子供の頃、夜はなかなか寝付けなかった。
目を閉じると怖い物が見える。
幼心に考えられる限りのお化けとか幽霊、あやしげ恐ろしげなもの、次から次へ思い浮かぶ。
幼少期は我が家の周辺は田圃ばかりの田舎である。ドがつくほどの…。
春から夏にかけて、カエルの声が大騒音である。
秋は、虫の音、これもまた、大合唱、虫の音に、もののあはれを感じるどころの騒ぎじゃない。
それらの音も恐怖を増幅させて、寝るどころではない。
父母が眠った後、一人目が覚めた状態である。
寝てしまうと、そのまま帰って来られない。
目を閉じることの恐怖が、私に襲いかかる。
一つ目の大口開いた顔であり、嫌らしく嗤うお多福の顔であり、埃をかぶった起き上がりダルマがその大口をぱっくり開いて…
起きている時も夜ともなれば、家の中には、あちらこちらに闇があり、その闇の深い所々に、潜むものがほの見える。
ほの見えるものに定かな形はないが、定かでない事がなお恐ろしい。
主屋と離れを繋ぐ伝廊下には灯りがない。窓が一つあるが、外は松が一本、その下は躑躅、木斛、槇、青木、その下生えは龍の髭、夜ともなれば月の明かりも差し込まない。
この伝い廊下は主屋から見た突き当たりは壁であり、板戸が左手にあった。
嫌な場所である。私は、伝い廊下の突き当たりの壁が苦手であった。私にとって最大の鬼門、邪気の溜まり場のように思えた。
離れに行く時はほのかな恐怖があった。
しかし、離れから主屋に帰る時は恐怖心は最大、私の後ろに、常に何かの気配があった。
寝る時、目を閉じると見えるもの、それは顔だけであったが、壁の気配は全身像、全開の恐怖で、振り返ることができない。
そして、夢にそれを見る時は、伝い廊下で、後ろから私を追いかけてくるものは、凄まじい形相の女の姿、幽霊の姿である。
後々、これが怨霊の類であることが分かってきた。
それはずっと先の事である。
私がその事をおぼろげながら知ったのは、祖母の昔話であった。
孫の守りのため昔話を聞かせてくれるが、話は尽きてくるもので、近隣で起こった出来事や、家族の昔話などが多くなる。
そこで、祖父の事も話の種となった。
昔は、近隣の村とよく争い事があった。
特に、水争い。
これは深刻なものであった。
古い先祖の話でも、近隣の村と争った時、攻めてきた隣村の村人たちを、村の寺の境内に誘い込み、監禁し人質にして、相手を屈服させたという話、うちの先祖が村の代表で、これを取り仕切っていた。
このため、その先祖が死んだ時は、相手の村人は三日間仕事を休んで祝ったという話。
明治・大正の世でも、争いは、絶えなかった。
祖父も水争いというか、水喧嘩に参加して暴れまくった事があった。
しかし、この頃には警察が厳しく取り締まり、祖父も村のその他の若い衆とともに警察に連行されて事情聴取された。
そして、自分が長男だと思っていた祖父は、実は次男であることが判明した。
祖父は曽祖父の後妻の子で、長男は先妻の子であった。
先妻は、曽祖父との間に男女2人の子を設けたが、先妻は間も無く病死してしまった。
そして、後妻に入ったのは、私の曽祖母である。
曽祖母は、二人の子供の継母になった。
そして、子供たちにかなり辛く当たっていたらしい。
具体的にどうだったかは、聞いていない。
話を聞いたのが、私は曽祖母に凄まじくいびりを受けたと主張する祖母だったから…。
祖母の性格から見て、負けるタマではない。
多分鬼嫁だっただろう。
祖母の話のオチは全部いびりの返り討ちだったし…
曽祖母は私の生まれる前に、とっくに他界しており、そっちの言い分は聴きようもない。
ただ、父親や叔父から聞いた話では、曽祖母は全く気の回らない人だった。
仕様もない事を言ってはやり込められて凹んでいたそうである
だから、曽祖母と先妻の子供たちの間に起こった出来事を簡略に述べる。
曽祖父は曽祖母が嫁いできて間も無く、疫痢に罹った。
曽祖母は、下の世話から汚れた衣類の洗濯まで全部子供たちにさせた。
そして、曽祖父は助かったが、子供たちは二人とも疫痢に感染して亡くなってしまった。
曽祖母が継子たちを殺したということになる。
子供たちにしてみれば、他人であるこいつに親を取られてなるものかと、曽祖母を曽祖父のそばに近づけなかったのではなかろうか。
先妻の実家も、村の人たちも曽祖母が子供達を殺した。当然そう思うだろうし、恨みも深く、あの家は人殺しの家というレッテルが貼られて、末代まで言われる事になった。
「曾祖父さんの話やったらな、その先妻さんは、病気になる前はお福さんみたにな、福々しい顔してたんやし。
お前の見たんはその人やろな。
自分は死んでも子供らは残る思てたのに、二人とも死んでしもた。そら恨むわな。」
子供の時は何気無く聞いていた。
先妻さんや子供達の年忌も、とうの昔に100回忌を済ませた。
しかし、我が家はこれよりもっと以前からずっと、代々、長男が生まれないとか、早死にする。
曽祖父も長男ではなかったし、その先代は入り婿である。
そう、もっと前から、何かがあったようだ。
「積善の家には必ず余慶あり。
積悪の家には必ず余殃あり。」
易経か何かの言葉を思い出す。
祟られているとか呪われているとか、そんな言葉には、自己反省が欠如している。
被害者意識そのものである。
しかも自分の今を先祖のせいにすることは、自己逃避…。
家の積善・積悪に左右されたとしても、自分は自分である。
作者純賢庵
家に祟るもののお話です。
この話は、創作怪談を作られる方が素材に使って頂いても構いません。
以前はてなブログに投稿したものを転載しました。