長編9
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もし、

よく、こういった怪談話がある。

主人公の家に誰かが訪ねてくる。

訪問者の姿はドア越しで見えないことが多く、声だけが聞こえる状態である。

訪問者は自分が家族だとか、親戚だとか名乗る。

そして決まってこう言うのだ。

「ドアを開けてくれ」と。

だが、主人公は警戒してドアを開けない。

声や口調が本人と似ていなかったり、似ていてもどこか様子がおかしかったりするからだ。

他にも主人公が何かを質問し、それに答えられないといったパターンもある。

たいていはドアを開けないまま、訪問者が立ち去って事なきを得る。

そして案の定、その後に家族や親戚に確認を取ると、その時間に家に来てはいないと言われ、訪問者が別人だったと判明して話は終わる。

たまにドアを開けてしまうパターンもあるが、たいてい訪問者の姿は明かされないまま、主人公が連れ去られたり、殺されたりして終わる。

今まで主人公が見ているものをすべて伝えてきたのに、訪問者の姿だけ伝えないというのは至極不自然だ。

姿を謎のままにした方が怖い、という作者のご都合主義演出なのだろう。

また、それ以前に主人公が死んでしまうと、誰がこの体験談を語れるのか、という問題が生じ、実話怪談としては完全に破綻していることになる。

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さて、なぜ私がこんなことをぐだぐだ書いてきたかというと、実は私も、似たような体験をしたことがあるからだ。

今からそのことを書こうと思うが、くだらない創作話だと切り捨ててもらっても構わない。

だが、もし同じ体験をした人がいれば、そのときのことを私に教えてほしい。

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あれは今から十二年前、私がまだ小学三年生の頃だった。

時刻は夕方の五時くらいだったと思う。

私は一人で留守番をしていた。

すると、玄関のチャイムが鳴った。

客などめったに来ないので、誰だろうと思って玄関に行くと、磨りガラスの引戸越しに人影が見えた。

姿はガラスにぼやけていて分からない。

分かるのは人数が一人ということくらいだった。

私は親から「お客さんが来ても一人のときは絶対に開けたらダメ」と何度も注意されていたので、このときも戸を開けるつもりはなかった。

だが、その訪問客が私の名を呼んでこう言うのだ。

「マサシ、開けて、お母さんだから」

それは確かに、母の声だった。

しかし気になることがあった。

母なら鍵を持っているのだから自分で開ければいいということと、どうしてこんな時間に帰ってきたのかということだ。

いつもならまだ仕事に行っている時間だ。

私はそのことを尋ねた。

「鍵はどうしたの?」

「それが無くしちゃったのよ」

「どうしてこんなに早く帰ってきたの?」

「たまたま仕事が早く終わっただけ。さっさと開けてよ」

いつもの私だったら、分かったといって開けていただろう。

しかし、このときは違った。

なぜなら前日の晩にテレビでホラー番組を見ていたからだ。

その番組は視聴者から送られた怖い体験談をドラマ仕立てで再現するというものだった。

その中に、冒頭で語ったような怪談があったのだ。

私くらいの子供が主人公だった。

主人公はマンションに住んでいて、一人で留守番をしている。

そこに謎の訪問者が来て、「開けてくれ」とドアの向こうから言ってくる。

自分は親戚のおばさんだと名乗るが、主人公はそんな人を知らなかった。

最初は怪しんでドアを開けなかったが、最終的に「開けないとお母さんに言いつけるよ」と凄まれ、結局はドアを開けてしまう。

すると、ドアの隙間から腕がぬっと伸びてきて、主人公の腕を掴む。

その手を見ると、すべての爪が剥がれ、血がしたたっていた。

あっという間に主人公は外に引っ張り出され、ドアがカチャンと閉まる映像を家の内側から映し、話は終わる。

その後、主人公がどうなったのかは分からない。

殺されたのであれば、この話は視聴者の実体験ということではなくなるので、矛盾してしまう。

今となってはくだらない話ではあるが、当時の私はテレビの前で震え上がった。

その記憶がまだ新しかったので、私はその訪問者を母だと信じきれなかった。

もしかしたら昨日テレビで見た化け物かもしれない。

そう思うと、戸を開ける勇気がどうしても出なかった。

「何ぐずぐずしてるの。早く開けて」

訪問者はそう言って私をせき立てた。

その声も、口調も、本物の母としか思えない。

だが、開ける勇気が出なかった。

そこで私は考えた。

母に電話をかけて確かめればいい、と。

私は据え置き電話のある場所まで行き、メモ帳に書いてある母親の携帯の番号に電話をかけた。

電話はすぐに繋がった。

「もしもし、お母さん?」

「マサシ? どうしたの?」

「お母さん、今、どこにいるの?」

「え? 会社だけど」

私はドキリとして玄関を見た。

引戸の向こうにいた人影は、なぜか消えている。

私は母に尋ねた。

「家に来てないの?」

「来てないわよ。なんで?」

私はそのときの状況を母に伝えた。

母は「不審者だから、絶対に開けちゃダメ。もしまた来たら、母ちゃんじゃなくて警察にすぐ電話しなさい。母ちゃんもすぐに帰るから」と言って、電話を切った。

私は一人になり、心細くて堪らなかった。

訪問者はもう玄関からいなくなっていたが、無理やり戸を壊して入ってきたらどうしよう。

そんな考えが頭をよぎった。

だが、その不安は杞憂に終わった。

それから何事もなく時が経過し、三十分ほどで母が帰宅した。

自分で戸を開ける、本物の母だった。

私はすぐ母に尋ねた。

「外に変な人いなかった?」

「いなかったから大丈夫。ただ、これからは誰が来ても開けちゃダメよ。いいわね」

そんな風な会話をしたように思う。

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そして翌日、その日もいつものように留守番をしていると、またチャイムが鳴った。

昨日と同じような時間だった。

私は自室を出て、恐る恐る玄関を覗いた。戸の向こうに誰かが立っていた。

訪問者はこう言った。

「マサシ、いるんだろ? 開けてくれ」

それは父の声だったが、私は騙されなかった。

昨日も訪問者は母の声を完璧に真似していたのだ。

父の声だって真似できてもおかしくない。

私は訪問者の声を無視して、何も返答しなかった。

すると、訪問者は言った。

「昨日、不審者が来たって言ってただろ? だから心配になって早めに帰ってきたんだ。ただ慌てて帰ってきたから鍵を落としちゃってさ、だから開けてくれ」

いくら小学生の私といっても、この程度の嘘では騙されない。

私は何も返答せず、相手の様子をうかがっていた。

訪問者はこう続けた。

「ははーん。さては、この前見たホラー番組が怖くて開けられないんだろ? 怖がりだなマサシは」

私は家族しか知らない情報を指摘され、ひどく驚いた。

そして興味が出た。

この訪問者はどこまでの情報を知っているのだろう、と。

私は訪問者に言った。

「本当にお父さんかどうか確かめたいから、質問に答えて」

「ああ、何でもいいぞ」

「お父さんの名前は?」

「上田信二」

正解だ。次の質問をする。

「じゃあ、誕生日は?」

「7月14日」

これも正解。

「この前の誕生日に買ってくれたプレゼントは?」

「ゲームソフト」

すべて正解だった。

ゲームソフトを買ってもらったのは半年も前だ。

どうしてそんなことまで知っているのだろうか。

どう考えても、ただの不審者じゃない。

「ただの不審者じゃないと思っただろ」

突然、訪問者が私の考えを言い当てた。

しかも、その声は父の声ではなく、しわがれた老人のような声だった。

私は水を被ったみたいに全身が冷たくなった。

訪問者が言う。

「どれだけ父親の演技をしても無駄なようだな。これだから臆病なガキは嫌なんだ」

私は訪問者に恐怖を感じると同時に、「臆病なガキ」と呼ばれ、少しむっとした。

臆病なことは自分でも気にしていたからだ。

どうせ、コイツは私が戸を開けなければ入ってこられない。

だから、勇気を振り絞ってこう言った。

「お前は誰だ」

訪問者は答えた。

「開ければ分かる。知りたければ開けろ」

「開けるわけないだろ」

「お前は俺がこの戸を開けられないと思っているから、そんな強気でいられるんだ。だがな、この戸を開けるのなんて簡単だ。なんなら戸を開けずとも家に入ることだってできる」

「嘘だ。だったらどうして入らない」

「意味がないからだ。お前がこの戸を開けることで、俺を招き入れる許可を出したことにならなければな」

この〈許可を出したことにする〉という行為には、おそらく呪術的な契約の意味があるのだろうが、当時の私はそんなことを考えもせず、こう言い返した。

「なんだそれ。意味不明な言い訳してんじゃねえよ。かっこわりーな」

「嘘だと思うなら、試しに入ってやろうか?」

「……」

私は少し思案した。

コイツの言うことはおそらく嘘だ。

戸を開けずに入ってこられるはずがない。

もしそんなことができるなら、とっくにやっているはずだ。

臆病な自分をからかっているだけなのだろう。

また悪口を言ってやろうか。

でも、万が一、本当に入ってきて、さっきの悪口の仕返しをされたら……。

私は臆病風に吹かれ、自分の部屋へと逃げ出した。

部屋に入ると、すぐにドアの鍵を閉め、武器になりそうな物を探した。

家庭科の時間に使う裁ちバサミがあったので、とりあえずそれを握りしめ、ドアを開けたら死角となる、入り口近くに身を潜めた。

ここで待ち伏せし、ドアが開いたら間髪入れずにハサミを突き刺して、その隙に逃げよう。

そう計画を立てた。

足がガタガタ震えている。

そういえば母から『不審者がまた来たら警察に通報しろ』と言われていた。

今更思い出しても遅い。

もう奴は家の中に入ってきているかもしれない。

この部屋を出て電話のある場所まで行くのは危ない。

やはりこの部屋で待ち伏せするしかないだろう。

私は三十分ほど息を殺してドアの近くに立っていた。

だが、家の中は物音一つしない。

もし奴が入って来たとすれば、廊下を歩く音くらいするはずだ。

しかし、どれだけ耳をすませても、何一つ聞こえてこない。

このまま親が帰ってくるまでずっと待ち続けるのも疲れる。

奴は私を脅しただけで、実際には家に入ってきていないのだろう。

そう考え、私はドアの鍵を開けると、ゆっくり廊下に顔を出した。

奴はいない。

できるだけ足音を立てないように部屋を出る。

そのまま忍び足で玄関が見えるところまで来ると、引戸の向こうに奴の姿は無かった。

もう立ち去ったのだろう。

私はほっと安心した、と見せかけて振り向き様にハサミをうしろに突き刺した。

ほっとしたときに化け物が背後にいる。

それがホラーの常識だ。

だが、ハサミは空を刺すだけで、奴はいなかった。

私は今度こそほっと安心した、と見せかけて上に向かってハサミを突き刺した。

ほっとしたときに化け物が上から襲ってくる。

それがホラーの常識だ。

だが、またもハサミは空を刺すだけだった。

それでも私は安心できなかった。

奴は息をひそめているだけかもしれない。

安心できるときが一番安心できない。

親が帰ってくるまでは、警戒しながら待ち続けるしかない。

そう考えてまた部屋に戻った。

その後、私は警戒を怠らず、ずっとハサミを握りしめていたが、結局親が帰ってくるまで何事もなかった。私はようやく安心することができたわけだ。

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さて、冒頭で書いたように、この出来事は現在、すなわち二〇二三年から、十二年も前の話だ。

あの日あったことは鮮明に記憶に残っているので、存外書いていくのが簡単だった。

そして今、大人になってからあの日のことを思い出すとき、気になることがある。

あのとき、訪問者はこう言った。

「嘘だと思うなら、試しに入ってやろうか?」と。

一字一句合っている自信は無いが、とにかくこのようなことを言ったのは間違いない。

私はこの言葉を聞き、自分をおどかすための嘘だと思った。

そして、悪態をつきたい気持ちを抱えつつも、結局は臆病風に吹かれて部屋へ逃げ出した。

しかし、もしそうせずに、「やれるものならやってみろ」とでも強気に言い返していたら、どうなったのだろうか。

奴はこうも言っていた。

私になぜ戸を開けないのかと問われ、「意味がないからだ。お前がこの戸を開けることで、俺を招き入れる許可を出したことにならなければな」と。

もし、「やれるものならやってみろ」と言っていたら、戸を開けずとも『招き入れる許可』を出したことになったのではないだろうか。

そして、奴が本当に、戸を開けずとも入ってこられるとしたら、私はいったい、奴に何をされたのだろうか……。

もし同じような体験をしているか、奴の正体を知っている人がいれば教えてほしい。

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この怪談は創作です。

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