長編12
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楡の木の精霊(1/3)

新作のスマホ向けゲームが完成した打上げという名目で、制作に関わったメンバーの内、俺を含めた独身六人が新宿にある居酒屋に集まって飲んでいた。

新宿と言いながら、かなり新大久保寄りに位置し、山小屋風のシックな内装で居酒屋と銘打っている割に比較的静かに飲める店なので、普段からお気に入りの店のひとつだ。

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俺、三澤啓太は、ゲームクリエイターとして今回開発したゲームの企画段階から関わり、その中心的な役割を果たしてきたと自負している。

基本は一匹狼でフリーのクリエイターとして仕事をしているのだが、今回は大手携帯電話会社とのタイアップということもあり、友人でありプロデューサーの長内孝之に声を掛けられて、この十か月間このゲーム会社にどっぷり浸かっての仕事だった。

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「三澤、そういえばお前の実家ってどこだっけ?」

飲み始めて少ししたところで長内孝之が突然思い出したように問い掛けてきた。

「そういえば、このプロジェクトが始まってからずっと一緒に仕事してきたけど、三澤君って仕事以外のプライベートのことは殆ど話してくれなかったものね。」

俺の正面に座っている西野麻奈が俺の小皿にサラダを取り分けてくれながら、長内孝之の質問に重ねた。

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西野麻奈は主にBGMなどの音響関係を担当してきたのだが、非常に有能でセンスが合うのか俺の思い描くゲームのシーンにぴったりのメロディをいつも提案してくれた。

その西野麻奈の隣に座るのが、プログラミング担当の川口稔、その隣が脚本担当の小出愛子、そして俺の隣が稔と同じくプログラミング担当の福村祥子、そして隣に長内孝之という六人が今日の参加者だ。

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「別に隠していたわけじゃなくて聞かれなかったから話さなかっただけさ。俺の実家は今でもタヌキが走り回っている多摩の田舎だよ。周りは山と田んぼばかり。静かでいいところだけどね。」

すると対面の川口稔と話をしていた福村祥子がこちらを振り向いた。

「あ、その辺りって昔ジブリのアニメであったわよね。多摩ニュータウンだっけ?あの辺なの?」

彼女は川口稔と話をしているようでいて、彼との話に集中せずにこちらの話にも耳を向けていたのか、そもそも長内孝之の質問は間に座る福村祥子の頭越しに投げ掛けられたのだから嫌でも聞こえたのかもしれない。

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「多摩ニュータウンはもう団地ばかりで、駅からかなり離れないと山も田んぼもないよ。実家はそこから西の方へ離れたところ。」

すると俺から一番遠い角に座っていた小出愛子が身を乗り出してきた。

「意外にその辺りって心霊スポットや昔からの言い伝えとかが多いのよね。ほら小泉八雲の雪女もあっちの方が舞台なんでしょ?」

「諸説あるみたいだけどね。でもあの辺りは都市としては栄えなかったけど地域としては古いんだよ。石器時代から平安時代にかけての遺跡も多いし、昔八王子から絹を輸出するために横浜の港へとつながった道がシルクロードと呼ばれていて、その街道沿いにも心霊スポットと呼ばれているような場所が点在しているね。」

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「ねえ、三澤君の実家の周辺にはそんな話はないの?」

その手の話が好きなのだろう、小出愛子が目を輝かせて聞いてきた。

三人ずつ向い合せに座った対角のふたりが話を始めたので、他の四人も自然に俺の話へ耳を傾けることになった。

「実家の辺りというより、俺自身も不思議な体験をしているんだ。自分の兄貴以外に話したことはないんだけど、聞きたい?」

「もちろん!」

「聞かせて。」

「そこまで言って話さないって言ったら普通怒るぜ。」

他のメンバーが口を揃えてリクエストしたので、俺はひとつ咳払いすると、まずこの話の舞台となる神社の説明から始めた。

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◇◇◇◇

その山入端(やまのは)神社は俺の実家から500メートルほど離れたところにある、小さな古い神社だ。

田んぼとハス畑の中にぽつりと浮島のように、太い楢や樫など広葉樹の木々に囲まれた200坪ほどの敷地に建っている。

普段はあまり人影がなく、宮司さんは近所に住居を構えて別に仕事を持ち生計を立てていると聞いている。

それでも宮司の彼だけではなく近所の氏子達も日頃の手入れを欠かさないのだろう、建物や敷地内はいつ訪れてもきれいに保たれている。

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神社の境内にある板書きを読む限り、この神社は平安時代にこの地を治めていた豪族の奥方が亡くなった際に彼女を祀った祠として建立され、その後に神社となって地元の人達の氏神様として祀られ1000年以上の時を経てきたらしい。

もちろん今の社殿はその当時の物ではない。

いつ頃なのかは分からないが、経てきた年月を考えると何度か建て替えられているはずだ。

しかし、いま建っている社殿も相当に古く、100年は建っていそうな雰囲気であり、ひょっとするとそう遠くない時期にまた氏子達から建て替えの話が出るのかもしれない。

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この山入端神社の周りに広がるハス畑は毎年初夏になると見事な花をつける。

一面のハス畑に点在する桃色の大輪にこの古い小さな古い神社が趣を添えているのだ。

この風景を目的にここを訪れる人も多い。

特にガイドブックなどで紹介されているのを見たことはないのだが、知る人ぞ知る、つまり知っている人しか知らないハスの名所なのだ。

その季節には花の開花の瞬間を目的に早朝からちらほらとハス畑の中を歩く人の姿を見掛け、その人達は必ずと言っていいほどその小さな神社を訪れて手を合わせて行く。

まるで東京都とは思えないそんな静かで穏やかな風景が当たり前のように毎年繰り返されてきた土地なのだ。

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それはまだ俺が小学校三年生か四年生の頃の夏休みの出来事だった、いや数え年で十歳だから四年生の時だ。

その年の自由研究は三歳年上の兄に唆されてクワガタの生態について調べることにした。

まずは百科事典や図鑑などでいろいろ調べていたが、やはり実際に捕まえなければと山の中で探してみるのだが、なかなか思うように見つからない。

しかし、実物を見ないことには自由研究としても格好がつかず、友達に馬鹿にされそうな気がして必死に探していたのだ。

すると兄が、山入端神社の境内にある樫の木にいっぱいいるから日没の頃にいってごらんと教えてくれた。

今でもそうなのだが、その頃から俺は集団で遊ぶことがあまり得意ではなく、ひとりで行動することが多い子供だった。

その日は母親に帰りが暗くなってからになると言って、夕方、日没の頃にスケッチブックと虫かご、そしてカメラと懐中電灯を持ってひとりで神社へと出かけた。

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◇◇◇◇

「逢魔ヶ時・・・よね。よくお母さんはそんな時間に小学生ひとりでの外出を許したわね。それも神社の境内でしょ。」

俺が話を途切ったタイミングで小出愛子がひと言挟んだ。

その言葉に俺が頷くと福村祥子が小出愛子に向かって不思議そうな顔をした。

「夕暮れの時間帯って、お馬さんの時間なの?」

それを聞いて小出愛子だけでなく、長内孝之、川口稔、そして俺も思わず吹き出した。

しかし、西野麻奈は何が可笑しかったのか解からなかったのだろう、キョトンとしている。

おそらく彼女は福村祥子と同様にこの言葉を知らなかったに違いない。

「まったく祥子ったら。」

小出愛子はペンを取り出すとペーパーナプキンに漢字を書いて見せた。

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「漢字ではこう書くんだけど、太陽が地平線に沈んだ日没から完全に暗くなるまでの薄闇の時間帯をこう言うのよ。昔から異世界につながる時間帯とされて、魔のモノに遭いやすい時間帯とされているの。これは日本だけじゃなくて世界中に似たような話があって、ほら英語でトワイライトゾーンって言うんだけど、この言葉は聞いたことがあるでしょ?」

「アメリカの古いテレビドラマね。ビデオで見たことがあるわ。」

福村祥子の代わりに西野麻奈が答えた。

「そう、その逢魔ヶ時に俺はその神社の境内にいたんだ。そしてあの人に出会った。」

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◇◇◇◇

日没直後はまだ充分に明るく、これでは虫もまだ出てこないだろうと俺は他に誰もいない社殿の階段に座って時間を過ごし、そろそろ薄暗くなってきたところで境内を囲むように生えている木々の根元に移動した。

「あっ、いたいた。」

兄から聞いていた大きな樫の木の根元を覗いて見ると、大きなカブトムシと一緒に赤銅色をした立派なノコギリクワガタが木の蜜が滲み出ている部分に貼りついていた。

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「やった!」

これまで何度も家の周りの里山を歩き回ってもなかなか見つけることが出来なかったクワガタにやっと出会えた。

まだ子供だった俺は小躍りするくらいに嬉しかった。

いや、実際に小躍りしていたかもしれない。

そして思わずそのクワガタに手を伸ばそうとした時だった。

「あら、立派なノコギリクワガタね。」

不意にすぐ後ろから女の人の声がした。

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自分以外は誰もいないと思っていたため、驚いて伸ばした手を止めて振り返ると、ノースリーブの白いワンピースを着た若い女の人が前屈みになって後ろから俺の手元を覗き込んでいた。

薄闇の中に浮かび上がるような色白の優しげな顔立ちと軽くウェーブの掛かったセミロングの髪をしたその人に全く見覚えがなかった。

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「夏休みの自由研究でクワガタを探していたんだ。」

基本的に人見知りの俺は、その知らない女の人から顔を背けてぶっきらぼうにそれだけ言うと、再びクワガタへ手を伸ばした。

「ダメよ。」

その人は背後から手を伸ばし、俺の手首を握った。

その白い手は、陽が落ちてもまだ生暖かい夏の空気の中でとても冷たく感じられた。

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そしてその手の中指に小さな赤い石が三つ横に並んだ銀色の指輪が、鳥居近くの街灯の光できらきら光っているのが妙に印象に残った。

「ここは神社の境内なの。ここにいる生き物達はみんな神様のお使いなのよ。殺生してはいけないわ。」

「でも僕は殺したりしないよ。家でちゃんと餌をあげて飼ってあげるんだ。」

せっかく見つけたクワガタを捕ることをたしなめられて、俺は少しむきになって立ち上がるとその忠告に反論した。

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彼女は、俺が立ち上がるのに合わせて体を起こすと、握ったままの手に反対の手を添え、とても優しい顔で握った手に力を加えた。

「いいえ、そうじゃないわ。この境内で幸せに暮らしているクワガタをそんな虫かごの中に押し込めて飼い、そしてその虫かごの中で死なせていくことがそのクワガタにとって幸せなことだと思う?」

今でもそうなのだが、その頃から理屈っぽかった俺が、彼女の言葉には何故か反論してはいけない気がして、彼女を見つめたまま首を横に振った。

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「そうよね。クワガタ達が自分達の思うように生きて、そして死んでいけるようにこのままそっとしておきましょう。」

その言葉に俺が首を縦に振ると、彼女は優しく微笑んだ。

その時ワンピースの襟元から喉元に見える左右の鎖骨の端の丸い突起の上に、直径3ミリほどのホクロが左右両方についているのに気がついた。

しかしその時の俺は何か見てはいけないものを見てしまったような気がして、慌ててその襟元から目を逸らした。

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「でも自由研究があるから写真は撮ってもいいよね?」

彼女が微笑んで頷くのを見て俺はその手を振りほどくと、数枚の写真を撮り、立ち上がって女の人のことを振り返るとそこには誰もいなかった。

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「あれ?お姉さん?」

俺は帰ってしまったのかと鳥居の下まで走って行ってみた。

前にも話したようにこの神社は、ハス畑の中で孤島のように存在しており、この鳥居から通りに出るまではハス畑の中を五十メートル程の畦道のような直線の道を歩かなければならないのだが、その女性の姿は何処にも見えない。

それではまだ境内にいるのかと、社殿の周りをぐるっと回って見たが、やはりどこにもいなかった。

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◇◇◇◇

「その女の人って、三澤が知らないだけで近所のお姉さんだったんじゃないのか?驚かせようと思ってどこかの陰とかに隠れちゃったとか。」

川口稔の言葉ももっともだ。

暗くなった神社の境内で小学生相手に物陰に隠れるのは容易なことだったろう。

「その時は、素直に彼女は先に帰ったと思ったんだ。そんな物陰に隠れて意地悪するような人にはとても思えなかったし、その日はもう姿を見せなかった。

でもその時撮った写真のプリントを見て驚いたんだよ。

当時はまだ銀塩フィルムのカメラだったからそんなにパチパチ撮りまくるわけにもいかなくて、その時に四枚の写真を撮っていたんだ。」

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最初の二枚は普通にカブトムシとノコギリクワガタが並んで写っている写真だった。

そして三枚目はやや引き気味に撮った写真なのだが、よく見ると左上隅に、写真の角を斜めに横切るようにストロボの光に照らされた小指から中指にかけて三本の指が木の幹に添えられているのが写っていた。

そしてその中指にはあの赤い石が嵌め込まれた指輪があり、その手があの人のものであることを示していた。

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(あの時、お姉ちゃんは僕の後ろにいて、木の傍にはいなかったはずなんだけどな。何で手が写っているんだろ。)

小学生ながら、この写真を見て非常な違和感を覚えたのははっきりと記憶している。

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写真屋でプリントされて返ってきたのはこの三枚だけだったのだが、その時に四枚撮った記憶があったためネガを確認すると、そのプリントされなかった写真のネガは、全面に黒く太い線が斜めに数本横切り、その太い線の隙間に木の幹やカブトムシの一部が写っていた。

その当時はフィルムを現像し、プリントする枚数で金額が計算されるため、一般的に写真屋が明らかな失敗写真は焼いてこなかった。

「そのネガをよく見てみると、その斜めの黒い線は四本の指だったんだ。やっぱり中指には指輪が嵌められていてあの人の指であることは間違いない。

でもそうすると彼女は四枚目のシャッターを切った時には俺のすぐ脇にいなければならなかった。」

「そうするとその直後にどこかへ隠れることは出来ないということか。」

川口稔が納得したように頷いた。

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「そういえばさっき三澤君、お兄さんには話したって言ったわよね。その時お兄さんは何て言ったの?」

西野麻奈がいきなり兄の話に振ってきた。

「実は実家の辺りでは夕刻参りといって大祭の前に数えで十歳の男の子をひとりでこの神社に行かせる風習があるんだ。

社殿にお参りするのではなく、境内にその子を置いて神様に見て貰うということらしい。

兄貴の時は母親が神社に忘れ物をしたと言って取りに行かされたらしいけど、俺の自由研究も母親と兄貴がグルになって仕組んだことだったんだ。

だからそんな時間に俺がひとりで神社に行くと言っても母親は何も言わなかった。

そして実際兄貴も、自分の時にその女の人を目撃していたんだけど、『俺は鳥居のところで振り返った時に、少し離れてじっとこっちを見ている姿がちらっと見えただけだったけどな。』ってさ。」

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「その白いワンピースの女性のことについてお兄さんはともかく、お母さんは知っていたの?」

隣の福村祥子が眉間に皺を寄せて当然疑問に思うことを聞いてきた。

「いや、兄貴が母親に話したところでは、何も知らなかったようだ。」

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「ねえ、その写真って、今でも持っているの?」

小出愛子はこの話にかなり興味をそそられたようで、離れた席から隣の川口稔に体を押し付けるように身を乗り出してきた。

「残念ながら、普通に写っていた二枚は自由研究のノートに貼付けて学校に出した後、学年が変わった時にまとめて捨てちゃったし、プリントされた残りの一枚はその時に丸めてごみ箱に捨てた。

その頃はそんなものの扱いなんて考えてもみなかったから、気味が悪いからポイって。ネガはどこかにあるかなあ。」

「でもそれで何も起こらなかったんだから良かったんじゃない。」

小出愛子はもし残っていれば見せて貰おうと思っていたのだろう、少しがっかりした口調だ。

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「その女性を見たのはその時だけなの?」

それでも彼女は重ねて聞いてきた。

なんとなく小出愛子は川口稔とくっつきたい為にわざとやっているように見える。

「いや、この話にはまだまだ続きがあるんだけど、かなりエッチ系の話が混じるから女性の前ではね。小学生の時の体験話ということで、ここでやめておくよ。」

「おい、おい、おい、おい、三澤!そこまで話しておいて止めないでくれよ。」

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川口稔が怒るのも無理はないが、ここから先はまだ誰にも話したことがないだけに、特に女性を前にしてどう話せばいいのか分からないのだ。

「そうよ。一昔前ならともかく、ちょっとくらいのエロ怖い話なら今時の女性は驚かないわよ。」

福村祥子が自慢するようにそう言うと、他のふたりの女性も苦笑いをしながら頷いた。

「じゃあ、みんなOKみたいだからその先のエロ怖話を聞かせてくれよ。」

長内孝之が場を仕切るようにそう言うとみんな一斉に俺の方を向いた。

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「仕方がない、話をするか。この先の話は十年位前から、ひょっとすると今も続いているかもしれないんだが、いままで誰にも話したことがないから、上手くストーリー立てて話が出来ないかもしれない。

酒も入っているし、言葉を選ばずにあったことをそのまま話すからもし聞いていて不愉快だと思ったら遠慮なく止めてくれ。」

◇◇◇◇

つづく

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