「ねぇ、林檎の絵を描いて。小さい奴。」
ある日、付き合い始めたばかりの彼女が、そう言った。
彼女とは同じ美大に通っていて、今は僕のアパートに同棲をしている。
彼女は、ポフ、と顔の前で両手を合わせた。
「額に入れて、部屋に飾るから。ね、お願い。」
僕は小さく頷いた。
静物画なら、結構自信がある。
彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「やった!」
ニコニコと微笑みながら、どんな林檎がいいのかを語る彼女。
僕はしみじみと幸せな気分になった。
それから僕は、毎日少しずつ、林檎の絵を描き続けている。
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♪♪♪
彼女はずっと前から、林檎が好きだったのだと言う。
「綺麗だよね。林檎。」
僕がそう言うと、彼女は大きく頷いた後、嬉々として林檎の魅力を語り始める。
香り、味、歴史、逸話・・・。
林檎の事ならば、彼女は何時までも限り無く話せた。
「あ、でも、やっぱり一番の魅力はあの見た目かな。あんな綺麗な赤、他の果物には無いもの!」
彼女の中では、林檎は赤いものと決まっていた。
青林檎は、彼女の中では認められていなかった。
「あの赤に合わせるなら、やっぱり白だよね!」
《林檎の似合う女》を目指して、今日も、彼女は美白美肌に力を注ぐ。
「××君が林檎の絵を描いてくれるんだもの、益々綺麗にならなきゃね!」
彼女は、小さなキャンパスに林檎を描いていく僕を見て、彼女が、にっこりと微笑んだ。
ふわり
彼女から発せられている、甘酸っぱい香りが辺りを包んだ。
林檎に似ていると、僕は思った。
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♪♪♪♪
彼女と出会ったのは、大体三ヶ月程前だっただろうか。真夏の、よく晴れた日だった。
僕は中庭のベンチで昼寝をしていて、其処を彼女に話し掛けられたのだ。
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♪♪♪♪♪
「ねぇねぇ。」
降って来た声に目を開けてみると、其処には一人の女の子が立っていた。
「君、肌、白いねぇ。睫毛も長いし。」
「・・・え?」
「お姫様みたいだね!」
初対面でしかも大の男を捕まえて《お姫様》とか言われてもな・・・。
僕は、どう反応すればいいかも分からずに、ぼんやりと彼女を見た。
これが、彼女とのファーストコンタクトである。
それから、僕等は会う事が多くなり、今の関係に至っている、と言う訳だ。
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♪♪♪♪♪♪
林檎の絵を描きながら思った。
実の所、僕は林檎が好きでは無いのだ。
青林檎はまだ許せる。しかし、赤い林檎はどうしても好きになれない。
理由は一つ。
あの見た目だ。
中が新鮮で瑞瑞しかろうと、腐ってグズグズになっていようと、林檎は何時までも美しく、赤い。
中身がどんな事になっていようと、どんなに崩壊し、壊れきっていようと、その外見は他の正常な物と殆ど変わらない。
それが怖い。怖くて、気持ち悪い。
他の人に言うと、考え過ぎだ、と笑われるので、誰にも言った事は無いのだけれど。
ずっとずっと、怖いままなのだ。今でも。
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僕は苺が好きだ。
理由はやはり見た目である。
美味しさが一目で分かる。
赤くて形がいいのが美味しいのだ。
あれ程に分かりやすい果物が、他にあるだろうか?
熟れ過ぎも一目で分かる。
見た目で全てを把握出来る。
全く便利な果実だ。
味も美味しいし。
幾ら子供っぽいと言われようと、僕は苺が好きなのである。
目の前で形を成していく林檎を見つめながら、僕は小さく溜め息を吐いた。
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♪♪♪♪♪♪♪
描き上がった林檎は、まるで本物の様に艶めき、自分でも驚く程の出来映えだった。
「凄い・・・。××君凄いよ!!」
彼女が目を輝かせながら言った。
「お祝い・・・お祝いしよう!」
「大袈裟だな。祝う程の絵じゃないよ。」
本当は僕も祝いたくなってしまうくらいだったのだけど、謙遜して、わざと、どうでもいい様な感じで答えた。
彼女はぶぅ、と膨れると、少し考える様な素振りをしてから言った。
「じゃあ、アップルパイ!アップルパイ作るね!」
アップルパイは、彼女の一番得意なお菓子だ。
・・・僕はあまり好きでは無いけれど。
「ちょっと、散歩に行って来るから。」
これから部屋中に満ちる林檎の香りを想像して、僕は思わず部屋から出て行った。
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♪♪♪♪♪♪♪♪
僕が部屋に帰ると、部屋の中はすっかり甘い匂いで満たされていた。
しかし・・・・・・・・・。
「この匂い・・・苺?」
僕が独り言の様に呟くと、彼女は嬉しそうに頷いた。
「××君、苺好きだったでしょ?思い出したの。やっぱり、××君の好きな物、食べて貰いたいし・・・。」
少しだけ恥ずかしそうに微笑む。
「・・・ありがとう。」
僕も自分が出来る精一杯の笑顔で、答えた。
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♪♪♪♪♪♪♪♪♪
用意されていたストロベリーパイを食べ終え、二人で紅茶を飲んでいると、しみじみとした口調で彼女が話を始めた。
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「××君。」
「ん?」
「××君、私ね、林檎の話の中でも、特に好きな話があるの。」
僕が彼女の方を見ると、彼女はティースプーンをじっと見つめていた。
その表情は、これ迄見た事の無い程に張り詰めていた。
「白雪姫」
そっと、囁く様にして彼女はそう言った。
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♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
あのね、白雪姫が好きなの。昔から。
白い肌と黒い髪、そして真っ赤な林檎。
凄くよく考えられた話じゃない?
・・・え?
ううん。憧れとは違うかな。
私、白雪姫になりたい訳じゃ無いの。
だって、姫になってしまったら、眠り続ける姫を見る事が出来ないでしょ?
私はね、××君。
真っ赤な林檎と一緒に眠り続けている姫を、見る側になりたいの。
雪の様に白い肌と、真っ赤な林檎。
そして、それを包む透き通ったガラス。
きっと、この世の物とは思えない程に綺麗。
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♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
うっとりとしながら、彼女は語った。
そして、ふと思い出した様な感じで言った。
「ねぇ、××君。」
「何?」
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「白雪姫の王子様がネクロフィリアだった、て話、知ってる?」
「え?」
「ネクロフィリア・・・。日本語だと、死体愛好者とでも、訳すのかな。」
「あ、ああ。・・・王子が、死体同然だった姫を引き取ろうとしたからだろ?」
彼女はコクリと頷いた。
「王子様の気持ち、私、理解出来るよ。」
「・・・ふーん。物騒な話だね。」
「だって、せっかく綺麗なんだもの。動き回られたら迷惑でしょ?ほら、眠ってるならずっと、一番綺麗に見える、角度とかポーズにさせていられるし。白雪姫の場合、腐らなかったのもポイント高いかな。永遠に綺麗なまま。」
茶化してみたも、彼女は少しも笑わなかった。
あくまで真面目至極と言った感じだ。
ふわわわわ
僕の口から、大きな欠伸が出た。
彼女はゆっくりと言った。
「初めて見た時に、確信したの。」
「・・・何を?」
何だか眠たい。
「××君は、お姫様なんだって。」
「・・・・・・・・・ああ。そう言えば。」
欠伸を噛み殺しながら、答えた。
「なのに、何時まで経っても、眠ってくれないから。」
朦朧とする頭。
彼女は、子守唄を唄う様に言う。
「だからもう、自分で眠らせちゃおうかなって。」
「・・・え?」
「本当は、林檎で眠って欲しかったんだけど、××君は林檎が好きじゃ無いでしょ?アップルパイだと、全部食べてくれないんだもの。あ、でもあのストロベリーパイ、林檎も少しだけ入れてるの。結果オーライかな。××君は気付いた?」
重たい瞼。
もう、質問に答える事は出来なかった。
彼女は、そっと、僕の頭に手を伸ばした。
「黒檀の様に黒い髪、雪の様に白い肌。・・・血のように赤い頬は要らないの。林檎があるから。」
彼女の手が、優しく僕の頭を撫でる。
「お姫様に見合う林檎が欲しかったの。」
ゆらゆらと彼女の声が遠退く。
「安心して。腐らせたりなんて、××君を醜くなんて、絶対にさせないからね。」
「ありがとう。お休み。大好きだよ。」
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「××君・・・。いいえ、お姫様。」
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♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
中身がどんな事になっていようと、どんなに崩壊し、壊れきっていようと、その外見は他の正常な物と殆ど変わらない。
・・・いや。違う。
寧ろ、崩壊し、壊れきって、より一層美しく輝き、その艶を増す。
・・・嗚呼。やはり林檎は嫌いだ。
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鼻を擽る甘い香り。
彼女が発しているのか、僕が描き上げた林檎が発しているのか。もう僕には分からない。
これだから林檎は嫌いなのだ。
僕は、静かに目を閉じた。
作者紺野
どうも。紺野です。
親戚から嫌に成る程の苺を貰い、腐らせるのも何だからそれを冷凍したら冷凍室の半分が埋まり、更にはその冷凍苺が毎日食べているにも関わらず一向に減らない・・・。
昨日も苺。
今日も苺。
明日も苺で確定。
無理矢理友人に押し付けるも、その友人も
「もう、もう嫌だ・・・。」
とダウン。
そんなストレスから出て来た話です。
なのに、何時の間に林檎の話に・・・?
あ、そうそう相変わらずの《文才が来い》状態、誠に申し訳無いです。
誠に遺憾に思っています。
全ては苺が悪いのです。
それではまた。