俺には4つ年上の姉がいる。その名を御影(ミカゲ)という。ショートカットの長身美人で、切れ長の眸を持つサバサバした姉御肌の姉貴である。
最近では、どういった心境だか知らんが、俺と姉さんの間では「お互いを渾名で呼び合う」という契約が交わされた。といっても、姉さんが勝手に決めたことなのだが。
姉さんは俺のことを「おーちゃん♡」と呼んでくる。俺の名前が鴎介(オウスケ)だかららしい。因みに「私のことはミミリンって呼んでね♡」と言われた。御影だからミミリンらしいが、やや強引な感じがするのは否めない。てか、渾名で呼び合うとかバカップルみたいじゃないかよ……。
では雑談はこれくらいにして。おーちゃんが体験したホラーチックな体験談を語るとしよう。
『もしもし』
「それ」が聞こえたのは、確か2時間目の授業を受けていた頃だったと思う。2時間目といえば、大の苦手科目である数学の授業を受けていた時だ。何とか教師に指名されないよう、顔を伏せていた俺の耳元で、囁くような声がしたのだ。
『もしもし』
それは小さな声で、ともすれば聞こえないようなボリュームだったのだけれど、耳元で言われたせいかハッキリ聞こえた。
『もしもし。ねえ。』
また聞こえた。隣に座るの安兵衛澪(ヤスベミオ)が話し掛けてきたのかと思ったが、彼女は真剣な様子で黒板と睨めっこしているらしく、俺には目もくれていなかった。
『もしもし。あなたよあなた。聞こえてる?』
また聞こえた。俺の席は最後尾なため、後ろの席の奴が話し掛けてくることは有り得ない。そして隣に座る安兵衛でもないらしい。となると……
『もしもし。もしもし』
囁くような声。それは小さな女の子のようでもあったし、成人した女性のようでもあった。『もしもし』は、その後もずっと聞こえた。授業中も、給食中も、午後の授業の時も。掃除の時間もひっきりなしだ。
これは勘なのだが……俺は『もしもし』に対して返事をしなかった。こう見えても、人並み以上には怪異絡みの現象に遭遇している身分である。数々の経験からして、自分から泥沼に足を突っ込むような真似は避けるべきだと思ったのだ。
『もしもし。もしもし。ねえ。ねえってば』
「煩いなぁ……」
俺はブツブツ文句を言いながら、自宅の玄関で靴を脱いだ。結局、帰り道もずっと『もしもし』コールは止まなかった。これは怖いと言うよりウザったい。
『もしもし。もしもし』
「姉さーん、ちょっといいー?」
姉さんの自室のドアを叩く。玄関先に姉さんのローファーがあったから、帰宅しているのだろう。数回ノックをすると、「おーちゃんお帰りー。入っていいよー」との返事があった。
部屋の中に入った俺は、「うわっ!!!!」と稀に出す大声を上げた。そりゃそうであろう。こんな場面に出くわしたら誰だって驚いて声を上げるだろう。幾ら姉とはいえ、年頃の高校生があられもない下着姿で佇んでいたりしたら。
「ね、ね、ね、姉さん!ちょっ、ふっ、服服服!服!服服服服服服ふくふくフクーッッッ!!」
「帰ってきたから着替えてるだけじゃん。何をそんなに狼狽してんだ」
「早く着てよ!俺だって一応、オトコノコなんだから……」
顔を真っ赤にしてゴニョゴニョ言葉を濁す。そんな紳士な態度の俺に、姉さんは大股で近付いてくると、スンスンと匂いを嗅ぐように鼻を鳴らした。
「お前、また変なモノにつきまとわれてるね」
「わ…分かるの?」
「分かるよ。名前もないような低級で低俗の怪異だけれども、”音断ち”をしないと面倒だ。おーちゃん、ちょっと座って」
言われるがまま、フローリングに正座する。すると、あろうことか姉さんは、下着姿のまま俺の膝に跨がってきた。跨がってきやがりました。
「や、止めて!発情しないで……!」
おたおたと両手で自分を抱き締めるように肩を抱くと、姉さんは「どっちの耳から聞こえた?」と事務的な口調で質問してきた。
「ど、どっちって……、え、えぇ?」
「右耳と左耳。どっちの耳から声は聞こえてきたんだ?」
言われて必死に思い出す。目の前にある淡い水色のブラジャーや胸の谷間が気になって、集中力が途切れまくったが、それでも考えを巡らせる。
『もしもし』
……嗚呼、そうだ。確か左耳だ。左耳の方から囁かれていた。
姉さんに左耳だと伝えると、姉さんは「そうか」と短く返事をしーーー俺の両肩を掴むと、左耳に顔を寄せ、べろりと左耳を舐めた。
「うひゃっ!」
「はい、OK。音断ちしゅーりょー。これでもう声は聞こえないよ」
姉さんはニヤリと笑うと、顔を更に真っ赤にして左耳を両手で押さえている俺の頬を人差し指で突ついた。
「お子ちゃまだねぇ、おーちゃんは」
……やっぱり、この人には、勝てない。
作者まめのすけ。