「本当に物騒な世の中になってきましたから、お宅もくれぐれもお気を付けくださいね」
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女性の妙に上品で丁寧な物言いが、階下の玄関口から聞こえてくる。
滝井のクラスメートの唐島がコミックから目を離すと、口を開いた。
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「誰?」
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ベッドの端に座る滝井は、コミックから目を離さずに答えた。
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「久保山さん。
うちから二軒隣に住んでて、町内会の会長やってんだよ。うちの母ちゃんと同じ年なんだけど、いつも紺色の渋い着物着ててさ、何かと世話焼きなオバサンなんだ。
でもさ、昔は人付き合いの嫌いな変人だったようなんだ。
これは母ちゃんに聞いたんだけど、あのオバサン以前は息子と二人で暮らしていたみたいで、3年ほど前、気の毒な形で息子を亡くしたそうなんだ」
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「気の毒な形?」
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唐島がそう言ってまた滝井の方を見る。
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「ほら、あっただろ、当時この近辺で通り魔事件が、、、
子供ばかり二人殺されたやつだよ。
犯人はまだ捕まっていないみたいなんだけど、久保山さんの小学生の息子が犠牲者の一人だったらしくてさ、しばらく彼女、なんか人が変わったみたいになって駅前で情報提供を求めるビラを配ったり、警察署に乗り込んでいっては、何で犯人を捕まえられないの?と直談判したり、挙げ句の果ては自ら刑事まがいの捜査活動をして町内の誰某が怪しいとか、とんでもないデマを流したりしたりしていたようなんだ。
それからはしばらく家にひきこもっていたみたいなんだけど、今年は自分から名乗り出て町内会の会長になったんだ」
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しばらくすると部屋入口のドアが開き、エプロン姿の滝井の母が姿を現すと、険しい顔をしながら二人の顔を交互に見てから、おもむろに喋りだした。
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「今ね、久保山さんが来てから言ってたんだけどね、昨日、二丁目の葉山さんとこの下の娘さんが救急車で運ばれたらしくてね、今も意識不明で重体らしいのよ」
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「え、美結ちゃんが?どうして?」
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葉山美結ちゃんは滝井と
同じ小学校の一つ下で、5年生の女子だ。朝の集団登校の時にいつも彼は一緒に登校しているから知っていた。
滝井の母が険しい顔のまま続ける。
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「一緒に下校していた女の子が言ってたそうなんだけど、ジュースでも買おうと二人で自販機に立ち寄ったらしいのよ。
ほら、そこの子供公園の入口門にあるとこよ。
そしたらね、下の取り出し口に何故だか紙パックのジュースが一つあったみたいで、美結ちゃんがそれを取って一口飲んだみたいでね、そしたら急に胸を押さえて苦しみだしてね、最後は泡を吹きながら倒れたみたい。
ジュースの中に何かの毒物が入れられていたみたいよ。
誰かのいたずらかしらね、怖いわねえ」
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その日の夕刻、制服姿の警官が滝井の家に来て、改めて葉山美結さんの件を説明すると、不審な人物を見掛けたら通報して欲しい旨を伝えると帰っていった。
どうやら、警察も動きだしたようだ。
早速その夜、公民館で緊急の町内会が開かれて、久保山さんの提案で、大人たちが持ち回りで町内を見回りするようになった。
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数日後に再び訪ねてきた警察官が言うには、
自販機周辺の防犯カメラの記録から、事件発生の前日夜の雨の日に、黒いレインコートを着た不審な人物が自販機の前にしゃがみ、取り出し口辺りをいじっているところが確認されたということだった。
その人物はフードを頭から被っていたようで顔や性別は判別出来なかったらしいが、映像から見られる肩や胸辺りの筋肉の付き具合から、恐らくがっちりとした体格の男性ではないか?ということだった。
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その日久保山さんは滝井の家を訪れると、防犯カメラに映る黒いレインコートの人物が印刷された紙を彼の父親に手渡すと、こう言った。
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「私の考えは、犯人は3年前に息子を殺めた人と同じ人物なのでは?と思っております。絶対に間違いありません。
私には何となく分かるんです。
多分今もこの町内のどこかに潜んでいるのでしょう。恐ろしいことです。写真を見る感じでは体格の良い男性のようですから、お宅もくれぐれもご用心くださいね」
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どうやら彼女はビラを持って町内をわざわざ一軒一軒回り、住民の注意を喚起しているようだった。
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滝井の父親は、
「あの人、自分も事件で子供を失った悲しい体験があるから、もう二度とこんなことが起こらないようにという気持ちから熱心にやっているんだろう」と感心したように言った。
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そして事件発生から一週間経った日曜日のこと。
今度は公園でボール遊びをしていた小学校低学年の男の子が、例の自販機から200メートル離れたところにある自販機取り出し口にあった缶コーラを飲み、急性中毒で病院に運ばれた。
男の子は病院に運ばれたが、深夜に死亡したらしい。
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いよいよ警察も本腰を入れて動き始めた。
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そして滝井の小学校が夏休みになり数日経った日のこと。
その日は朝から雨で、彼は2階の自室でゴロゴロしていたが、午後に母親からお使いを頼まれ、傘をさしてスーパーへと向かう。
買い物を終えた後レジ袋を提げ、再び家路についた。
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傘をさしながら狭い路地を歩いていると、遥か前方に子供公園の入口が滝井の視界に入ってきた。
門の横には、あの自販機がある。
その正面に、黒い雨合羽を羽織った人が立っていた。
顔はフードを頭から被っているからはっきりと分からない。
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「見回りの人だな。
こんな雨の日なんかもやるんだ。
大変だな。」
などと彼が思いながらいよいよ50メートルほど手前まで近付いた時だ。
その人は滝井には全く気が付いてない様子で、何故か突然その場にしゃがみこみ間もなくしてまた立ち上がると、何事もなかったかのように反対方向に歩きだす。
それから公園の垣根に沿って真っ直ぐ進み、最初の曲がり角を曲がろうとした時だった。
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突然数人の黒いスーツ姿の男たちが現れたかと思ったら、あっという間にその人は取り押さえられた。
時間にしたら3分もかかっただろうか?
滝井がその場に立ち尽くし唖然としながらその一部始終を眺めていると、男たちの一人が自販機に駆け寄って、その取り出し口を覗き込み、ハンカチを片手に中から紙パックのジュースを慎重に引っ張りだしていた。
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その翌日の晩御飯の時、滝井は母親から驚くべき事実を聞かされる。
捕まった犯人は久保山さんだった。
彼女は犯行時、黒いレインコートを羽織っていたのだが、
肩回りや胸にパットを入れて体格を偽装していたという。
恐らく犯人を男性と思わせようとしたのだろう。
また自宅を家宅捜査したところ、寝室の壁は全て殺された息子の写真で埋め尽くされていて、台所からはビン入りの青酸カリが見つかったらしい。
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警察の取り調べに対し彼女は、町内の子供らの父兄たちに自分と同じ苦しみや悲しみを味会わせたいとずっと思っていたと供述しているということだった。
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう