俺には4つ年上の姉がいる。周囲からは深窓の令嬢と呼ばれ、俺からは「ブラコン姉貴」と称されている。
俺の携帯をチェックするような、一種イタい姉なのだが、実は只者ではない。
姉さんには「見える」のだ。この世ならざるモノが。アヤカシが。怪異が。世界の裏側に隠れ住む闇の住人達が。
かくいう俺も、色々と妙な体験をしている。それらの全ての怪異譚を纏めれば、一冊の本が書き上げられるくらい。
その中でも「これはかなりヤバイかった」と切実に感じたエピソードがあるのだが、今回はそれを語らせて貰おうと思う。
そもそもの始まりは、同じクラスの岩下から相談事を受けたことが始まりだった。
「なあ、これ預かってくれないか」
放課後。帰り支度や部活の準備でごった返している教室で、岩下が俺に声を掛けてきた。手には新聞紙で包まれた大きな何かを抱えている。
「何だよ。焼き芋か?」
「なわけねぇだろ。人形だ人形。市松人形だ」
「市松人形ぉ?」
岩下は困ったように肩を竦めた。
「実はさ…。1週間前、親戚の人が亡くなったんだけど。遺品を整理してたら、この人形が出てきてさ。ほら、人形って魂が宿るとか言われてるじゃん。だからおいそれと捨てられなくてさ…」
「そりゃそうかもしれないが。捨てるのが忍びないなら、人形を供養してくれる寺に預ければいいんじゃないか」
「それがそうもいかねぇんだよ」
岩下は暫く言いにくそうに口を閉ざしていたが、やがてこんなことを言った。
その人形は何らかの謂われがあり、以前、人形供養の寺に奉納しようと思ったのだが、住職に「この人形は私の手に負えない」と断られてしまったそうだ。
あちこちのお寺に頼んだが、答えは一様に同じ。どのお寺にも引き取って貰えず、捨てるのも罰が当たりそうで怖い。そのため、今までずっと岩下の親戚が自宅で大切に保管していたらしい。
「でも、その人が亡くなって、人形の引き取り手がいなくて困ってたんだ。親戚中、気味悪がって人形を引き取りたくないって騒いでるし……。お前の姉貴、御祓いが出来るんだろ?この人形を預けるから、何とか供養して貰えないか」
「いや、そう言われても……」
確かに姉さんは簡単な御祓いなら出来るらしいが、水子供養とか人形供養みたいなのは専門外だった筈である。しかし、誰がうちの姉さんは御祓いが出来るとか言い触らしてんだろ。
俺が渋っているのを見てか、岩下が深々と頭を下げて言った。
「引き受けてくれたら、今度俺の秘蔵のエロ本見せてやるから!」
俺はアッサリ了承した。
岩下から預かったデカい包みを持って帰宅する。姉さんはまだ帰ってきておらず、両親も不在だった。
俺は自室に包みを持って行くと、ふとした好奇心から新聞紙を開いた。何重にも重ねられていた新聞紙を剥がしていくと、中から80センチ程の市松人形が姿を表した。
「へえ……」
肩まである長い黒髪。細い目。小さな鼻。おちょぼ口。赤い着物を着せられた、ありふれた感じの市松人形だった。抱き上げてあちこち観察するが、これと言っておかしな点はない。
ただ、岩下が最後に妙なことを言っていたのが気になるが。
ーーーこの人形にさ、何でもいいから食べ物与えてくれねいか。菓子でも余り物でも何でもいい。理由は知らないけど、そうするのが決まりらしい。
菓子か余り物、ねぇ。俺はキッチンから林檎を持ってくると、人形の傍に置いた。それからベットに寝転がり、姉さんが帰ってくるのを待った。
※※※※※
「う…、」
目を開ける。どうやら本格的に寝入ってしまったようだ。起き上がろうと手を付こうとするのだが、体が持ち上がらない。というより、指先1本動かせなければ声も出ない。
マジかよ。何で急に……。唯一動かせる眼球を動かし、周囲に視線を走らせる。するとベットの端に市松人形がちょこんと立っていた。
「あれっ…?」
人形、ベットの上になんて置いたっけ。確か勉強机に置いた記憶があるんだが……なんて考えていたら、人形がギチリ、ギチリと軋むような音を立てながら、俺の方へ歩いてきた。
「ひぃ……、」
人形はゆっくりと、俺の体の上によじ登ってきた。短い手足を突っ張って、よじよじと登ってくる。やがて人形は俺の腹に跨がると、ワイシャツのボタンを外し始めた。
プチン、プチン、プチン……
ボタンが1つずつ外されていく。何だ、何がしたいんだよお前は。俺を犯す気か。貞操を奪う気か。
やがて全てのボタンを外すと、人形はぐっとワイシャツを解禁させた。俺は何の抵抗も出来ず、固唾を飲んで事の次第を見守っていた。
人形の無機質な目がジッと見つめてくる。物言わぬ人形は歯のない口をあんぐり開いた。奥行きのあるそれは、真っ暗で奈落の底を連想させる。次の瞬間、人形はグワァッと息を吸い込みながら、顔を寄せてきた。
「っ、たすけーーー」
「おい」
低い声が、聞こえた。空耳かと思ったが違う。一体いつからいたのか、姉さんが部屋のドアに寄りかかるようにして腕組みしていた。その途端、金縛りは解け、俺はベットから転がり落ちるように降りると、這ったまま姉さんの元へ移動した。
「ね、ね、ね、姉さん。に、にんぎょ、が、に、人形が、人形が、う、動いて、服、ボタン外されて、お、お、犯されそ、なった……!」
恐怖で呂律が回らない俺を一瞥し、姉さんは首を振る。
「違うね。あいつはお前を犯そうとしたんじゃないよ」
「や、で、でも……!」
そろそろと振り返る。人形はベットに横たわり、ピクリとも動かなかった。姉さんは俺の脇をすり抜け、ベットの人形を抱き上げた。そして人形をグイと俺に突き出す。
「止めて!こえーよ!」
「匂い嗅いでみ」
「はあ?何で匂いなんか、」
「いいから」
姉さんに言われ、嫌々ながらそっと人形の匂いを嗅ぐ。すると不思議なことに、仄かに甘い果実の匂いがした。よく見ると、人形の口元には透明な汁が付いている。
これは……林檎だ。林檎の匂いだ。だとすると、人形の口元に付いている汁は、林檎の果汁だろうか。そういえば人形に供えておいた林檎がなくなっていた。
「ど、どういうこと?」
震える声で尋ねると、姉さんは唇の端を吊り上げて笑った。
「この人形、お前を喰おうとしてたんだよ」
後日、岩下から人形に纏わる謂われを聞いた。俺に人形を預けて直ぐ、岩下は祖母の家に電話して、あの市松人形について詳しく聞いたらしい。
「あの人形な、”餓え人形”って呼ばれてるらしい……」
人形が飢えているなんて話は世迷い事のように思えるが。第一、人形には人間のような消化器官はないわけで、食べたり飲んだりすることなど出来ない。だが、ある時、余り物を人形に供えたところ、翌日には消えているといった現象が起きたそうだ。気のせいかと思い、また余り物を供えておいたのだが、やはり翌日になると消えている。そんなことが暫く続いた。
それ以来、この人形は”餓え人形”と呼ばれるようになり、供え物を怠ると怒って人を喰らうのではないかと恐れられた。それからは毎日欠かさずに供え物をしたという話だ。
そう話し終えた後、岩下がボソリと言った。
「…お前が喰われなくてホントに良かったよ」
作者まめのすけ。