俺には四つ年上の姉さんがいるんだけどさ。嗚呼、名前は御影ね。玖埜霧御影。
義理の姉貴なんだよ。義理っていうのは血が繋がってないってことね。隠すことでもないから話すけど、姉さんは玖埜霧家の養子として、今から七年前に引き取られてきたんだ。
当時俺は七歳。姉さんは十一歳。お互いに年端もいかないガキだったから、仲良くなるまでに結構掛かったんだよね。俺も姉さんも人見知りするほうだからさ。
いや……姉さんの場合は人見知りしてたってわけじゃないのかも。「警戒」してた感じだった。他人に対して。
養子って立場に負い目を感じてたのかもしれないね。親にしたって本当の親じゃないから素直に甘えられなかっただろうし。急に出来た弟ーーーつまり俺の存在だって戸惑っただろうし。
姉さんにしてみれば、俺達は家族じゃなく「疑似家族」だったのかもしれない。戸籍上は両親と弟ってことになってるけど、血の繋がりはないしね。
今じゃ仲良くやってるけどさ。わだかまりみたいなのはなくなったし、よく話すようになったし。弟の俺に対するツンデレ度がやや異常だけど、それなりにうまくやってる。
姉さんはさ、「見える側」の人間なんだよね。
幽霊とか妖怪とかアヤカシとか……色んな呼び方はあるけど、姉さんは怪異って呼んでる。だから俺も怪異って呼んでるんだけど。
いや、別に信じてくれだなんて言わないから安心してくれ。あなたに見えないというのなら、それが正解だ。あなたの眼球には怪異がいないということなんだろう。
……嗚呼、いや。今のはこっちの話。忘れてくれ。
話を戻すよ。
あれはいつだったかな……。雪降ってたし、寒かったから冬だったのかな。
委員会の仕事が長引いちゃって、教室に戻ってきたのが下校時間ギリギリ前だったんだ。慌てて帰ろうとしたら、
「欧ちゃん」
呼び止められた。クラスメートの日野祥子だ。日野はチョコレート類に目がないことと、名前の祥子をもじって「ショコラ」って渾名で呼ばれてた。
「おー、ショコラ。まだ残ってたんだ」
「うん。欧ちゃん待ってたの」
「…?俺を待ってたの?」
おかしな話だ。俺はショコラとそこまで仲が良かったわけじゃないし、家が近いわけでもなかったから。待ってたと言われても、咄嗟に何と答えたらいいか分からなかった。
ぽかんとしている俺をよそに、ショコラは教室内に並んでいる机を隅に移動し始めた。まるでこれから掃除に取り掛かるみたいに。
「欧ちゃんも手伝って」
「手伝ってって……お前、何してるの?掃除はもう終わったじゃん」
「掃除じゃないよ」
ショコラはニッと笑った。ショコラは目が細く、全体的な顔の印象は猫っぽかった。笑うとただでさえ細い目が糸のように細くなり、まるっきり猫だ。
「”トビオリさん”しようと思って」
「トビオリさん?全長三十センチの魚で、空中をピョンと跳ねる?」
「それは飛び魚でしょ。もう、真面目に聞いてよね。でないと耳を噛み千切っちゃうよ」
「うちのお姉ちゃんみたいなことを言うな。ジョークだよジョーク。トビオリさんだろ」
そうは言ってみたものの。トビオリさんというのが何なのか分からなかった。何だか物騒なネーミングだなあ、くらいにしか考えてなかったし。
「トビオリさんって何?」
ショコラに付き合わされ、机を教室の隅に運びながら尋ねる。ショコラはすぐに答えた。
「私のお母さんが岐阜県出身なんだけど。岐阜県に昔から伝わる遊びなんだって」
「へえ。どんな遊びなの?」
「やり方は簡単だよ。目を瞑って”トビオリさん トビオリさん トビオリさん”って三回唱えてその場でジャンプするの。簡単でしょ」
「簡単だし、つまんなそうな遊びだな……」
鬼ごっこやかくれんぼみたいにスリルがあるわけでもない。ただ「トビオリさん」と三回唱えてジャンプするだけだなんて。一体何が面白いんだろう。
「欧ちゃん、トビオリさんを莫迦にしちゃだめだよ。これね、結構こわーい遊びなんだから」
「怖い……?」
聞けばショコラのお母さんがまだ小学校だった頃、この遊びが大流行したそうだ。休み時間や放課後になると、子ども達は必ずトビオリさんをして遊んだらしい。
やり方も簡単だし、誰もが出来る単純な遊び。だが、これが後々恐ろしい現象を引き起こすきっかけとなった。
トビオリさんをして遊んでいた子が大怪我をした。頭を何針も抜い、足を骨折するほどの重傷。しかし被害はそれだけでは済まなかった。
他の子ども達も次々に怪我をしたのだ。みんなトビオリさんをした直後に大怪我をしており、ついには亡くなる子もいた。
この亡くなった子というのがショコラのお母さんの親友だったそうだ。
被害に遭った子ども達に共通していることは、全員が高い場所から落ちたような傷を負っていたということ。しかし、トビオリさんをして遊んでいた子ども達の周辺には高い建物は存在していなかった。
トビオリさんと事故の因果関係はハッキリと分からなかったものの、当時の学校関係者と保護者はトビオリさんを禁止した。それからはぴたりと被害が出なくなったという。
「他にもね、トビオリさんを実行すると異世界に飛び降りちゃうとも言われてるんだって。怖くない?でも、怖いけど試してみたいよねー」
ガタガタと最後の一つである机を持ち上げながら、ショコラは気軽な口調で言った。
「あの時、トビオリさんが禁じられていなかったら、全国的に広まってたのかもしれないね」
「……ちょっと待て。結構怖いどころかかなり危険な遊びじゃないの?死人が出たんだろ」
「大丈夫だって。欧ちゃんなら付き合ってくれるよね?」
「………」
「つ、き、あ、っ、て、く、れ、る、よ、ね」
「い、一回だけだからな」
こえーな、こいつ。有無を言わせない迫力がある。姉さんみたいだ。
机を全て隅のほうに固め、俺達二人は教室の真ん中に立った。
「手順は覚えてるよね。目を瞑って”トビオリさん”って三回唱えてジャンプよ」
「……そのことなんだけどね。これ、二人同時にやったらまずくないか?」
「は?」
「だって、二人共大怪我して身動き出来なくなる場合もあるわけじゃん。どっちかはやらないで、最悪の事態に備えてすぐに人を呼べるよう待機しとくべきだ」
「心配症なんだね」
くすっとショコラは笑った。いやね、お前は軽いゲーム感覚のつもりだろうけど、俺は何度も危ない目に遭ってるから人一倍警戒してるんだよ……と言えるなら言いたかった。
言えないけど。
「いいよ、別にそれでも。その代わり、最初にトビオリさんやるのは欧ちゃんね」
「何で!?」
「驚くことじゃないでしょ。女の子に怪我させるつもりなの?」
「ううう……」
厄介なことになってしまった。確かにショコラの言う通りだ。女の子に怪我させてもいけないし……俺だって怪我はしたくはないけど。
でも、ショコラが一人でトビオリさんを実行して、大怪我してしまうのも可哀想だし……男として恰好つかないし……でも怖いし……。
「欧ちゃん、早くやってよ。欧ちゃんがやったら私もやるからさ」
「わ、分かったよ」
俺は渋々目を瞑った。そして口早に唱える。
「トビオリさん、トビオリさん、トビオリさん」
で、ジャンプ。
これで終わり……なんだよな。
そろりと目を開ける。
「…いてっ」
頭を何かにぶつけてしまった。頭をさすりながら視線を上げると、天井が頭スレスレの所にあった。
「え?」
何で天井がこんなに近いの?はっとして足元を見たら、高く積み上げられた椅子の上に立っていた。少しでもバランスを崩せば真っ逆様。
打ち所が悪ければ、最悪死ぬかもしれない。
「……おや?」
何じゃこりゃ。どうしてこんな場所にいるんだ?
辺りを見渡す。向かって前方に黒板があり、後方にはショコラと隅に置いた机が並んでいる。壁に貼られたポスターや掃除当番の表を見る限り、ここは間違いなく俺が所属しているクラスの教室だ。
「ショコラ……?」
そういえばショコラは?
教室の中はガランとしており、人影がない。試しに何度か名前を呼んでみたが、彼女はどこにもいなかった。
ショコラの悪戯か?俺がトビオリさんをしている間にこんな手間の掛かる悪戯をして、自分だけ逃げたとか。
いや……それはない。
先述したように、トビオリさんは簡単に出来る遊びだ。目を瞑り、「トビオリさん トビオリさん トビオリさん」と三回唱えてその場でジャンプ。手順を全てこなしても、せいぜい十秒前後だろう。
そんな短時間の間に椅子を高く積み上げ、まして俺をその上に乗せることなんて、どう考えたって無理だ。
てことは。
「怪異絡みの事件ーーーってわけね」
ふうむ。これを怪異絡みの事件だと仮定してみよう。
今、俺が置かれている状況というのは、トビオリさんをしたからだと思われる。
トビオリさんを実行した子ども達は怪我をしたり死亡するケースもあったという。子ども達の負った怪我には共通点があり、どの子も高い場所から落ちたようなものであるというもの。
しかし、子ども達の周辺には高い建物はなく、トビオリさんとの因果関係は依然として分かっていないままーーーなんだっけか。
と。
教室の入り口がカラリと開き、誰かが入ってきた。
「ショコラか!?」
違った。
小学生くらいの子ども達がわらわらと教室内に駆け込んできたのだ。
子ども達は高く積み上がった椅子の周りをぐるりと回り込み輪になった。そしてニヤニヤしながら黙って俺を見上げている。
「君達、何でここにいるんだ?ここ、中学校だよ」
話し掛けてみたが、誰も何も言わない。どの子も似たようにニタニタしながら、虚ろな目をして俺を見つめている。
「おい、君達!笑ってないで、誰か呼んできてくれないか?一階に降りれば職員室がある。先生なら誰でもいいから呼んできてくれ!」
小学生くらいの子ども達が、どうして中学校にいるのかはこの際おいとこう。まずはこの高く積み上げられた椅子から降りることが先決だ。
怖いから、なるべく下を見ないようにしていたんだが……子ども達の気配を感じたために、つい見てしまった。
高所恐怖症というわけではないが、これは怖い。左右どちらかの足のバランスを崩したらーーー床に叩きつけられる。
打撲や骨折で済めばいいが……頭でも打てば、かなりの大怪我になるだろう。死ぬ可能性だってないとは言い切れない。
「早く!誰でもいいから連れてきて!」
すると子ども達は一斉に目を閉じた。
「トビオリさん トビオリさん トビオリさん」
ほぼ同時期に、子ども達が口々に唱える。
そしてーーーその場でジャンプ。
ト ビ オ リ さ ん が 飛 び 降 り た
子ども達がそう叫んで目を開けた。そして片足を上げると、全員で一番下の椅子を蹴り飛ばした。
ガラ……ガラララ……ッ
「うわあああああああああああ……」
高く積み上げられた椅子は呆気なく崩れ、天辺の椅子に立っていた俺は、真っ逆様に落ちていく。宙に体が浮いたのはほんの一瞬のこと。体は重力に抗えず、ただただ床目掛けて落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて………
「落ちる……っ!」
自分の声で目が覚めた。
「よお、お姫様。長い眠りからお目覚めか」
「え、ええ……?」
どうやら俺は仰向けに寝かされていて、制服姿の姉さんが俺の頭を跨ぐようにして立っていた。
いやあの……この位置からだとパンツ丸見えなんですけど……。
「姉さん、パンツパンツ!」
「大丈夫。ちゃんと勝負下着を付けてきたから」
「そうじゃなくて……って、ここは?」
「お前が通ってる中学校の教室だろーがよ」
姉さんは腕組みをして俺を睨んだ。
「なかなか帰って来ないから、心配して来てみれば……。お前、また危なっかしい真似しやがったな」
「あ、嗚呼……、トビオリさんのこと?」
あれ?そういえば、どうなったんだっけ。
変な子ども達に椅子を蹴り飛ばされたところまでは思い出せるんだけどーーーその後が思い出せない。真っ逆様に落ちていく感覚はあったんだけど……どこも痛くないし。
「お前は本っっっ当に懲りないね。いっぺん死んで莫迦を治せ。私が間に合わなかったら、お前は今頃三途の川を渡ってたかもしれないよ」
「てことは……姉さんが助けてくれたの?」
「当たり前だ。トビオリさんはな、コックリさんや一人かくれんぼと同様、かなり危険な遊びだと言われてるんだ。岐阜県に古くから伝承されている遊びだが、文献や目録、資料がないんだよ。どうして岐阜県のみに伝わったのか、そのルートも謎だ。降霊術の一環だという説もあるが……何しろ文献がないからね。ハッキリしたことは言えない。でも、実際に被害者が出たのは事実だよ」
ショコラも言ってたっけ。トビオリさんをした子ども達は大怪我をしたのだと。ショコラの母親もまたトビオリさんをして腕を骨折し、親友に至っては亡くなってしまったと。
姉さんが助けてくれなかったら、俺も死んでいたかもしれない。そう考えると、背中に寒いものが走った。
既に下校時間は過ぎており、日はすっかり暮れていた。もう少しすれば、見回りの先生が巡回に来てしまうかもしれない。
「と、とにかく帰ろ。俺はともかく、姉さんは部外者だし……。見つかったらヤバいよ」
俺はあたふたと隅に寄せた机を元通りに直し、姉さんと一緒に教室を出た。その時、ポケットに入れていたiPhoneが振動した。メールだ。
メールを開くと、差出人はショコラからだった。そういや姿が見えないと思ったけど……先に帰ったのかな。
メールには件名がなく、本文に一言だけ書かれてあった。
「欧ちゃんは助かったんだねw」
作者まめのすけ。