駅前の大通りを抜け、立ち並ぶ商店街を歩き、細い小路を歩くこと十六歩。そこには名も知れぬ小さな店がある。
看板のない小さな店。その店を切り盛りするのは、これまた一風古風な男。着物を嗜み、足元は季節を問わず素足に下駄。男が歩く度、下駄はカラコロカラコロと嗤う。
一見したところ線の細い優男。猫のように気紛れに動く眸に、口元にはお決まりの薄笑い。豆から轢く本格的な珈琲を何よりも好むこの男の名は桐島という。
彼はプカリと煙草をふかしながら、頬杖をついて曇った窓硝子から透けて見える風景を見つめていた。
カラリと晴れた雲一つない空。澄んだ水色にほんの少し乳白色を垂らしたら、今の空と同じ色になるだろう。
しかしーーー晴れているにも関わらず、霧雨のような細かい雨が降っていた。俗に言う「狐の嫁入り」と呼ばれる現象である。
「吉兆占ひては狐の嫁入り……善き哉善き哉」
人知れずに桐島は笑う。だが、彼の笑い方はどことなく不自然でわざとらしいものだった。実は桐島にとって密やかなコンプレックスでもある。上手く笑うことが出来ないのだ。
単純に口角さえ吊り上げていれば、人は笑っているように見える。だが、桐島にはそれすらも上手くいかないのだ。彼が口角を吊り上げても、笑っているというより引きつり気味の表情に見えてしまう。
昔馴染みの知人達からは「笑顔が不気味だから人前で笑うな」とまで言われる始末だ。つまらないというか酷く滑稽な話である。
桐島は肩を竦め、一瞬おどけたような表情をし、それからキチリとフィルターを噛んだ。
「きっりしっまちゃーん!」
店の奥から女の子がヒョコンと顔を出した。頭には三角巾、左目には眼帯、右手にはハタキを持った中学生くらいの女子である。
「嗚呼、國達さん。お掃除ご苦労様」
桐島が手をひらひら振って応えると、國達と呼ばれた女の子は「きひひっ」と独特な笑い方をした。だが、ぎこちなさげな桐島の笑い方とは違い、彼女の笑い方には愛嬌がある。
彼女の名は國達晃。わけあって、この店で住み込みのアルバイトをしている。
「桐島ちゃーん。ちょっくら見てくんねーか。面白いモン見つけたんだー」
國達はハタキを脇に抱えると、両手に何やら細工の施された美しい箱を持ってきた。途端に桐島は眉を寄せる。
「ガラクタ掃除してたら見つけたんだー。きひひ、気になって持ってきちゃった。綺麗な箱じゃん。造りは古そうだけど」
「ガラクタじゃなくて骨董品ですよーーーじゃなくて。駄目ですって、こんな物持ってきちゃ」
「何でさ。こんなキレーな箱が棚の隅に押し込められてたんだぜ?埃被りまくりだったんだぜ?もっと目立つとこに置いとこーよ」
「駄目駄目。それは売れないんです。というか買い手が見つかりませんよ……」
「何でさ。こんなキレーな箱なのにぃ。てかこの箱……何が入ってんだ?」
「あわわ……駄目ですって!変な風に扱っちゃ駄目!壊したら困ります!」
箱を持ち上げ、裏から透かして見るように見分する國達。桐島は珍しく慌てた様子で、國達から箱を取り上げた。
箱を奪われた國達は、玩具を取り上げられた子どものように頬を膨らます。
「何でだよぅ。綺麗な箱じゃねーか。それとも何か。その箱には人に見せられねーような物が入ってるとでも言うのかい?」
「………」
「ほらほら何とか言えよー、桐島ちゃんよー。まさかその日本チックなデザインの箱がパンドラの箱とか言うんじゃないだろうね。きひひ、それともまさか玉手箱なの?開けて吃驚玉手箱……開けたら煙が出てきて老人になっちゃうとかぁ?」
「……パンドラの箱でも玉手箱でもありません。これはね、”コトリバコ”と言う物です」
「小鳥箱ぉ?箱の中には小鳥ちゃんが入ってるってのかい?」
「子どもを取る箱、と書いて子取箱ーーーコトリバコです。僕のお祖父さんがある筋から手に入れた物らしいんですが……」
「へえん」
國達はハタキをパタパタと振りながら、桐島の持つ箱を覗き込む。箱は縦12センチ、横20センチ、厚さは25センチほどある。
箱の隅々には、梅と思しき大小様々な花の彫り細工が施されていた。女性や子どもが好みそうなデザインである。
「コトリバコ……コトリバコ……。ふうん、へえん。どっからどー見てもただの箱だけど。桐島ちゃんがそんなに慌てふためくってことはヤバい物なの?きひひひっ」
「ヤバいなんてものじゃありませんよ……。これは所謂殺人兵器ってやつなんです」
「殺人兵器ぃー?こんな箱がぁ?」
素っ頓狂な声を出して目を丸くする國達とは逆に、桐島は苦虫を噛み潰したような顔で、自分が胸に抱くコトリバコを見やる。
「厄介な物なんですよ、これは……」
コトリバコ。漢字では子取箱と書く。これは文字通り「子どもの命を取る箱」という意味である。
昔、とある山岳地方の村には絶大な力を持った権力者によって支配されていた。傲慢かつ陰険な権力者は村人達から金や物品、作物などを巻き上げ、豪遊三昧な暮らしぶりを送っていた。
ある時、村の職人から寄木細工が施された美しい箱が献上された。優美なデザインは人目を惹きつけるものがあり、これには権力者やその家族も心を奪われたという。
特に権力者の娘は特にこの箱を気に入り、片時も離さず自分の手元に置いていた。
ところが……。権力者の娘が急死するという事件が起きた。例の美しい細工が施された箱に頭を突っ込み、血反吐を吐いて死んでいた。内臓は何故かズタズタに引き裂かれ、腹からは臓物が飛び出すという凄まじい死に様だったらしい。
その後も不幸が続いた。権力者に縁のある妻や親族の女性が同じような死に方をしたのだ。それもあの美しい箱を手元に置いていた者だけが。
血反吐を吐き散らし、激しい腹痛を訴えたかと思うと、あの箱に頭を突っ込んで息絶えた。これに恐れを為した権力者は、箱を作った職人を呼び出し問い詰めたところ、こんな答えが返ってきた。
”あの箱には村人達の怨みつらみが込められた呪いが掛けられている。呪いの効能は100年以上は続き、あなた達の血筋を途絶えさせるだろう。”
”呪いを解きたくば、今すぐ村人達への過酷な仕打ちを取り止めること。そしてあの箱を女子どもの目のつかない場所に封ずること。”
”それ以外に呪いを解く方法はない。”
権力者は震え上がり、村人達への強欲な態度を改めた。そしてあの箱は人目につかないよう、蔵の中に仕舞い込んだ。
それから何年か経った頃。権力者の身内である幼い子どもがこっそりと蔵に忍び込んで遊んでいた。その時、仕舞われていた箱を見つけてしまい、家の中に持ち込んだ。
その子どもはやはり同じくして血反吐を繰り返し、悶絶死を遂げたと言われている。
この箱は1860年から13年間の間だけ作られており、「コトリバコ」という名で呼ばれるようになった。
不思議なことに、コトリバコの呪いは女子どもにしか通用しなかった。また妊娠中の女性がコトリバコに触れると、流産したり、胎児もろとも母親が亡くなったこともあった。コトリバコを見たり手を触れた者は、必ず死が訪れると言われ、恐れられてきた。
女子どもがコトリバコに接触することは御法度となり、寺に奉納され、保管されることになった。しかし、呪いは解かれたわけではない。村人の怨みつらみを引き継いだコトリバコの呪いは140年は続くとされ、その期間は決して寺から出してはならない決まりになった。
そんな門外不出の一品だが、賊に遭い、寺から持ち出されてしまったのである。コトリバコの行方は分からず、未だにどこにあるのかは不明とされていたのだが……。
「それがこの箱ですよ。人から人へ、時代から時代へと受け継がれ、僕のお祖父さんの手に渡ったんです。あまりにも危険な代物なので、世間には公表せず、こっそりとうちの店で保管しておいたんですよ。僕もすっかり忘れてました……」
國達に箱を持ち出されて思い出した。店に陳列している棚の下段に置きっ放しになっていたのだ。
ロクに手入れもせず、放置されたまま。それをたまたま棚の掃除をしていた國達が発見したのだろう。正直、見つけないで貰えたら一番良かった。男の桐島でさえ、触れるのが躊躇されるのだから。
コトリバコに触れた國達の身を一瞬案じた桐島だったが……恐らくは大丈夫であろうと思い直す。
コトリバコの呪いは女子どもにしか発動しない。だが、それは「生きている者」限定に掛かる呪いだろうから。
「なーるほどねぇ。きひひ、だから殺人兵器ってワケ。随分とおっかない謂われがあったもんだ。くわばらくわばら」
口ではおっかないと言いながら、國達の表情は飛び抜けて楽しそうだった。まるで、見たこともない珍しい玩具を見つけた時の子どものような表情である。
ハタキを後ろ手に持ち、頭をふりふり揺すりながら桐島の手中にあるコトリバコに、鼻先をくっつけるような勢いで顔を近付けている。
隙を見て奪い取ろうとしているようにも見えた。
だが、ここで桐島は強い態度に出た。この娘は絶対この箱を持ち出すに違いない。それだけは頑として防がねばならない。
「駄目です。これは本当に危険なんです。僕もね、小さい頃、興味半分面白半分に箱を持ち出して遊ぼうとしたら、お祖父さんに見つかって逆さ吊りにされた上、裏の池に放り込まれましたからね。温厚なお祖父さんが孫の僕に手を上げたのはあれっきりです。本当に危険だからこそ、お祖父さんはああして怒ったんですよ」
「孫を逆さ吊りにした上、池に放り込むような祖父さんこそ危険だと思うけどね。きひひ、分かった分かった。分かりましたよ、桐島ちゃん。これでも居候させて貰ってる身だ。あんたに逆らうつもりはないから安心してよ」
國達はへらりと誤魔化すように笑い、被っていた三角巾を脱いだ。
「さてさて。掃除も一段落ついたことだし、お茶でも淹れるか。昨日、私が作っといたおはぎもあるんだぜー。桐島ちゃん、おはぎ好きだろ?」
「じゃあ、僕には珈琲をお願いします」
「おはぎに珈琲かよ。きひひ、桐島ちゃんの感覚ってわっかんねーよなぁ」
「嗚呼、そうだ。僕の分の珈琲ですけど、いつもより倍の時間を掛けて淹れて下さいね」
「いいけど……何で?」
桐島はぎこちない笑みを浮かべると、コトリバコを掲げた。
「目利きの鼠に嗅ぎ付けられる前に、箱をどこかに隠しておこうと思いましてね」
それを聞いた國達は愛嬌たっぷりに「きひひひっ」と笑う。
「レディーをつかまえて鼠はないんじゃない?せめて目利きの猫とか言ってほしいねぇ」
桐島の口から煙草の灰がぽとりと落ちる。最早フィルターのみとなった煙草をキチリと噛み、桐島は唇の端を不器用に吊り上げたのだった。
作者まめのすけ。