赤いランドセルを背負って

中編5
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赤いランドセルを背負って

 僕は中学三年生だというのに、ランドセルを背負っている。勿論、好きで背負っているわけではない。

 お父さんがやれと言うから、やっているだけだ。

 僕が背負ってるのは男の用じゃなくて、女の子用――妹のランドセルだ。妹はまだ小学三年生だから、ランドセルを背負っていてもおかしくはないけど、僕はもう中学三年生なんだ。

 こんなところクラスの人に見られたら、恥ずかしいよ。

 でも、お父さんが僕に命令したのだから、やらなくちゃいけない。

 また殴られるから。僕が悪い子になると、お父さんは僕を殴る。その時の顔が厭で厭で厭で、僕はお父さんの言うことを聞く。お父さんは鬼のような表情をするんだ。そして僕と妹をがっと太い腕で殴る。お父さんは大工さんだから腕が物凄く太い。腕だけじゃない。体ががっちりとしていて、まるで岩みたいだ。

 そんなのに殴られたら痛いってもんじゃない。

 死んじゃうよ。

 でも、実際は死なない。でも、本当に痛い。

 お母さんは吐血した。お父さんが殴って、お母さんが吹っ飛んで、机の角に頭をぶつけて、口から血を吐いて、頭から血が出た。

 お母さんは病院に入院せず、そのまま何処かに行っちゃった。いつか帰ってくるって妹は言っているけど、多分もうお母さんは一生帰って来ないと思う。

 お父さんはそれから色々な女の人を家につれてくる。

 アキコという女が一番厭な女だった。

 僕の容姿を馬鹿にする。頭の悪さも馬鹿にしてくる。

 ノロマ、トンマ、キチガイ、気持ちが悪い、死ね、ブサイク。

 思い出しただけで頭がおかしくなりそうだ。でも、アキコはもう来ない。今お父さんが家につれてくる女は何という名だったっけな。

 忘れてしまった。

 僕は突然足を進めるのが厭になった。

 道端に小さな岩があったから、腰かける。座り心地はよくないけど、地面に座ってお尻を汚すよりはマシだ。

 山の奥の奥にそのランドセルを捨ててこいと言われた。だから僕は名前も分からない山をずっとずっと歩いている。

 別に今日じゃなくたっていいじゃないか。

 折角、今日は早帰りだったのに。

 家に帰った途端、僕の胸にランドセルを押し付けて、捨ててこいと言うんだもんなあ。でも、逆らえないから僕は引き受けることしかできない。

 それにしても、妹のランドセルをなんで山奥に捨てなくちゃいけないのだろう。やけに重い。ずっしりとしている。

 中を絶対に覗くなと言われた。でも、覗くなって言われたら覗いたくなっちゃう。でも、お父さんは覗いたらいけないと言った。

 覗いたら、また殴られるんだろう。きっと。

 でも、覗いたことなんて分かりっこない。だから僕はランドセルを横に下ろして――手を止めた。

 お父さんの怖い顔が浮かんできて、僕を盛大に罵った。

 ――だからお前は頭がわりぃんだ。なんでこんなことも分からないんだ。

 僕は急いで手を引っ込め、頭を押さえた。

 怒らないで。殴られるのは痛いよ。

 お父さんが此処に居ないことは分かっている。でも、痛みが蘇ってくるんだ。

 小さい頃から何発も何発もくらった痛みが。僕の頭に頬っぺたにお腹に、蘇ってくる。

 ランドセルを開けることはできなかった。お父さんに監視されている気がした。僕は岩に座りながら来た道を眺めた。来た道は緩やかな坂になっていて、僕の腰かける岩のところの地面は平になっている。それからちょっと行くと、また緩やかな坂になって山奥へと続いている。

 不思議だなあ。

 夕日が山をも呑み込んで、夜の気配が頬を掠った。

 夜までに帰らなければ叱られる。僕は立ち上がって、また歩き出した。緩やかな坂を上っていくと、道がないところに出た。

 凸凹とした土の上を歩いて、何度か滑り落ちそうになる。。

 小さな丸太が土の中に埋もれている。多分階段だったんだろうけど、あんまり役に立たない。道なき道を歩く――というよりは登るに近かった。

 急斜面の凸凹した道を登り終えると、また平らな場所に出た。草木が地面を覆い隠し、曲がりくねった樹木が所々に生えては夕日を遮っている。そんな光景が随分向こうまで続いている。

 僕はちょっとその中を進んでいって、適当な場所にランドセルを放り投げた。

 ぬちゃ――そんな音がした。

 厭な音だ。

 ランドセルの中身がひどく気になる。でも、見てはいけない。

 お父さんに叱られて、殴られてしまう。ランドセルは生い茂る草の中に埋もれた。手を伸ばすのが面倒なので、やっぱり中身を見るのをやめた。

 何より、お父さんが怖いし。

 僕はまた急斜面のほうへ向かった。その拍子に顔を上げた。

 夕焼け色に染まる街が見えた。高く屹立するビル、群がる住宅。

 僕は小学校の頃から勉強ができなかった。だって、お父さんとお母さんが五月蠅くて、とても勉強できる環境じゃなかったから。

 それは中学生になっても変わらない。定期テストではいつも最下位だ。

 みんなに馬鹿にされる。

 お父さんも高校には行かせないと言っている。

 温かい風が僕の輪郭をなぞった。植物の厭な匂いが厭らしく鼻腔を撫でる。

 家に帰りたくなった。

 僕を殴るお父さんだけど、僕を育ててくれたお父さんだ。それに、妹だっている。いつか妹と一緒に家を出て、幸せに暮らしたい。

 

 家に帰ると、お父さんが捨ててきたかと僕に尋ねた。それから、中身は見てないかと言った。僕はうんと頷いた。

 お父さんが僕の頭に手を置いて、よくやったと褒めてくれた。

 僕は嬉しくて、嬉しくて――嬉しさが頬に弾けた。それは飴玉を舐めているときみたいに甘かった。

 お父さんの笑顔を初めて見た気がした。

 その日、妹は家に帰ってこなかった。

 お父さんはもう一生帰ってこないと言うけれど、僕はそれを信じなかった。

 ――お母さんはきっと帰ってくるよ。

 妹の言葉を思い出す。その気持ちが少し分かるような気がした。

 だけど、それから、妹が僕の前に姿を見せることはなかった。

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