私の名前は鳴海今日子。フリーのライターをやっている。
最近、ある雑誌から依頼を頼まれた。ほんの小さな記事ではあるが、怪奇特集なるものを書いてくれないかという話だった。
今まで数多の記事を書かせて貰ったが、怪奇特集などという、非科学的な話を書くのは初の試みだった。何せ、かくいう私自身、幽霊や怪異などを全く信じていないからである。
信じていないというか、私の目には見えないのだ。
幽霊や怪異なるモノが。
この世ならざるモノが。
しかし、私には見えないだけであって、実際にはいるのかもしれない。ある作家が言っていたが、「眼球に映るモノこそが、自分の世界」であるらしい。
自分の世界。
私の世界には、幽霊や怪異はいないのだ。
だがーーーそうでない人もいる。
怪奇特集を書かせて頂くにあたり、ある女性から取材を行った。彼女はこれまでに何回か心霊スポットに出向いており、そこで撮った写真について語ってくれた。
彼女は…ずっと怯えていた。
敏腕な霊能者を知らないかと切実に頼まれた。
一体、彼女には何が見えていたのだろう。
彼女の世界には、何がいたのだろう。
この記事を掲載したところ、思ったより読者の反応が良いとのことで、第2弾を書かせて頂くことになった。
今回は、あるビルに勤める警備員から話を聞くことが出来た。そのビルは俗に言う「幽霊が出る」と評判のビルだった。目撃情報が後を絶たないという。
彼は取材に応じる代わりに、「ビルの正式名称を出さない」「自分の名前は出さないでほしい」との条件を出した。なので、彼のことは仮に松本さんとしておく。勿論、仮名である。
「すみませんねぇ。でも、ただでさえよくない噂が立ってんのに、これ以上広めたくないんスよ。騒ぎになってもマズいし」
そう話す松本さんには、目の下に隈が出来ていた。顔色も悪い。年齢は20代前半と言っていたが、実年齢よりも老けてみえる。
お疲れですかと尋ねると、彼は曖昧に笑った。
「今の仕事するようになってから3年経ちますけど…ホラ、警備員ってぇのは、深夜の見回りがあるんスよ。これが結構厄介でね。いや、仕事内容としちゃ別にキツくも何ともないんス。懐中電灯持って、異常がないか見て回るだけだし。ただ…」
松本さんは居心地悪そうにこめかみを掻く。
「深夜の見回りの度に見ちまうんス。お化けっつーか、幽霊ってヤツを…」
初めて目撃したのは、警備員を勤めるようになってすぐのことだったらしい。このビルの見回りは午前12時。見回りしている最中、松本さんは奇妙なモノと遭遇した。
「子どもがね…いたんス。それもまだ5、6歳くらいの」
その子は赤いレインコートに身を包み、3階の女子トイレの前にポツンと立っていた。迷子かな、と一瞬思ったが、午前12時である。こんな夜遅くに、幼い子どもがたった1人で出歩いているなんて有り得ない。
とにかく保護しようと、松本さんは女の子に近付いた。女の子は俯いていたが、「どうしたの」と呼び掛けると、ヌウッと顔を上げた。
女の子の眼球には白目がなかった。黒目で埋め尽くされていたという。
松本さんが悲鳴を上げそうになった時、女の子はポカンと口を開けた。口の中は真っ黒で、歯や歯茎、舌といった器官が一切なかった。まるでブラックホールのように、どこまでも虚ろな闇が続いているだけだった。
「あれにはビビりましたねぇ。あんなモン見たの、生まれて初めてだったから…。正直、気絶しかけたんス」
その後も彼は何度か恐怖体験をすることになる。それは決まって、ビルの見回りの時に起きた。
「確か去年の夏だったかな…。見回りしてたら、白い着物着たバーサンがいたんス。たまにね、認知症のジーサンバーサン、或いは浮浪者なんかがビルに入ってきちまうことがあって…。嗚呼、またかと思ったわけっスよ」
松本さんは老婆に近付いた。老婆はその身をピタリと壁に寄せ、上目遣いに松本さんを見つめていた。2人の距離が、だんだんと近付く。
「バーサンに声掛けようと口開いたそん時っス。バーサンが急に四つん這いになって、蜘蛛みてーに壁を這ってどっか行っちまったんですよ。すげースピードで。あれも怖かったっス」
この他にも、色々と起きているらしい。それらの全てを聞く時間は、残念ながら持ち合わせていなかった。
最後に彼に2つばかり質問してみた。彼が体験したおぞましい出来事を上司に話したのか。そして、何故警備員を辞めないのかを。
私からの質問に、松本さんはまた曖昧に笑った。
「報告なんかするわけないっス。日誌にはいつも異常ナシって書いてますよ。大騒ぎしたところで、何にもなりゃしないんスよ。俺が我慢すりゃいい話だし…。辞めない理由?そんなもん決まってます。この仕事、金になるんでね」
松本さんは、今も警備員を続けている。
作者まめのすけ。