俺には4つ年上の姉がいる。外見はクールで、取り澄ましたようにツンと唇を尖らせている知的美人タイプの姉さんだ。
弟の俺が言うのも何だが、姉さんの最大の魅力は見事なまでに曲線美を描く両の足だと思う。運動系の部活をやっていないにも関わらず、キュッと締まった足首。すんなりと伸びたふくらはぎ、絶対領域である太もも……。世の男は、こういった美しい足の持ち主に頭やら背中やらを踏みつけてほしいと願う筈である。
黙って笑ってりゃそれなりにモテる筈の彼女なのだが、ブラコンである姉さんは弟にしか興味がないらしく(爆弾発言!)、これまでに彼氏がいた試しがない。実にもったいない。今が食べ頃なのに。
まあ、姉の自慢話はこれくらいにして。それでは退屈しない内に本題へと移ろう。かなり後味の悪い話なので、読み飛ばして貰っても構わない。実際、あの出来事は、今もずっと俺の中でくすぶっているのだから。
事件が起きたのは、秋風荒ぶ夕暮れ時のこと。両親が揃って残業になるとのことで、俺と姉さんは揃ってキッチンに立ち、夕食の準備をしていた。
すると玄関からチャイムの音がした。姉さんは危なっかしい手付きでブロッコリーを荒っぽく刻んでいる最中だったので、俺が出ることにした。
「はい、どなたで……」
「助けてほしいんです!」
開き掛けたドアの隙間から女性が飛び込んできた。走ってきたのだろうか、息せききっている。長い髪の毛も乱れて顔に張り付いていた。見覚えのないーーーというより、初めて見る顔だ。年は二十歳前後だろう。
「助けて下さい!人伝に聞いたんです!こちらに若い女性の霊能者がいるって。だから来たんです。お願い、早いところ何とかして!私、このままだと会社にも行けないんです!」
「あ、あの……」
とりあえず落ち着いて、と言い掛けて。俺は彼女のお腹がはちきれそうに膨らんでいることに気が付いた。
彼女は寒河江里沙(サガエリサ)と名乗った。近所の会社に勤める平凡なOLだという。俺と姉さんは黙ってソファーに身を預け、里沙さんの話に耳を傾けていた。
「イタズラ……だったんですよ。ほんの軽い気持ちだったんです」
里沙さんの同僚に柏峰璃(カシワミネリ)さんという女性がいた。2人は大学時代からの付き合いで、卒業後も同じ会社に就職したらしい。
ところで里沙さんには高校時代から付き合っている彼氏がいた。2人の間には結婚話も出ていたらしいのだが、ふとしたことがキッカケで大喧嘩になってしまった。そのことを知った峰璃さんが、何とか仲直りさせようと取り計らってくれたのだが……。あろうことか、里沙さんの彼氏と付き合い出してしまったのだ。
そして2人は半年前に結婚。結婚後、峰璃さんはすぐに妊娠したという。
「赦せなかった……。彼のこともそうですけれど、何より赦せないのは峰璃です。私達が喧嘩していることをいいことに、彼に取り入って、挙げ句に結婚、子どもまで……赦せない。赦せなかった。どうしても赦せなかった。峰璃が憎らしかったんです。殺してやりたいと思った。不幸になればいいと願った。絶望を味合わせたかった」
「だから、」
だから、里沙さんは。峰璃さんを「呪う」ことにした。
家にあるパソコンで「人を呪う」類のサイトを検索し、適当に見繕ったサイト。それは呪いたい相手の名前と生年月日を書き込めばいいだけの、何ともお粗末なものだったが、里沙さんは軽い気持ちで峰璃さんの名前を書き込んだのだという。
その数日後。峰璃さんが流産したという話を里沙さんは耳にした。
「流産した理由は分からなかったそうです……。順調に育っていたらしいんですけど、急に駄目になってしまったらしくって。私が呪いを掛けたせいかとも思ったりしたんですけど……あんなチャチな呪いが本当に効く筈がない、私のせいじゃないって言い聞かせていたんです」
でも、と。里沙さんは唸るように呟いて、自分の腹部を見下ろした。
「……峰璃が流産してすぐ、私のお腹が膨らんできたんです。私は妊娠なんてしていません。でも生理も止まってしまったし、悪阻みたいな症状もあって……。婦人科に行ったんですけど、子宮には何もいないのに、体だけはハッキリと妊娠している兆しが出ているそうなんです。外見からすれば、臨月を迎えた妊婦そのものでしょう?先生も首を傾げていました。こんなことは有り得ない、どうすればいいのかもサッパリ分からない、と」
里沙さんはグイと身を乗り出し、テーブルに頭を擦り付けるように前屈の姿勢を取った。
「お願いです!私にはきっと、峰璃の赤ちゃんが憑いてしまっているんです!きっとそうです!私のことを怨んで取り憑いたに違いありません!会社には病気だと言って、長期休暇を貰って休んでいますけれど……いつまでもこんな状態じゃいられないし。医学的にも治らないんです。御祓いして下さい!」
「無理に祓おうとすれば、嬰児の霊はあなたの子宮や膣を食い破り、腹を裂いて出てくる」
「……え、」
姉さんの衝撃的な一言に、里沙さんは血の気の引いた顔をして固まった。そして再び自分の膨れ上がったお腹を見つめる。姉さんは無表情で里沙さんのお腹を指差した。
「肝心なのは呪いの掛け方じゃない。あなたが峰璃さんを憎み、呪いを掛けた。その事実だけで充分。呪いは功を成し、発動した。あなたは軽い気持ちで峰璃さんを呪ったんじゃない。本気で呪ったんだ。でなければ、こんな結果にはならなかった。少なくとも峰璃さんは流産したりしなかった」
「ち、違う。私は本当に軽い気持ちで、」
「人を呪わば穴二つ」
里沙さんの台詞に被せるように。有無を言わせない強い口調のままーーー姉さんは続ける。声の芯に静かな怒りを含ませながら。
「覚えておくんだな。呪いっていうモンは、呪われた相手よりも呪った本人に返ってくるほうが大きい。大きいしーーーそれに厄介だ。私には何も出来ないよ。私は一端の専門家じゃないんだ。簡単な御祓いは出来ても、呪詛や水子霊の供養は専門じゃない。一応、水子供養の出来る寺を紹介はするけれど……有り体に言って、あなたが救われる可能性は低い。だけど勘違いするな。あなたは被害者ではなく、加害者だということを。事を招いたのはあなたであり、罪のない嬰児を不幸に追いやった加害者に過ぎない」
そこで一旦言葉を区切り、姉さんは辛辣に最後の一言を口にした。
「助けてくれだなんてーーー浅ましい。甘えるな」
里沙さんが帰った後も、姉さんはソファーに腰を下ろしたままだった。唇を真一文字に結び、苦い表情のまま一言も発しない。
「シチュー、作りかけだけど」
やんわりと話し掛けると、姉さんは俺に「おいでおいで」と手招きをした。隣りに座ると、姉さんは俺を抱き締めた。首に腕を回し、ギュッと抱きついてくる。
「私さぁ、赦せないんだよ。ああいうの」
「……ああいうの?」
「私、子どもを生めないからさ。だからこそ赦せないんだよね。命を軽んじる奴が赦せない」
「………」
「なんてね。まあいいや、この話は。さてと、シチュー食べたら一緒に風呂でも入ろうな」
そう言って。姉さんは快活に笑ってみせると、ようやくソファーから立ち上がったのだった。
作者まめのすけ。