わたしが九才の時に体験した、叔父の十三回忌での出来事です。
父の弟である、まさのり叔父さんは、わたしが生まれる三年前に、車に轢かれて亡くなりました。まだ二十歳でした。それが運転していた人も亡くなるような、凄惨な事故だったようで、両親や親戚からその話を詳しく聞くことは、ほとんどありませんでした。
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それまでの法要も、ごく少数の家族だけで行っていたようなのですが、その十三回忌は一つの節目という事だったのか、田舎にある本家で、祖父母を始めとする家族や親戚、いとこのみんなや、叔父の学生時代の教師や友人たちも含んだ、30人近くで行いました。
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お坊さんが来てお経を上げ、焼香をし、墓参りに行って本家に戻ってくると、襖を開け放した広い畳の部屋で、みんなで食事をしました。
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縦に二本置いた長い机に、瓶ビールやお寿司などが並び、大人たちはお酌をし合って飲み始め、わたしたちこどもも、奥の方に集まって、ジュースを飲んだりお菓子をつまんだりしていました。
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大人たちの話す声が大きくなってきた頃、廊下から、ふらふらと男が入ってきました。
薄い緑色のジャンパーに茶色のズボンをはいて、うっすら赤い顔をした、背の高い男でした。
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こどもながらに、みんなちゃんとした黒い服を着ているのにな、と思いながら見ていると、
その男は廊下のすぐそばの、親戚のおじさんの横にどかっと座ってあぐらをかき、にやにや笑いながら、慣れた手付きでビールをついで飲み始めました。
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ああ、知っている人なのかと思い、しばらくいとこたちとしゃべっていたのですが、気になってまた見てみると、男の顔が耳まで真っ赤になっていました。
そして据わった目で、となりのおじさんを睨みながら、何かブツブツ言うように口を動かしていました。
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怖くなった私は、となりに座っていたいとこに、こっそり指を差しながら「あのおじさん誰?」と聞きました。すると
「え?ひろしおじちゃんだよ」と言って笑うので、
「ちがうよ、その隣の人」というと、
「もくれんちゃんのお父さんじゃん」と言ってまた笑いました。
「そうじゃなくて、そのまんなかの人」というと、わたしの向かいに座っていた、父の妹である叔母が急に「お寿司、お上がんなさい」と言いました。
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それがなにか不自然だったので、おかしいなと思いながらも、叔母さんの肩越しに、また男を見ていました。
すると時間が経つにつれ、目尻もつり上がり、赤黒い顔でまわりを睨み付けながら、がぶがぶビールを飲み続けていました。
隣に座っている父が心配でしたが、父は何も気に止めない様子で、会話に頷きながらたばこを吸っていました。
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すると男がゆっくり立ち上がりました。
どうするんだろうと思って見ていると、おぼつかない足取りで床の間の前へ行き、いきなり腕を振り上げて、掛け軸を叩き落としました。
shake
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部屋にいた全員がびくっとしてそっちを見ました。すると、ひろしおじさんが
「なんだよ、びっくりするなあ」と笑って、掛け軸を元に戻そうと立ち上がりました。
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どきどきしながら見ていると、
男は、かがんで掛け軸を拾っているおじさんのすぐ近くに立って、ゆらゆら揺れながら見下ろしていました。
よく見ると、こぶしを握った手が震えていたので、おじさんが殴られるのではないかと、はらはらしていたら、
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ふと男が振り向き、
わたしとバチッと目が合いました。
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その瞬間、男はカッと目を見開き、まばたきもせず私を見たまま机の上に上がり、
コップや灰皿を音を立ててひっくり返しながら、ものすごい勢いで向かってきました。
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恐ろしさのあまり、声も出せずに固まっていると、
突然向かいにいた叔母が乗り出して、私の肩を強く掴みました。
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瞬間、バッと男の姿が消え、
「ああもうなにやってんだよ」「すべっちゃったんだよ、母さん、おてふきおてふき」などと言って、ひっくり返った灰皿やコップを寄せたり、自分のズボンを拭いたりしているおじさんたちが目に入りました。
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呆然としていると、叔母さんがすっと立って、わたしを見て手招きしているので、ぼうっとしたままついていって廊下に出ると、叔母さんはわたしの手を握り
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「見えてるんだね。おばちゃんもだよ」と言いました。そして
「あの男はね、ああやって酒飲んでね、まさのりを殺したんだよ」と震える声で言いました。
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振り向くと、がやがやした、穏やかな光景に戻っていましたが、
わたしの目を見たまま、まっすぐ突進してきたあの男の血走った目には、
なぜ自分が死んだんだという怒りが溢れているように見えました。
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あれから30年近く経ち、何度かの法要でも、もうあの男を見ることはなくなりましたが、
今でも居酒屋などで時おり見かける、目の据わった赤い顔を見ると、
店のどこかに、あの男が紛れ込んでいるような気がすることがあります。
作者もくれん