十三回目の投稿です。
僕はアルビノと呼ばれる先天的な病気です。
体毛が白金であり、肌が白く目は淡い赤色です。
それ以外は普通の人と何も変わりません。
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あれは高校三年の夏の日のことだった。
蝉の声が鳴り響く中、僕は家の近くの電気製品配送のアルバイトをしていた。
仕事を終え、休憩室でテレビを観ながらくつろいでいると笹木さんが休憩室に入ってきた。
僕の隣にドスンと座り、煙草に火をつけた。
「よぉ龍坊…」
笹木さんは低いテンションで僕の肩を強く掴んできた。僕は笹木さんが何か企んでいるのではないかと思い、怖くて笹木さんの方を見ることが出来なかった。
「なんですぐに教えねーんだよ」
笹木さんは無理やり僕の体を笹木さんの正面に向け、じろりと僕を睨みつけてきた。
「な、何の話ですか?」
僕は蛇に睨まれた蛙ように、体が硬直して身動きがとれなくなってしまった。
笹木さんは睨んだまま僕に顔を近付けていき、とうとう笹木さんと僕の顔の距離は1㎝を切るくらいまで接近してしまった。
全身から冷や汗が湧き出る感覚を覚えた。
「免許取ったんだってなぁ…」
「へっ?!」
笹木さんは右の口角を上げ、不気味に微笑みだした。免許を取ったことは笹木さんの妹の杏里さんには知らせてあったのだが、笹木さんには直接伝えていない。かと言って、何故笹木さんがこの様な反応をとるのかが理解できなかった。
「それがどうかしたんですか?」
恐る恐る聞いてみる。
「免許を取ったってことは、車が必要だよなぁ?」
「えっ?いや、欲しいは欲しいですがお金がありませんし…」
「車が欲しいんだよなぁ?」
「あっ、ですからお金が…」
「欲しいよな?!」
「はいっ!!」
笹木さんの質問の意図が分からなかったが、あまりの重圧に『はい』と言ってしまった。
「よし!じゃあ後で家に迎えに行くからな!」
笹木さんは急に笑顔になり、休憩室から出て行ってしまった。僕は物凄く嫌な予感を感じながら、家へと帰った。
家に帰り、シャワーを浴びて部屋でテレビを観ていると、携帯電話の着信が鳴った。着信音で誰だかすぐ分かる。笹木さんだ。
急いで外に出ると、笹木さんが玄関の前で立っていた。
「車に乗れ」
僕は黙って笹木さんの車の助手席へと乗り込んだ。
「こんばんはー!」
杏里さんが後部座席に座っていた。このパターンは危険だと感じたため、車から出ようとドアノブに手をかけた。
「どうかしたか?」
笹木さんの殺気が微量ではあったが伝わってくる。
僕はドアノブからゆっくり手を離した。
「何でもありません」
笹木さんはゆっくりと車を出した。杏里さんが乗ってる場合は笹木さんはかなり安全運転だ。唯一それが救いだった。
「笹木さん、これからどこに行くんですか?」
「あ?車屋に決まってんだろ」
「今から行って大丈夫なんですか??もう9時半ですよ!」
「大丈夫大丈夫!俺の後輩の車屋だから平気平気!」
「それに本当に僕お金ありませんからね!行ったとしても見るだけですよ!」
笹木さんはニヤリと笑った。
「タダだよ」
「へっ?!」
「だから無料なんだっての!向こうはタダでも手放したい車があんだとよ。おめぇは金がないけど車が欲しいんだろ?」
僕はゴクリと唾を飲み込んだ。車屋が車を無料で提供する、そんなことが実際起こり得るのだろうか。もし本当に無料となると、確実に何か『裏』があるに決まっている。
「笹木さん!本当に申し訳ないのですが、僕車はやっぱりいらないです!」
「着いたぜ」
遅かった。笹木さんはゆっくりと車を停車させた。
そこの車屋は車が三台並んでいるだけで、他に車を置けるスペースがなく、小さな車屋であった。しかも看板らしきものも見当たらない。車が置いてある奥に事務所が見えた。
僕たちは車から降りて、事務所の入り口に立った。
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「カラカラカラ」
笹木さんが事務所のドアを開ける。
「笹木さん!お久しぶりっすぅ!それに杏里ちゃんまた可愛くなったっすねぇ!」
笹木さんと同じパンチパーマの男の人が出迎えてくれた。夜なのに何故かサングラスをかけていて、にっこり笑っているが前歯が一本無いため、僕にはその笑顔が怖くてたまらなかった。
「久しぶりだな浩一!儲かってるか?」
「浩一さん!お久しぶりですぅ!」
笹木さんも杏里さんもこの人と顔馴染みのようで、三人で楽しそうに昔話も交えて話していた。
「ところで例の車はどこよ?」
「すぐそこに置いてあるっすよ!」
浩一さんはそう言うと僕たちを例の車のところへ案内してくれた。並んでいる車の一番左の車に薄汚れたカバーがかかっていた。浩一さんはそこへ近付き、かかっているカバーを一気に外した。
例の車は真っ黒な国産の高級セダンであった。見た感じは傷も無く、綺麗な状態だ。まさかこんな車がタダなはずがない。
「いやぁ助かったっすよぉ!そんじゃ簡単に操作方法教えますんで!」
浩一さんはそう言うと車の助手席に乗り込んだ。僕は笹木さんに半強制的に運転席へと座らせれた。革のシートが体にフィットして、さすが高級車という感じてあった。
教習車との違いに困惑しながら、浩一さんが教えてくれる操作方法を必死に頭の中に詰め込んだ。
「それじゃあ事務所に戻って契約しちゃいましょっか!」
浩一さんは軽めのテンションで車から降りた。僕もすぐに車から降りる。
「あ、あのぉ、急にこんな大きな車を運転するのはちょっと無理です…」
浩一さんは僕の言葉に表情が険しくなってしまった。
「パン!」
杏里さんが急に手を叩いた。
「いいこと思いついた!これからこの車を試乗してみて、それから契約するか決めるってのはどう?!」
笹木さんは車のボンネットを強く叩いた。
「よっしゃ!その案乗った!」
笹木さんはそう言うと車の後部座席に、杏里さんは助手席へと乗り込んだ。僕は仕方なく運転席へと乗り込むことにした。
「それじゃあ、出発進行!!」
杏里さんの弾けるような明るい声が、車内に響いた。僕はサイドブレーキを解除し、シフトを『D』に入れ、ゆっくりと車を発進させた。
とにかく運転することで精一杯であったため、試乗コースは杏里さんが指示してくれた。
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一時間くらい車を走らせていると、ある異変に気付いた。いつの間にか街灯がほとんど無い道を走っているのだ。先程まで明るかった景色とはだいぶ違い、民家がポツポツと見えるくらいの田舎道を走っていた。
「杏里さん、そろそろ戻らないと…それに今どこを走ってるんです?」
「龍悟くんの運転練習も兼ねてるから大丈夫よ!それにもう少しで着くはずだから!」
「えっ?どこに向かってるんですか?」
杏里さんの反応がない。チラッと杏里さんの方を横目で見ると、杏里さんは何かの本を手に持っていた。僕は凄く嫌な予感がした。
「杏里さん、その手に持っているものって…」
「あっ!これねぇ!これは心霊スポットの案内マップが載っている本なの!」
「…ってことは…」
「今から行くところはかなり危険なスポットみたいだから、お兄ちゃんと龍悟くんがいなきゃ不安なのよ!だからよろしくね!」
完全に杏里さんの策にはめられた。初運転で緊張しているというのに、更に行きたくもないスポットへ誘導させられているのだ。笹木さんと一緒に杏里さんのことを止めようと思い、バックミラーで後部座席の笹木さんを見ると、笹木さんは横になって爆睡していた。
「…ジジ……ジジジジジ…」
急に車のオーディオから奇怪な音が流れてきた。
「あれ?ラジオかなぁ」
杏里さんはオーディオのボタンを色々押しているようであったが、一向に奇怪な音は止まらなかった。すでに辺りは街灯も無く、車がぎりぎりすれ違える位の狭い道を走っていた。更に道が舗装されていないため、僕らの乗っている車の車体は何度も上下に揺れていた。そんな中でも笹木さんは全く起きなかった。
「ほんとにあった」
杏里さんはボソッと呟いた。車のライトが照らす先には、トンネルが見えた。それもかなり古い。トンネルのまわりは雑草に覆われていて、トンネルの中はライトが点いていない状態で真っ暗だった。
僕はトンネルの手前で車を停車させた。
「杏里さん、ここまで来てなんですが、これ以上は無理です」
杏里さんは僕の左腕を強く掴んだ。
「龍悟くん何言ってるの?すぐ目の前に感動と興奮が待ってるのよ!」
杏里さんは目を輝かせていたが、言っている意味が理解出来なかった。
僕が困った顔をしていると、杏里さんは僕の左腕から手を離した。
「わかったわよ。ここで降りればいいのね!私一人で行けっていうのね!龍悟くんはそれでいいのね!」
杏里さんは急に怒り出し、助手席のドアを開けて車から出て行こうとした。僕は慌てて杏里さんの腕を掴み、降りようとするのを止めた。
「ちょっと待ってください!どうしてそうなっちゃうんですか!!」
杏里さんは車から片足出しながら俯いた。
「だって一緒に行ってくれないんでしょ?だったら私一人で行くしかないじゃん」
杏里さんの声は少し震えていた。
「わかりました!行きます!でも少しだけですよ!」
杏里さんは車から出ていた片足を中に入れ、勢いよくドアを閉めた。
「さすが龍悟くん!ほんと優しいよねぇ!」
杏里さんはすぐに上機嫌になった。僕はそんな杏里さんを見て、このわがまま娘!と言ってやりたかったが、胸に手を置いて気持ちをなんとか落ち着かせた。
僕はアクセルを軽めに踏み、トンネルの中にゆっくり入っていった。
僕は車のライトが照らす先を見つめながら、無心で車を走らせた。
五分ほど走ったが、特に何か起こる訳でもなく、暗闇と静寂がただひたすら僕たちを包み込んでいった。
「何にも起こりませんね。そう言えばここは何の心霊スポットなんですか?」
「このトンネルは大昔に作られたみたいなんだけど、作る途中で何度も事故があったんだって。その事故で亡くなった霊がこのトンネルをさまよい続けているって噂で、夜中にこのトンネルを通ると呻き声が聞こえたり、幽霊が見えたりするんだって」
杏里さんは両手を胸の位置でだらんと垂らし、幽霊のマネをしていた。
更に奥に進んでいったが、矢張り怪奇な現象は全く現れることはなかった。
「杏里さん、残念ですが何も起こらないようなので戻りますよ」
杏里さんは残念な表情をして、心霊スポットのマップをバッグにしまった。
「今回はハズレかぁ!まぁしょうがないね。戻ろっか」
僕は何度も車を切り返し、Uターンをして来た道を戻っていった。
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「ちょっと止まって!」
杏里さんが急に大声を出したため、僕はその声に驚いてブレーキを強く踏んだ。僕も杏里さんも一瞬体が前につんのめる。
「急にどうしたんですか?!びっくりしましたよ!」
杏里さんは眉をひそめて左の後ろの方を見ていた。
「龍悟くん、さっき左の壁沿いにお地蔵さんが見えたの」
杏里さんはそう言ってシートベルトを外し、車から降りてしまった。こんな所にお地蔵さんがあるわけないと思ったが、仕方なく僕もエンジンを止めて車から降りた。
「さむっ!」
今は夏場だというのにトンネルの中はひんやりとした空気が漂っていて、体が震えを起こすくらい寒く感じた。
杏里さんはショルダーバッグから懐中電灯を取り出した。
「用意がいいですね…」
杏里さんはふふふっと笑い、懐中電灯をつけて歩き出した。僕は杏里さんの後ろにつづいた。
「あったわ」
少し歩くと杏里さんの言ってた通りにお地蔵さんが壁沿いに立っていた。しかもお地蔵さんの右隣にはドアらしきものが見える。
僕と杏里さんはそのお地蔵さんに近付き、お地蔵さんに懐中電灯をあてた。お地蔵さんは薄汚れてはいたが、比較的綺麗な状態であった。
「ちょっとこれ見て!」
杏里さんがお地蔵さんの足元を照らした。そこにはお団子みたいな白くて丸い物が2つ、お供えしてあるかのように置いてあった。
杏里さんがその丸い物に触ろうと、しゃがみ込んだその時…
「ギィ」
お地蔵さんの隣のドアが少し開いた。そしてドアの隙間からゆっくりと手が伸びてきたのだ。
僕も杏里さんも金縛りにかかったように、身動き一つ出来ないでいた。
ドアから伸びた手はお地蔵さんの足元までいくと、手探りするかのように指を地面に這わせた。その手は生気が感じられないほど青白く見え、僕は恐怖で体中の毛穴から冷や汗が出てくるような感覚に陥った。
その手は白くて丸い物を2つ掴むと、ドアの中ににゅるりと戻っていき、ドアはゆっくりと閉まっていった。
ドアが閉まる音が聞こえ、やっと僕たちは金縛りから解放された。僕は緊張から解放され、ぺたんと地面に腰をついた。
「杏里さん、もう無理です。帰りましょう」
杏里さんは懐中電灯で僕の顔を照らしてきた。僕は眩しくて目を瞑る。
「龍悟くん、あれが何なのか気にならないの?!」
「気にならないですし、とにかくここは帰った方がいいと思いますが…」
杏里さんはずいっと僕の方に顔を近付けてきた。
「ここで帰ったら笹木家の名が泣くわ!龍悟くんがそんなに腰抜けだとは思わなかった!私一人でも行くわ!」
笹木家がどんなものかよく分からなかったが、杏里さんを止めるのは無理だということは分かった。
「杏里さん!とりあえず笹木さんを呼んできますので、待っててください」
僕はそう言って走って車へ戻った。
後部座席のドアを開けると、笹木さんは相変わらずいびきをかいて熟睡していた。
「笹木さん起きてください!」
僕は笹木さんの耳元で大声を出しながら、笹木さんの肩を強く叩いた。それでも笹木さんが起きる気配がなかったため、肩を掴み全力で体を揺すってみた。
しかし笹木さんのいびきは止まらない。
僕は笹木さんを起こすのを諦めて、杏里さんの所へと戻った。
お地蔵さんの前まで行くと、杏里さんの姿が消えていた。
「本気かよ…」
僕の声はトンネル内に虚しく響いた。怖すぎて心が折れそうになる。これからする行動を考えると、自然と体が震えだした。
体の細胞全てが危険信号を発し拒否反応を示していたが、僕は歯を食いしばりドアに近付き、なんとかドアノブを掴むことが出来た。
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「ガチャ…ギィィィ」
ドアノブを回し、恐る恐るドアを開ける。ドアを開けると中から黒いオーラが僕を待ち構えていた。
意を決して中に入る。中に入ると全体に黒いもやのようなオーラが充満していた。真っ直ぐと廊下が伸びており、数メートル歩いた先は階段となっていた。
僕は周りを警戒しながら少しずつ廊下を進んで行く。僕の足音だけが廊下に響き渡っていた。
階段の前に立ち、階段の先を見上げた。
「誰かいるんですか…」
微かに女性の声が聞こえた。
「杏里さんかもしれない!」
僕は怖い気持ちを無理やり押し込め、夢中で階段を駆け上がった。
階段を上りきると、更に廊下が真っ直ぐ伸びている。先ほどの女性の声は聞こえない。
「杏里さん!」
暗闇に向かって大声で叫ぶも、僕の声は暗闇に吸い込まれるだけであった。
廊下の右手にドアが見えた。そのドアはちょうど顔の位置辺りが四角く曇りガラスになっている。僕はゆっくりとドアを開け、中に入った。
中は20畳程あり、真ん中にはデスクが6つ向かい合うような形で置かれていて、一番奥に大きめのデスクが置いてあった。左手には書庫が並んでいる。
「龍悟くんこっち!」
一番奥のデスクから杏里さんが半分顔を出して、手招きしている。僕は駆け足で杏里さんに近付いた。
杏里さんは僕の腕を強く掴み、デスクの裏に引っ張り込んできた。杏里さんは額に大汗をかき、何かに怯えているように見える。
「杏里さん心配しましたよ!早く車に戻りましょう!」
「しーーーー」
杏里さんは眉間にしわを寄せ、僕の口に人差し指を当ててきた。
「静かにして。あいつに聞こえちゃう」
杏里さんはぎりぎり聞き取れるくらいの小声でしゃべった。
「あいつって何ですか?」
「ドアの方を見てみて…」
僕はデスクの脇から顔を出し、入ってきたドアの方に目をやった。曇りガラス越しではっきりとは分からないが、誰かがドアの前を行ったり来たりしているように見える。
「誰かいるんですか…誰かいるんですか…誰かいるんですか…」
ドアの外から杏里さんの声が聞こえる。僕はどういうことか分からず、杏里さんの方を見た。
「外にいる何かが私の声をマネしているの…」
杏里さんは小さく震えていた。ドアの外の声は徐々に大きくなっているように感じられる。
「とにかく隙をみて、ここから出ますよ」
僕は杏里さんの震える手を握りしめ、立ち上がろうとした。
「ガンッ」
立ち上がる際にデスクに体をぶつけてしまった。思わずしゃがみ込み、ドアの方をジッと見つめた。
ドアの外の声は聞こえなくなっていた。握っている杏里さんの手が凄く震えている。
「今がチャンスです。ここから出ますよ」
僕はそう言って杏里さんの方を見た。
「ゔぅぅぅぅぅぅぅ」
杏里さんは呻き声を上げながら、物凄い速さで首を激しく左右に振っていた。
「杏里さん?」
僕の言葉で杏里さんの動きはピタッと止み、静かに俯いた。僕は嫌な予感がし、杏里さんの手を離して身構えた。
「ばぁぁぁぁぁぁぁぁああ」
急に杏里さんは口を大きく開き、僕を威嚇するように大声を上げ、僕の両肩を掴んできた。
僕の肩を掴んでいる力は女性とは思えない程強く、僕はその力に圧倒されしりもちをつき、完全に怯んでしまった。
杏里さんは口からよだれを垂らし、目を大きく見開いている。
「ミツケタァァァァァア」
もはや杏里さんの声ではなく、憎悪に満ちた女性の声のように聞こえた。
僕は杏里さんのかけているショルダーバッグの中に手を突っ込んだ。
「杏里さんから離れろぉ!」
僕はバッグから御札を取り出し、杏里さんに叩きつけた。杏里さんから黒いオーラが放出される。
「ぷふぅぅぅぅう」
杏里さんは上を見上げて大きく息を吸い込んだ。そしてゆっくりと顔を戻し、涙を溜めた目で僕を見つめてきた。
「龍悟くん、ありがとぉ」
なんとか正気に戻ったようだ。僕は杏里さんの肩を抱き、杏里さんを立たせてからもう一度強く手を握った。
「杏里さん!出ますよ!」
「うん!」
僕たちがドアの方に向かおうとした時、あることに気付いた。
「ドアが開いてる…」
杏里さんがボソッと呟いた。ドアは開け放たれている。
「ペタン…カサカサカサ…ペタン…カサカサカサ」
ドアの外から奇妙な音が聞こえてくる。その音と共に寒気が僕の体を襲った。
そして青白い手が僕たちがの居る部屋の入り口に見えた。
「ペタン…カサカサカサ」
その青白い手は地面に手を突き、まさぐるかのように指を動かしている。
僕と杏里さんは得体の知れないものへの恐怖で、その場から動くことが出来ず、ただその青白い手を見つめていた。
「ばぁぁぁぁぁああ」
背筋が凍りつくような奇声を上げながら、そいつはとうとう姿を現した。
四つん這いの格好で部屋の中に入ってきたのだが、異様な姿であった。両腕は異常に長く、僕の身長と同じくらいの長さであり、指先は常にカサカサと奇妙に動かしている。そいつは裸で、女性の体をしているように見え、髪は地面につくほど伸びきっていた。
そして、そいつの顔には目がなかった。目があるべきはずの場所には、ぽっかりと穴があいているかのように空洞になっていた。
「誰かいるんですか…」
そいつは感情がこもっていない言葉を発しながら、無表情で少しずつ僕たちに近付いてきていた。
「いぃぃぃ」
杏里さんが小さな悲鳴を漏らしてしまった。
「いぃぃぃ」
そいつは動きを止め、嬉しそうな表情をして杏里さんと同じように悲鳴を上げた。
「…ぽにゅん…ボト…ぽにゅん…ボト」
そいつの口から何か白くて丸い物が床に落ちていった。
僕はそれを見てすくみ上がった。口から落ちた物は『目玉』であったのだ。そいつはその目玉を片手で拾うと、両目の窪みにボコッボコッとほめ込んでいった。
無造作にはめ込まれた目玉はぎゅるぎゅると動き出し、ついには僕たちの方へと目線を真っ直ぐ合わせてきたのだ。
「杏里さん!懐中電灯!」
僕が叫ぶと杏里さんはバッグの中から懐中電灯を取り出し、僕に手渡した。
僕は懐中電灯を受け取り、そいつの顔に光を照らそうと懐中電灯を構えた。
そいつは前屈みになり、僕を見つめながら首を傾げ、そのままぐりゅんと首が180度回り、顎が上、額が下と顔の天と地が逆さのような状態になった。
僕は膝が震え、今にも座り込んでしまいそうになるのを必死で耐えながら、懐中電灯のボタンを押した。
「ひぎぃ」
懐中電灯の光はそいつの顔を真っ直ぐ照らした。そいつは目が眩んだのか、険しい表情で目を瞑った。
「いける!」
僕は杏里さんの手を引き、部屋から出ることが出来た。そしてそのまま廊下を走り、階段を転がるようにして降りていった。
「ガチャ」
無我夢中でドアを開け放つ。
「ぴちょぴちょぴちょぴちょ」
ドアを開けた僕たちを待っていたのは異様な光景であった。トンネルの天井から水滴が滴り落ちているのだ。トンネルの中で雨が降っているような錯覚に襲われた。
杏里さんが僕の手を強く握ってくる。ここで立ち止まっている暇はない。あいつがすぐ後ろまで迫っている。
僕は杏里さんの手を強く握り返し、車へと無我夢中で走った。
僕と杏里さんの激しい息づかいがトンネルの中に響く。
「ズサァァァ」
車まで後少しのところで、僕は右足首を掴まれ転んでしまった。
「龍悟くん!」
杏里さんは僕の腕を掴もうとしたが、遅かった。
僕は左足首も掴まれ、腹這いの状態で後ろに引きずられた。
怖くて後ろを振り向くことができない。必死に体を振るわせながら地面に手をついたが無駄であった。
「げぇげぇげぇげぇげぇ」
僕の体は不気味な声と共にドアの中に入っていった。杏里さんの叫び声が微かに聞こえる。
絶望と恐怖で意識が遠のいてしまいそうになる中、ドアがゆっくりと閉まっていくのが見える。あまりの恐怖で僕の思考回路は正常な機能を果たすことが出来なかった。
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「ガン!」
ドアが閉まりきる直前に、ドアの動きが止まった。ドアの端を掴むゴツい手が見える。
「ギギギ…ギギ」
ドアが少しずつ開き、隙間から真紅のオーラが漏れ出してきた。
「おいおいクソ妖怪。俺の可愛い弟に手を出してんじゃねぇぞ」
ドアが開ききると、『鬼』が立っていた。否、正確には『鬼の形相』をした『笹木さん』が立っていたのだ。
笹木さんは僕に素早く近付き、僕の襟を掴んで勢いよく引っ張り上げた。
僕はいとも簡単に両足首を掴んでいたモノから解放された。
「笹木さん!」
僕は笹木さんが来てくれた安心感と、今までの恐怖により涙が止まらなくなってしまった。笹木さんはそんな僕を見て、優しく頭を撫ででくれた。その時、笹木さんの右手に大量の白い粉が握られているのが見えた。
笹木さんは握っている粉を僕に見せつける。
「昔っからナメクジには塩って決まってらぁな!」
笹木さんはニヤリと笑った。僕には笹木さんの言っていることがさっぱり分からなかったが、何故か心強かった。
笹木さんは僕のことを後ろに押しのけ、得体の知れないモノに近付いていく。そしてそいつの首をがっしりと掴んだ。
「ばぁぁぁぁぁああ」
そいつは笹木さんに向かい目を吊り上げ、顎が外れているかの如く大きく口を開き威嚇しているようだが、笹木さんは一切動じない。
笹木さんは右手の中の塩を握りしめ、限界まで重心を右に傾けた。
「ゴリュ…」
笹木さんはそいつの口の中に殴る様に拳を入れ、そのまま肘の辺りまで腕を突っ込こんだ。
「…ボト…ボト…」
そいつの両目から目玉が落ちていった。
「ズリュ」
腕を引き抜くと、そいつは耳が痛くなるような奇声を上げ、のたうち回った。
「パン!」
笹木さんは力強く手を合掌させた。
「成仏しやがれ」
それだけ言って僕の肩を掴み、ドアを開けて出て行った。ドアが閉まった後も、おぞましい呻き声が聞こえた。
「龍悟くん!よかった!」
杏里さんは大粒の涙を流しながら僕に抱きついてきた。
「帰るべ」
笹木さんはそう言って僕の背中を右手で叩いた。叩いた後に何かを拭き取るかのように僕の背中を必要以上に触っていたが、気にしないことにした。
僕たちは車に乗り込み、すぐに来た道を戻っていった。
「次はどこに行こっかなぁ!」
杏里さんは助手席で心霊スポットのマップを広げてニコニコしている。
バックミラーを見ると、笹木さんは眠そうにうとうとしていた。
「そう言えば笹木さん…あいつのことは食べなかったんですね…」
「あ?あいつはすでに賞味期限が切れてるからな」
笹木さんはそう言って大きな欠伸をした。
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「…ジジジ…ジジ…」
オーディオからまた奇怪な音が流れ出す。
笹木さんが眠いのは無理もない。
運転手にしか見えてないみたいだか、笹木さんの隣にはずっと女性の霊が居て、まるで子供をあやすように頭を優しく撫でているのだから…
作者龍悟
今回は笹木さんシリーズです。
出来上がってからかなり文章を省いていきましたが、今回も長くなってしまってすいません。
読んでいただき、ありがとうございました!