徳川さんは年前に結婚した。夫となる人は、山間の村に住む旧家の出身。結婚後は彼の実家で暮らすことになった。
実家は古めかしい日本家屋で、よく手入れされている庭には鹿威しが掛けられてある。平屋の1階建だが、中は思ったよりも部屋数が多く、徳川さんはちょいちょい迷子になることも多かったようだ。
夫婦の間には3歳になる女の子がいた。名前は紗英という。近くに同い年の子どもがおらず、公園などもなかったため、紗英は家の中で1人きりで遊ぶことが多かった。
ある日のこと。徳川さんは紗英を探していた。そろそろお昼寝をさせる時間だったからだ。
「紗英ちゃん、どこー?」
娘の名を呼びながら廊下を歩く。するとどこからか、ボソボソと娘の声が聞こえてきた。
「…ふぅん、なっちゃんっていうの」
「私?私は紗英だよ」
「いいよ。お友達になろう」
まるで誰かと話をしているような口振りだ。同居している祖母と遊んでいるのだろうか…。いや、祖母なら自治会の用事で午前中から出掛けているはずだし…。
祖父はとうに他界しているし、夫は仕事だし。
この家にいるのは、私と紗英だけなんだけど…。
徳川さんは首を傾げながらも、娘の声がする方向へ向かった。どうやら仏間から声はするようだ。
カラリと障子を開ける。中には紗英が1人、寝転がって絵を描いていた。傍には誰もいない。
「紗英ちゃん、誰とお話してたの?」
声を掛けると、紗英は顔を上げ、キョロキョロと辺りを見回した。誰かを探している風にも見える。
「あれぇ?なっちゃんは?」
「なっちゃん…?」
そういえば、さっきもそんなことを言っていたような…。徳川さんもつられるようにして辺りを見渡すが、誰もいない。
「なっちゃんて誰なの?お友達?」
「うん。今日、初めて会ったんだよ。いっぱいお話もしたの。一緒に遊ぼうねって言ってたの。さっきまでいたんだよ。ねぇ、ママ。なっちゃんはどこ?いなくなっちゃったよ」
徳川さんは眉を顰めた。近所には紗英と同世代の子はいないはずだが…。小学生の子どもが悪戯気分で家に上がり込んだのだろうか。それとも空き巣か、泥棒…?
徳川さんは自らの予想に被りを振った。きっと近所の小学生の悪戯、そうに違いない。勝手に人の家に上がり込むなんて、どういう教育を受けているんだか。
「ねぇ、紗英ちゃん。なっちゃんはどこから入ってきたか分かる?玄関からかしら。それとも縁側から?」
「なっちゃんはねぇ、あそこから来たよ」
そう言って紗英は仏壇を指差した。
作者まめのすけ。