かつて藤井は小学生の頃、じいちゃんに言われたことがある。
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「H寺には行くもんじゃあない」
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H寺というのは山の中腹にある廃寺のことだ。
藤井の住んでいた部落や学校はその山の裾野にあった。
なんでも昭和の初め頃部落の男の子がその辺りで友達と一緒に「だるまさんがころんだ」を遊んでいた時、足を滑らせ斜面を転がり落ち亡くなった。それ以来寺の辺りには男の子の幽霊が現れるという。
そんな話を知っていたにも関わらず、放課後藤井はたまに友人とその廃寺の境内で遊んでいた。
山裾の部落で暮らしている子供たちには娯楽が少なく、寺の境内というのも立派な遊び場の一つだったのだ。
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それはセミの声にも勢いのなくなってきていた、ある日の夕暮れ時のこと。
藤井は友人の小川と学校の帰り、その廃寺の境内で遊んでいた。
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「だ、る、ま、さ、ん、が、、ころんだ!」
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朱色に染まる敷地内を小川の声が響く。
大木に体を預けながら振り向いた視線の先には、白いTシャツに半ズボンの藤井がポーズを作って静止している。
その背後数メートルには奇妙にねじ曲がる巨大な御神木。
そして再び小川が顔を伏せた時だった。
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━フフフ、、コロンダ、、コロンダ、、コロンダ、、フフフ、、
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何処からだろう幼い男の子の声が聞こえる。
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え!え!?
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彼は思わず振り返る。
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「どうしたの?」
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表情を曇らせる小川に気付いた藤井が訝しげに尋ねた。
小川は藤井の言葉に返すことなく、ただじっと同じ方を見ている。
それは藤井の背後数メートルのところにある御神木。
その物陰に小さな男の子が立っていた。
黒髪の坊っちゃん刈りで紺色の着物姿のその子の顔は異様なくらい白く、二つのつぶらな瞳でじっと小川の方を見ていた。
小川がその場に固まったまま見ていると、いつの間にか藤井が彼の隣に立ち同じ方を見ている。
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「誰かいるの?」
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言われて小川が藤井の横顔を一瞥した後再び同じ方を見た。だがその時にはねじ曲がる御神木とその背後の鬱蒼とした林があるだけで、もう男の子の姿はなかった。
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それからもしばらく寺で遊んだ後、藤井と小川が自転車で家に帰る途中のこと。
なだらかな斜面の砂利道を軽快に下りながら、前方を走る小川の背中に藤井が尋ねる。
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「なあ、さっき誰がいたんだよ?」
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「いや僕の見間違いかもしれないけど、白い顔したちっちゃな男の子が御神木の物陰に立っていたんだ」
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小川が前方に真っ直ぐ伸びる砂利道を見ながら返す。
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「白い顔の男の子?」
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藤井がそう問い返したまさにその時だった。
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「わあああ!」
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突然小川は悲鳴をあげると「ブレーキが!ブレーキがあ!」と叫びだす。
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「え!どうしたの?」
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驚いた藤井が懸命にペダルを漕ぎ小川の背中に向かって叫んだ時はもう遅かった。
道端に転がる大きめの石に、小川の自転車の前輪が衝突する。
次の瞬間彼は宙に舞うと、そのまま数メートル先の砂利道に落下した。
藤井は急ブレーキで自転車を止めると横倒ししてから、道端に倒れている小川のもとに駆け寄る。
そして目の前の視界に入った光景に彼の全身は総毛立った。
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道端にある小さな地蔵に小川が頭から突っ込んている。
うつぶせで倒れた彼の首は奇妙にねじ曲がり、天を見上げた顔の二つの目をかっと見開いている。
ぱかりと割れた額からは、どくどくと血が溢れ出てきていた。
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「お、、小川く、、ん」
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藤井が声を漏らしながらガックリと両膝をつくと、頭を抱える。
その時だ。
突然背後から男の子の無邪気な声が聞こえた。
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━フフフ、、コロンダ、、コロンダ、、コロンダ、、
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藤井は驚き振り返る。
だがそこには誰の姿もなかった。
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その後小川は救急車で町の病院に運ばれたが、その日の夜に亡くなった。
それからしばらく塞ぎ込んでいた藤井を元気付けようと、じいちゃんは彼を山菜採りに誘う。
そして日曜日に朝から二人裏山に入り、様々な山の幸を集めていた時だった。
作業着に長靴姿の大柄なじいちゃんが朝からの収穫の入ったバケツを地面に下ろしながら言う。
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「ところで小川くんの亡くなった日、お前一緒に遊んでいたんやろ?」
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「うん」
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大木に寄りかかり座る藤井が頷く。
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「どこで遊んでたんや?」
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じいちゃんは今度少し真顔で尋ねた。
藤井はうつむきしばらく黙りこんでいたが、やがてボソリと一言呟く。
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「H寺」
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「H寺!?
お前、あそこに行ったんか!?」
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と言って目を剥くじいちゃん。
藤井は暗い顔をしながら無言で黙り込んだ。
じいちゃんもしばらく腕組みして考えた風にしていたが、また口を開く。
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「ところでその小川くんと寺で遊んだ時、何かおかしなことはなかったか?」
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言われた藤井はじいちゃんの顔を見ながらしばらく考えていたが、やがて喋り出した。
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「変な男の子がいた」
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「変な男の子?」
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「うん、僕は見てないんだけど小川くんが言ってたのは、白い顔したちっちゃな子がいたみたい」
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「…………」
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それからもじいちゃんは険しい顔で腕組みしていたが最後は、
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「お前、あそこには二度と行くんじゃねえぞ」と言うと、その日藤井とは一度も喋ることはなかった。
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その数日後、藤井のじいちゃんは亡くなった。
その日も朝からまた山菜採りに出掛けたじいちゃんだったのだが翌朝になっても帰らず、とうとう部落の者たちが集まって山探しする。
そして三日目の朝、麓の崖下の砂利地で変わり果てたじいちゃんの遺体が見つかった。
警察の調べでは、山の中腹のH寺辺りの斜面で足を滑らせ、そのまま崖下の砂利地に転がり落ちたということだった。
ただ家族や部落の者たちは、幼ない頃から山に慣れ親しんでいたじいちゃんが、どうしてあんな事故を起こしたのか?と首を傾げていたという。
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それから20年の時が過ぎた。
その年三十路を迎えた藤井はすでに故郷を離れており、家族三人東京の下町で暮らしていた。
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とある初秋の日曜日のこと。
彼は五歳の息子を連れて自宅近くの小さな公園に行く。
公園は7、8人の子供たちと、それを見守る数人の親たちが散見出来た。
片隅にあるベンチに座った藤井は、遊具で無心に遊ぶ息子の信次を眺めていた。
しばらくすると信次は遊具に飽きたのか、今度はそこにいる子供数人と遊びだす。
初めのうちは意味もなく駆けっこしたりしてじゃれ会っていたようだが、やがて男の子の一人が木に駆け寄り顔を伏せると大声をだす。
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「だ、る、ま、さ、ん、が、、ころんだ!」
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藤井はドキリとしてから、そちらに視線をやった。
彼の脳裏に小学生時代のあの忌まわしい事故が甦る。
咄嗟に息子の姿を追う藤井。
彼の息子は他の子供たちと同じように、ポーズを作って止まっていた。
嫌な予感のした彼はさらにその背後に視線をやる。
そしてとうとう見てしまった。
公園の奥にある街灯の袂に立つ小さな男の子の姿を。
紺色の着物という明らかに時代遅れの出で立ち。
その顔は異様なくらい白く、そのつぶらな瞳で羨ましそうに子供たちの一団を見ている。
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「信次!」
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藤井は叫ぶと息子のもとに駆け寄りその手を無理やり掴むと、自宅に向かって走り出した。
帰りの道中、彼は息子に何度も男の子を見たかと尋ねる。
怯えた様子で頭を横に振る息子。
8階にある自宅マンションに着いた藤井は出迎えた妻に息子を預けると「ちょっと出掛けてくる」と一言言って玄関を後にする。
そしてそれから以降、藤井が自宅に戻ることは二度となかった。
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その日の夜になっても自宅に帰らない藤井を家族たちが心配していると、マンション住人が血相を変えて訪ねてくる。
そして藤井がマンション非常階段の踊り場にうつ伏せに倒れていてその首は変にねじ曲がり、既に冷たくなっていたということを教えてくれた。
後からの警察の実況検分によると彼は階段で足を滑らせ転がり、踊り場のコンクリートで頭を強打して亡くなったということだった。
ただエレベーターが動いていたのにどうしてわざわざ非常階段を使ったのか?というのが、署員たちの抱いた一つの疑問点だった。
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう