僕は近所の公園に来た。
お母さんから「家にばっかりいないで、外で遊びなさい」と言われて追い出されたからだ。
最近、休みの日はいつも追い出される。
でも、僕には一緒に遊ぶような友達がいなかった。
せっかくの休みだから、ずっと家で漫画を読んでいたいのに、お母さんはそれを許してくれない。
きっと、僕に友達をつくってほしいんだと思う。
僕は漫画さえあればそれでいいのに。
仕方が無いので、僕は公園のベンチに座って、お昼になるのを待つことにした。
お昼ごはんを食べるために帰った後は、家にいても怒られなかったから。
それまでやることがないので、他の小学生がサッカーをしているのを、ただ黙って眺めていた。
サッカーなんかに興味はない。
どうしてあの子達はあんなに楽しそうなんだろう。
ただボールを蹴るだけなのに。
そう思っていると、誰かが僕に声をかけてきた。
それは高校生か大学生くらいのお兄さんだった。
「君、いつもここに一人でいるね。他の子達と遊ばないの?」
僕はお兄さんに言った。
「サッカーなんかに興味ないもん」
「ははは、オレと一緒だな。君、小学生でしょ? 何年生?」
「三年生。お兄さんは何歳? 高校生?」
「ううん、大学二年生。ちょうど二十歳。これからずーっと、ずーっとね」
「ずっとってどういうこと?」
「もう歳を取らないんだよ。いや、取れないって言った方が正しいかな。オレもう死んでるから」
お兄さんはなんてことない感じで言った。
「何それ? 冗談?」
「違うよ。証拠を見せてあげるけど、怖がらないでね」
そう言ってお兄さんは僕の顔に触れた。
でも手の感触がしなくて、お兄さんの手は僕の顔をすり抜けてしまった。
「ね、本当でしょ。オレは幽霊なんだ」
僕はびっくりしたけど、不思議と怖くなかった。
まだ朝で明るかったし、サッカーをしている他の子が近くにいたし、何よりお兄さんがやさしそうだったから。
「すごい。幽霊なんて初めて見たよ」
僕は興奮しながら言った。
「オレが初めてとは光栄だな」と、お兄さんは笑って言った。
「ねえ、お兄さんはどうして死んじゃったの?」
「交通事故だよ。で、一ヶ月くらい前に死んじゃった。二十年も生きたけど、最後は呆気なかったね。君も気をつけるんだよ。そういえば、君の名前は何?」
「佐藤蓮。お兄さんは?」
「オレは内藤浩介。佐藤君はどうしてこの公園に来るの?」
「お母さんに家を追い出されたんだ。だから仕方なく」
「……もしかして、お母さんにひどいことされてるの? だったらオレに相談して」
お兄さんがあまりにも心配そうに言うので、僕はつい噴き出した。
「ぷっ、別に虐待とかされてないから大丈夫だよ。ていうか、お兄さんに相談してなんになるの? もう死んでるのに」
「死んでてもできることはあるさ。佐藤君にひどいことしたら許さないぞって、お母さんを脅すくらいのことはできる」
「お兄さん全然怖くないから無理だよ」
「心配してるのに、ひどいこと言うなあ。ま、実際そうだけどね。今のオレは物を触ることすらできないから」
「ねえ、お兄さんはどうしてこの公園にいるの?」
「うーん、それはオレにもよく分からないんだけど、幽霊になってからここが一番居心地がいいんだ。たぶん、思い出の場所だからじゃないかな。オレはよくこのベンチで本を読んでたんだ。佐藤君は本とか読む?」
「難しいそうだから読まない。でも、漫画は読むよ」
「漫画が好きなんだ。気が合うね。じゃあ、魔人大戦は知ってる?」
魔人大戦は僕が大好きな漫画の一つだった。
「知ってるよ。あれめちゃくちゃ面白いよね」
「おっ嬉しいね。あれ青年向け漫画だけど、佐藤君、読めるんだね」
「うん。お父さんが週刊ブレイブを買ってるから知ったんだ。だから毎週楽しみにしてる」
「じゃあ、桜田清司郎がどうなったのか教えてくれない。黒蛇丸と戦ったところでオレ死んだから。続きが気になってしょうがないんだ」
「えっと、桜田は黒蛇丸を封印できたけど、その後死んじゃったよ」
お兄さんは頭を抱えて言った。
「うわーマジかよ。オレ、桜田好きだったのに。でも嫌な予感してたんだよなあ。黒蛇丸の方が絶対に強いし。封印できただけで良かったか」
「そうそうそうそうそう。あのシーン、僕感動して泣いちゃったもん」
「うらやましいな。やっぱり生きてるって幸せだよ。オレはもう魔人大戦読めねえもん」
「あっ、そうだ。家から持ってきてあげよっか。週刊ブレイブ」
「えっ、いいのか」
「うん、待ってて」
僕は公園を出て家に帰った。
それからリュックに週刊ブレイブを四冊選んで入れると、また公園のベンチに戻った。
お兄さんはベンチに座って待っていた。
「持ってきたよ」
僕はベンチに座り、お兄さんの代わりにブレイブのページをめくってあげた。
最後の四冊目、黒蛇丸を封印し、桜田が死ぬのシーンでは、お兄さんは涙を流していた。
「そうだよな。黒蛇丸を倒すために生きてきたんだもんな。これでいいんだよな」
そう言って隣で泣くお兄さんに釣られて、僕まで目から涙が溢れてきた。
読み終わると、お兄さんが言った。
「ありがとう佐藤君。君のおかげで死んだ後もこんなに感動できたよ」
「僕もお兄さんと漫画が読めて楽しかったよ。ねえ、お兄さん、僕の友達になってよ。もっと漫画持ってくるから、一緒に読もうよ」
「いいよ。今日からオレと佐藤君は友達だ。これからはオレのことを浩介って呼んでよ」
「うん。じゃあ、浩介は僕のことを蓮って呼んでね。嬉しいな。僕、初めて友達ができたよ」
「オレが初めてなの? それは光栄だな」
「こんなに誰かと漫画を読むのが楽しいなんて知らなかった。他の漫画も読もうよ。何がいい?」
「そうだな、じゃあ――」
こうして、僕と浩介は友達になった。
その日は夕方になるまで浩介と漫画を読んだり、好きな漫画について語り合った。
僕はもっと一緒にいたかったけど、もう遅いから帰った方がいいと浩介に言われたので、しぶしぶ家に帰った。
その日から、僕は学校が終わるとすぐに公園に行くようになり、休みの日は一日中公園のベンチにいた。
それでも、浩介との漫画話は尽きなかった。
separator
浩介と友達になってから二週間が経った頃。
僕はいつものように公園に行った。
ベンチには浩介が座っている。
僕は隣に座ってリュックから今週のブレイブを出した。
その時、浩介が言った。
「あのさ蓮、今日は漫画を読む前に、言っておきたいことがあるんだ」
浩介の様子がいつもと違って暗かったので、僕は心配になって尋ねた。
「どうしたの? なんでも言ってよ」
「ありがとう。あのね、前にオレが交通事故で死んだって言ったの覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
「実はあれ、嘘なんだ。本当はオレ、悪い奴に殺されたんだよ」
僕は一瞬驚いたけど、すぐに犯人に対する激しい怒りが湧いてきた。
「誰に殺されたの?」
僕の気持ちを察して、浩介はにこりと微笑んだ。
「怒ってくれるの? 蓮は本当にやさしいね。でも大丈夫。そいつはオレを殺した後に、すぐ逮捕されたからしいから」
「どうして今まで隠してたの? 言ってくれれば良かったのに」
「言ったら怖がらせちゃうかと思って」
「だったら幽霊ってことの方がよっぽど隠さないとダメじゃん」
「あはははは、言われてみればそうだね。でも、オレが幽霊ってことはすぐにバレるし、それなら最初から言っておいた方が怖くないでしょ」
「たしかにそうかもしれないけど……」
「それでね、なんで今日こんなことを言ったかっていうと、蓮に頼み事があるんだ」
浩介は僕の目をじっと見た。
「蓮は、オレの友達だよね」
僕は胸を張って言った。
「もちろん。たった一人の大事な友達だよ」
「ありがとう。じゃあ、友達としてお願いがあるんだ。オレはある男に殺されたんだけど、そいつはオレの死体をある場所に隠したんだ。そして、死体は未だに警察が見つけてくれなくて、そこにあるんだよ。だから死体をそこから出して、どこかに埋めてほしいんだ」
「警察には言わなくていいの?」
「いや、そしたら蓮に変な疑いがかかっちゃうだろ? だから警察にもオレの家族にも内緒でいいよ」
「うん、分かった。僕が浩介のお墓をつくってあげる」
「ありがとう。じゃあ、さっそく今日その場所に案内したいんだけど、いいかな」
「いいけど、でも……」
「でも、何?」
「もしお墓をつくったら、浩介、成仏していなくなっちゃうんじゃないの?」
「……」
浩介は少し黙った後、目を細めて言った。
「絶対に成仏しないよ。蓮が死ぬまではね」
そう言って僕の頭を撫でてくれた。
手の感触はしなかったけど、僕は嬉しかった。
「だったら、お墓をつくるよ。家に帰ってスコップを持ってこなきゃ」
「それから自転車も用意してね。ここからけっこう遠い場所にあるから」
「分かった。よし行くぞ」
僕は公園を出て家に帰った。
この日は浩介も公園の外に出た。
でも、浩介は公園でしか姿を現せないみたいで、声だけで道案内をしてくれることになった。
僕は家の物置から雪かきに使うスコップを持ち出し、リュックの中に入れた。
リュックの口からはスコップの長い柄が飛び出している。
僕はそれを背負い、自転車に乗って出発した。
道を進むと、耳元で浩介の声が聞こえた。
「左に曲がって」
僕は言う通りに道を選び、自転車を漕いだ。
目的地は遠く、30分してもまだ着かなかった。
僕は疲れてきて、見えない浩介に尋ねた。
「まだ着かないの?」
「まだ半分の所だよ。目的地は山の中にあるんだ。頑張って」
僕は浩介に励まされながら自転車を漕ぎ続け、町外れの山までやってきた。
もう出発してから一時間以上経っている。
「この山道を進んだ先だよ」
浩介が耳元で囁く。
僕は自転車を降り、コンクリートで舗装された山道を登った。
まだ昼だったけど、木の枝が空を覆っていて薄暗かった。
車はほとんど通らなくて、浩介の姿も見えないので、僕は心細さを感じながら先に進んだ。
5分ほど歩くと、浩介が言った。
「この脇道に行って」
僕の右手に脇道があった。
でも、その入り口には看板が取り付けられたバリケードが並んでいる。
看板には『立ち入り禁止』と書かれていた。
僕は浩介に訊いた。
「入ってもいいの?」
「大丈夫。この先には誰もいないから怒られたりしないよ。危ない場所もないし」
「そっか」
僕はバリケードの間を通り、脇道に入った。
その道を少し歩くと、白くて大きな建物が見えた。
周りには広い駐車場があったけど、車は一台も止まっていない。
「ここは製薬会社だったんだよ。もう倒産して廃墟になってるけどね」
後ろから声がしたので振り向くと、そこには浩介が立っていた。
公園にいるみたいに姿がはっきり見える。
「ここでは姿が見えるんだね」と僕。
「うん。なんたってオレの死体がある場所だからね。思い入れが強いみたい。さあ、中に入ろう。入り口のドアは鍵が閉まってるけど、ここから入れるんだ」
浩介の後についていくと、割れたガラスの引戸があった。
僕は自転車をその場に止め、浩介と建物に入った。
中は病院のようで、白くて長い廊下が続いている。
両脇には開きっぱなしになった部屋のドアがいくつも並んでいた。
歩きながら部屋を覗くと、床にばらまかれた大量の書類や薬品の容器が見えた。
廊下の突き当たりまで来て、浩介が言った。
「この部屋だよ」
僕たちは右手にあった部屋に入った。
その部屋は学校の教室の半分くらいの広さで、他の部屋に比べて何も置かれておらず、綺麗だった。
ただ、部屋の奥に、ぽつんと金庫だけが置かれていた。
高さが1メートルくらいある、大きな金庫だ。
浩介が金庫を指して言う。
「この中に、犯人はオレの死体を隠したんだ」
僕は金庫に近づき、ごくんと唾を飲んだ。
金庫のドアに手をかけ、引っ張る。
でも、ドアは鍵がかかっていて開かなかった。
「鍵がかかってるよ」
「そこにダイアルがあるでしょ? 今から番号を言うから、その通りにダイアルを回して」
「番号が分かるの?」
「うん。幽霊になって犯人が鍵を閉めるのを見てたからね」
僕はダイアルを摘まんだ。
「じゃあ、番号を言うよ。まず、3」
僕は浩介の言う通りダイアルを回していった。
最後の番号を言ったとき、ガチャッと鍵が開く音がした。
僕は深呼吸をして、金庫のドアを開けた。
その瞬間、ひどい臭いが鼻を突き刺した。
吐きそうになって鼻を押さえ、思わず金庫から離れる。
開け放たれたドアから、ベチャリと死体が床に倒れた。
死体は皮膚が腐って所々が破れ、そこから赤黒い血が漏れ出ている。
僕はおかしなことに気づいた。
死体は髪が長く、スカートをはいている。
どう見ても女の死体だ。
浩介の死体ではない。
「どういうこと?」
僕は後ろに立っていた浩介に尋ねた。
浩介は、どこか冷たい声で言った。
「それはオレの恋人の死体だよ。彼女は恋人だと認めてくれなかったけどね。だから、殺すしかなかったんだ」
僕は全身が冷たくなるのを感じた。
浩介の言葉が信じられなかったし、信じたくなかった。
友達が人殺しだなんて思いたくない。
僕は否定してほしいと願いながら言った。
「浩介が、この人を殺したの?」
「そうだよ」と、浩介は僕の願いを簡単に壊した。「蓮も大人になったら分かるよ。オレの気持ちが」
「全部、嘘だったの?」
「そう。オレは殺されたんじゃない。彼女を殺した後、自殺したんだ。嘘をついてごめん。でも、どうしても彼女にまた会いたかったんだ。どうしてもね。蓮には本当に感謝してる。ありがとう」
「嬉しくないよ、そんなこと言われても」
僕の目から涙が溢れてきた。
「ねえ、どうしてこの人を殺しちゃったの?」
浩介は目を伏せて言った。
「蓮には分からないよ。まだ子供だから」
「友達なのに?」
「……そうだよ。友達同士でも、分かり合えないことはある」
「……」
僕は何を言っていいのか分からなくて、黙るしかなかった。
怒り、不満、恐怖、悲しみ。
いろんな感情が胸の中に渦巻いているのに、それを言葉にする方法が分からない。
浩介も何も言わなかった。
しばらく二人とも黙っていたけど、浩介が口を開いた。
「ねえ、蓮。悪いけど、もう家に帰ってくれないかな。しばらく彼女と二人きりになりたいんだ」
それを聞いた瞬間、僕の感情は怒りだけになった。
浩介は僕よりもこの女の人の方が大事なんだ。
この人のために、僕は利用されていただけなんだ……。
僕は黙って部屋から出ていこうとした。
ドアをくぐる際、浩介が言った。
「待って、蓮」
僕は立ち止まった。
浩介が僕の背中に言う。
「もし、こんなオレをまだ友達だと思ってくれるなら、またあの公園に来てくれないか。オレはずっと、蓮が来るのを待ってるから」
「……」
僕は返事をせずに部屋を出た。
浩介の言うことなんて何も信じられない。
もう顔も見たくなかった。
僕はとぼとぼと廊下を歩き、入ってきたガラス戸から外に出た。
明日からまた一人ぼっちだ。
そう思って溜息をついた時、廃墟の中から浩介の声がした。
「うああああああああああ」
それは耳をふさぎたくなるような叫び声だった。
浩介の身に何かあったのだろうか。
僕は廃墟に戻ろうか悩んだ。
脚がすくんでいる。
一人で戻るなんて、怖くてとてもできない。
浩介は幽霊だから、何があってもきっと大丈夫だろう。
僕はそう自分に言い聞かせ、自転車に飛び乗ってその場から逃げ出した。
separator
翌日、学校が終わると、僕は昨日と同じように公園に向かった。
浩介に嘘をつかれたことや、部屋から追い出されたことは未だに腹が立っていたけど、昨日よりは落ち着いてきて、許してあげようという気持ちになった。
浩介が言っていた通り、大人には大人の事情があるのかもしれない。
僕は公園の門を通り、ベンチに座った。
いつもなら、すぐに浩介が声をかけてくれる。
でも、この日はいつまで経っても浩介は現れなかった。
次の日も、そのまた次の日も同じだった。
僕は一ヶ月の間、雨の日でも毎日公園に行ったけど、それでも浩介に会えなかった。
それ以来、僕は公園に行くのを止めてしまった。
作者スナタナオキ