薄暗い廊下を、懐中電灯の光が照らしていた。
カンカンと、靴音だけが響いている。
静寂の夜、私は女子寮の管理人として夜中の見回りを行っていた。
季節は秋口、羽織っていたベージュのカーディガンだけでは肌寒く感じた。
私が管理人を務めるこの女子寮は、大学の敷地内に建つ四階建ての薄桃色の寮だった。
今、私が見て回っているのは三階の廊下だ。四階から、階段を使って下へ降りながら、各フロアを巡回して回っていた。
パタパタと、紙が揺れていた。懐中電灯の照らす先には、この寮の注意書が書かれている。
ー19時以降、外出禁止
寮内への、男性の入室を禁ず
21時までに入浴を済ませること
屋上への立ち入りを… ー
後半が破けて読めなくなっていた。
風でなびいているということは、どこか窓が開いているのかしら。
「いくら三階でも窓を閉めないと。この寮でもあんな事件あったらたまったものじゃないわ」
事件とは、ココ最近ニュースを騒がしている、連続強姦殺人事件のことだ。
隣の県の事件だが、学生寮や職員寮などで女性が襲われて殺されるという胸の痛む事件が相次いでいた。
廊下の先のエレベーターの手前までくると、左手の窓が大きく開いていた。風がヒューヒューと廊下に吹き込んでいる。
遠くで鈴虫の、心地よい音色が聞こえた。
「誰かしら、まったくもう…」
私はため息を吐いて、窓をピシャリと閉めた。
それでも、肌寒さが収まらず両手で身体をさすった。薄暗い廊下を、等間隔で蛍光灯が照らしているが、それがより一層不気味な空間を作り出していた。
人は不思議だ。こういう時に限って、怖い話を思い出す。
昼間、寮の一回で女の子達が話していた。
(確か、どこかの寮で出るって話だったな。深夜、誰もいない筈の寮のエレベーターが動きだして、中から…)
いかんいかん、私は頭を降って、その先をうやむやにした。
その時、どこかで微かに物音がした。
何か、機械音のような、このタイミングで聞きたくない音だ。
身体が、ビクッと震えた。
目の前のエレベーターに目を向けた。
一階を示す部分のランプがついている。
入り口はオートロックになっていて、外部からの侵入は不可能だ。
ということは、寮内の女の子だろうか。
しかし、腕時計に目をやると、時計の針は十二時を指していた。
「こんな時間に…? そもそも上に何のようが」
私は言いかけて、さっきの話の続きを思い出した。
エレベーターの中から、髪の長い女が出てきて、エレベーターの中に引きずりこまれる。
(まさか! あんなの作り話じゃない)
しかし不安は雪だるまのように、少しずつ大きくなっていく。
エレベーターは二階を通り過ぎた。
そして三階に…。
「きゃあっ!」
下から上へと上がっていったエレベーター。
私は確かに見た。エレベーターは無人ではなく、黒いワンピースを着た髪の長い女が乗っていた。顔は髪の毛に隠れて見えなかった。
しかし私は、エレベーターに引きずりこまれることはなかった。エレベーターは四階に行ったのだ。
恐怖心があったが、管理人として確認の為、四階に向かう必要がある。
(え…?)
身体が動かない。腰を抜かしてしまったのだろうか。
私は、エレベーターの前でマネキンのように同じ体勢で硬直してしまった。
再び機械音が聞こえた。下を指す矢印のランプが白く光った。
(降りてくる!)
私は、逃げ出したかったが身体が動かない。
ーポーンー
エレベーターが三階で止まった。
私の目の前で、止まった。
中には、いた。
今度は顔が見える。目を見開いて、口をパクパクさせている、さっきの女だ。
冷や汗が滲み出てきたのが分かった。鳥肌が腕いっぱいに広がる。
(動いて、動いて、動いて!)
私は必死に心の中で叫んだ。
そしてドアが開く直前で、片足が動いた。ガタガタ震えていたが、大丈夫だ。
そのまま後ろを振り向いて走り出した。
背後でドアが開ききった音がして、次いで声が聞こえた。
「待ってえ! 待ってええ!」
廊下に不気味な声が響いた。
私は振り向かず走った。このままでは確実にヤバいと悟ったからだ。
このまま寮の端の非常階段から下に降りようと考え、とにかく走った。
後ろからは確実に、私を呼ぶ声が響いた。
あと少しで階段というとき、手前のドアが勢いよく開いた。
「助けてえっ!」
私は絞り出すように叫んで、中に逃げ込んだ。急いでドアの鍵を閉め、チェーンをかけた。
その瞬間、
ードンドンドン! ドン、ドンドン!ー
ドアを叩く音が部屋に広がった。
私はドアを見つめつつ、後ずさりした。
「開けてえ! 開けてえ!」
女のけたたましい声が聞こえる。
ドアから少しずつ、室内の奥へ後ずさりした。微かに、鉄のような臭いが鼻をついた。
「大丈夫ですか? 外のは何ですか?」
男性の声がした。私は安心した為か、急に身体の力が抜けて気を失った。
作者朽屋