俺には4つ年上の姉がいる。公立高校3年生、受験シーズン真っ只中の、どこにでもいそうにない、弟であるこの俺にツンデレな姉さんだ。
そんな彼女は最近お菓子作りに凝っていて、学校から帰ってくると直ぐキッチンに直行し、エプロンをキュッと締めてスイーツ作りに没頭している。
1度、スイーツ作りに励んでいる姉さんの様子を眺めていたら、姉さんがいきなり服を脱ぎ出そうとしたので、慌てて止めた。命懸けで止めた。死に物狂いで止めた。
「何で止めるんだよ!せっかく裸エプロン姿になろうと思ったのに!」
だから止めたんだ!大体、彼氏の前でとかならともかく、弟の前で裸エプロンになろうと考える姉さんの意図が分からん。というか、そもそも普通のカップルだって、裸エプロンなんてやってるのだろうか。男の俺が言うのも何だけれど、アレ、かなり勇気がいるものだと思うけれど……。
まあ、裸エプロン云々はともかく。以前にもチラリと触れたのだが、姉さんの料理の腕前はあまり芳しくないというか……うん。ハッキリ言ってしまえば、奇妙な味がするのだ。
物凄く不味いとか、口に入れた途端に吐き出したくなるとか、流石にそんなことはないけれど。一風変わったというか……薬臭い味というか。仕上げにハーブでも仕込んでるんじゃないかというような味だ。以前、朝食用にと作ってくれたフレンチトーストも、ツンとする薬みたいな味したし。
まあ、姉さんの料理の腕前は置いといて。俺の話はどうも横道に逸れてしまいきらいがあるので、さっさと本筋に戻してしまおうと思う。本筋というか……いつものつまらない怪異絡みの体験談なのだが。
聞いて貰えるなら有り難い話しだし、聞き流して貰っても全然構わない。何も得るもののない、脈絡なしの体験談なのだけれど、もし良かったら暇潰しとして聞いてほしい。
あれはつい一昨日のこと。姉さんがスイーツの材料を買いに行くと言うので、せっかくの日曜日だというのに、俺は姉さんに付き合わされていた。付き従わされた、と言っても言い過ぎではない。
何でも、今度はちょっとばかり凝ったスイーツを作るらしく、そのためには少しばかり離れた町にある大きな店に行かなくてはならないので、この日はバスを利用することになった。
「アーモンドプードルと、グラニュー糖、それに着色料だろ。それから……」
今日購入する分の材料を指折り確認している姉さんの横で、俺はぼんやりと窓の外を眺めていた。ここ最近、土日ともなると姉さんとデートしているのだが、たまには惰眠を貪って1日中寝ていたい。
と。俺達が座っている後ろの座席からだろうか。何やらボソボソと女の人が喋っている声がした。
「お願いします…お願いします……どうかお願いします……どうかどうか…後生ですから……」
誰かと電話でもしてるのかな。切なそうに、惨めそうに、か細い声でボソボソと繰り返し呟いている。その声は暫く続いた。10分くらい続いたのかな?こう言っては大変失礼だが、その時の俺は早起きして眠たかったし、目的地のバス停に着くまで一眠りしようと思っていた時にボソボソと後ろの席で呟かれると、気になって寝付けない。
「お願いします。お願いします。どうかどうかお願いします。お願いします……」
後ろの席からはまだ聞こえてくる。あーあ、眠たいのになぁ、なんて思ったその瞬間。鼓膜が破れるような大声で後ろの席の人が叫んだ。
「お願いしますって言ってんだろーが!さっさとブザーを押しやがれ!いつまでたってもバスから降りれねぇじゃねえか!」
「ひええっ!!」
根拠はないのだが、俺自身に言われたような気がして、慌ててブザーを押してしまった。降りるバス停はまだ先だったのだが、チキンな俺は押さざるを得なかったのだ。バス内には「次で止まります」とアナウンスが流れる。
姉さんが俺の頭をひっぱたいた。手加減など微塵も感じられない、かなり強い力でだ。脳震盪を起こすかと思った。
「莫迦!何でブザー押したんだよ!まだ先だろーが、降りるバス停は!」
「だ、だって……後ろの席の人が……」
「後ろの席ィ?」
姉さんは舌打ちしながら後ろを振り返る。俺は首を伸ばして後ろを振り返った。そこには誰もおらず、空席のままだ。
「あれ…?どうして?だって、さっき確かに声が……」
そうこうしている内にバスが停車した。当然だが、他の乗客は誰も降りない。他ならぬ俺自身がブザーを押したのだから当たり前なのだが。
ガシャン、とバスのドアが開く。その時、俺達が座っている席の横を誰かが通ったような気配がした。ふわっ、と空気が流れる。
「ありがとよ」
そんな声が聞こえたような気がしたが、それは果たして気のせいだったのだろうか。
作者まめのすけ。