俺には4つ年上の姉がいる。高校3年生という節目を迎え、受験シーズン真っ只中な状況下に置かれている彼女だが、実は本当の姉ではない。
様々な事情が重なって。様々な境遇が災いして。何の因果が知らないが、俺達は姉弟になった。姉と弟という肩書きを持つようになったのだ。まあ、そこら辺の事情を話すと長くなるので割愛させて頂くが。
そんな姉さんは所謂「見える」側の人間である。この世ならざるモノを、アヤカシを、怪異を、その両の眼に写し、見ることが出来る。また、簡単な御祓いなら出来るらしく、これまでにも何度か依頼されたことのある経験者だ。
かくいう俺も、これまでに色々なモノを「見てきた」。だが、見ただけで、自分自身が取り憑かれてしまったことは1度としてないーーーわけではない。
要は、生まれて初めて取り憑かれてしまったということだ。
その時のことは、どうにもよく覚えていない。だからこの話は、後に姉さんから聞いたものである。興味があれば聞いてほしい。
夏休みが終わり、新学期が始まって直ぐのこと。姉さんがいつものように学校から帰宅すると、父さんと母さんがリビングの入り口で唖然と立ち尽くしていたらしい。
不思議に思い、どうしたのかと尋ねると、母さんが青ざめた顔でリビングの中を指差した。そこには俺がいた。目はつり上がり、顔には幾筋もの皺を寄せ、口は耳まで裂けていた。裂けた口からはだらしなく唾液が伸び、四つん這いでキィキィ叫びながら、冷蔵庫に仕舞われていた生肉やら卵を生のまま食い散らかしていたという。俺にはサッパリそんな記憶はないのだが。
「憑かれたな」
姉さんは一瞬で理解した。呆けている両親をリビングから追い出し、いったん家の外に出て、竹箒を担いで戻ってきた。
俺は生肉を食い散らかした後、四つん這いのまま、テーブルの周りを凄いスピードで駆け回っていたらしい。
「お前に取り憑いていたのはね、”はぐれ稲荷”だよ」
後々、姉さんはそう教えてくれた。稲荷と聞くと、真っ先に頭に思い浮かぶのは「お稲荷さん」だろう。お稲荷さんとは稲荷神社の俗称であり、倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)を祭る信仰を指す。その信仰では狐は神の遣いとされ、丁重に祀られていたそうである。
だが、俺に取り憑いていたのは、霊験あらたかなお狐様ではない。はぐれ稲荷というのは、神様でも何でもない、ただの動物の低級霊のことである。
一応、はぐれ「稲荷」というだけあって、野生の狐の霊が殆どらしいが、中には狐のフリをした他の動物霊もいるらしい。普段はフワフワと移ろいゆくだけの動物霊なのだが、時に人に取り憑いて悪さをするのだという。
一目で俺に取り憑いた霊がはぐれ稲荷だと分かった姉さんが取った行動とは何か。それは単純解明。手にした竹箒で、思い切り俺をひっぱたいたのである。
「オラオラ、この野郎!!私の弟に取り憑いたのが運のツキってもんだ!言っとくが容赦しねーぞ!!他人ならまだしも、弟をいたぶんのが私の唯一の趣味なんだ!これほと燃える(萌える)ことは他にねーよ!!!」
……とか何とか。鬼畜極まりない発言をかましながら、姉さんは俺の頭やら背中やら腰やらをひっぱたいた。しかも竹箒で。思いっきり。手加減なんて全くしなかったらしい。
可哀想に、はぐれ稲荷に取り憑かれた俺は、ひっぱたかれる度に「キャウンッ!ギェッ!グェッ!」と叫びながら、のた打ち回っていたらしい。
「立てよ。これで終わりなんて情けねーなぁ。許して欲しいのか?なら、3回回って私の足でも舐めやがれ!!」
動物霊にそんなことを言っても、通じるわけがないのだが、それでもそんな発言をしてしまう姉さんに、ある意味脱帽だ。いや、白旗か?
一応、釈明しておくと、姉さんは俺をいたぶって楽しんでいたーーーのは、確かかもしれないが。これでも立派な御祓いなのだ。そして、今回の御祓いのキーワードは、実は「竹箒」なのである。
こんな話がある。昔々、山間におじいさんとおばあさんが住んでいた。2人は雄の虎猫を飼っていたという。
ところがある日、おばあさんが亡くなってしまう。おじいさんは親戚にそのことを伝えるため、1人山を下っていった。用を済ませたおじいさんが家に戻ると、亡くなった筈のおばあさんが踊り狂っているではないか。生き返ったのかと思ったが、どうにも様子がおかしい。よく見ると、おばあさんの傍にあの隣には虎猫が二足歩行で立ち、一緒になって踊り狂っていた。
これは猫が憑いたに違いない。おじいさんは竹箒を持ってくると、おばあさんを叩いた。おばあさんはバタッと倒れて動かなくなり、猫は家から逃げていってしまった……という怪異譚だ。
「箒っていうのは、塵やゴミを掃くものだろう?塵やゴミーーーつまり、要らないものを掃き出すということから、この世に潜む魔物をあの世に送り返す力があるとされてきた。昔は誰かが亡くなると、御遺体と一緒に箒を立てかけておいたんだよ。こうすると、魔物に魂を持っていかれないからと信じられてきたんだ」
これも姉さんの言葉である。動物霊を祓うには、それこそたくさんの方法があるらしいけれど、その中から姉さんが選んだのは、竹箒でひたすらひっぱたくという、原始的な方法だった。
何回ひっぱたかれたかは分からないが、御祓いは15分くらいで終了したらしい。気が付いたら自室のベットに寝かされ、顔から体から掠り傷だらけだった。これは地味に痛い。
「よお、大丈夫か?生きてるか?」
姉さんが粗塩で味付けされたお粥を運んできてくれたけど、どうやら唇もあちこち擦ってしまったらしく、痛くて食べられそうにない。風呂も暫くは無理そうだ。だって湯船に浸かったら、メチャクチャ沁みそうだもん。
「……どうして、俺ははぐれ稲荷に取り憑かれたのかな」
唇の痛みを堪えつつ、何とか声に出して尋ねると。姉さんはお粥が一口分入ったレンゲを俺の口元に運びながら答えた。
「さあな。お前の体の中が居心地良さそうとでも思ったんじゃねーの?」
作者まめのすけ。