今から十年以上前の話です。12月23日天皇誕生日の午前三時自宅前出発。
「今日は吉野越えで行こう」
ここからは泉佐野打田線が近道です。旧称粉河街道という道、
でも友人は国道を逆方向に、私は言葉を飲み込みました。
「熊野の旅って黄泉路に行って蘇るという信仰があるのね」
高揚感を押さえる事ができず、口走ってる。
友人、オカルトとかホラーが大好物。
そして、まさかの
孝子峠まで行く気配、
友人はその辺りに住まわれています。
多分その土地勘、
ここで1〜2時間ロスで、
「風吹越え、凍結しているかもしれませんね?」
友人、はっとしました。
「ごめん、左折するね」
グッドタイミング、
そう、道に関しては、この人方向音痴、しかも、
「ここ曲がりま〜す」
というと、
「いやいや、こっちだ」
…すげー遠回り…
私の進言、全て却下…。(この部分、めんどくさいので、前投稿からコピペ)←カッコ内不読
軌道修正うまくいきました。^o^
行方不明にならなくて済む。このまま進めば、大阪府道・和歌山県道63号泉佐野岩出線、通称根来街道、又の名を風吹越え、
まあ、甘かったんです。
楽観バイアスにはまっていました。
暗雲が空を覆い、怪しい風が…前途多難を予感すべきなのに…。(・・;)
左折してから、何と無く時間感覚がおかしい。
JRの踏切まで普通に走っているのに、中々着かない。通常の何倍も時間がかかっています。
普通なら20分くらいで風吹トンネルを超えるのです。40キロくらいのスピードで走っているのですが、踏切までの1キロ位の道程を15分位かかっています。まさしく、徒歩のスピードです。
まさに黄泉路。走っていると妙なんです。
ここまで曲がりくねった道だった?
そして、山間の道のここかしこからライトに照らされて、前方に白いモヤが湧いてくる。
その形が石燕描く遠羅/\
細く立ち昇った靄が人の形に広がってます。
「Jさん、般若心経お願い。お経本そこに入ってるから」
声にならないような小さな声言ってます。
「そこにあるカセットでもいいけど…」
カセットのラベルを見ると『施餓鬼次第』
こんなものどこで仕入れた?
それにあんたマジですか?
餓鬼さん達、ここに呼び込む気ですか?
地縛霊とか、浮遊霊とか、幽霊全般みんな餓鬼さんなんですけど。
「いいですけど、お供物何かあります」
そう聞くと、
「Jさんの持ってる物でいいよ」
カバンの中を見ても、未開封のガム以外、
何も持ってません。
そこで言いました。
「じゃあ、リアル餓鬼呼び込んだら大変ですよ!」
「大丈夫、ここはJさんに任せる。君の忘己利他の精神に期待します」
って?供物はわしかい!(怒)
私はおもむろに念珠と、高野山でいちびって買ってしまった小野塚五条をポケットから取り出し、
大哉解脱服、無相福田衣、
披奉如来教、広度諸衆生
などとうろ覚えで唱えて、袈裟を首にかけ念珠を持って、暗記しているがほとんど我流の般若心経を唱えました。
友人がその時はハンドルから手が離れない状態だったから、それが私には幸いしました。
カセットはデッキには入れられないだろう。
思い出しました。
十月に高野山へ行った時、橋本市内辺りでこのカセットを流したことを。
天罰覿面、道に迷って同じ所をグルグル巡っていたことを。
まさかあれ忘れて無いですよね。
おっと、もたついてる間に、
ねっとりとした時間の流れの中で、アヤカシは輪郭を鮮明にしてきていました。
でも、これは夢、悪夢だよ〜と、私は自分に言い聞かせていました。
正直ガクブルでしたよ。マジね。
相手があまりにもリアルすぎるので却って現実感がなかったんです。
靄は男の姿であったり、女の姿であったりしました。年寄りも子供もいました。
靄から凝固して形になっった時、
多分、湿度の高い事で、細かい水滴が凝固しているのが、私たちの心の中で幻覚を見せている、
そう思うことにしました 。
そこでお経を読むということで、お約束事の手順を踏んでいるのだ。こーゆー話では、ステレオタイプいうか、マンネリいうか。
これは一つのセレモニー、
夢から覚める儀式なのだと。
案の定、段々と靄は風に流されていきました。
風吹トンネル近くでは、靄は全くありません。
醒めた、そう思って安堵しました。
トンネルをくぐり抜けてから時計確認、どうやら時間は巻き戻っていました。
ジャスト25分、左折した交差点からの所要時間です。
友人がいう黄泉路ですかねえ。
恐怖で唇カサカサになってました。
いろいろありましたが、無事根来寺の脇を抜け、友人は広域農道に入り、橋本市にひた走りました。
でも、一難去ってまた一難と言いますか、農道の終点近くで、霧が出始めました。
「少し休憩したい、国道に出たらコンビニを探そう」
と相談していました。
それに、かなり空腹になっていました。
喉元過ぎればってところですね。
国道に出て二つ目位の交差点で赤信号に止められました。
冬至過ぎです。まだ夜は続いています。
横断歩道を何台かの自転車が走るのが、対向車のライトに照らし出されシルエットのように目に入ります。それは非現実な光景です。
そして、信号の代わり際に目の前を横切ったものは異様でした。
二人とも同時に
「何、あれ!」
少しハモってました。
幼児位の大きさで、真っ黒、棒のように細い一本足のものが、まえかがみの状態で、
アスファルトを後ろに蹴るようにピョンピョン跳ねながら、横断歩道を渡って行きました。
一瞬の光景でした。
今だ冥界は続いています。
車が結界となって、カクリヨとウツシヨが隔てられている。
残念な事に、
今はこちら側がカクリヨ…(T ^ T)
扉一つ隔てた向こう側ではあんなものは 見えていない。多分…。
二人ともたじろぎましたが、信号が変わったのでで、車を発進させて、最寄りのコンビニに入りました。
食べ物を買い込んで、コンビニを出て、車を見たとき、背筋に悪寒が走りました。
窓は異常ありませんでしたが、車のボディーに、フロントと言わず、リアと言わずサイドと言わず
白い手形がみっしり付いていました。
そして、その手形は霜のように凍っています。
「あれって現実に起こった事だったの?」
友人は呆然としていました。
でも気を取り直して、車の中からタオルを取り出して、二人でざっと手形を拭き取りました。吹き終わり、タオルをコンビニのゴミ箱に捨てました。
その間ずっと、買い込んだ食料の入ったコンビニ袋は、腕にかけたままでした。
タオルを取る時、確かにコンビニ袋は助手席においたはずでした。
車に入ってコンビニのガレージで2人は食事を取りました。食べ物を口に入れしばらくして、2人は顔を見合わせて、
「え?」
と声をあげました。
車の中で食べたコロッケやサンドウィッチ、ほとんど味がありませんでした。
そして、缶コーヒーも…これは無糖でしたが、コーヒーそのものの味がないのです。
「強いストレス?それで味覚が麻痺した?」
私は思い出しました。バッグは車の中に置いて財布だけ持って店内に入りました。
その中にガムがあったことを。それを一枚友人に渡しました。しからばお礼とばかり、
友人は自分のこれまた車の中に置きっぱのバッグの中から、
未開封の飴ちゃんの袋をガサゴソ取り出して開封して、一粒くれました。
セーノーで同時に口に放り込むと普通に甘かった。
不用心のおかげで原因が体調で無いことが解り、喜ぶ前にガクブルしましたよ。マジで…。
脳内麻薬でハイになっても
いました。
二人とも情緒不安定です。
それでも進まなければ、黄泉路から帰らなければ、
やがて大淀から大塔村を抜けて行く道に入りました。まだ夜は深く、植林された針葉樹にはうっすらと雪が積もっています。
大塔村周辺は本格的な積雪です。空は少し明るくなり灰色がかった縹色に包まれた世界でした。
道の駅はまだシャッターを閉ざしていて、
私たちは自販機で熱い飲み物を買い、
我慢していた手洗を済ませて、
車に向かう時、道の駅の軒下に小さな雪だるまが置かれていました。
ここに私たちより前に訪れた旅人が作ったのでしょう。
雪で出来たささやかな温もりさんに、私たちは軽く会釈して車に乗り込みました。
友人は天川村の道標を見て、そちらにハンドルを切りかけました。そこで、
「弁財天お参りします?」
友人はハッとして我に返り、
「そんな事したら、熊野に到着しない」
憮然として答えました。
念願ですからね、本宮に向かいましょう。
フゥ、危ないところだったよ。
そっち行ったらゲームオーバーで〜す。
「光のトンネルを越える事出来るかな?」
友人も私も、多くの悩みを抱き、業を募らせていたんです。
その頃は…。
大塔村から先はかなりの悪路でしたが、道脇に車を停めて、山々を眺めていました。
ひときわ高い山の頂上が陽光で照らし出され、
その上に雲が出ています。その姿は羽衣を棚引かせた天女の姿で、こちらを見て微笑んでいる。
「天川村に行かなくても、弁天様が見守ってくれてますね」
思わずそう言うと、友人は少し目を潤ませて頷きました。
そこでその雲に向かって二礼二拍手一礼してから、道を急ぎました。
本宮に着く頃は道は陽光に溢れて、私たちは禍事の暗闇を抜けて、熊野の地霊の強い力を感じていました。まさにここは広大な聖域です。
本宮の道の駅の休憩所で川と山々を眺めました。
「これか、光のトンネル、やっと潜り抜けられた」
友人はそうつぶやき、これまで見たことのない晴れやかな顔をしていました。
本宮大社も大斎原も光の中、
その後、速玉大社も那智大社も滞りなく参拝して、帰りは私が運転して、かなりの速度で紀伊半島を縦断して、帰路につきました。
作者純賢庵
冬至の明くる日、陰から陽に転じた日に熊野詣でを果たした思い出です。
私は餓鬼と見てしまったものは何だったか、今も解りません。
生きながら臨死体験をしたような感じです。
先人が言うように蘇りの地とは誠に当を得た表現です。