もう何十年も前の事である。
あの時感じたもの━━。
あれを殺意というのだろうか。
しかもそれは僕に向けられたものだった。
母だった。
家事をしていた筈の母が僕の背後に立ち、片手にある包丁を振り上げ、
オモチャで遊んでいる僕を悲しげに見下ろしていた。
その時僕が何歳だったのかは、はっきりとは分からない。
僕の母は今で言うシングルマザーだった。
相手の男、つまり僕の父は母の妊娠を知るやすぐに逃げた。
母は全くの女手一つで僕を育てた。
母は僕の前では元気に振る舞っていたが、当時幼い子供だった僕にもその過酷さはよく分かった。
屋根のあるところで三食食べて布団で寝る。
この当たり前のことのために、母は必死に働き続けなくてはならなかった。
僕は子供の頃から思っていた。
あの時━。
あの時母が何かに追い詰められて、そんな気持ちになったとしても責められないと。
中学に入った頃、一度だけそれとなく母に聞いたことがある。
僕「あの時休憩かなんかだったの?結構ビビったよ…」
母「はぁ?」
母「あんたが小さい頃は刃物の扱いには特に注意してたし、そんなの有り得ないよ」
夢や思い違い━━。
あまりに幼い頃の記憶、その可能性も否定は出来ない。
しかしその場面の記憶はとても鮮明なのだ。
そんな母も、26年前に亡くなった。
結局あの時の母の行動の真相は分からないままだった。
そして今から約25年前の7月、墓参りに行った時の事。
墓の前には、あの時の記憶のままの母が悲しげな、何か伝えたがっている様な表情で立っていた。
母が僕に伝えたがっている事。
それがあの時、僕にしようとしていた事への詫びだったとしたら…。
果たして、はっきりとさせる必要などあるのだろうか。
その墓参りの日から、僕は頻繁に私の前に現れるようになった。
家で、職場で、街中で。
僕は母を無視し続けた。
やがてある夜の事。
枕元に母が立っていた。
しかし母の様子がいつもと違うことに気づいた。
眉間にシワを寄せ、歯を食いしばり、涙を流して、何やら悔しそうな、
すごく怒っているような、そんな表情で僕を見つめていた。
その日の夜以降、母はいつも怖い顔で僕の前に現れるようになった。
ある日、通勤電車に乗っていた時の事である。
相変わらず母はあの夜に見た怖い顔のまま、電車の中の人混みに紛れて僕を見つめていた。
「あきまへんなぁ」
僕「え…?」
横を見ると、明らかに坊さんと思わしき人物が、母の方を見ていた。
「お母さんの警告、無駄にしたらあきまへんで」
僕「警告…?」
僕「あなたには、母が見えていらっしゃるのですか?」
「あんた、明日出張にいきなはるんじゃろ。明後日はお盆やのに、大変やなぁ」
坊さんは母の方を優しい笑みで見つめたまま答えた。
確かに明日は出張だった。仕事で大阪に行くことになっていたのだ。
僕「何でそれを…?」
「お母さんからせっかく授かった命、大切にせなあきまへんで」
僕「…」
「ほな、さいなら」
坊さんはそう言うと僕と母に会釈して電車を降りていった。
母は相変わらず表情を変えずに僕を見つめたままだった。
明日は仕事に大いに関わる大事な出張だった。
しかし僕はその時、坊さんの言葉と、母の表情と伝えたがっている事の意味にようやく気付いた。
飛行機に乗るな━━。
母はきっと私にそう伝えたかったのだろう。
意味を理解した瞬間、母の表情が優しい笑顔に戻ったのだ。
僕は出張に行くのをやめることにした。
どうしても母の警告を無視するわけにはいかないと思ったからだ。
会社の上司に出張に行くことができない事を電話で伝えると、
行かなければ首だと電話を切られてしまった。
しかし僕の決心はとても固いものだった。
母の警告を無視するくらいなら、首になっても構わないという気持ちになっていた。
そしてその翌日。
1985年、8月12日
その日僕の乗るはずだった日本航空123便は、御巣鷹山の中に消えていったのだ。
死者520名。
生存者4名。
この事はニュースやテレビで大きく取り上げられ、しばらくはどこへ行ってもこの話題で持ちきりだった。
会社の方達も生存者の中に僕の名が挙がらなかった事から、
てっきり僕が死んだと思いこんでいたようだ。
お盆休みがすぎて出勤すると、みんな幽霊でも見たかのように悲鳴を上げたり驚いたりした。
正直に事情を説明しても嘘だと言われるのは目に見えているため、
仕方なく寝過ごしてしまったということにした。
さすがに理由が理由だったが、命が助かって良かった。神様に感謝しろ。
と上司に言われただけで首にならずに済んだ。
あの事故の日からもう母の姿を見ることはなくなったが、
お盆の間中毎日感謝の気持ちを込めて墓参りをし、
お盆がすぎても1月に一度は必ず母に会いに墓参りに行くようにした。
墜落事故から2ヶ月たった頃、僕はいつものように通勤電車の中で揺られていた。
「いてはりまへんな、お母さん」
横を見ると、あの日の坊さんがあの時と変わらない優しい笑顔で座っていた。
「あの時お母さん、おたくさんになんや詫びてはった…」
僕「いや…」
僕は坊さんの言葉を制した。
僕「母は僕にとって世界一の母です」
僕「謝る必要なんて何もない」
僕「僕は母の子で本当によかったと思っていますよ」
「ほぅ、そらぁ、けっこうなことどんなぁ」
坊さんはさらに一層微笑みながらそう言った。
あの時、母の警告を無視していたら、僕は死んでいたのだろうか。
生存者4名━━。
やはりこの4名の中に入ることは、きっと不可能だったに違いない。
作者カイ
最近暇なので、色々投稿しています。
心優しく見てくださっている方々。
本当にありがとうございます。
怖いをつけてもらったりコメントをもらうだけで元気が出て、次の話も書こうと思えます。
毎度毎度本当にありがとうございます。