついて、見たら西崎君が倒れていたからびっくりしたよ。いったいどうしたんだい?」

警備員の田辺に抱き起こされながら会議室の中を見回したが、先程の女達はどこにも見当たらず、肌寒さもなくなっている。

「いえ、すみません。あの、田辺さんがこの会議室へ入ってきた時に誰か他にいませんでしたか?」

「いや、西崎君以外に誰かいたのか?」

「いえ、誰もいなければいいんです。変なことを言ってすみません。」

これから朝まで夜警であろう彼を怖がらせては悪いと思い、今起きたことを話すのはやめて俺は机の上を片付けるとさっさと自分の机に戻り、残りの仕事を片付けたのだった。

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◇◇◇◇

翌朝、周りに人がいないタイミングを見計らって、隣の席に座る伊藤美月に第六会議室で遭遇した出来事を話した。

以前彼女が自分で霊感が強くて困るというような話をしていたのを思い出したのだ。

「実際のところがどうなのかはよくわからないけど、あそこは霊の通り道になっているのかしら。

あそこの空気はいつ行っても異常よ。私は絶対近づきたくないもの。」

伊藤美月は神妙な面持ちでそう言った。

「単に霊の通り道というだけなら、老若男女いろいろな霊が出てきてもいいはずだろう?なんであんな奇妙な女性の霊ばかりだったんだろう。」

「そうね、ひょっとしたらその昔の事務服姿の女性が何らかの理由であの会議室の地縛霊になっていて、それに他の霊達が引っ張られているのかもしれないわね。

それで波動が似通っている、若い女性で異常死したような幽霊ばかりだったのかも。」

「そんなものかな。」

「そして西崎さん自身も彼女達を引き付ける何かを持っているのよ。それが何かは分からないけど、警備員の田辺さんは何ともなかったし何も感じなかったんでしょう?こういう事って、本当に人によるのよね。」

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◇◇◇◇

俺は鈴木主任と相談し、第六会議室を廃止してあの部屋を余っている机や椅子などの什器を保管する倉庫にしてしまった。

これで磯野智子にクレームをつけられることもなくなったし、一石二鳥だ。

それでも什器の出し入れのために時々あの部屋へ出入りすることがあるのだが、決してひとりでは行かないようにしている。

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いまでもあの部屋に入ると嫌な雰囲気が消えていない。

やはり、あの女性達は積まれた什器の間や部屋の前に夜な夜なずっと立ち続けているのだろうか。

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そんな彼女達を不憫だと思うが、何をどうすればいいのか分からない。

それに彼女達の面倒を見るのは、総務課の仕事ではない。

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と、俺は思うのだが・・・

違う?

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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