これは僕が高校一年生の時の話だ。
詳しくは前回の、《胡蝶の夢前編》を見て頂きたい。
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・・・・・・・・・。
その日の帰り道、僕は頭が螺切れるんじゃないかと思う位に、首を傾げたり捻ったりしなが歩いていた。
理由はただ一つ。
僕に対する皆の態度の事だ。
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それは、今から数時間前ーーーー
僕が、何時もより少しだけ遅れて学校に登校した所から始まった。
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・・・・・・・・・。
先ず、僕が教室に入ると、高梨君が妙にオドオドしながら話し掛けて来た。
「えっと・・・あの・・・おはよう。」
「うん、おはよう。」
僕がそう答えると、高梨君は何故かハッとした様な表情をした。
「・・・コンソメ?」
「・・・うん?どうしたの?・・・って、ええ!!!」
いきなりボロボロ涙を流し始める高梨君。
僕は酷く困惑した。
「ちょ、ちょっと高梨君?!どうしたの?僕、何か悪い事した??」
わたわたと焦っている僕に、高梨君は目を擦りながら言った。
「良かった・・・。また、俺の所為で・・・!」
「え?!何が?!何の事?!」
「・・・何でも無い。何でも無いから。」
いや絶対に何でも無く無いだろこれ。
一体何をやらかしたの高梨君。
そしてその後も、高梨君は一日中、何だか妙に優しかったのだった。
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その後、何時も通り遅刻ギリギリでピザポが登校して来たんだけど・・・。
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「おはよー!」
「あー・・・。おはよう。ピザポ。」
ピシッッ
ピザポが一瞬にして固まった。
「・・・ど、どうしたの?」
「・・・コンちゃん、今、俺の事何て?」
「・・・え?あ、うん。ピザポ・・・だろ?」
※クラス内なので僕の口調が若干変です。
恐る恐る僕が聞くと、ピザポは此方を向いてホッとした様な溜め息を吐いた。
「良かった・・・!」
だから何が?!
「コンちゃん・・・!!」
どうした?!
そして、ピザポも一日中、異様に優しかった。
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更には体育の時間。
僕等はバスケットボールをしたのだが、皆が何故か、僕にボールを回して来る。
僕バスケ苦手なのに。
得意競技は短距離走と反復横飛びなのに。
だから何時も極力こっちにボールが来ない様にしてたのに。
何で皆ボールをこっちに回すんだ本当に!!
もう仕方無いから右から左へ左から右へと、パスを出すばかりである。
誰かが
「おい紺野どーした!!」
と言っていたが、そんなの僕だって知らない。
寧ろお前等がどーした。なのだ。
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・・・・・・・・・・・・。
その他にも、何故かゲーム関連の話を僕に向けて振って来たり、僕が自分の事を《僕》と言うと相手は決まって驚いた様な顔をしたり・・・。
挙げ句の果てには、
「コンソメは・・・二人居る。」
等の全く以て、意味不明な発言をし出す奴までいた。
一体何だと言うのだろうか。
僕がどうかしたんだろうか。
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そんな事を考えながら、僕は頭をグリグリと動かしていたのである。
「コンちゃん何でヘッドバンキングしてんのー?」
「・・・ん?ああ。別に。」
だが、その中でも一番不思議なのは・・・。
「と言うかピザポ・・・。」
「んー?」
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「・・・何でお前、僕と一緒に帰ってんの?」
今現在、帰り道が違う筈のピザポが、僕と一緒に帰っている事だったりする。
「別にー?」
「あ、そう・・・。」
・・・うん。謎だ。
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・・・・・・・・・。
家に帰ると、何故だか両親から生温い視線を向けられた。
腫れ物に触る様な。
反抗期の子供に接する様な。
いや時期としては合ってるんだけどね。
只、僕にはまだ来て無いってだけで。
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午後の10時。
気まずい夕食、入浴、その他諸々を終え、僕はベッドの上でゴロゴロしていた。
「何なんだろうな。」
する事も無く、ぼんやりとしながら呟く。
一体僕が何をしたと言うのだろう。
皆が可笑しくなったのは何時からだろう。
僕は、昨日、一昨日と記憶を呼び起こそうとしたが、何故か靄が掛かった様に記憶が曖昧で、上手く思い出せなかった。
「授業内容とかなら、覚えてるのにな・・・。」
僕はゴロリと寝返りを打ち、また、昨日の事を思い出そうと記憶を頭を働かせ始めた。
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・・・・・・・・・。
ピロロロロロピロロロロロ♪
不意にスマホの着信音が鳴った。
見てみると、発信者は登録していない番号だった。
しかし、この番号は何処かで見た事がある。
・・・と、言う事は、あの人か。
僕は、通話ボタンを押し、電話に出た。
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「・・・もしもし。」
「・・・・・・。」
相手は無言だ。
「もしもし?」
「・・・・・・。」
また無言だ。
「もーしーもーしー?」
「・・・・・・。」
またしても無言。
ブチッッ
僕の中で、何かが切れる音がした。
僕は怒りに任せて怒鳴った。
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「いい加減にしてください烏瓜さん!!!」
「・・・・・・・・・グズッ」
・・・え?!
泣いてる?!
「ちょ、どうしたんですか一体!」
もしかしなくても僕の所為?!
「え、えと・・・ごめんなさい?」
いや、別にやっぱり僕は悪く無い様な気がする。
通話口の向こうでは、まだ啜り泣きが続いている。
暫く待っていると、落ち着いたらしい烏瓜さんが何時もより三割増しでしゃがれた声で言った。
「・・・・・・良かった。本当に良かった。」
だ か ら 何 が ?!
本日何度目だよその台詞!!
「・・・何がですか?」
イライラを抑えて聞いてみる。
「いや、別に何でも無い。何でも無いんだ。」
その反応も本日何度目だよ!!
僕が口を開こうとすると、烏瓜さんの方が先に話し始めてしまった。
僕は、もにょりと口を噤んだ。
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・・・・・・・・・。
ねぇ、野葡萄君、もしかして君、今ちょっとだけ困っていないかい?
え?私?
うん。昨日軽く首を括りかけたけど元気だよ。
何でって・・・。うん。ちょっとショックな事が有ってね。
で、話を元に戻すんだけど・・・。
今日さ、本当に何かに困っていない?
ほら、皆の様子が可笑しいとか。
・・・・・・。
心当たり、有るみたいだね。
・・・どうして知ってるのかって?
・・・・・・。
此処で変な事言うと、また警戒されてしまうかな。
・・・のり塩さんに教えられたんだよ。
え?・・・うん。知り合いだよ。
弟?それは、会った事無いな。
今頃困ってるだろうから、助けてあげて欲しいと頼まれてね。
うん。
大丈夫。変な事はしないよ。
この間の一件で懲りた。酷い目にあったんだよ。
・・・まぁね。確かに自業自得何では有るけど。
で、今週の土日、どっちか空いてる?
・・・了解。明日ね。
済まないけど、午後1時着のバス使って◇◇◇まで来て欲しい。
其処から先は迎えを寄越すから、それに付いて来て。
・・・うん。それじゃあ、また明日。
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・・・・・・・・・。
プツッ
電話が切れた。
「・・・明日か。」
僕は、護身用のダンベル(1㎏)を荷物に加え、眠りに着いた。
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・・・・・・・・・。
土曜日。午後1時。
降り立ったバス停で僕を待っていたのは
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和風の紐で出来た首輪を着けた、黒い兎だった。
「・・・え?」
辺りを見回しても、他には人の姿どころか、鼠一匹居やしない。
「・・・・・・まさか。」
僕が呟くと、その黒兎は僕の元へ駆け寄り、僕の靴の靴紐をくわえて引っ張った。
そして数メートル跳ねて振り返り、此方をじっと見る。
「・・・付いて来いって?」
兎が、その場で一回ピョコンと跳ねた。
「・・・仕方無いな。」
僕は、ピョコンピョコンと、先を跳ねて行く兎の後を付いて行った。
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・・・・・・・・・。
兎の後を追って歩いていると、竹林に囲まれた一軒の平屋建ての家に辿り着いた。
表札は無い様だ。
「・・・此処かな。・・・あ!」
兎が家の中に入って行った。
誰かが、ガラリと引き戸を開けた。
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「・・・今日は。いらっしゃい。」
「・・・今日は。」
出て来たのは、猿の面を着けた烏瓜さんだった。
「・・・上がって。」
「はい・・・。お邪魔します。」
前回会った時と違って、妙に無口だ。
僕は不思議に思いながら、その家に上がったのだった。
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通されたのは、庭の見える広い部屋だった。
烏瓜さんは、僕を此処に連れて来ると何処かに行ってしまった。
普段は二部屋として使っているのだろう。部屋の隅に仕切りが置いてある。
出された座布団に腰を下ろすと、何処からかさっきの黒兎が来て、僕の膝の上に乗って来た。
人によく馴れている様で、撫でても全然嫌がらない。
「《もちたろう》って言うんだよ。」
「・・・ふぉっ?!」
いきなり後ろから烏瓜さんの声がした。
ピョコン
声に驚いたのか、《もちたろう》が僕の膝から飛び降りた。そして、僕の後ろに跳ねて行った。
振り向くと、何時の間にか烏瓜さんが立っていた。
「御茶、持って来たよ。」
「・・・どうも。」
僕の前に、緑茶と茶菓子らしき皿が置かれた。
皿の上には赤く染まったホオズキの実が二つ。
・・・食べられるのかな。これ。
それとも単にからかわれているだけなのだろうか。
僕が烏瓜さんを見ると、烏瓜さんはポン、と手を打った。
「あ、楊枝、欲しかった?取って来る?」
僕は慌てて首を横に振った。
「いえ、御気遣い無く。」
・・・どうやら、やはりこれは食べ物らしい。
しかし、ホオズキだものなぁ。
確か毒性が有った気がする。
じっと目の前のホオズキを睨んでみる。
烏瓜さんが僕に聞いてきた。
「・・・嗚呼。食べ方が分からない?」
・・・ちょっと違うけど、僕は頷いた。
「貸してみて。」
此方に近付いて来た烏瓜さんが、ヒョイと一つのホオズキを摘まみ上げた。
「見てて。」
ホオズキの尖っている部分を引っ張る。
ビリリ
と小さな音を立ててホオズキの皮が破れた。
しかし、その皮の中にあの赤い玉は無く、入っていたのは明るい朱色の何かプルプルした物だった。
「はい。」
烏瓜さんがそのプルプル物体Xを口元に差し出して来る。
僕は取り敢えず、そのプルプル物体Xを一旦手で受け取った。
端を少しだけ囓ると、甘い味がした。
「・・・・・・羊羮?」
「正解。《ホオズキ羊羮》って言うんだ。」
よく見てみると、皮とヘタの部分が和紙で出来ているのが分かった。
筋の一本を取っても色が微妙に違って、恐ろしく細かく精巧に出来ている。
「・・・凄い。」
僕がそう呟くと、烏瓜さんは少し得意気に
「だろう?気に入って貰えて良かった。」
と言った。
「ゆっくりで良いからね。食べ終えたら、話を始めようか。」
「はい。ありがとうございます。」
僕はお礼を言いつつ、ファーストコンタクト時とは打って変わって優しい烏瓜さんに戸惑いながら、羊羮を頬張っていた。
※ファーストコンタクト時の事は、《無花果、野葡萄、烏瓜》に書いてあります。
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・・・・・・・・・。
僕が御茶と羊羮を食べ終えると、烏瓜さんは一枚の紙を出して来た。
「はい。これ記入して。」
紙は、アレルギーや持病の有無、更には今現在に服用している薬等を書き込む用紙だった。
「多分何も無いんだろうけど、一応ね。形式として。・・・はい。これ。」
僕は小さく頷いて、渡されたペンを使って書類に丸を付けていった。
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書類を記入し終えると、烏瓜さんは僕の前に座り直した。
「先ずは、《君の身に何が起こったのか》を説明しようか。」
僕は無言で、しかし大きく頷いた。
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・・・・・・・・・。
さて、野葡萄君。
君はどの位前から記憶があやふやなのかな。
・・・何で知ってるのかって?
まあ、知っているから、としか答えようが無いね。
・・・ほら、答えて。
・・・・・・。
月曜日から、一昨日にかけてか。
と、言う事は昨日の記憶は有るんだね?
宜しい。
じゃあ、教えようね。
君が、その四日間どうなっていたのか。
・・・と言っても、これは、のり塩さんから聞いた話何だけどね。
君は、まるで別人の様に人が変わっていたそうだよ。
・・・・・・。
いや、其は違うかな。乗っ取られていた訳では無いよ。
大体、そんな簡単に生きてる人間を乗っ取る事は出来ない。君も知っている筈だよ。
・・・・・・。
じゃあ、どうなっていたかって?
・・・・・・・・・。
野葡萄君、君、バスケットボール苦手だろう。
他人とのコミュニケーションもね。
あとは、周りの人間と趣味・嗜好がずれてる。
更には可愛い女の子も周りに居ない。
あ、のり塩さんが居たか。
でも、恋愛対象と言うより、姉みたいなものだろう。
・・・え。
何でそんな気持ち悪そうな顔するの?!
違う!違うよ?!
のり塩さんから教えて貰っただけだからね?!
うん。そうだよ。本当だって。
・・・話を元に戻そう。
で、人が変わっていた時の君の事何だけど・・・。
その、君のコンプレックスと言うか、ちょっとだけ弱い部分が全て直った感じだったそうだよ?
まぁ、その代わり君の良い所は、消えてしまっていたそうだけど。
長所と短所は紙一重だからね。
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・・・・・・・・・。
そこまで言うと、烏瓜さんは部屋の奥に向かって
「もちたろう!」
と呼び掛けた。
ピョコン
何処からかもちたろうが出て来て、此方に駆けて来た。そのまま僕の膝の上によじ登る。
「少し遊んでて。だらだらと説明するより、思い出させた方が早い。色々と準備が要るからね。寝てしまっても構わないから。」
スッと烏瓜さんが立ち上がり、部屋から出て行った。
もちたろうが僕の服をくわえて引っ張る。
どうやら縁側に行きたい様だ。
正座していて痺れた足をそろそろと動かし、縁側に這い出る。
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日のよく当たる縁側からは庭の景色がよく見えた。山茶花か椿かは分からないが、とにかく赤色の花が咲いていた。
ゴロン、ともちたろうが縁側に寝そべる。
僕も腰を下ろし、もちたろうをじっと見た。
寝息をたて始めたもちたろうを見ていると、何だか僕まで眠たくなって来る。
僕は何時の間にか、こっくりこっくりと船を漕ぎ始めていた。
・・・・・・。
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・・・・・・・・・。
ハッッ
うっかり寝てしまった!
急いで起きねば・・・・・・え?!
身体が重い。起き上がれない。
まるで身体中に鉛が入っている様だ。
焦って辺りを見回すと、視界の端に、何故かホールドアップををしている烏瓜さんが見えた。
「あの・・・」
「・・・変な事はしていないからね?」
面の上からでも、必死なのが分かって、僕は思わず吹き出してしまった。
「分かってます。」
「・・・・そう。」
烏瓜さんが此方に来て、僕の事を起こしてくれた。
やはり身体が重い。
周りを見ると、何だか見知らぬ部屋の見知らぬ布団の上で、周りには色々な物が散らばっていた。
変な石とか御札とか。
「・・・これは?」
その質問には答えず、烏瓜さんは言った。
「・・・思い出してごらん。」
「え?」
「・・・思い出せる筈だよ。」
・・・思い出す?
何を?
嗚呼・・・。
あの思い出せない四日間の事か。
・・・・・・。
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「・・・チヒロ。」
ぽそりと出て来たその名前を皮切りにして、どんどん色々な事が思い出されて来た。
分かりやすく例えるなら・・・。
あの・・・スーパーとかで売っている、ちょっと丈夫なアルミホイルみたいなので出来たフライパンのポップコーンを作ってる時の感じ。
うん。バカっぽい。表現がバカっぽい。しかし、正にそんな感じだった。
「・・・思い出したみたいだね。」
ボケーっとしている僕の背を擦りながら、烏瓜さんが言ったが、僕の頭の中はそれ処では無かった。
「な、なな・・・。」
「ショックだったかな。・・・友達との事は、これから頑張るしか無い。」
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「ナース服・・・!!」
「へ?」
「何でも無いです!!!」
思い出せて本当に良かった!
てか、のり姉!!のり姉に一言言わねば!!
薄塩の画像も消させなければ!!!
僕は立ち上がり、全速力で奴等の元へ駆け出そう・・・ としたが何分身体が重くて身動きが取れない。
全身に満身の力を込めても、僕の足は到底動かず、結果的にはどうにか動く両腕だけをバタバタと動かす事になった。
「無理はしない方が良いよ。負担もそれなりに大きかったからね。」
ポン、とまた布団の上に寝かされる。
「もう少し寝ているといい。一時間も寝れば、大分楽になれるだろうから。」
僕はまた布団の中でジタバタと身体を動かしてみた。
しかし、突如襲って来た眠気に負け、またグースカと眠りこける羽目になったのだった。
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・・・・・・・・・。
目を覚ますと、身体が動く様になっていた。
布団から出て、背伸びをする。
「此処は・・・?」
窓が無い。
四方が襖で囲まれている。
広さは・・・それほど広く無い。
まだ完全に回復はしていないのだろう。
手足がまだ若干痺れている。
ヨロヨロと襖に手を付きながら部屋の中を歩いていると、僕から見て右端の襖が開いた。
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「無理はいけないって言った筈だけど?」
出て来たのは、盆を持った烏瓜さんだった。
「明日、筋肉痛になっても知らないよ?」
首根っこを掴まれ、また布団に戻されそうになる。
「すみません。でも、もう大丈夫です。」
僕がそう言うと、烏瓜さんは手を離した。
表情は分からないが、やや困った様な声で言う。
「・・・取り敢えず座って。」
僕が腰を下ろすと、烏瓜さんは此方に小さな皿と湯飲みを差し出して来た。
皿には、折り畳まれた紙の様な物が置いてあった。
「はい、これ飲んで。」
・・・紙の札。と言う事は。
「千枚通し・・・ですか?」
実際に見るのは初めてだ。
「うん。違う。」
あ、違った。
「まあ、呑み札には違い無いけどね。千枚通しは仏教系。これは神道の呑み札。あ、あと効能が違う。」
「違うって、どんな風に?」
僕が聞くと、烏瓜さん少し首を捻っていたが、軈てコクリと頷いた。
「例えるなら、千枚通しは持続型のサプリメントで、これは必要な時に飲む風邪薬かな。」
「・・・風邪薬?」
「そう。病原が寄り付かない様にする為のね。」
「病原・・・・・・・・・。チヒロ?」
烏瓜さんは頷いた。
「人に疫を振り撒くなら、それは病原だよ。」
僕の頭に、楽しそうに笑っているチヒロが浮かんだ。
「チヒロ。」
手の上の呑み札を、じっと見つめる。
これを飲まなければ、もう一度チヒロに会えるのだろうか。
・・・彼女は、本当に悪いモノだったのだろうか。
追い掛けられていた時の恐怖は確かに覚えているのに、それより少し前まで見ていた笑顔の所為で、心の底から憎めない。
見透かした様に、烏瓜さんが言った。
「でも、それを飲まなかったら、君は、色々な人を裏切る事になるよ。」
「え・・・?」
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・・・・・・・・・。
分かるよ。辛いんだろう。
自分が裏切ってしまった気がするんだろう。
結構居るよ、そう言う人。
・・・けどね、今、君がそれを飲まなかったら、リスクを侵してまで君を助けた誰かを裏切る事になるんだよ。
いや、その人だけじゃ無い。
君の両親や友人全員を裏切る事になる。
ねえ、野葡萄君。
今回の君は実に幸運だったんだ。
少し勘違いが入っていたけど、ちゃんと現実と関われていたんだからね。
もし、完全に夢に囚われていたとしたら、君が元の自分を取り戻す事は無かった。
命は助かったとしても、ね。
本当だよ。
チヒロ・・・だっけ?
その子、君を殺そうとしてたんだよ。
君を騙して、自分だけの物にしようとしていた。
幾ら相手を思っていても、夢の中を理想の世界にしてあげていたとしても、そんな事、ただの自己満足だよ。
独善勝手極まり無い。
悪気の有無は関係無い。
どんな理由が有ろうと、悪事は悪事だからね。
そんな奴の為に、命を捨てる事は無いよ。
君は悪く無いんだよ。
それこそ、一ミリだって悪く無い。断言できるよ。
だから・・・・。
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・・・・・・・・・。
ゴクリ。
ゴワゴワした紙が、水と一緒に喉を流れて行く。
烏瓜さんが言葉を全て言い終える前に、僕は呑み札を水で流し込んでいた。
烏瓜さんは、幾度か頷いて、下を向いた。
僕は聞いた。
「結局の所、チヒロは一体何者だったんですか?」
絞り出す様な声で烏瓜さんが言う。
「・・・分からないよ。ただ、昔からそう言う事は有った。独りぼっちの浮遊霊が、仲間欲しさにしていると言う話が、今の所は有力かな。」
「そうですか。ありがとうございます。」
「・・・出口、分からないだろう。案内するよ。」
僕は頷き、立ち上がって歩き始めた烏瓜さんの後を付いていった。
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・・・・・・・・・。
玄関に着くと、僕の持って来ていた荷物が置いてあった。
靴を履き、振り返って烏瓜さんに一礼する。
「今日はありがとうございました。謝礼はどうすれば良いでしょうか。」
「・・・後で電話するよ。・・・もう暗いからね。バス停まで送って行く。拒否権は無いからね。」
僕は黙って頷いた。
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・・・・・・・・・。
バス停には、僕達しか人が居なかった。
「ねえ。」
振り返ると、烏瓜さんは自分の手首を掴みながら、地面を見ていた。
「もし、君が大人になって、自分の事を全てこなす様になって、それでも、自分の命を捨ててでも、チヒロに会いたいと思ったら、あっちの世界での君として生きたいと思ったら・・・。その時は・・・その時は。」
顔を上げ、真っ直ぐに此方を見る。
「その時は・・・。また、チヒロに会える様にしてあげよう。」
・・・全く。
僕は小さく溜め息を吐いた。
「・・・烏瓜さん。」
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「そんなに僕を闇落ちさせたいんですか?」
僕がそう言うと、烏瓜さんはニヤリと笑った(様な気がした)。
「・・・いや、今度は、私が助けようと思っただけだよ。」
本当に、キャラが掴め無い人だ。
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・・・・・・・・・。
暫く待っていると、バスが来た。
「それでは、また。」
「・・・うん。また。」
軽く手を振ると、烏瓜さんはゆっくりと道を引き返し始めた。
僕は鞄の中から、紙の箱に入れてあるケーキを取り出して、去って行く背中に全力投球でぶつけ、バスに飛び乗った。
因みに、ケーキには無花果を大量に使用してある。
そして僕は席に座り、鳴り始めた携帯電話の電源を落とし、(別に意地悪をした訳では無く、公共の場でのマナーとしてである)帰ったらどうやってのり姉にあの画像を消させるかを考え始めたのだった。
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・・・・・・・・・。
あの世界は確かに僕が望んだ物だったのかも知れない。
でも、あの世界で生きたいとは思わない。
最高に厄介な世界でも、此処こそ僕の世界だ。
だから・・・・チヒロ。
何時か、この間の御返しに、君をこの騒々しい位賑やかな世界に招待するよ。
作者紺野
どうも。紺野です。
結局あの後、画像を消去させる事は出来ませんでした。
益々のり姉に逆らえない今日この頃です。
話はまだまだ続きます。
良かったら、お付き合い下さい。