今から25年前、私は大学進学の為に上京してきて、古い木造のアパートに住んでいた事がありました。2階の角部屋の1Kで、お風呂はなく、ベッドと、小さなちゃぶ台とテレビを置いたらいっぱい狭さでした。
ですが、隣の一軒家に大家さんご夫婦が住んでいて安心だったのと、銭湯も近くにあって、何より家賃が安かったので、特に不便を感じる事もなく、初めての一人暮らしを満喫していました。
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ところが2ヶ月程経った頃、なにか…視線のようなものを感じるようになりました。
当時、アパートから歩いて10分ほどの商店街にあった、小さなケーキ屋でアルバイトをしていたのですが、
店での窓ガラス越しや、帰り道の信号待ちや、朝ゴミ出しをする時など、なんとなく、誰かに見られている感覚がありました。
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ただ、いつ振り返って見ても、それらしき人は誰もおらず、心当たりも全くなかったので、気のせいだと思っていました。
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ところがしばらく経ったある日、部屋に帰ると、「臭い」がしました。
男性の汗のような…体臭…というか、脇の下のような臭いでした。
むっとするような、空気がこもった感じでした。
学校かどこかで服にうつったのかなと、自分のにおいを嗅いでみたりしましたが、違うようなので、不思議に思っていました。
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ですがその日を境に、頻繁に臭いがするようになりました。毎日ではないのですが、変だなと思いながらも、私は帰るとすぐに窓を開けて、換気をするのが習慣になっていました。
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そんなある日、風邪気味でアルバイトへ行き、高熱が出てきてしまったので、早退した日がありました。
薬屋へ寄って薬を買い、だるい体を引きずってなんとかアパートへ着き、バッグから鍵を出しながら階段を上がっていると、自分の部屋から、人が走るような音が聞こえた気がしました。
(あれ……?)熱でぼうっとしながら、私はそっとドアへ近づき、ゆっくりドアノブを回してみました。
鍵はかかっていました。(なんだ…びっくりした…隣だったのかな…。)そう思いながら鍵を開け、部屋に入りました。
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すると、あの臭いがしました。
なんとなく、いつもよりもあっとして、生温かい空気でした。
おかしいなと思いつつも、とにかく薬を飲んで早く横になりたかったので、
窓も開けず、バッグも肩にかけたまま、
台所で水道からコップに水を注いでシンクに置き、ふらふらと居間に入りました。
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ベッドとちゃぶ台の間に正座すると、バッグから買ってきた薬を出し、錠剤を出そうとしました。
その時、シンクにコップを置いてきたことに気付き、台所の方を見ると、錠剤が手から落ちて転がり、ちゃぶ台の下に入りました。
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(ああ…もう。)
だるさでイライラしながら、正座のままうつぶせになり、ちゃぶ台の下に手を入れると、
裏面になにか…模様のようなものが見えました。
(………?)よく見ると、数字が書いてあるようでした。
(なに…これ……)
ちゃぶ台を裏返してみると、
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1998/6/9 9:13~9:30 6/12 16:30~17:12 6/15 10:12~12:08 6/18 16:35~17:01 6/ 20 10:42~11:15 6/24 16:33~16:52 6/26 11:31~13:25 6/30 10:11~12:13 7/4 9:50~10:12 7/716:28~17:28 7/9 10:11~10:35 7/14 9:47~11:03 7/22 16:35~17:21 7/25 16:38~17:007 /30 17:08~18:40 8/3 11:15~12:02 8/8 9:38~10:42 8/11 16:08~16:30
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(………え?)
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8/17 9:36~10:05 8/31 11:11~13:02 9/10 16:30~16:52 9/11 16:42~17:18 9/16 11:13~12:12 9/25 10:08~10:21 10/6 16:05~16:40 10/13 16:21~17:05 10/22 11:00~11:31 10/30 16:12~17:08 11/4 11:42~12:22 11/10
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(なに……これ……)
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16:15~16:31 11/18 16:08~16:41 11/25 9:35~10:32 11/30 9:47~10:07 12/3 11:11~12:20 12/9 16:46~17:15 12/14 11:15~11:49 12/18 16:03~
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びっしり、細いペンで書かれていました。
心臓の鼓動が早くなり、呼吸が浅く、息苦しくなってきました。
そしてその書かれた時間に、何か覚えがあるような気がしました。
私はバッグから手帳を取り出し、震える手でページをめくりました。
すると、私が学校やアルバイトで部屋にいない時間と一致しているようでした。
(………なに…なんなの……!)
体中がガクガク震えてきて、まばたきができないくらい、目が見開いたままになりました。そして書かれた日付を追っていると、一番下が目に入りました。
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~12:2012/9 16:46~17:15 12/14 11:15~11:49 12/18 16:03~
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12/18 16:03~
急にアルバイト先のタイムカードを思い出しました。
(……今日だ…今日の…今日の16時3分から書いてな…)
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そう思った瞬間、ベッドの下からギシッという音と振動が伝わってきました。
ベッドは私の真後ろにあり、正座したままうつぶせでいるわたしのつま先は、ベッドの下に入っている状態でした。
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だれかいる………!全身に鳥肌が立ち、怖くて動けませんでした。
どうしよう…どうしようどうしよう…そう思っていた時です。
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ゴク
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shake
つばを飲む音が、はっきり聞こえました。
私はバッグを掴むと、玄関まで全速力で走り、震える手でドアノブを回すと、足がもつれそうになりながら階段をかけ降りて、アパートを出ました。
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私はそのまましばらく友達の家に泊まり、すぐに引っ越しを決めたのですが、
一体誰が、どうやって入り込んでいたのか、どうやって私の行動を把握していたのか、全くわかりませんでした。
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引っ越しの日、大家さんの家の玄関で、奥さんに挨拶をしていると、
30歳くらいの、細くて、背の低い男の人が入って来ました。
目も合わさず会釈をされた時、あの臭いがしたので、思わずビクッとすると、ちらっと私を見て、何も言わず2階へ上がっていきました。あごがとても小さく、黒目がちな一重の目が特徴的でした。
「まったく…無愛想でごめんなさいね。息子です。」と奥さんに言われました。
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(まさか…そんなこと…。)
そう思いながら、大家さんの家を出て引っ越し業者の車に乗り、何気なく上を見上げると、
2階の窓から息子さんが、口を開けて笑いながら私を見ていました。レースのカーテン越しでしたが、はっきり見えました。
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そしてその部屋は、私の部屋がよく見える位置にありました。
作者もくれん