春彦(はるひこ)が今の中学に転校してきたのは去年の11月頃の事だ。
親がいわゆる「転勤族」という奴で、これまでに幼稚園2回小学校3回中学1回の計6回の転校をしてきた。
よくお隣さんなどに「転校ばっかりで大変でしょう、可哀そうにねぇ・・・・」なんて言われもしたが、特に自分が不幸だと感じはしなかった。
幼稚園の頃からこう何度も転校を経験していると、「逆にこれが自分の普通だ」という感じになるのだ。
だから今までどんなに仲の良い友人がいたとしても転校を嫌がる事は特になかった。
しかし今、春彦は生まれて始めて、1週間後に迫っている転校の日が憂鬱になっていた。
原因はたった一本の桜の木だった。
この中学には正門から入ってすぐ左の位置に、それはそれはとても見事な美しい桜の木がある。
根周2.7m、樹高16mという大きなのその桜の木は、全てを包み込む様に大きく枝を広げるその姿から「抱擁桜」と呼ばれ近隣住民に親しまれてきたという。
春彦はその桜の木に一目で魅了されてしまったのだ。
以前からクラスメイトに「うちの学校の桜は凄いよ」とよく聞かされていたが、花を咲かせた姿は想像を遥かに超えたものだった。
始めて目にした時などあまりの感動に数分その場を動けなかったほどだ。
それ以来春彦はその桜の虜となった。
登校時、休み時間、昼休み、下校時、さらには帰宅した後に夜に学校に戻ってまで桜を観賞し続けた。
(この桜の木の下にいると心の奥がなんだか暖かくなっていって居心地がいいんだ)
春彦にとってとても幸せな日々が続いた。
しかし、そんな春彦に突然告げられたのが父の急な転勤の知らせと転校の話だったのである。
春彦は悲しみに打ち拉がれてしまった。
たとえ春の数週間しか見られない儚いものだとしても、この町に住み続ければ毎年この桜を眺める事が出来る。
だがこの地を離れてしまったら、もう簡単にはこの桜を見る事は出来なくなるだろう。
引越しの日が近づくにつれ、次第に気持ちは心の奥底へと深く沈んでいった。
その度に春彦は桜の下へと足を運んだ。
いつしか、桜の木の下にいる時だけが心が休まる時間になっていた。
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そして引越しの日の前日の夜。
春彦はいつものように家から30分掛けて学校まで戻ってきていた。
何をするともなく、ただ桜の木の根元に座って舞い散る花びらを眺めて過ごした。
(このままずっとここにいられればいいのに・・・・)
ふと腕時計に目をやると短針はすでに8の字を指し示していた。
いつもならこの30分前には家に帰宅している頃だ。
(まぁ・・・・・・別にいいか・・・・・・)
最後の日くらい親も大目に見てくれるだろうと思い、そのまま目線を上に戻した。
「・・・・・こんにちは」
背後から人の声が聞こえドキリとした。
すると春彦の前にゆっくりとした歩きで一人の少年が現れた。
「ごめんごめん、驚かせちゃったかな」
少年は少しバツの悪そうな顔をしていた。
着ている制服からしてこの学校の生徒だろうか。
少年は春彦の横に「どっこいしょ」と年寄り臭いセリフを言いながら座った。
「あぁ、まだ自己紹介してなかったね。僕の名前は佐伯三春(みつはる)この学校の3年生だよ」
「えっと、春彦です。相田春彦。2年です」
幼い顔立ちから同学年か後輩だと思っていたが、春彦より先輩らしい。
それから三春は、春彦がここ最近ずっとこの桜の下に来ている姿を見かけてずっと気になっていたという事を話してくれた。
また自分もこの桜の木が大好きで、春彦にずっと話しかけたいと思っていた事も。
「実はそこの場所、去年までは僕の特等席だったんだよ」
「あぁっ、すっ、すいません」
「いやいや、いいよ別に。むしろなんか嬉しかった位だし」
そういうと三春はにっこりと微笑んだ。
会ったばかりだというのに、二人はどんどん親しくなっていった。
特に春彦は今までこんなにこの桜の事を一緒に話せる人がいなかったので、三春にとても好感を抱いていた。
なんでもないお喋りが何故か凄く楽しくて、久しぶりに心の底から笑った。
「・・・・・良かった」
「えっ?」
「・・・・実はね。なんとなくだけど、最近の君はなんだかここにいても元気がないように見えていたんだ」
「あっ・・・・・・」
どうやら三春には気づかれていたようだ。
忘れていた明日の事が頭に浮かぶ。
春彦の顔はだんだんと曇っていった。
「・・・・・・何かあったのかい?」
三春はそんな自分の顔を心配そうな表情で見つめていた。
(・・・・この人なら僕の今のこの気持ちを理解してくれるかな)
「・・・・・・実は」
春彦は落ち着いた口調でゆっくりと、今自分の置かれている状況を説明し始めた。
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「・・・・・・それはとても辛い事だね」
一通り喋り終えると、三春は悲しそうな顔をしながらそう呟いた。
「僕、もうどうしたらいいか解らなくて・・・・本当は転校なんてしたくないんです・・・・」
言葉に出しているだけで辛い気持ちが溢れそうになった。
中学生の自分では身寄りのないこの町に一人で残る事など出来ない。
悔しさでいつの間にか目から涙がこぼれ落ちていた。
三春は無言その姿を見守っていた。
ひとしきり泣き終えた後、三春がすっくと立ち上がってこう言った。
「僕がなんとかしてあげようか?」
「・・・・・・えっ?」
言っている意味が解らなかった。
別に助けてもらう為に話した訳ではなく、ただ誰かに聞いて貰いたいだけだったのでそんな反応がくるとは予想外だったのだ。
「なっ、なんとかなるんですか?」
「あぁ、君さえ望めばね」
春彦の顔に再び笑顔が戻っていく。
思わず三春の両手をがっしりと掴んで感謝の意を伝えた。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
「別にいいんだよ。僕も君みたいにこの桜を好きな人が傍にいる事が嬉しいからね」
流しきったと思っていた涙がまた目から流れ始めた。
涙は嬉しい時も悲しい時も等しく流れ出る物だという事がよく解った。
「それで、実は君に見せたいものがあるんだ」
そう言うと三春は桜の木の反対側にゆっくりと歩いていった。
「この桜の木にはね。僕だけが知っている絶景のスポットがあるんだ。それを君に教えてあげるよ」
春彦は嬉しさのあまり体が飛び跳ねた。
「本当ですか!やったっ!それって何処にあるんですかっ!?」
すぐに三春と同じように桜の左側から反対側にぐるりと回り込んだ。
「・・・・・先輩?」
そこに三春の姿はなかった。
今さっき桜の後ろに回り込んでいたはずなのに。
からかわれているのかと思い、元いた桜の下辺りを覗きこんだが、誰もいない。
ここには周りに隠れられそうな物など何もないのに・・・・
その時ふと背後で物音がした気がした。
(あぁそうか、木の上に登ったんだな)
春彦は苦笑いをしながら「もう、脅かさないで下さいよ~」と軽い文句を言いつつ後ろを振り向いた。
確かにそこには三春はいた。
ただ想像していた光景とはかなり違っていた。
太い一本の枝から縄が垂れ下がっている。
その先には宙に浮く三春の姿があった。
「そっ、そんな、せっ、先輩っ・・・・・」
首元には縄がしっかりと食い込んでいる様子が見えた。
あまりの事にその場にドサッと尻餅をついた。
と同時に三春の目がカッと見開く。
「うわぁっ!」
すぐに逃げようとしたが何故か体が動かず、ただその恐ろしい光景を見上げる事しか出来なかった。
そんな姿を見て桜の木からぶら下がっている三春はニヤリと笑った。
「せっ、先輩・・・・どうしてっ・・・・」
「言ったろう、「絶景のスポットがある」って。今君にも見せてあげるよ・・・・」
すると桜の木の根元から三春の首にかかっている縄と同じものが、春彦の方に蛇のように近づいてきた。
「うわぁっ!くっ、くるなぁっ!」
必なに叫びも虚しく、動かなくなった体の上を縄はスルスルと登っていく。
気づけば首周りに縄が回り、反対側の先端は枝に巻き付き始めていた。
地面に腰を下ろしていた春彦の体が次第に上がり、宙に浮いていく。
「うっ・・・・あっ・・・・あぁっ・・・・・・」
春彦は何がなんだか解らなかった。
自分がどうしてこんな状況になっているのかも全く理解出来なかった。
(駄目だ・・・・僕はここで死ぬんだ・・・・)
意識が少しずつ遠のいていくのが解る・・・・。
その時、ふと目の前の光景に気づいた。
春彦の目には大量の地面に落ちた桜の花びらが見えていた。
土色の地面を覆い隠すようにびっしりと敷き詰められたその光景は、薄い桜色の花びら模様の絨毯のように見えた。
(綺麗だ・・・・・・)
桜色の絨毯の上には宙に浮く自分の体が見える。
意識が薄れているせいか、まるで天国にいるような錯覚に陥いっていく。
とても心地よい気分だった。
「気に入ったかい?」
どこからか先輩の声がした。
(・・・・・えぇ、とても)
口が動かなかったので心の中で返事をした。
「それは良かった。これからは君も、僕達と一緒にずっとこの桜の木の下で過ごせるよ」
(あぁ・・・・なんて・・・・素晴らしい・・・・事だろう・・・・・・)
消えゆく意識の中で、春彦は三春にいつまでも感謝し続けた。
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●七不思議の六●「首吊り桜」
正門から入ってすぐ左にある大きな桜の木には、昔その木で首吊り自殺した男子生徒の霊が現れるという。
彼は今でも春になると桜の木の下に現れ、桜に魅入られた生徒を死に誘うという。
また夜その桜の近くを通ると、桜の木から何十人もの首を吊っている生徒の姿が目撃出来るとも言われている。
作者バケオ
七不思議、六話目です。
昔よく強い雨の日に自転車で走っている時、地面を流れていく雨の中を走っていくのがなんだか「流れの早い川の中に、固定された自転車で立っている」ような感覚に陥る事が出来てなんか好きでした(^^)
あとよくあったのは電車の中で外の景色見てる時「外の景色の絵がどんどん後ろに流れていってる」感覚になる事とか。
今回の最後のオチはそういった感覚に近いものと思って頂ければ少しは伝わるでしょうか?
まぁなんにせよ「死ぬ瞬間にしか見れない光景」とか私は御免被ります。
ついにこのシリーズもあと一話でようやく終わりです(長かった(^^;;
とりあえず、あまり期待せずに待ってて下さいませ。