長編14
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あの夏への扉

扉を開けると、涼やかな空気が火照った身体から一瞬で熱を奪っていく。

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あの夏の日を思い出す。

見上げれば、巨大な入道雲が浮かんだ真っ青な空。

視線を下げれば、万緑に覆われた山々。

どこまでも広がる水田。

懐かしい田舎町。

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草と、土と、汗の匂い。

耳に残る蝉しぐれ。

口の中によみがえる、ラムネアイスの爽やかな甘さ。

つないだ手と手。

僕と彼女。

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そして、あの夏は――

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田舎の祖母が亡くなった。

東京暮らしの私は、東北新幹線こまちに乗り、秋田へと向かった。

祖母の住んでいた町は、秋田駅からさらに電車とバスを乗り継いで、二時間ほどの山奥にある。

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昼過ぎに東京を発ち、着いた頃には夏の陽も沈みかけていた。

遠く近く、ひぐらしが鳴いている。

夕焼けに染まる景色。

ここはさして変わっていない。あの日から。

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「洋(よう)ちゃん、悪かったねえ。仕事、忙しいんでしょ?わざわざこっちまで来てもらってねえ」

伯母――私の母親の姉は、テーブルの上に麦茶の入ったグラスを置きながら云った。

丸顔のこの伯母は、子供の頃見た祖母によく似ていた。

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「いいんです、婆ちゃんにはかわいがってもらいましたから。

それよりすみませんでした。ちょうど海外に出張中で、葬式に出られなくて。

伯母さんこそ――その、さみしくないですか?」

伯母は笑う。

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「なんもだあ。

婆ちゃんも大往生だし、最期までしっかりしてたかんねえ。皆笑って送ってやったよ。

そうそう、それよりねえ――」

伯母はいたずらっぽい表情を浮かべると、背を丸め、ごそごそと背後から何かを取り出す。

差し出されたのは、古い絵日記だった。

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「これは――」

手に取って、パラパラとページをめくる。

幼い子供の手による、絵と文字。

どれも見覚えがあった。

当然だ――これは自分自身の書いたものだったのだから。

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「――ずいぶん懐かしいものが出てきましたね」

「でしょう?婆ちゃんの部屋を片付けてたらねえ、引き出しの中から出てきたんだよお。

爺ちゃんも婆ちゃんも、夏休みの度に洋ちゃんが来るのを、楽しみにしてたからねえ」

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子供の頃、毎年お盆の時期になると、私たち一家は母親の実家であるこの家へ、帰省をしていたものだった。

もっとも、幼い私はお盆の意味を理解しておらず、祖父母の家は「夏休みになると旅行に行く、遠くの場所」というイメージであった。

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同じ学校の友達もいない。

漫画をたくさん置いている大きな本屋も、テレビゲームもない。

普段の生活の場とはかけ離れた環境の田舎であったが、私は毎年、ここを訪れるのを楽しみにしていた。

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森に行けば、山ほどカブトやクワガタが取れる。

町を流れる清流では、面白いように魚が釣れる。

夜になれば、祖父に連れられ田んぼに蛍を見に行った。

そして、ちょうどお盆の時期に行われていた、山の神社の夜祭――。

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『洋ちゃんの手は、あっついねえ』

『……の手は、冷たいね』

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「――洋ちゃん、どうしたね?」

伯母が私の顔を覗きこんでいる。

どうやら少しの間、放心していたらしい。

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「――あ、いや。色々思い出してしまって。

ほんとに懐かしいなあ。

毎年来るたびに、このノートに続きを書いてましたからねえ。

後ろの方に行くほど、少しずつ絵も字も上手くなっていってるなあ」

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「そうだねえ。毎年来てたのは――そう、小学校の3年生くらいまでだっけかねえ。

その後は、洋ちゃんもサッカー部に入って忙しくなったし、毎年ってわけにはいかなくなったからねえ」

絵日記の更新も、小学3年の時期を最後に止まっている。

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「これ、一晩だけお借りしてもいいですか?」

今夜寝るときにでも、一度じっくり読んでみたい。

「いやだよお。貸すもなにも、それは洋ちゃんのものじゃないの。邪魔じゃなければ持っていって?

でも、処分しちゃうようだったら、婆ちゃんの仏壇に供えとくから、置いていってね」

そう云って伯母は笑った。

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今回の滞在の目的は、祖母の家への挨拶だけだ。

ちょうど仕事の区切りもよかったため、夏季休暇を取得している。

伯母の家族も歓待してくれているし、しばらくのんびりしてよい身分なのだが――。

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いかんせん、この田舎ではすることがない。

家でゴロゴロしているわけにもいかず、朝食をいただいた後、私はブラブラと散歩に出ることにした。

午前中だというのに、日差しは射すように強い。

ただ都会と違って、山を吹き抜けてくる風は清涼で、気持ちがよかった。

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記憶をたどりながら、田舎道を行く。

20分ほど歩いたところで、山裾に立つ鳥居が見えた。

あの鳥居の場所から階段が伸びており、山の中腹にある神社まで続いているのだ。

神社では毎年、夜祭が行われる。

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鳥居の脇に、一軒の古い商店があった。

私は思わず驚きの声を上げた。

「うわあ、駄菓子屋の『すみれ』じゃないか。まだやってたんだなあ」

この店は私が子供の頃、この町に来る度通った駄菓子屋だった。

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昔から立て付けの悪かったガラスの扉は、今、半分だけ開いており、営業中であることを暗に伝えていた。

私は誘われるように薄暗い店内へと足を踏み入れた。

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うまい棒、フルーツ餅、梅ジャム、粉末ジュース。

平台に所せましと並べられた、色とりどりの駄菓子たち。

壁には手作りグライダーキットや、パチンコ、花火などが掛けられていた。

お菓子と玩具に満たされた、子供にとっての夢の空間。

その主たる、店主の姿は見えなかった。

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壁際にはアイスボックスが置かれていた。

私はガラスの扉を開けて、ボックスの中を覗きこむ。

冷気が顔と腕を叩く。

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ガリガリくん、スイカバー、パピコ。

私は、もしかしてという淡い期待を胸に、ボックスの中を漁る。

と、家庭用ロックアイスの袋の陰に、それを発見した。

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ラムネアイス。

中に小さなラムネ菓子が練り込まれていて、口の中でしゅわしゅわと弾ける。

ラムネ味の爽やかな甘みが、幼い頃から好きだった。

昔ながらのパッケージだ。

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お目当てのものを手にとり、店の奥を覗く。

相変わらず人の気配がなかったので、仕方なしに声を上げて呼んでみた。

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しばらくすると、奥からドタバタと騒がしい足音が聞こえ、子供が顔を出した。

shake

「はーい、いらっしゃいませー」

肩までかかる黒髪、好奇心に溢れたくりくりした瞳、ノースリーブの白いワンピースを着た、小学3、4年生くらいの女の子。

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「紗雪(さゆき)――?」

女の子はきょとんとした顔をする。

「――え?誰?私は希(のぞみ)だよ?」

私は、はっとして取り繕う。

「ああごめん、昔の知り合いに似ていたのでね。お店の子かな?これをください」

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アイスの代金を手渡す。

白くて小さく、そして冷たい手だった。

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「おじさん、見かけない顔だね。

昔の知り合いーだなんて、ひょっとして私をナンパするつもりだったのー?

おじさん、ロリコンー?」

今どきの子供はませているというか、変に語彙が豊富で困る。

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「お客にそういうことを云うもんじゃないなあ。

私は、夏休み明けから君達の学校に赴任する教師だよ。

君のクラスの担任に、希ちゃんには特別たくさん宿題を出してくれ、と伝えておくとしよう」

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もちろん私は教師などではない。

しかし、私の適当な嘘に、希はばつの悪そうな顔をして擦り寄ってくる。もみ手でもしそうな勢いだ。現金な子だ。

「へへへ......それを早く云ってよ、やだなあ。

あ、そうだ。先生、こっち来たばかりなんでしょ?

希、案内してあげよっか?」

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「へえ、それはありがたいけど、君、店番があるんだろう?

勝手に抜け出したらまずくないか?」

希は大丈夫と云うと、奥へ引っ込んだ。そしてすぐに戻ってくる。

手の中には「本日閉店」と書かれたプレートがあった。

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「適当だなあ」

「いいのいいの」

希が屈託なく笑う。

紗雪に似た笑顔で。

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私が紗雪に出逢ったのは、小学3年の夏休み――この町で過ごした、最後の夏のことだった。

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shake

『あー、ごめーん!それ私のー!』

小川を流れてきた麦わら帽子を、なんだろうとすくい上げていた僕に、遠くから呼びかける声が響いた。

声のする方を見ると、同い年くらいの女の子が、息を切らせて走ってくるところだった。

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彼女は僕の側までやってくると、がくりと膝を折る。そして、激しく肩を上下させている。

『あ...、はあ、そ、それ...、はあ、わ、たし、はあ、の...』

『......一旦、息を整えなよ』

僕はへたり込む少女を、拾った麦わら帽子であおいでやる。

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しばらくして落ち着いたのか、僕のことを見上げて微笑んだ彼女。

肩までの黒髪、好奇心に溢れたくりくりとした瞳、白いノースリーブのワンピース。

そして、彼女の頭には不釣り合いに大きな麦わら帽子を僕から受け取る、白く冷たい手。

一瞬で脳内に、生涯刻み込まれた、美しい光景。

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『ありがとう』

『......どういたしまして』

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私が初めて恋の味を知った夏。

彼女――紗雪との出逢いが、その夏を特別なものに変えたのだ。

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「これでよし!さ、先生、どこに行こっか。

小学校ならこっちだし、商店街ならこっちだよ」

店の戸締りを確認し、ガラス戸に「本日閉店」のプレートを掛けた希が、くるりとこちらを振り返る。

本当は先生ではないのだが、この際もういいか。

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「そっちはもう行ったことがあるからいいよ。

どうせなら、川とか森とか、穴場のような場所を教えてもらいたいね」

人目について、不審な男が小さな女の子を連れていた、などと噂されたくはない。

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「穴場かー。じゃあ魚がいっぱい捕れる秘密の場所、先生に特別に教えてあげる!」

ついてきて!と云って、希は駆け出す。

私はその後ろ姿を見つめながら、再び過去に思いを馳せる。

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『あなた、この辺りじゃ見ない顔だね。引っ越してきたの?名前は?』

『洋(よう)だよ。人に名前を尋ねるなら、自分から名乗れよ……別にいいけど』

少女は笑いながら、紗雪と名乗った。

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『そっか、お盆で田舎にねー。じゃあ洋ちゃん、私、此処のことよく知ってるから、色々案内してあげるよ』

年に一度しか来ないとはいえ、これまで何年も通っている町のことだ。今更案内してもらわなくても、カブトやクワガタが集まる森も、魚がよく捕れる川も、蛍が見られる水田も、僕は知っていた。

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別にそれらを知らないふりして、素直に案内してもらえばいいものを、子供心に妙なプライドを感じて――気になる異性に少しでも物知りだと認められたかったのかもしれない――たいていの場所は知ってるけどね、とひねたことを幼い私は云った。

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ところが紗雪は気にすることもなく、むしろいたずらっぽい笑顔を浮かべて、僕の手を引いた。

白くて、冷たい手だった。

shake

『ついてきて!』

そう云って、紗雪は駆け出す。

僕は手を引かれながら、紗雪の揺れる後ろ髪を眺めていた。

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果たして、僕らの着いた場所は、よく知る魚捕りスポットだった。

『なあ、ここなら知ってるよ』

僕は幾分がっかりした気持ちになって、紗雪を振り返った。

紗雪は笑っている。

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『ふ、ふ、ふー。ここじゃあないんだなー。

もう少し奥、こっちだよ』

そう云って、川の流れから顔を出した岩の上を、ぴょんぴょんと飛び移り進んでいく紗雪。

しばらくして見えてきたのは、正面に巨大な一個の岩――山の頂上の欠片のような――が見える場所だった。

大岩の足元の陰の中で、川は澱んだようにゆっくりと流れている。

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『――ここ?』

たしかにこんな場所があることは知らなかった。

蝉の声も何故か遠い。不思議な雰囲気の場所だった。

ここでもたくさん魚が捕れるのだろうか。

しかし、飛び石がないため、大岩の足元までは行かれないように思えた。

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『見て――』

紗雪は指さした。

細い、長い、白い指だった。

その指の先、大岩の陰。

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ゆらり。

川の深くて冥(くら)い場所に、信じられないくらい大きな魚影が蠢いた。

その身体は仄かに光っている。

『な――、なにあれ?』

僕は思わず声を上げた。

だって、いくら川幅が大きく、深いところもある川だとは云っても、あんなサメみたいな大きさの魚がいるなんて――。

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『――あれはね、川の主。

ずっとずっと、ずーっと昔から、この川にいるの。

洋ちゃん、これは知ってた?』

紗雪は得意げに胸を張る。僕は素直に頭を振った。

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『私ね、まだまだたくさん知ってるよ?

さあ行こう、洋ちゃん。

次は森の女王、ブナの大木のところに案内するよ!』

そう云って、紗雪は再び僕の手を引いた。

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僕の手を。

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カブトやクワガタが集まる森。

魚がよく捕れる川。

蛍が見られる水田。

希が案内してくれる場所は、どれも私が子供の頃に遊んだ場所だった。

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やっぱりな、と思う反面、昔なじみの場所が変わらず残っていること、それが今の子供たちにも受け継がれていることに、素直に喜びを感じた。

「この先にある秘密基地にはねー、ほら、木に誰かが掘った矢印通りに進むと行けるんだよ。内緒の暗号なの」

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それは昔、私が付けた傷だ。時間の経過によって、だいぶわかりにくくなってはいるが。

得意げな希の様子を見て、私も得意な気持ちになる。

童心に帰ったようだ。

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爽やかな汗の匂いを振りまきながら、元気に走り回る希。

揺れる黒髪、白いワンピース。

それは強い日差しの中で、絵画のような神聖な美しさを持っていた。

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私の手を引く、希の小さな白い手。

手のひらは冷たい。

紗雪の手も冷たかった。

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小学三年の夏。

そこには子供時代の夏のすべてが詰まっていた。

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見上げれば、巨大な入道雲が浮かんだ真っ青な空。

視線を下げれば、万緑に覆われた山々。

どこまでも広がる水田。

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草と、土と、汗の匂い。

耳に残る蝉しぐれ。

口の中によみがえる、ラムネアイスの爽やかな甘さ。

つないだ手と手。

僕と彼女。

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僕と紗雪の――。

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「先生、ほら、こっちだよ」

『洋ちゃん、ほら、こっち』

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「これは希自慢のねー」

『これは私だけの特別な――』

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「そういえば今日は夜、神社でね――」

『年に一度の盆の夜祭――』

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shake

『「一緒に行こう、(洋ちゃん)(先生)!」』

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彼女が、笑う。

僕(私)は――。

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shake

ドン――!

山間を、花火の破裂音が木霊する。

夜空から、鮮やかな光と、腹に響く音が降り注ぐ。

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花火大会という程の数ではないが、それでも何発か、立派な打ち上げ花火が、この夜祭のために上げられていた。

駄菓子屋すみれの脇から伸びる階段を駆け登ると、山の中腹にある神社の境内には多くの夜店が軒を連ねていた。

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提灯と屋台の灯りのもと、笑顔で境内を行きかう、大勢の人々。

この田舎にこんなにも人がいたのかと、驚くほどの賑わいだ。

笛の音、人の笑い声、カラコロという下駄の音。

それらが混然一体となって、ひとつの祭の音になる。

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僕は人込みに目を向け、紗雪を探す。

待ち合わせの場所である、鳥居の傍に姿が見えなかったからだ。

不意に、背後から声がした。

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『お待たせ』

驚いて振り返ると、浴衣姿の紗雪が立っていた。

紺地に白抜きの朝顔柄。

赤い絞め帯。

髪を結い上げた紗雪は、いつもの彼女よりも大人っぽく見えた。

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『ごめんね、待った?』

『いや、待ってない』

上目づかいにこちらを見る紗雪と目を合わせられず、そっぽを向きながら応える。

そんな僕の手を取って、『行こっか』と紗雪が云う。

浴衣の袖から伸びる手は、今日も冷たかった。

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祖父母からもらった小遣いで、僕らは祭を遊び倒した。

綿あめ、焼きそば、リンゴ飴、射的、型抜き、金魚すくい。

屋台を走り回って、色々なものを買って、色々なものを食べた。

時間があっという間に過ぎていった。

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僕は翌日、家へ帰らなくてはいけなかった。

今日が最後の日であった。

そのことを紗雪には告げていなかった。

惜しかったから。

もっと一緒にいたかったから。

だから、代わりに精一杯はしゃいでいたのだった。

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思えば、僕と紗雪はよく似ていた。

だから、紗雪も同じだった。

紗雪も僕に隠してた。

今日が最後だってこと。

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だから、僕らは、本当によく似ていた。

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祭の喧騒を離れて、神社の裏山に星を見に行った。

僕の手にはふたりで捕った金魚の入った大きめのビニール袋。

紗雪は屋台で買ったラムネアイスを左手に持って、山の小川に沿って歩いた。

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明かりのない山奥で、紗雪の肌は一層白かった。

雪のように、闇の中でぼんやりと光って見えた。

小川にかかる橋の上。

二人して天の川を見上げた。

紗雪が云った。

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『洋ちゃん、今日でお別れだよ』

僕ははっとして、隣に立つ紗雪の横顔を見つめた。

紗雪は空を見上げたまま、薄く笑みを浮かべていた。

彼女は泣いていた。

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『私はね、ずっと黙っていたけれど、この山に住む雪女の子なの。

本当なら、夏に里に降りてきちゃ、いけなかったんだ。

でもね、ずっとずっと、話しかけたかった子がいたから、今年はね、黙って抜け出てきちゃったの。

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楽しかったよ。すごく楽しかった。

洋ちゃんと一緒に過ごした夏休み。

でも、私の時間はもうここまでみたい。

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見て、身体が雪に戻ってく。

もっと一緒にいたかったけど、ここまでだね』

少女の身体が淡雪になって空へと昇っていく。

紗雪!と僕は叫んだ。

彼女は微笑んだ。

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『ありがとう、私のために泣いてくれて。

忘れないで、私のこと。

私、洋ちゃんのこと――』

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言葉の続きは聞けなかった。

橋の上には、わずかに、ラムネアイスを握った少女の左手首だけが残っていた。

アイスに冷やされていた分だけ、時間が残っていたのか。

それも、今にも空へと帰っていこうとしている。

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僕は持っていた袋から、

橋の下の川の流れへと金魚を投げ放ち、

代わりに袋の中へと、

彼女の手首を、

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今日も、さゆきといっしょにあそびました。

さゆきの手は小さくて、白くて、つめたくて、とてもすきです。

ずっといっしょにいたいです。

この夏やすみがおわっても、

ずっと

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「お帰り、洋ちゃん。お祭はどうだったね?」

帰宅した私を伯母が出迎えてくれる。

「いや、久しぶりに行きましたが、相変わらずの賑わいですね。

童心に戻って、楽しんでしまいましたよ」

その言葉に、伯母がからからと笑う。

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「そりゃよかったねえ。

さあ、風呂も沸いてるから、汗流したら?

おや、そのビニール袋はなんだい?

家庭用のロックアイスなんか買ってきて、どうしたの?」

私は袋を何気なく背後に回す。

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「ああ、ウィスキーが飲みたくなっちゃって。

すみません、ちょっと冷蔵庫を貸してください」

明日は早くにここを発とう。

私はひとり、そう思った。

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「――そうですか、駄菓子屋の娘さんが行方不明。

すみれの店内にも侵入した形跡が?物騒ですね。

伯母さんも気を付けてください。

はい、失礼します」

電話を切り、台所へ向かう。

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私は、大型の冷蔵庫の前に立つ。

扉を開けると、涼やかな空気が火照った身体から一瞬で熱を奪っていく。

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あの夏の日を思い出す。

見上げれば、巨大な入道雲が浮かんだ真っ青な空。

視線を下げれば、万緑に覆われた山々。

どこまでも広がる水田。

懐かしい田舎町。

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草と、土と、汗の匂い。

耳に残る蝉しぐれ。

口の中によみがえる、ラムネアイスの爽やかな甘さ。

つないだ手と手。

僕と彼女。

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冷凍庫の中には、左右に整然と、白い手首が並べられている。

どれも、同じくらいの年齢の、小学3年生くらいの、少女の手首。

つい昨日、この聖殿の中に加わった少女のものを取り出し、頬ずりをする。

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白い。

細い。

冷たい。

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希――。

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ああ――、

だが、この希を含め、居並ぶ少女たちは、云ってしまえば彼女の代役に過ぎない。

冷凍庫の奥、正面に配置された、手首。

私にとっての聖遺物。

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あの日、

残って、

溶けて、

冷やして、

ふたたび形を取り戻した。

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紗雪――。

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そして、あの夏は――

今もここに。

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いや~、読み耽りました。
一気に世界へ入り込みました。流石です。
三題噺というのも忘れたほどに、自然に違和感なく…
次がいよいよですか(*´ω`*)
歴史の瞬間に立ち合える喜びを味会わせていただきまます。

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このクオリティてこのポチ数なのが理解できな〜い(笑)
みんな、ここに凄い作品があるって!

コッチヲ見ロ〜。見ロッテ言ッテンダゼッ❤️

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