それはようやく暑さも和らぎだした10月のある日のこと。
separator
俺は昨晩から気力を失いなんだか何もかもが嫌になっていて、自宅アパートのリビングソファでずっと横になっていた。
酷い頭痛と吐き気をもよおし昼前に起き上がり、体温を測ってみると38度。
とりあえず顔でも洗おうかとふらつきながら洗面台の前に立った時、愕然とした。
いつの間にか顔全体が紫色に変色し浮腫んでいて、しかもあちこちにおかしな赤い発疹がある。
nextpage
─風邪かな?
それとも何か他の病気?
nextpage
などと思いながらまたソファに横になったのと同時に携帯の着信音がした。
画面を見るとS美からだ。
S美は大学の友人Fの彼女だ。
今はFのアパートで同棲している。
nextpage
「はい」と答えるが何の返答もない。
不審に思い何度となく問いかけると、ようやく彼女の低くかすれた声が聞こえた。
nextpage
「変なの、、、」
nextpage
「は?」
nextpage
訳が分からず聞き返す。するとようやくいつものS美の声がしだした。
nextpage
「勇二(Fのこと)が昨日の夜からおかしい。
ご飯の途中に同じ言葉を何度も繰り返したり、いきなり死ぬと言いだしてベランダに行こうとしたり、それで昨晩はなんとかなだめて寝させたんだけど、今朝は頭が痛い吐き気がするとか言いだして、熱測ると38度超えててね。
それから、、、」
nextpage
ここで言葉を詰まらせたS美に、俺は「それから、どうしたんだ?」と尋ねる。
すると彼女はまた低くかすれた声でまた喋り始めた。
nextpage
「顔が別人のように紫色になってパンパンに腫れててね、それと顔のあちこちに赤いブツブツができてて、、、
あいつ何か変な伝染病に感染してるのかな?
そしたら私もうつったのかな?
ねえ、何か心当たりない?」
nextpage
─俺と同じだ。
nextpage
そう思いながら俺は「とにかく病院に連れていきなよ」と答えると、そのまま電話を終わらせる。
それからまたソファに横になった途端、脳内に1か月前のとある記憶がよみがえってきた。
separator
それは長い夏休みも終わった9月の最初の週でのこと。
その日の日中俺は大学構内にいた。
学生食堂の長テーブルで昼飯を食べているとFが正面に座り、おもむろに喋りだす。
「実は11月〇日はS美の誕生日なんだ。
付き合いだして初めての誕生日だから奮発して少し良いものをプレゼントしようと思ってるんだけど、お前も知ってる通り俺自分の生活だけで手一杯で貯金もなくてさ、それで短期で金になるバイトを探してみたんだ。そしたらネットのとある情報サイトにこんなバイトの募集があったんだよ」
nextpage
そこまで言って、Fは自分の携帯を俺の眼前にかざす。
画面のトップには【実働わずか1日で30万円が稼げる仕事です】という怪しげなタイトル。
その下方に内容が書かれている。
要約すると、とある場所に行き外資系大手製薬会社の新薬を治験すると、その報酬として30万円をもらえるというものだった。
こんなの怪しいから止めときなよと俺が言うと、あいつ、誰もが知っているアメリカの有名製薬会社の新薬だから絶対大丈夫なはずだとか、アメリカではもう1年前から既に数百万人の人たちが利用していて何の健康被害もないという実績だとかを、携帯の画面を見せながらしたり顔で熱心に説明する。それを聞いているうちに俺もこのバイトなんだか良さげかな?と思い出してしまい、結局一緒にやろうということになった。
nextpage
それで各々携帯のウェブサイトから個人情報を入力しエントリーすると、すぐに返信のメールが返ってくる。
それからその週の日曜日の指定時間に大学近くの駅ロータリーで2人待っていると、製薬会社のロゴマークのペインティングされた銀色のマイクロバスがやってきた。
乗り込むと既に老若男女数10人が座席に座っている。
運転席横に立った白いTシャツを着た長身の白人男性が明るく自己紹介した後、その日の予定を説明した。
それからアシスタントらしき若い日本人女性が全員にアイマスクを配ると、この日の仕事は製薬会社からの要請で極秘に行われるものだから必ず着用してくださいと言う。それで座っている男女全員はアイマスクを着用した。
nextpage
それで俺たちは視界が遮られた状態のまま1時間ほどバスに揺られ、とある場所で降ろされた。
そこで初めてアイマスクを外すことを許可されたんだけど、そこは大学の講義室のような、長机と椅子が整然と並べられた広々とした場所だった。
机の上には等間隔でペットボトルが置かれている。
それからバスに乗っていた全員がぞろぞろと着席した頃合いに、室内先頭にある演壇に白衣姿の白人男性が現れる。隣には同じく白衣姿の小柄なアジア系の女性が立っていた。
nextpage
彼はマイクを片手に英語で自分がアメリカ某製薬会社の主任研究員という身分を明かした後、これから治験してもらう新薬の安全性を背後のホワイトボードを使って丁寧に説明しだす。
隣のアジア系の女性が日本語で同時通訳をする。
一通り説明を終えた男性は最後に片言の日本語で「みなさんはこのすばらしいおくすりをたいけんすることのできるさいしょのひとたちでーす」と言って満面の笑みを浮かべた。
その後アシスタントらしき白衣の女性が笑顔をふりまきながら、室内にいる一人一人に小さなビニール袋を配り始める。
nextpage
中には2錠のカプセル錠剤が入っていた。
全員にビニール袋が行き渡った頃合いを見計らい、演壇の白人男性がまた片言の日本語で「では、わたしのハイというあいずとともに、おてもとのおくすりをのんでください」と言う。
それで俺たちが手のひらに錠剤を2つ乗せたまま待っていると、しばらくして「はい!」という男性の掛け声が室内を響き渡る。
nextpage
俺とFそれから椅子に座る全ての男女が一斉にペットボトルの水を含み、2錠のカプセル錠剤を服用した。
すると男性は「すばらしい」と言って親指を立てた後、また満面の笑みを浮かべながら隣の女性と一緒に拍手をしだす。
それからは再び全員アイマスクを着用しスタッフの誘導のもとマイクロバスに乗り込むと、バスは動き出した。
nextpage
道中、女性スタッフから次のような要請を受ける。
それは本日から毎日2週間の間つまり9月の末くらいまで、夕食の後その日の体調の報告をしてくださいというものだった。
そしてその報告は後程帰り際に手渡すメモに書かれたURLから入ってもらったサイトの専用ページからしてもらいたい。報告が全て終えたことが確認できた時点で指定の口座へ報酬金30万円を振り込みますということだった。
nextpage
俺たちは早速その日の夜から報告を開始する。
それから2週間が経過したが、体調には何の変化もなかった。
Fも同じだったようだ。
そして9月の末に口座にはきっちり30万円が振り込まれていた。
これでS美に誕生日プレゼントが買えると言ってFは喜んでいた。
そしてその時は俺の懐も潤い、全てがトントン拍子に問題なく進んでいたと思っていたのだが、、、
separator
再び携帯の着信音がしたのはS美の電話の後、耐えられずソファで横になって2時間くらいが経った頃だ。
またS美からだ。
応答ボタンをタッチすると、とたんに彼女の低く押さえ気味の声が聞こえてくる。
nextpage
「ううう、、、
さっき勇二を病院に連れて行こうと準備してたら突然家の呼び鈴が鳴って『緊急事態だ、早く開けろ』って男の人の怖い声がするから慌てて開くと、いきなり白衣姿の男の人たちが数人でドタバタ室内に入ってきて、、、、」
nextpage
ここで一旦、彼女の声が途切れる。
それで俺が「おい、どうした、どうしたんだ!?」と聞くと、やがてまたボソボソ喋り始めた。
nextpage
「それで今、私と勇二、無理やり白いワゴン車に乗せられて、どこかに連れて行かれてる」
nextpage
「なんだそれは?
勇二は、、、勇二は大丈夫なのか?」
nextpage
俺の問いかけに、しばらくしてS美はまたボソボソ喋り始める。
nextpage
「顔も、、顔も手足も、、紫になってて倍くらいに膨らんじゃって、身体中赤い発疹に被われてて、、
目とか耳とかからは変な黄色い液が出てきてるし、、
もう本当にすごく苦しそうで、、意味不明な言葉を何回も何回も繰り返してて、、
それでさっき、わたし、、わたし、、鏡で自分の顔見たら同じような赤い発疹がいっぱい出来ててね、、
ねえ、私たち、どこに連れていかれるの?
助けて、助けてよ~」
nextpage
S美の言葉の後、ふと左手を見た俺は息を飲んだ。
手が赤ん坊のようにパンパンに膨らんでいる!
そしてソファー正面にある液晶テレビの真っ暗な画面が視界に入った途端、背筋が凍りついた。
nextpage
そこに映っているのは、巨大なアザラシのような奇妙な生き物。
nextpage
俺は携帯を床に落とすとそのまま床に倒れこみ、身体を引きずりながらようやく洗面所まで行く。
そして洗面台に掴まりながら姿見の前に立った途端、再び背筋が凍りつく。
そこには赤い発疹に被われ醜く紫色に膨張した男の顔があった。
しかも目とか鼻とか口が、まるで福笑いのように、位置がずれている。
nextpage
─き、、救急車、、救急車呼ばないと、、、
nextpage
と携帯を取りに行こうと、よろよろふらつきながら歩きだした時だ。
nextpage
─ピンポーン
nextpage
室内を呼び鈴のチャイムが鳴り響く。
続いてどんどんと玄関ドアを乱暴に叩く音がした後、
「政府直轄の緊急特別班の者だ。
緊急事態だ、早く、ここを開けろ!」
と男のドスの効いた声が続いた。
ただならぬ気配を感じた俺は重い身体を引きずるようにしながらようやく玄関までたどり着くと、チェーンを外し鍵を開ける。
nextpage
すると途端にドアが乱暴に開けられたかと思うと、ガスマスクに白い防護服姿の二人が素早く押し入ってきた。
そして廊下に尻餅をつき唖然とする俺の正面に立つと、嫌がる俺を両側から二人で脇を抱えながら玄関を出る。
それから俺は二人に引きずられながら、アパート前に横付けされた白いワゴン車に無理やり乗せられた。
猛スピードで走り出した車内を、ラジオの放送が響き渡る。
nextpage
─ニュース速報です。
昨晩未明から一部の地域で発生している原因不明の奇病による被害者の数は加速度的に全国に拡大しており、現在のところ判明している被害の内容は、重症者約1、130人、重体者が802人、死亡者が63人にのぼっております。政府は緊急対策本部を設置。
その対策を早急に講じているところですが、現在のところ判明しているのは米国を本拠とする世界的なテロ組織による、日本を狙った計画的な細菌テロなのでは?ということです、、、
nextpage
fin
separator
Presented by Nekojiro
作者ねこじろう