私達姉妹が母を亡くしたのは、姉が10歳、私が7歳のときでした。
私達が住んでいたのは関東北部の地方都市です。
両親、祖母、私達姉妹、それから猫が一匹いました。父親は学校の先生をしており、母親は設計の仕事をしていました。なので、日中、私達の面倒は主に祖母が見てくれていました。
祖母は、私達に色々な話をしてくれました。昔語りが好きで、どこどこの地方には〇〇という伝説があるなど、良く教えてくれました。祖母も昔学校の国語の先生だったようで、そういった伝説・民話のようなものが好きだったのだと思います。
特に頻繁に話してくれたのは、当然いま自分たちが住んでいるH市に昔から伝わる民話でした。
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「昔、ここいらがまだ畑や田んぼばーっかだった頃な、ある娘が夕刻に畦道を歩いとったんだ。
そうしたら、歩き慣れた道のはずなのに、なんだか様子が違う。
まあ、それでも、薄暗くなっているから見当違いをしてるのかと思って、歩いとった。
ところが、いつも通る裏山に続く道と本道の分かれ道に、何ぞ知らないもう一本の道がある。いつもは二股の道が三叉になっとったちゅーことだ。
それで、その知らない道っていうのがえらい暗くて、どうにも薄ら寒くなったそうだ。ただ、怖いもの見たさでそっと近づいたんだと。その道の向こうに目を凝らすと、どうも暗い山道のようになっていて、その先に鳥居みたいなのがある。
こんなとこに神社なんかあったかいな?と思うが、どうもやはり心当たりがない。
面妖なことがあるなと思ってじっとみとると、その鳥居の向こうでごそりごそりとなにか黒い影が動きよるのが見えた。
そんで、その娘っ子は恐ろしうなって、来た道を一目散に引き換えしたんだと。
あとから、村のババに聞いたら、『そりゃあ”やどうかい”じゃ』いうて、その娘っ子にはその道に入いらんで良かったというたというこっちゃ。
なんにせよ、夕暮れ時に一人で道を歩いているとこんな風に”やどうかい”に会うから、お前たち、明るいうちにちゃんと帰ってくるんだぞ」
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母親が亡くなってから、祖母は母親がわりとして、これまで以上に私達に深い愛情を注いでくれたので、私達は特に困ることはありませんでした。
ただ、やはり母親は恋しいもので、寝る前に布団の中で母のことを語り合うことが多かったのも確かでした。
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ある日、丁度、季節は今頃だったと思います。町のイベントか何かで子供会があり、私達は二人でそこに行っていました。お菓子がもらえるというのが当時は魅力的だったんですね。それで、会が終わるのが丁度5時くらいでしたので、少し町外れの我が家に帰る頃には、あたりが薄暗くなって来ていました。まあ、暗いと言っても別に山道や誰もいない畦道を歩いているわけではなく、商店街を歩いているのですが、それでも、私は祖母から聞いた「やどうかい」の話を思い出してしまい、ちょっと怖くなっていました。でも、さすが3つ年上の姉はなんともないようで、ずんずんと商店街を歩いて行きました。私は置いていかれないように必死になってついていきました。
「あ!」
ふと、姉が声を上げました。
「どうしたの?」
私が聞くと、
「今、あっちの道にお母さんみたいな人がいた」
と姉は商店街を抜けた先の住宅地の四つ角を指で示したのです。私は姉の背中を見て、歩くのに必死でそんな先の方までは見ていなかったので、人影を認めることはありませんでした。
「お母さん?」
私が聞くと、姉は頷き、
「お母さんに似た人」
と言うのです。母親が生き返って歩いていた、というわけではないのはわかっているのですが、やはり母が恋しい気持ちがあったのでしょう。姉は
「行ってみよう」とその姿を追って歩きはじめてしまいました。
私はどうすることも出来ず、ついていく事にしました。
普段は曲がらない住宅街の道を入り、姉は「あ、あっち」と言いながら、どんどん歩いていきます。
私は相変わらず、姉が見ていると言っている人影を見ることは出来ませんでした。というのも、姉を追うのに必死だったからです。
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道はどんどんと暗さを増していきます。私は何処を歩いているのか全く分からなくなっていました。姉もわかっているとは思えません。
とうとう私は恐ろしくなり
「ねえ、お姉ちゃん・・・」と声をかけました。
その言葉が聞こえたのか、やっと姉は立ち止まってくれました。いつの間にか、右手には森があります。振り返るると、町の灯が少し先になっていました。大分町から外れたところを歩いているようです。いく先は真暗で、遠くに幹線道路でしょうか、街灯が立ち並んでいるのが見えました。
姉はその道にポツンと立っている街灯の下で立ち止まっていました。
「お姉ちゃん・・・」
私は本当に怖くて、帰りたくて、姉に言いました。
姉は立ち止まったまま右手の森をじっと見ていました。私もそれに気づいて森を見ました。
そして、ぎょっとしたのです。右手の道の少し先に鳥居が見えました。夕闇の中、くすんだ赤色の鳥居です。そして、普通、鳥居の先には参道やら狛犬やらがあると思うのですが、その鳥居の向こうはただただ暗い道が真っすぐ伸びているだけでした。
「呼んでるよ」
姉がふらふらとそちらに向かって歩いていったので、私は慌てて姉の服の裾を引っ張って止めました。
「ほら、だって」
私が止めるのを意にも介さないで、姉は進んでいきました。とうとう私は手を離してしまいました。姉はどんどんと鳥居に向かって歩いていきます。
そして、鳥居の前で立ち止まり、一度私の方を振り返りました。
それが、姉を見た最後でした。
私の目の前で、姉はまるで鳥居の向こうの闇に吸い込まれるように、溶けるように、ふっと消えてしまったのです。その瞬間、姉が何かを言おうと口を動かしたのが見えましたが、声は聞こえませんでした。
「お姉ちゃん!」
そう叫んだところで私の記憶は途切れました。
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次に気づいたのは、市立病院のベッドの上でした。
あとから聞いたところによると、私は子供会の会場から5キロくらい離れた川岸の橋脚の下辺りに倒れていたとのことです。子供会から帰ってこないことを不審に思って、祖母が警察に届け、町内会の人も動員して探し回った挙げ句、次の日の朝になってやっと発見されたということでした。
そして、発見されたのは私だけで、姉の行方は杳として知られませんでした。
私は自分の体験したことをうまく説明できなかったこともあり、経緯について「覚えていない」としか言えませんでした。そのため、事件は、私達は何者かに誘拐されかけて、私だけ何らかの理由で置いておかれたのだ、ということで落ち着きました。私はショックで記憶を失ったことにされました。
その時は誰も何も言いませんでしたが、姉の生存は絶望視されていたと思います。
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これが私が体験したことです。
あのときの鳥居は、祖母が話してくれた「やどうかい」なのでしょうか?
後で知ったことですが、「やどうかい」とは漢字では夜の道の怪、「夜道怪」と書くそうです。夜道で子どもを攫う怪異です。多くは子どもを早く帰らせるための便法なのでしょう。
でも、私は確かに体験しました。
あの鳥居と、そこに消える姉の姿は、今でもはっきり覚えています。
実は、今でもたまにですが、夕暮れ時、街を歩いていると、曲がり角をふと、10歳くらいの子どもが曲がっていく姿を見ます。
後ろ姿だけなのですが、それがどうにも、あの日の姉に見えるのです。
あれから、20年近く経っているのに、姉は当時の姿のままです。
調子の悪いときにはふらりとついて行きそうになります。
姉が、私を呼んでいるのでしょうか。
あの、鳥居の道に…
作者かがり いずみ
体験者とは今でも交流がありますが、元気にお仕事をされています。
やどうかいには捕まっていないようですね。