寝苦しい
もう十月だというのに熱帯夜が続き少し寝不足だった。
身体に包まってるタオルケットを剥ぎ取りバタバタと扇ぐ。
私はユウ、高校二年生、少し特異体質なこと意外は普通な女子高生。
うっすらと身体が汗ばんで不愉快だった。
たまらずベッドから出てキッチンに向かう。口がカラカラだ、何か飲みたい。
冷蔵庫から麦茶を出して勢い良くノドに流し込むと少しだけど身体がクールダウンした。
「ふぅっ!」
一息ついて時計を見ると五時五分、もうこんな時間、すぐにいつも起きる時間になってしまう。もう寝る時間はなかった。
「早めに出て駅前のマックでモーニングでもするか...」
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気分転換がしたくて遠回りして駅に向かった。
すると何か変な臭いがしてきた。
「臭い?なんだろう?」
湿っているような、砂っぽいような、これは焦げた臭い?
ビニールとかゴムとか色んな臭いがした。梅雨時の様な湿った独特の臭いにまじって。
臭いの元が見えてきた、真っ黒に煤けむき出しになった木材、ガラスや瓦は煤にまみれ、ビチャビチャの地面に何かわからなくなってしまった物体と共に散乱している。壁は崩れ間取りがわからない。二階建てだったのだろう、かろうじて階段の一部が残っている。もちろん真っ黒だった。
ぐにゃりと歪な形になってしまった浴槽、トイレがあったであろう場所に、これも煤だらけの便器が転がっていた。
「火事か...」
気分転換のつもりがヘコむ場面に出会ってしまった。
足早に通り過ぎまっすぐ駅に向かう、なんだか背筋が寒い気がして思わず振り向いてしまった。
全焼してしまった家は、そこだけ別世界に見えた。いつもと変わらない平穏な日常に突然あらわれた異次元、悪夢だった。
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モーニングを食べながらさっきの火事現場の事を考えていた。
まだびっしょりと濡れた現場は消火したばかりだとわかる。おそらく昨日、一昨日だろう。あれほどの火事なら家に居ればサイレンの音ぐらい聞こえてくるはず。だとしたら私が学校にいる日中の出来事だ。あんなに全焼するまで消火活動が遅れたのか?それとも火の回りが速かった...
嫌な考えに取り付かれ固く目を閉じブンブンと首を振る。と、軽く眩暈が起きた。(首ふりすぎた...)ゆっくり目を開こうとした瞬間、あの焦げ臭いにおいがイキナリ鼻を襲う。
ハッと驚いて目を開くと、赤だった。
見慣れた店内は赤やオレンジにユラユラと歪み、時折パチンパチンと何かが弾ける音がする。遠くでサイレンの音とたくさんの声。悲鳴に似た女性のわめく声が頭の中で渦をまく。
耳の奥でアラームが鳴った。聞きなれた目覚ましの音。ああ、私の目覚まし時計が鳴っている。止めなきゃ。見えない目覚ましにむかって手を伸ばす。と、いつもの見慣れた店内だった。
辺りを見回す、もうあの臭いはしない。幻覚?最近寝不足だから?
さっき見た凄まじい火事現場の影響かも、と自分を納得させ気持ちを落ち着かせようと深く深呼吸。視界の端に時計を捕らえる(えっ、もう八時!)さっきの出来事はすっかり忘れ大急ぎで学校に向かった。
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お昼、屋上でいつものようにミズホ、アキとお弁当を食べた。食べ終わるなりミズホが見て見てと一枚の紙をだしてきた。
「御子柴 新 取り扱い説明書?何これ?」
「えへへ、よく出来てるでしょ?」
自慢げにエヘンと笑うミズホ。紙にはこう書かれている。
御子柴 新 取扱説明書
・表情はあまり変化しないが故障ではない。
・それでも機能しているか確認したい時は眉の動きを観察して下さい。
・普段は無害ですが予期せず毒を吐くときがあるので話をするときは細心の注意が必要。
・質問をするときは簡潔に、解答は難解な言葉が多いので辞書(タカヒロ)が必要。
・気づかぬうちに背後に立っていることがあるので驚かないこと。意外と繊細なので傷つくことがあります。
・通常は温厚だがユウもしくはユウの関係者に危機が及ぶと豹変し、思わぬ行動やスピードで敵を翻弄する。
・内気でシャイなので、からかうと面白い。その際、逆襲にあうことを覚悟して行うこと。
その他の質問や予期せぬ事態にあわせた確認などはユウに聞く。
「まずいよミズホ、アラタに見られたらどうするの?」
「だいじょぶ、だいじょぶ、気をつけるからさ。今度はタカヒロバージョンも作るから出来たら見せるよ。」
「やめたほうがいいと思うよ。」
ミズホは聞く耳もたないといった風でニヤニヤしてる。もう考え始めている顔だ。きっとばれる事になるんだろうな...と思いながらコーヒー牛乳をすすった。
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「ユウ、最近なにか変わったことないか?」
放課後、アラタとの帰り道、思い切った感じでアラタが口を開く。
「えっ、別に何も...夜、暑くてよく眠れないくらいだけど。」
アラタは何か考えこんでいたが、すぐに「それならいいんだけど。」と言って黙ってしまった。
普段から私がしゃべっているのを聞いていることが多いアラタだけど、今日は一段と無口だった。
何かしたかなぁ...?なんて思っていると夕方のあの〔帰りましょう〕の放送が流れた。
「ヤバッ、忘れてた!妹と五時にスーパーで待ち合わせしてたんだった。アラタごめん、私こっちだから、また明日ね~!」
少し戸惑いながら「うん。」と言うアラタに手を振りながら走り出し、いつも右にまがる十字路を反対の左にまがり妹が待つスーパーに急ぐ。
いつも料理なんかしたことがない妹が学校の調理実習で恥をかきたくないからと、今日の夕食は予習を兼ねて一緒に作る約束だった。
息を切らしスーパーに入ろうとした瞬間、またあの臭いが鼻をつく。
スーパーの中はまたしても赤やオレンジに揺らいでいた。
またあのサイレンやわめき声を聞いてボーゼンと立ち尽くしているとポンと肩を叩かれた。
「ユウちゃん遅いよ~。」
振り向くと妹のカエデが頬っぺたをプゥ~と膨らませ立っていた。
「あぁ、ごめんね。」
ドキドキと鳴る心臓を静めようと深呼吸した。
「急いで走ってきたみたいだから許してあげる。」
カエデは私の異変に気づいていないみたいだった。心配かけるのが嫌で何もない振りをして買い物を済ませ家に帰った。
夕食の献立はオムライスとミネストローネ。とても美味しく出来たがカエデのオムライスはチキンライスに卵焼きが乗ってるみたいだった。おそらく数日間、オムライスが続くとこだろう。
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深夜、また今日も寝苦しい。
けっこう暑がりな方だけど、こう毎日寝不足が続くと辛い。今日は扇風機を動員させ心地よい風が全身をなでる。
しかし何故か身体の芯が火照る。
何度も寝返りを打ってヒンヤリした場所の布団を求めてゴロゴロと転がる。いつしか訪れた睡魔に招かれるがままに落ちていった。
どれくらい寝たのか解らなかった。まだ夢の中なのかもしれない。意識はハッキリしない。
ただ、あの臭いがしていた。
(まただ...)
目を開けると見知らぬ場所だった。
少し大きめなテレビ、背の低いガラスの長テーブル、ソファー、本棚には雑誌や写真集、趣味の洋裁や刺繍の本、家庭の医学や辞書が並んでいる。
後ろを振り返ると綺麗に整理された数々のスパイスや調味料が並ぶカウンターキッチン。将来、結婚したらこんなキッチンで毎日だんな様のために料理をしたいと夢見るようなダイニングだった。
ふと、何かの気配を感じ見回して気づく。
本棚の隣にペット用のゲージがあった。
ゲージの中にはビーグル犬が丸くなって眠っている。近くに行こうとして足を一歩前に出すと急に赤、オレンジに揺らぎだした。
部屋中があっという間に熱気に包まれる。
肌を見えない炎が這ってくる。じりじりと焦がされ皮膚が裂け脂肪が泡立つ。
気が狂いそうな熱気がノドを焼き声もだせない。
いつしか真っ黒な煙が充満して何も見えなくなってしまう。
息ができない、何も見えない、身体中が痛い、誰か助けて...
足元に穴が開いたような感覚、急に落ちていく。身体がビクンと跳ね反射的に目を開けると自分の部屋に居た。
身体中から汗が噴出しシーツまでぐっしょりと湿っている。
時計を見ると五時五分、シャワーを浴びて学校に行こう。
また口はカラカラだった。
~~~~~~
寝不足の身体は重く足もなかなか前に出ない。のろのろ学校への道を歩いてると後ろから勢い良く背中を叩かれる。
「おはよー、どうしたの?元気ないじゃん!また何かやったのかい天文部。」
三面鏡事件の時のアッコが面白いにおいを嗅ぎつけたみたいなワクワクとした表情で立っていた。
「残念だけど何もないよ。」
ため息まじりにそう返す。
「何もないって顔じゃないね。」
私の顔を覗き込み興味津々だった顔から一転して心配そうに言った。
「私、ひどい顔してる?」
顔色が変わったアッコに驚き思わず聞いてしまった。
「ユウ、悪いこと言わないからアラタ君に相談したほうがいいと思うよ。」
心配してくれているアッコには一応「うん。」と返事をしたが正直気が進まなかった。
毎回、面倒ばかりかけられない迷惑だよね。
その日の授業は睡魔との闘いで何も耳に入ってこなかった。
なるべくみんなに心配をかけないように必要以上にはしゃいでいたと思う。
~~~~~~
ユウが変だ。
俺は一昨日からユウの背後にいる何かに気を集中していた。
なかなか正体がわからない、たぶん常に憑いているわけじゃないみたいだ。残り香のようなモノを注意深く探るが、やはり解らない。昨日の帰り道ユウに聞いてみたが話してくれなかった。俺に気を使っているのだろう。
いつ、どこで、なにがきっかけでヤツは発動するのか?
ホントならユウから片時も離れていたくなかったが、そんなわけにもいかずもどかしい思いでいた。
放課後、一緒に本屋に行って欲しいと口実を作った。
いつもの笑顔で元気に「いいよ。」と言ったユウは、やはりカラ元気にみえた。
ユウ、俺に気を使うな、いつでも頼って欲しい...そんなセリフ恥ずかしくて言えるか!
馬鹿みたいだ、俺は...
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アラタに付き合って本屋に行ったその帰りアラタがジュースをおごってくれた。
公園のベンチに座って休憩がてら買った本の話で盛り上がった。
アラタの話は面白い、解釈の仕方が独特で聞いてると楽しい。こんな考え方もあるんだ、と為になる事ばかりだった。
あっという間に時間は過ぎ〔帰りましょう〕の放送が流れた。
「そろそろ帰ろうか、また今日もオムライスだなぁ。アラタはオムライス好き?」
「好きだけど、あの半熟の卵は嫌だな。昔ながらのオムライスの方が俺は好き。」
「やっぱり!アラタは絶対そうだと思ったよ。」
「どうゆう意味?俺が古臭いって言いたい?」
「ちがうよ~。」
なんて言って笑っていると、またあの臭いに包まれる。
瞬間、アラタの顔つきが変わった。しまったバレた。と、思うのと同時に昨夜の夢の再現が始まる。
熱気と激痛で気が遠くなる。
ごめんねアラタ、また迷惑かけちゃう。
~~~~~~
ユウは気を失ってしまった。きっと悪夢を見ているだろう。早く終わらせなければ。
やっと実態が見えていた。火事で死んでしまった犬だった。よほど辛かったのだろう。必死に助けを求めている。遠くで大好きな飼い主の声を聞きながら、もっと一緒にいたかった、飼い主の新婚生活を見ていたかった、飼い主の作る美味しいご飯を笑顔で食べるだんな様を見ていたかった。
「もう心配いらない、苦しまなくていいんだ。」
犬の意識が流れ込んでくる。きっとユウにも。
気を失っているユウの閉じられた目から涙があふれ出ていた。
「瀛都鏡 邊都鏡 八握劔 生玉 死返玉 足玉 道返玉 蛇比禮 蜂比禮 品物比禮 布瑠部 由良由良止 布瑠部...」
静かに唱えると犬の意識は段々と薄れて行った。
これでユウと犬は大丈夫だろう。最後にやらなければならない事がひとつ残っている。
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焼ける熱気に息が出来ない、どうして?何が起こってるの?
あのビーグル犬がずっと悲しげに鳴いていた、伝えたい事がきっとあるんだ。
でもどうすればいいかわからない、ごめんね、ごめんね…
頬を濡らす涙に軽い違和感を感じ目が覚めた。隣に座っているアラタにもたれかかって。
「起きた?気分はどう?」
アラタは少し怒っている様にみえた。
「ごめんなさい...」
おもわず謝ってしまった、また迷惑かけたんだ怒ってて当然だよね。
「歩ける?じゃ、行こっか。」
???
訳がわからなかったけど黙ってアラタについていく。少し歩いていくと嫌な予感。そっちの方にはあの...
やっぱりだった、そう火事の現場。
「ユウ、何も言わなくても解ってるよね?」
こういう言い方の時のアラタは少し怖い、黙ってうなずくとアラタは短いため息のあとゆっくり口を開く。
「あの崩れた本棚わかるだろ?あの下敷きになって犬は死んでたんだよ。飼い主は必死にあの子を助けてと訴えていた、でも消防隊員が発見したときは手遅れだった。ユウ、いつも異変が起きたとき何時だったか覚えてる?」
「たしか五時過ぎ...」
「五時五分、デジタル表示だとわかるかな?」
「デジタル?...あっ!」
「そう、SOSになるだろ?」
愕然とした、私は何も気づかなかった、そして物凄い後悔に襲われる。
早くアラタに打ち明けるべきだった。あんなに必死に助けを求めていたのに、私は自分の都合ばかり考えて躊躇してカッコつけて...ほんとにごめんね...
アラタは黙って私の頭を撫でてくれていた、私の涙が止まるまで...そして私は涙がつたう頬をそっと舐める何かを感じていた。
~~~~~~
後日、近所の方から火事にあったご夫婦の話を聞けた。あの犬の死がショックで奥さんは入院していた。
アラタと教えてもらった病院にお見舞いと犬の気持ちを伝えに行くことにした。
あの日、夫妻はお祝いのため外食に出かけていた。奥様は妊娠をしていたのだった。結婚してあの新居に移り住み、ご近所ともうまく付き合っていて幸せな新婚生活だった。
しかし、あの悪夢が起こった。放火だった。
夫妻はワインで乾杯して奥様は最後の飲酒だと笑って幸せな時間をすごし帰宅した。
信じられない光景だった。幸せだったマイホームが燃えている、最愛の愛犬がまだ中にいる。
奥様は必死に訴えるが消防隊員は犬を見つける事ができない。撒かれた灯油で火の手は早く、そのうえ崩れた本棚に埋もれ助けを求める鳴き声は聞こえなかった。
アラタは信じてもらえないと思ったが犬は夫妻の幸せを願いながら成仏したと伝えた。
奥様は泣きながら消え入りそうな声で言った、「ありがとう。」と。
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「放火犯は捕まったし一件落着だね。」
「いや、まだだよ。」
そうでした、まだお説教が残ってた。少し肩をすぼめ、いつでもどうぞと覚悟する。
しかし、アラタは真っ赤な顔で意外な事を言った。
「ユウ、俺に気を使うなよ、いつでも頼って欲しい。」と。
「うん。」
吹き出すのをこらえながら返事をしたらアラタは嬉しそうに笑った。
そして次の日、〔御子柴新 取扱説明書〕は、あっさりアラタに見つかりミズホはアラタに説教された。
作者伽羅
やはり私の鈍い一面が露呈した物語です。
可哀想な事をしていまいました。
これ以降、アラタに頼る事に躊躇するのをやめようとし始めたきっかけになりました。
私の妹の初登場です。今後もたびたび登場しますのでアラタとおかしな仲間たち共々よろしくお願いします。