やっとコロナも明けた。
コロナ間は、近所で殺人事件があったり、隣人が警官を刺したりして、それはもう良いことがなかったな。
ほかにもろくでもないことがあったが、そんなこんなで数年過ごして、地方に転勤になった。
この転勤自体は、私自身が希望していたものなので何の問題もないが、その引っ越し先を探すにあたって、私自身が変な気を起こしたのがまずかった。
有名な事故物件公示サイトを見たうえで、引っ越し先に、あえて事故物件を選んでしまったのだ。二階建ての小綺麗な物件で、築2年という超築浅の優良物件だった。
どうしてそんなことをしたかというと、正直自分でも良く分からない。コロナ中にいろいろ経験して、少し気が大きくなっていたんだと思う。そうして、「おれは幽霊なんて気にしない。生きてる人間のほうが何百倍も怖い。それで家賃が安いなら、儲けもんだ」そんな感覚が自分の中にあったのは否定できない。
転勤直前、私が選んだ事故物件の契約を結ぶために、不動産屋を訪れると、契約にあたっての重要事項の説明があった。
一通り説明を終え、不動産屋はいう
「この物件は、心理的瑕疵がある物件でして・・・」
「えっ、事故物件というやつですか?何があったか聞いてもいいですか?」
私は例のサイトで、何があったか知っていたのだが、あえて聞いてみた。不動産屋が本当のことを言うか、試したい気持ちもあった。
不動産屋は「前の入居者が、室内で自殺しています」と答えた。例のサイトの記載と一致していた。
私は「そうなんですか~。驚きましたね。それで、家賃のほうは、どのように?」
と言ってみた。その部屋は、すでに他の部屋よりも1万円安いのだが、もっと値引きできるんじゃないかというチャレンジであった。
不動産屋は「それも加味して、他のお部屋よりも値引きはさせていただいております」といったが、今初めて事故物件と聞いてショックだったとか、内見前に言ってくれれば他も探せたのにもう時間がないとか、いろいろ言って、少しごねた。
すると、最初の1年間のみ、他の部屋よりも1万5千円安くするということで話がまとまった。私は、この不動産屋に良い印象を持ち、すぐに契約した。
入居した直後は、例の自殺者の霊がでるのかな?なんて身構えているようなところもあったが、なんてことはない、自殺者らしき影も形もなく、平穏な生活であった。
あえて言えば、隣部屋の住人、声からすると、幼児とその母親の二人暮らしだと思うが、その声が結構はっきり聞こえ、少しだけうるさい程度だった。この物件は、思っていたよりも壁は薄いらしい。
問題は、入居して1か月ほどたった後であった。
夜の9時ころだったか、隣から幼児の泣き声がしていたのだが、これが異常なギャン泣きであった。しかも、泣き声の途中途中に「あつい!」とか「いたい!」とか聞こえてくる。合いの手をうつように、母親の「うるせー」とか何とか、喚き声も聞こえてきた。
これは虐待じゃないのか?そう思わずにいられなかったし、いつまでたっても泣き止まない。児童相談所に言えばいいのだろうか?なんて考えて、スマホで調べてたりしているうちに、もう夜の11時近くになっていた。
すると、泣き声がぴたりとやんだ。やれやれと落ち着いて、ベッドに入る。
すると、次は夜中の1時ころからまたギャン泣きだ。うわー、勘弁してくれよという気分が満点で、その夜は、結局、ギャン泣きしては少し静まり、またギャン泣きしては少し静まりを繰り返して、私はまともな睡眠は取れずに朝を迎えた。
昨晩の出来事を思い返して、私はふと思った。
これまでの一か月、こんな泣き声は聞こえてこなかったし、声の様子からして、赤ちゃんではない。3歳児くらいか。その年齢で、あんなに夜泣きってするのだろうか。いや、それ以上に、母親の対応は異常じゃないか?やっぱり虐待だろうか。
そうして出た結論は、もう一度同様の泣き声が聞こえてきた時は、児童相談所に言ってみようというものだった。
夜、前日と同じように、またギャン泣きだった。あー、もうこれだめだ。明日、電話で児相に相談しよう。そう思って、隣室を気にせず寝ようとするが、全然寝られない。寝ようとすればするほど、隣が気になる。うるさい。
夜中の1時頃には隣室に怒鳴りこみに行こうかとも考えたが、逆に警察を呼ばれる可能性も考慮してやめた。
結局2日続けてまったく睡眠を取れず、身体は相当にきつい状態になった。睡眠不足のせいか、イライラも凄い。
その日の昼休み、児相に電話してみた。児相はすぐに対応するのかそうでないのか良く分からない反応で、どうにも埒が明かなかったが、睡眠不足のせいもあって電話口で口論になりかけた。
二日寝てない、しかも、寝てない理由が好きなゲームをやってたとかそういうのじゃないわけだ。心身ともに仕事にならなくて、午後から早退することにした。
早退して帰宅すると、ちょうど、隣室の扉が空いた。中から出てきたのは、大学生ふうの若い男だった。
あれ?と思いながら、声をかけた。
「初めまして。挨拶が遅れましてすみません。隣に越してきたAと申します」
「あっ、ご丁寧にどうも。私はOと言います。私もここに住み始めてひと月くらいなんです。こちらこそよろしくお願いいたします。ちょっと急いでますので」
やり取りは、これだけだった。いや、何だよ、誰なんだよ。あの母親の彼氏だろうか?何にせよ、夜中うるさくてすみません、みたいな一言くらいあってもいいだろうが。
そんな気分になり、意味がないとは知りつつも、不動産屋に苦情の電話を入れることにした。ちょっとおかしくなっていたかもしれない。
「あーもしもし、〇×マンションの201号のAですが」
「はい。お世話になっております」
「あのですね、隣の子供の夜泣きですかね、まぁ母親の絶叫もですけど、本当に夜寝れないんで、隣に何か言ってもらえませんか」
「お待ちください。そちらのマンションの担当に代わります」
電話に出た担当者に、ことの一部始終を話した。
すると「A様の隣室は、男性の一人暮らしです」だそうだ。意味が分からなかった。
「じゃあ下の階ですか?下の101に、親子が入居してませんか?」
「あまり他の住人のことは言えませんが、親子ではないですし、幼いお子様もおられません」
「いや、あり得ない。泣き声は鮮明に聞こえている」
「そうおっしゃられましても・・・」
「分かりました。もう結構です」
こうなったら、現場を押さえて、直接苦情をいうしかない。そう思って、夜を待った。
その夜、案の定ギャン泣きが始まった。時間は9時だ、この時間なら、直接訪ねてもギリギリ大丈夫だろう。
私は、すぐに部屋を出て、隣室のベルを押した。
「はい?」出てきたのは、昼間の若い男だった。
私は「すみませんが、そちらのお子さんとお母さんの声が・・・」といいかけて気づいた。
声がしない。何の声もしないのである。しかも、若い男以外の人の気配すらない。
「あ、いえ、何でもないです。夜分遅くにすみませんでした」
若い男は、頭のおかしい者を見るような目で私を見、バタンとドアを閉め、大きな音をさせて鍵を掛けた。
混乱して自室のドアを開けると、泣き声が聞こえる。もう訳が分からなくなって、隣室のドアに耳をくっつけてみると何も聞こえない。念のため、下の階の部屋にも同じことをしてみた。同様に何も聞こえない。傍からみたら、相当な変質者に見えただろう。
結論、泣き声は私の部屋の中“だけ”で聞こえている。あり得ないことだが、そうとしかいえない。
結局その夜は、昨夜と同じように泣き声と母親の罵声で一睡もできなかった。明け方には、引っ越しを決心していた。
そうか。そういうことか。
前の入居者も、おそらくは同じ目にあっていたのだろう。私はすぐに引っ越しできるだけの余裕があったからまだいい。
でも、そんな余裕がなく、ここに住み続けなければならないとしたら、それは自殺もありうるだろう。
翌日、また不動産屋に電話を掛けた。
「あの、私の部屋って、以前の入居者は、自殺された方のみですか?」
「はい。そちらはまだ築2年ですので」
「では、このマンションが建つ前は、何があったんでしょうか?」
「申し訳ございませんが、そこまでは分かりかねます」
私は翌日からの数日間ホテルに滞在し、数日中に引っ越した。
この引っ越しについては会社からの手当はつかない。転勤に伴わない引っ越しだからだ。痛い出費になった。
作者フゥアンイー