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長編12
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曲がり屋敷

地方の国立大学に入り、周囲に誰も知っている人がいない中、寮で初めて友だちになったのが、T子だった。T子は理学部、私は国文学部だった。

専攻も違うし、趣味も違う。サークルも一緒ではなかったが、最初に知り合った縁で、大学2年になった今でも彼女との付き合いは変わらずに続いており、一番の親友といってもいいかもしれない。

私は東京出身だったが、T子は地方のS県の出身だった。東京もS県も私達が通っている大学からはかなりの距離があり、帰省するには夏休み等のまとまった時間が必要だった。今年は2年生の夏休み。就活を考えると、3年生の夏休みはそうそうのんびりもしていられないだろう。私達は、夏休みをどう過ごすかについて早くから二人で計画を立てていた。

1年生の夏休みは、まだ大学にも慣れていないし、一人暮らしの侘しさもあり、東京の実家に戻っていたが、その後はこちらの生活もそれなりに楽しくなり、実家に帰ろうという気にはならなかった。現に、私は1年生の冬休みは結局大学の寮に残ったままでバイトやサークル活動に精を出していた。

一方、T子は長い休みになると必ず実家に帰るようにしているようだった。彼女曰く、父や母もそうだが、祖母と祖父が寂しがるというのだ。

東京の核家族で過ごした私としては、T子が言う、祖父と祖母、それに親戚家族までも同じ家屋に住んでいるという暮らしはちょっと想像がつかなかったが、国文学を専攻する身としては、そういう旧態然とした歴史ある家柄に興味はあった。

そんな話をしていたからだろうか、話の流れから今年の夏、T子の実家への帰省に合わせて、私も付いていってT子の家にお邪魔させていただく話になった。

S県には、たくさんの古い神社や史跡があるということで、そういうのが好きな私はこの小旅行にワクワクしていた。

ところが、その話があった数日後、T子から「家に泊めることはできない」と唐突に言われた。どうやら、実家に電話したら、反対されてしまったようだった。T子は言いにくそうに私に謝ってきた。

私としては、別にT子の家にどうしても泊まりたいということではないし、泊まれないなら、駅前のホテルか旅館にでも泊まろうと思うだけなので気にしなくていいと請け合ったのだが、最後までT子は「ごめんねー」と繰り返していた。

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前期試験を終え、晴れて自由の身になった私達は、8月のお盆前にはS県に旅立った。市内のホテルに二人で2泊し、おおよそ2日かけて市内の観光地や史跡を巡った。2日目の昼過ぎにT子の実家にお邪魔することにした。

T子の実家は市内からローカル線とバスとを乗り継がないとつかないような場所であり、当のT子をして「辺鄙なところなのよ」と言わしめるのも納得だった。しかもT子の家の近くに行くバスは一日に5本しか通っていない。

確かに、東京の感覚では考えられない田舎だった。

最寄りのバス停で降りて、少し小高い丘を登ると、そこがT子の実家だった。T子の実家はぐるりと黒黒とした立派な塀に囲まれ、門扉も錚々たるもので、私が話に聞いて想像するよりもずっと大きかった。

T子によると、敷地の中に江戸時代に作られたという蔵が2つも現役で残っているというのだ。

門をくぐると、すぐに広々とした中庭が目に入った。中庭をぐるりと取り囲むように家屋の渡り廊下が見て取れた。右手にこんもりとした木立があり、その向こうが玄関なのだという。玄関には広々とした天然石のたたきがあり、民家の玄関と言うよりは時代劇で見る大名屋敷のたたずまいを思い起こさせた。

「ちょっとすごいでしょ?」

T子は笑って言った。

「でもね、中に入るときっともっと驚くよ」

T子は玄関の引き戸を開き、「ただいまー」と大きな声で言う。きっと広いからこれくらいの声でなくては届かないのだろう。

すると、すぐ右手から、50代くらいの品のいい着物を着た女性が現れた。

「K子さん、ただいま」

T子が靴を脱ぐので、私もそれに倣う。T子の話しぶりから察するに、どうやらこの人はお手伝いの人か何からしい。そのK子さんに連れられ、私達は屋敷の奥へと案内されたのだが、たしかに私は驚いた。

広い、そして、やたらに入り組んでいるのだ。何度曲がったかわからないほどの廊下を曲がり、やっと私達は居間と思しきところに到達した。

「ね?すごいでしょう?」T子が笑う。

「ひゃー!すごいね。私、もう玄関がどっちか全然わかんないよ」

「うちの両親に挨拶が終わったら、もう少し家の中見て回ってもいいよ。もちろん、迷わないように私もついていくからさ」

T子によると、この家は、江戸時代から家が栄えると共に増築を繰り返し、その結果、こんな迷路みたいな家になっているのだという。

T子の両親に挨拶をすると、夕飯を食べていけと誘われた。夕飯の準備が整うまでの時間、私とT子は家の中を見て回ることにした。

迷路みたいーとT子は言ったが、想像以上だった。ここは廊下か?と思って歩いていると行き止まりになり、部屋かと思って襖を開けると、そこに更に廊下が続いている。階段があるが、途中で途切れている。部屋に一旦入り、そこを抜けないとトイレにもいかれないようになっている。廊下が途中で意味もなくつづら折りになっており、その奥に床の間がある、など。およそ機能的ではない。

「昔は、よく親戚の子とかくれんぼをして遊んだんだけど、なかなか見つからないのよね」

T子がそういうのももっともだと思った。

私なんか、見つけるどころか、自分が迷子になってしまいそうだ。

「すごいでしょう?近所では、この家、曲がり屋敷、なんて言われているのよ」

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すっかりT子の家に感心し、あちこち見ている間にあっという間に夕飯の時間になった。夕暮れになると、T子の家は雨戸を全部閉めるらしい。最初に通された居間でT子の父母、それから祖父、祖母、T子、T子の弟、そして私の7人で食卓を囲むことになった。出てきた料理はK子さんが作ったものだという。お客さんだということで、わざわざこのあたりの郷土料理を振る舞ってくれたらしい。

祖父・祖母はあまり喋らないが、T子の顔をニコニコしながら見ており、T子は孫としてとても愛されているのだろうと感じた。T子の父や母は非常に気さくで、初対面の私に気を使い、色々とこのあたりの昔の話を聞かせてくれたりした。

「あ、時間!」

私は慌てて言う。これ以上いると、バスの最終時間に間に合わなくなってしまう。T子の家には泊まれないのだから、私は一番最後のバスで帰らなければならない。バス停で帰りのバスの時間を確認してきた。その時間まであと20分ほどに迫っていた。

「バスで帰るなら早よせねばな」

T子の祖父が言う。

「ありがとうございました」

私は礼を言い、T子にも別れを告げる。今日はT子は実家に泊まり、明日、合流して一緒に隣県に足を伸ばす算段だった。

「あれ?でも、今日って土曜日じゃない?」T子の母が言った。

「そうすると、もう終バスは行っちまってるな・・・」父が続けた。

そういえば、私は平日のダイヤを見ていた気がする。そうか、土日はもっと便数が少ないのか・・・。

私が困った顔をしていると、T子が助け舟を出してくれた。

「じっちゃ、ばっちゃ。泊めてやるわけにはいかねえか?」

あまり聞かないT子の方言。祖父と祖母は困ったように顔を見合わせている。

「あ、でも、大丈夫です。タクシーとか呼べたりしませんか?私も着替えとか持っていないし・・・」

困らせては何なので、と、遠慮がちに言う。

「だめよ、この辺、タクシー会社ないし、ものすごいお金かかっちゃうよ?」

「ねえ、ばっちゃ。お願い」

T子は祖父と祖母を拝むように言う。

はあ、とため息をつき、祖母が口を開いた。

「わかった。ええ。ただし、T子や、お前の友達にも、禁忌を守ってもらうぞ」

「キンキ?」私が聞くと、T子が慌てたように言った。

「禁忌っていうのは、家のルールみたいなものなの。それがあるから、最初はだめって言っていたんだけど。逆に言えば、それさえ守れば泊まってもいいのよ」

「ええか。うちに泊まるなら、3つのことを守ってもらわねばならない。これは絶対じゃ。」先ほどまでの笑顔とは打って変わり、祖母は厳しい顔をする。

「1つ目は、夜12時以降、夜が明けるまでは無闇に部屋から外に出ない」

「2つ目は、夜、なにかに声をかけられても声を出してはいけない」

「3つ目は、夜、窓や扉を決して開けてはならない」

「必ず、これらを守って欲しい」

重々しく言う祖母の口調に、私は無言で頷くことしかできなかった。

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結局、私はT子と同じ部屋で一晩過ごすことになった。パジャマはT子のものを借りた。さすがに下着まで借りるわけにはいかないので、それは着古したもので我慢するしかなかった。

この家は風呂も広く、私とT子が二人で入っても余裕だった。昨日まで泊まっていたホテルは風呂が狭かったので、私としてもありがたい。長旅の疲れも癒えるようだった。バスが無くなったのは事故だったが、こうして泊まれたのはラッキーだったのかもしれない。

「ねえ、T子」

私はふと先程のことが気になって、湯船から、体を洗っているT子に尋ねた。

「なんで、夜中の12時から外に出ちゃだめ、とか、そういうルールがあるの?」

「さあ、うちができたときからずっとそうしていたみたい。なんかの験担ぎなのかな?」

T子はザバっとかけ湯をしながら応えた。

「ふーん」

験担ぎにしては、随分真剣だったなと思う。まあ、おじいちゃんおばあちゃんは昔の人だから、そういうのを気にするのかな・・・。

風呂から出てパジャマに着替える。部屋に戻ると布団が敷いてあった。まるで旅館のようだ。私達は布団にコロコロと横になりながらもなかなか寝付けず、他愛のない話をし続けた。

ふと、スマホを見ると、11時30分を回っている。もうすぐ、部屋から出るな、と言われていた真夜中に近くなった。そろそろ寝ようかということになり、部屋の明かりを消して、私達は薄い上掛けをかけた。部屋は適度にエアコンが効いていて、心地が良い。

ところが、すぐに眠気が襲ってくるかと思ったのだが、慣れない広い旧家にいるせいか、なかなか寝付けなかった。隣に寝ているT子はすぐにすーすーと寝息を立てており、私はなかなか眠れないなか、布団の中で何度か寝返りを打っていた。

広い旧家の真っ暗な部屋はなんだか少し怖かった。

何度目か、寝返りを打ったときだった。

きーぱったん、きーぱったん

なにか奇妙な音がした。

遠くから、音がする。それは、床を伝って、枕に響いてくる。

そんなに大きくはないけど、それでも、気のせいとは思えないほどの明瞭さで。

きーぱったん、きーぱったん

「・・・じゃろな」

反対の耳が別の音を捉えた。

何かの声?

きーぱったん、きーぱったん

「・・・どこじゃろな・・・。どこじゃろな」

間違いない。誰かが廊下を歩いている。

確認してはいないが、おそらくもう12時は回っている。無闇に外に出るなというルールがある家で、一体誰が歩いてるのだろう?

きーぱったん、きーぱったん

声はなおさらはっきり聞こえてくる。

「どこじゃあ・・・どこじゃろな・・・」

その声は低く歌うような声だった。おそらく、部屋の前の廊下を歩いている。

「1つ目は、夜12時以降、夜が明けるまでは無闇に部屋から外に出ない」

「2つ目は、夜、なにかに声をかけられても声を出してはいけない」

「3つ目は、夜、窓や扉を決して開けてはならない」

T子の祖母の声が耳に蘇る。

『ナニか』に?

「誰かに」ではなく?

「どこじゃあ、どこじゃあ・・・ここじゃろか・・・」

カリカリと壁をひっかくような音がする。

震えが来る。隣のT子を起こしたくても身動きができない。ましてや声も出ない。

『ナニか』がいる。

きーぱったん、きーぱったん。

もう、部屋の前まで来ている。

「ここじゃろか・・・ここじゃろか・・・」

カリカリとふすまを引っかく音。

「ひいっ!」

私は思わず息をのんだ。その拍子に思わず大きな声が漏れてしまった。

T子!起きて!T子!!!

「あああ・・・」

『ナニか』が声を上げる。カリカリとふすまをひっかく音が大きくなる。

「ここかあ・・・ここかああ・・・ああああ」

カリカリカリカリ

ガリガリ

ガガガリリリ

「ナニかに声をかけられても声を出してはいけない」・・・

声・・・、もう、耐えられなかった。

「T子!起きて・・・起きて!」

私は声を上げていた。

「んん・・・?」

T子は目をこすりながら私を見上げる。私は部屋の明かりをつけた。

途端、『ナニか』の気配は霧散した。

「なによ・・・」

T子は寝ぼけ眼で私を見る。おそらくこのときの私は顔面蒼白だったに違いない。

私は夢中で、今あったことを話した。

T子は襖を開けて、廊下の右左を見やる。私も恐る恐る見るが、そこにはなにもいなかった。

「なんにもいないじゃない」

寝ぼけたんでしょ?とT子はさっさと寝てしまった。

私は、なかなか明かりを消すことができず、悶々としていたが、結局、T子の言うように寝ぼけたのだろう、と自分に言い聞かせ、再度、明かりを消して、眠りにつくことにした。

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どのくらい時間が経った頃だろう。先程のショックが冷め、ようやくウトウトとし始めたとき、ふと、気配を感じ、目が覚めた。

ナニかが私の顔のすぐ近くにいる・・・。

目を開く前に私は確信していた。

「・・・してよ・・・」

低い、歌うような声。手足が震える。頭から冷水を浴びせられたような感覚。

声が出ない。

「・・・だしてよ・・・だしてよ・・・」

繰り返し、繰り返し、

『ナニか』が訴えかけてくる。

何?何を出してほしいの?私は目も開けられず、硬直していた。

数分だろうか、数十分だっただろうか、どのくらいそうしていたかわからないが、ふと、気配が消えた。

いなくなった?

ズズ・・・ズズズ・・・

いや、いる・・・。二人で寝るには広いこの部屋を『ナニか』が這いずっている音がする。

に、逃げなきゃ・・・

這い回る音が一番遠く離れたとき、私は渾身の力を込めて、目を開き、一気に左手の襖を目指し、廊下に転がり出た。その時は無我夢中で、夜が明けるまで部屋から出てはいけないというルールのことは頭になかったのだ。

T子を起こさなきゃ、と、ちらっと思ったけど、それどころではなかった。とにかく逃げなくてはと思い、ろくに足腰が立たないまま、廊下をほとんど四つん這いで逃げ出していた。

ガタガタガタ

背後を振り返るまでもなく、『ナニか』が追いかけてくるのがわかった。這いずっていた先程までとは打って変わり、機敏な動きで追ってくるのが気配でわかった。

「いやー!」

私は転がるように駆け出していた。無我夢中で廊下を進み、襖を開け、とにかく逃げた。後ろからくる『ナニか』に追いつかれないようにするのが精一杯だった。

どこをどう逃げたかわからないまま、幾つ目かの部屋の戸をばっ開けると、

頬を撫でる清涼な夜気。

薄ぼんやりとした月明かりが中庭の池にたゆたっている。

そう、そこは中庭だった。

私が次の部屋への襖だと思って開け放ったのは、襖ではなく、雨戸だったのだ。

一瞬、青い月影に照らされる中庭を呆然と見つめる私の横を、さーっと風が吹き抜けた。

内から外に。

淀んだ曲がり屋敷の中から、

清浄な外界に向けて。

わーはははははっ!!!わーっっははっはっは!!

途端、耳をつんざくような哄笑が響き渡った。いや、そんな気がしたのだ。

実際に声が聞こえたというより、頭の中で響いたようだった。

そして、私の意識はそこで途絶えた。

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目が覚めると、私はちゃんと、T子の横で寝ていた。

あれは悪夢だったのだろうか?

起き上がろうとすると、体の節々が痛む。その痛みは、あれが単なる夢ではないことを証明しているかのようだった。

この後、私は、T子の家で朝食をごちそうになり、おいとましたのだが、正直言って、そのあたりのことは覚えていない。

とにかく一刻も早くこの曲がり屋敷から出ていきたい一心だったのだ。

「1つ目は、夜12時以降、夜が明けるまでは無闇に部屋から外に出ない」

「2つ目は、夜、なにかに声をかけられても声を出してはいけない」

「3つ目は、夜、窓や扉を決して開けてはならない」

あの3つの禁忌は何だったのだろう。そして、あの『ナニか』は一体何だったのだろう。

私は、何をしてしまったのだろう。

この事があってから、私は次第にT子と疎遠になってしまった。そして、T子自身、夏が過ぎ、後期に入ってしばらくした後、大学を辞めてしまった。

私以外のほんの親しい友人には

「授業料が払えなくなった」

ということをこぼしていたようだ。

T子とT子の家があの後どうなったのか知らない。

私があの夜、してしまったことと、無関係であることを祈っている。

Concrete
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