認知症の親父と過ごした最後の日々

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認知症の親父と過ごした最後の日々

あなたの回りには認知症の方はいらっしゃらないでしょうか?

もしおられたらその方は、誰もいないはずのところに語りかけていたりしてないでしょうか?

もしあなたがそんな場面に出くわした時は、どうか笑わないで暖かい目で見守っていただきたい。

何故なら、その方には間違いなく「何か」が見えているのだから。

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これから語る話は、晩年アルツハイマー型の認知症を患った親父の介護のために一緒に過ごした俺が体験した恐ろしい話だ。

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俺は一人っ子で、高校までは親父に育てられた。

お袋は物心付く頃にはいなくなっていた。

親父は大工で職人気質の短気な性格だった。

普段家では無口で大人しくて特に趣味とかもなかったのだが、些細なことでキレたりすることがあり、お袋とはよく派手な夫婦喧嘩をしていたものだった。

たまに親父の怒りの矛先が、幼い俺に向けられることがあった。

そんな時お袋は身を呈して俺を守ってくれていた。

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親父は酒が好きで毎晩晩酌を欠かすことがなくて、そこそこの酒量ならニコニコして穏やかで良い感じなのだが、ある時点を越えると突然スイッチが入ったかのように豹変して暴れだし、お袋に理不尽な暴力を繰り返していた。

その時の親父はいつもの穏やかな親父ではなく、全くの別人格が憑依したかのように般若のような面構えをした恐ろしい鬼のようだった。

そんな時もお袋は俺だけには被害が及ばぬよう配慮してくれていたと思う。

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深夜お袋の泣き叫ぶ声で眠れず、布団を頭から被り両手で耳を塞いで寝たりしていた。

朝起きて食卓に付くと片目をお岩さんのように腫らしていたお袋がいて、度肝を抜かれるなんてこともあったりした。

そんなお袋の可哀想な姿を見るたび、幼い俺は己れの非力さを呪ったものだった。

恐らくお袋はそんな狂った日常に耐えきれず、家を出ていったのだろうと俺は思っていた。

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お袋が姿を消した後、俺は親父の手一つで育てられるんだけど、それも高校までだった。

親父の度重なる酒乱やDVに結局耐えきれなかった俺は、高校を卒業と同時に家を出る。

それから学校の紹介で大阪にある某車会社に就職した。

そしてそこの寮に入り働きながら整備士や車関係の資格を取り35歳の時退職して再び故郷に戻ると、僅かな退職金と貯めた金を元手に車両整備の小さな店を始めた。

そこで頑張って信用と実績を重ねるとお客さんもそこそこ増えだし、従業員も数人雇うようになった45歳のある日のこと。

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思わぬ人と接点を持つことになる。

偶然に車検を依頼に来たその人は、なんと親父の弟だった。つまりは叔父さん。

何度となく叔父さんと話しているうちに、既に大工を辞めて隠居している親父がアルツハイマー型の認知症を患っているということを知る。

そしてその症状は酷くなっていく一方らしくて、叔父さんもかなり心配しているということだった。

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初めその話を聞いた時、あんなクソ親父なんかの垂れ死んだらいいなどと思ったのだが、やはりそこはたった一人の肉親。

だから最後くらいは俺が寄り添ってやるかと決断した。

俺は独身で割りと身軽だったということもあり、親父の介護をするためそれまで住んでいたマンションを引き払う。

そして店の業務の細々したことは信頼する従業員たちに任せ、重大な件の時だけ店に行くことにし、それ以外は電話やリモートで対応することにした。

まあいずれは施設に入れることになるのだろうが、それまでの間と思って親父と二人実家で暮らすことにした。

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同居を始めた当初は、認知症に起因する親父のおかしな行動に戸惑いの連続だった。

例えば、

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○突然財布とか腕時計とかをとったと怒りだす。

○外を徘徊する。

○たった今食事を終えたのに、すぐご飯はまだか?と聞いてくる。

○箸でパンを食べたり手でご飯を食べたりする。

○そこにいないはずの人や動物がいると言い張る。

○挙げ句の果ては、夜寝る前にいきなり正座して、それではそろそろ失礼致しますと丁寧に礼をする。

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最初のうちはイラつきながらいちいち間違いを指摘していたが後からそれは無意味だということに気付くと、親父の言葉や行動に適当に共感するようになってきた。

事実を分からせるよりも、本人のプライドや感情を宥める方が重要だということにやっと気付いたのだ。

そしてあれは、

実家で同居を開始して3ヶ月くらいが経った、ある日の晩ご飯の時のことだったと思う。

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「おい竜二」

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背後の居間の方から親父の声がする。

台所で洗い物をしていた俺が手を止めそちらに行くと、親父が居間の真ん中にある座卓の前で正座していた。

半時間ほど前に同じ場所で一緒に晩御飯を終え、さっき隣の仏間に敷いてある布団に横になったところなのにだ。

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ごま塩の角刈りに赤銅色の顔。

上下黒のジャージ。

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いつもの風体の親父が少し険しい顔をしながら、脇に立つ俺の顔を見上げる。

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「どうしたの?」

と尋ねると、親父は真顔で

「お前呑気なこと言ってんじゃねえぞ。

ほら、そこに幸子が座っとるやないか。

はよ酒と晩飯の準備せんか」と言って、正面の誰もいない箇所を指差す。

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俺はドキリとした。

というのは「幸子」というのは、いなくなったお袋の名前で、親父の口からお袋の名前を聞いたのは本当に久しぶりだったからだ

俺は言い返したい気持ちをぐっと押さえながら、

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「分かった。

でも俺は聞いてなかったから、少し時間かかるかも」と言うと、親父は「ああ、そうだったな。でもこいつも長旅で疲れているはずだから、出来るだけ早くしてやれよ。なあ幸子」と言って誰もいない正面を見てさも嬉しそうに笑った。

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その日を境に、親父の行動に変化が現れる。

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それまでなら日がな1日家の中でゴロゴロしていたのが、室内の誰もいないあちこちの空間に向かって話しかけるようになる。

その話の内容をそれとなく聞いてみると、どうやら相手はお袋のようで、「あの時はいろいろすまなかった」とか「もうお前には苦労かけんからな」などと神妙な顔で語りかけていた。

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晩御飯の時も、まるで自分の正面にお袋が座っているかのように親しげに話しかけていた。

また夜寝る時も、自分の寝ている布団の横にもう一つ布団を敷いてから寝るようになった。

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そんな親父の奇妙な行動はしばらく続いたのだが、3ヶ月くらいが経った8月の御盆の時候の頃に何故だかピタリと止まった。

それまであんなに毎日甲斐甲斐しくお袋をもてなすような行為をしていたのが、以前のような単調な生気のない生活に戻ってしまったのだ。

いやむしろ以前に増して暗く塞ぎこむようになり、仏間奥の縁側に腰掛け、日がな1日庭をじっと眺めていた。

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ある日の夕暮れ時に俺は、縁側に肩を落として座る親父の隣に並ぶと、それとなくお袋のことを聞いてみた。

すると親父は遠くを見るような目で庭を眺めながら、

「分からん。いつの間にか帰ってしまった」と言う。

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「帰ったって、どこに?」

俺が尋ねると、親父は黙って悲しそうに下を向いた。

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それから数日後の朝御飯時のこと。

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親父を見た俺はおかしなことに気付く。

いつも着ている黒のジャージが泥だらけなのだ。

ほとんど外なんかに出ることがないというのに。

俺はすぐに替えのジャージを持ってきて、着替えさせた。

だがその翌日の朝御飯の時も泥だらけだった。

よく見ると手足も爪まで真っ黒だ。

俺は親父に理由を問うてみたが、うつ向いて答えない。

まさか夜中に徘徊してるのでは?

などと心配になった俺は、その日親父と一緒に寝ることにした。

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夜。

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仏間に敷かれた布団に寝る親父の横に敷いた布団に、俺は横になっていた。

暗い天井を眺めながら悶々としていると、横から親父の思い詰めた声がする。

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「幸子、、幸子、あの時は本当にすまん。

俺が悪かった。

幸子、、だからもう許してくれ」

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親父はしばらく苦しげに同じような言葉を繰り返していたかと思うと、突然ムックリと半身を起こす。

それから暗闇の中四つん這いで仏間奥まで進むと、そろそろ障子を開きサッシ窓を開ける。

そして縁側から庭へと降りたつ。

俺は親父に気づかれないようにサッシ窓の側まで行って外を覗く。

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月明かりの下、裸足のままふらふら庭を歩いている親父。

そのまま見ていると、親父は西側片隅にある大きな柿の木の下まで行きおもむろに跪くと、まるで犬猫のように両手で土を掘り返し始めた。

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─お、、親父、何を?

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思わず呟き唖然としながらその様子を見ていると、やがて親父は手を止めた。

そしてしばらくの間がっくりと項垂れているとまた立ち上がり、縁側に向かって歩きだす。

俺は慌てて布団に戻った。

しばらくすると親父も何事もなかったかのように俺の隣の布団まで来ると、そのまま横たわった。

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枕元の携帯を見ると、時刻は深夜2時過ぎ。

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親父の寝息を確認すると、俺は意を決した。

暗闇の中ゆっくり立ち上がると縁側まで歩き、庭に降りる。

それから東側片隅にある物置小屋まで行くと、中からスコップを持ち出す。

そしてさっきの柿の木の下まで歩くと、携帯のライトを頼りに親父が掘り返していた辺りをスコップでザクザクと掘り出した。

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額の汗を拭いながら50センチくらい掘り進んだ辺りで、スコップの先が何かに突き当たる。

俺はスコップを傍らに置き、慎重に両手を使って周囲の土を取り去っていった。

それはどうやら大きめの行李のようだ。

俺はその行李の両脇を両手でしっかり掴むと、思い切り持ち上げた。

かなり重たかったが、なんとか地表に置くことが出来た。

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それは縦1メートル横30センチ高さ30センチくらいある道具箱のようなもの。

かつて親父が大工の頃使っていた道具箱に似ていた。

俺は箱の表面の泥を払い緊張した面持ちでその蓋に手を掛けると、ゆっくり持ち上げていく。

すると途端にカビ臭い匂いがプンと鼻をついた。

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─一体何が入ってるんだ?

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そう思いながら俺は蓋を傍らに置き携帯を片手に持つと、箱の中を照らしてみる。

そして中を覗き込んだ途端、小さく悲鳴をあげながら思わず尻餅をつく。

心臓が激しい鼓動を繰り返しているのを感じる。

ようやく俺は気を取り直すと、もう一度勇気を出して箱の中に視線をやる。

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それは朽ち果てた人間の亡骸。

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半分以上抜け落ちた頭髪。

骸骨を思わせるような腐り果てた顔面。

そして紫色で固く筋張った腕や足。

……

まるで棺に納まったエジプトのミイラのように箱の中に入れられていた。

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そして俺が何より衝撃を受けたのは、その亡骸が着用している衣服だった。

泥で汚れてはいたが、薄い黄色の下地に小さな花を無数に散りばめたような柄のワンピースには見覚えがある。

昔お袋が普段着にしていたものだ。

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─お袋、、、どうして、、、

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俺はその場にがっくりと跪くと、その枯れ木のような細い手にそっと触れる。

熱いものが頬をつたい、顎先からポトリと落ちた。

そして最後にもう一度変わり果てたお袋の姿を見た時、ちょうどその肩の辺りに奇妙なモノがあるのに気付く。

それは20センチほどの、こん棒のてっぺんに黒っぽい金属のような何かが付けられたモノ。

俺はそれを持ち眼前にかざすと、携帯ライトで照らす。

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それはカナヅチだった。

しかも柄のところに製作者の名が彫ってあるプロ仕様のものだ。

これも覚えがあった。

幼い頃振り回して遊んでいたら、おもちゃじゃないぞと親父にこっぴどく怒られたものだ。

さらにライトを翳しながらそれをまじまじと見ていると、そのヘッド部分の先っぽに何かが付着しているのに気付く。

「何だろう」とそれを指で摘まみ眼前に翳した途端、ゾクリとした。

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それは数本の黒髪。

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嫌な予感が胸をよぎる。

もしかしたらと恐る恐る亡骸の頭部に携帯ライトを照らした途端、一瞬で背筋が凍った。

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前頭部が深く陥没している。

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カナヅチを持った右手の震えが止まらない。

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その後よろめきながら俺は立ち上がると、箱に蓋をする。

それからそれを抱え、掘り返して出来た穴に再び戻しスコップで土を被せると、ほっと一つため息をついた。

しばらくその場に立ったまま埋めた箇所を凝視していると、何故だか心の奥深いところから熱くたぎるような感情が沸々と沸き上がってくる。

それは止まることを知らず、やがて心臓が激しく鼓動をし始めた。

顔に火照りを感じる。

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するといきなりポトリと首筋に冷たいものを感じた。

慌てて夜空を見上げる。

いつの間にか星が一つもなくなっていた。

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─これは一雨くるかな、、、

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と思い俺は小走りで縁側まで戻ると仏間に上がる。

同時にバケツをひっくり返したように、ぼとぼと雨が降り始めた。

俺は暗闇の中親父の寝ている枕元のところまで歩く。

呑気に寝ている親父の顔を真上から眺めていると、また先ほどの熱くたぎる思いが込み上げてきて喉元に激しい心臓の拍動を感じ始めた。

頭の中がドンドン真っ白になっていく。

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─許さない。

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俺はそう一言呟くとその場に跪き、ポケットに突っ込んでいた先ほどのカナヅチを右手で握りしめてゆっくり頭上に振り上げていき、親父の額の辺りに狙いを定める。

そして一気に振り下ろそうとした時だった。

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、、、竜二

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突然背後からする、聞き覚えのある懐かしい女の声。

驚いた俺は肩越しに振り返る。

だがそこには漆黒の闇があるだけだ。

そして断続的に聞こえてくる単調な雨音。

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次の瞬間、

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室内が昼間のようにピカリと明るくなったかと思うと、強烈な落雷音が地響きを伴いながら起こる。

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shake

ドドーン!

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驚いた拍子に右手からカナヅチが滑り落ちた。

慌てて拾おうとしたその時に、視界に入った親父の顔は、両目を目一杯見開き呆けたようにポッカリ口を開いている。

まるで何か恐ろしいものにでも出会ったかのような表情をしたまま固まっていた。

一抹の不安が心をよぎる。

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「親父、、、」

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俺は小さく呟き、震える右手でその額にそっと触れてみる。

そこは陶器のようにひんやりと冷たかった。

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fin

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Presented by Nekojiro

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