私の名前は鳴海今日子。フリーのライターをしている。
ライターの仕事は凄く不安定なもの。仕事がある時は収入もいいのだけれど、ないとトコトン貧乏だ。
幸い、今は仕事を抱えている身なので、どうにか食い扶持は持てている。大きな仕事とは言えないが、与えられた仕事は誠意を持ってこなさなければ。
私が請け負つ仕事とは、怪奇特集なるものだ。
怪異、幽霊、アヤカシ…そんな非日常的な世界に住まうモノ達と、運悪く遭遇してしまった人間から話を聞き、記事を書く。
今回の取材は、東京都在住の30代主婦の方から話を聞いた。彼女は綺麗にマニキュアが塗られた爪を弾くと、最初にこんな前置きをした。
「私の話は、幽霊が出たとか、生き霊に殺され掛けたとか、そんな生々しい話じゃありませんよ。人による人に纏わる怖い話です。結局、生きている人間が1番怖いの」
彼女の名前は仮に沢崎さんとする。
沢崎さんがまだ大学生だった頃、付き合って間もない彼氏がいた。2人は同棲もしていたという。
「当時は貧乏学生でしたからね。私も彼もそれぞれバイトしてました。忙しかったけど、それなりに充実してましたよ」
誰しも経験があると思うが、付き合いたての時期は1番楽しいものだ。お互いを気遣える余裕もあるし、一緒にいるだけで心が安らぐ。
沢崎さんと彼氏は仲が良かった。バイト三昧で忙しかったけれど、お互いが休みの時は必ず一緒に遊びに出掛けていたし、寝る時も手を繋いで寝ていたのだとか。
「俗に言う、バカップルってやつ。とにかくラブラブでしたよ。家の中でもいちゃついてたし、一緒にお風呂に入ったりもしたりね」
他人が見れば、思わず羨むような関係の2人。
しかし、唐突に事件は起こった。
忘れることなど出来ない、あの忌まわしい事件が……。
その日は彼氏が居酒屋のバイトで、沢崎さんは1人でアパートにいた。彼氏がいない寂しさから、彼女はメールを送った。
「お疲れ様。バイトは終わった?早く帰ってきてよー。寂しいよー」
すると意外に早く返信が来た。てっきりまだバイト中だと思っていたので、正直驚いた。
「バイト終わったー。今から帰るよ♡待っててね」
沢崎さんは嬉しくなった。彼はどちらかといえば、あまりマメな性格ではないので、メールの返信が遅いのだ。彼女は更にメールを送った。
「すっご~く寂しい~。早く帰ってきてよぉ」
すると1分ほどして、彼から返信が来た。
「俺も寂しい~。今すぐ帰るからね。なるべく早く帰りたいから、タクシー乗るわ。ねぇ、住所何だっけ?ド忘れしちった」
「仕方ないなぁ。○○市○○町△△アパートの2階だよ。忘れないでよね、私達が住んでるアパートくらい」
「ごめんごめん、もう絶対に忘れないからさ。待ってて、今すぐ帰るから」
その後もメールは途切れることなく続いた。彼とこんなに長くメールが続いたのなんて初めてだよなぁと思いつつ。退屈だったこともあり、沢崎さんもなるべくすぐ彼に返信した。
やがて外から車が停まる音がした。きっと彼氏だ。そう確信した時、またメールが来た。
「着いたよ♡」
沢崎さんは軽い悪戯心を起こした。押し入れから布団を引っ張り出してくると、頭からすっぽりと被り、部屋の隅に移動する。布団の中から、彼に返信した。
「さーて。私はどこにいるでしょうか?探して下さい。制限時間は1分でーす(笑)」
キイ、とアパートの扉が開く音がした。沢崎さんは笑いを必死に噛み殺し、息を潜めた。
シャッ…シャッ…シャッ…畳の上を歩く足音。
それはゆっくりではあるが、確実に近付いてきた。
布団の端を掴まれ、ガバッと捲り上げられる。顔を上げた沢崎さんと、男の視線がカッチリと合った。
「みーつけたー♡」
男は歯茎を見せて低い声で笑った。それは沢崎さんがよく知る彼氏ではなかった。
「全然知らない人だったんです…。中年のおじさんでしたね、見ず知らずの」
彼女は悲鳴を上げると、男を突き飛ばしてアパートから逃げ出した。近くの交番に駆け込み、わけを説明し、お巡りさんにアパートまで来て貰ったが、男は既に逃走した後だった。
「後で分かったことなんですけど、彼氏の携帯が盗まれてたんですよ。ロッカーにしまっておいた手荷物ごと、一切合切持っていかれちゃったみたいで。その犯人が彼氏の携帯を使って私にメールしてきてたんですよ」
未だに犯人は捕まっていないんです、と沢崎さんは顔をしかめた。事件後、彼氏とも上手くいかなくなり、別れてしまったという。
「怪異だの幽霊だのアヤカシだの…そんなモノは私には見えない。見えないから怖くありません。でも、生きている人間って、どうやったって見えるでしょう?人並みの常識を持ち合わせていない人種ーーー一般的に変人とか奇人って呼ばれている人。私にはそっちのほうが怖いですよ」
あの事件以来、私はメール派ではなく電話派になりました。沢崎さんはそう締めくくった。
作者まめのすけ。