玖埜霧欧介のためなら死ねる。
私が死んであの子が助かるというのなら、私は何度だって死んでいい。無限地獄に落ちて、何度も何度も死ぬ瞬間を味わう罰を請け負うことすら幸せだ。それくらいであの子が助かるのならーーーお姉ちゃんは地獄に落ちることすら厭わない。
こう言ってしまうと、私はかなりのブラコンーーーブラザーコンプレックスを持った人間のように世間からは思われるだろう。その理解でもあながち間違いではないが……しかし、私はあの子の幸せをいの一番に願っている。押し付けがましいことかもしれないが、本当だ。
私はそもそも人間関係が苦手である。家族以外の他人と上手く付き合ったことがない。適度な距離の取り方が全く分からないのだ。
私の中では他人は「好き」か「嫌い」の二つに区別されている。「好き」の枠内に入る人間は鬱陶しいと思われるくらいにベタベタするし、逆に「嫌い」の枠内に入る人間は拒絶する。実も蓋もないが、拒否し絶交する。これ以外のコミュニケーションが分からないのだ。
これは対人関係がうまくいかない人間の典型的な例である。両極端なのだそうだ。他人に対し貪欲なまでに距離を縮めるか、もしくは根底から毛嫌いするか。まさしく私はこのタイプの人間だ。
ここで欧介の話に戻るがーーー私はあの子のためなら死んでもいいと思っている。それは紛れようのない事実であり、私の生きている意味でもある。私の中で、あの子は間違いなく「好き」の枠内に入るし、その中でもダントツ一位の存在だ。両親も勿論好きだし尊敬もしているが……あの子だけは別格だ。
特別枠という別格。そして特別視している。
ただし、私はあの子のことを弟だから特別視しているわけじゃない。あの子の前では性に開放的だから、恋人として見ているようにも誤解されがちだが、そうでもない。
では、どういった目で見ているのかと問われればーーー「恩人」だ。
あの子が私のことを躊躇(タメライ)いもせず、躊躇(チュウチョ)もせず、迷いなく、淀みなく、スムーズに、ストレートに、「姉さん」と呼んでくれたあの日から、私は晴れて玖埜霧御影となったのだ。自分の名を、自分の家を、そして家族を手に入れることが出来た。
だから私は救われた。玖埜霧御影は救われた。差し伸べて貰った手はーーー温かかったのだ。
だから言える。躊躇いもせず、躊躇もせず、迷いなく、淀みなく、スムーズに、ストレートに、何度だって言おう。言い尽くそう。
玖埜霧御影は、玖埜霧欧介のためなら死ねる。
◎◎◎
「欧ちゃん欧ちゃん。今日の放課後、ショコラとデートしない?ショコラと甘~い放課後を過ごさない?ショコラだけにショコラティエ的な甘い響きの、ちょっぴりほろ苦いbittersweetなひとときを過ごしてみない?」
「……出た、お邪魔虫」
「ちょっとおっ!誰がお邪魔虫よ誰が!言うに事欠いて虫とは何よぉ!ていうか無視しないでよ!虫の話だけに無視しないでよ!何食わぬ顔して帰り支度を始めないでよう!」
「……あのねぇ、ショコラ」
俺は鞄を肩に掛けながら、目の前にいるクラスメートの女子、日野祥子ーーー通称ショコラに目線を合わせる。彼女は俺よりかなり小さめなので、顔を覗き込むような体勢だ。
「お前とデートしたいのはやまやまなんだが。今日は早く帰ってくるように言われてるんだ。学校が終わったら寄り道せずに帰って来いって」
「誰に?パパ?ママ?それともおねーさまに言われたの?」
「おねーさまだ。因みにパパとママは出張で明後日まで帰ってこない」
「なら、欧ちゃんとおねーさまは必然的に一つ屋根の下に二人きり……」
「よく分かんないけど、ハイランビが今日らしいよ。だから早く帰って来いってさ。はは、ハイランビって何だろうな。ハイビスカスは花だろ。ショコラは知ってるか、ハイランビ」
「……あのぅ、欧ちゃん。それは幾ら何でも引くわ。ガチで引いてるわ。引き潮の如く引きまくっているわ」
いつもニコニコと、緊張感がまるでない猫みてーな笑顔のショコラが青ざめていた。しかも、俺を見つめる視線が思いの外冷たい。
何か変なこと言ったかな。
こほん、と咳払いをしたショコラは、哀れむような目で俺を見つめた。そして手をギュッと握られる。
「欧ちゃん、可哀想。その年でパパになるやもしれないのね……。嗚呼、可哀想なのは生まれてくる子どものほうか……。うん、頑張って。大丈夫よ、昔そんなドラマもあったし。うん……頑張ってね」
「お前、何で泣いてんの?ていうか、さっきから何を言われてんのか分からないんだが……」
「ううん、いいの。欧ちゃんはまだ知らないほうがいいのよ。真実は時に残酷だから……」
ショコラは俺の学生服のポケットから勝手にハンカチを取り出すと、涙を拭いた(ついでに鼻までかみやがった)。
「ところでさー、デートの件なんだけどー」
「切り替え早っ!」
さっきまで泣いてた癖に、もうケロリとしてやがる。嘘泣きだったのかと思えるほど、さっぱりとした顔つきである。
「そんなに時間取らせないし、すぐ済むわよ。だから私とデートしよっ♡♡♡」
「だからダメだと言ってるだろ。話を聞いてなかったのか。姉さんが早く帰ってこいって……」
「チ、ラ、リ、ズ、ム~♡」
ふわり、と。ショコラのスカートが捲れ上がった。風の悪戯かと思ったが、何のことはない。ショコラ自身が自らスカートを捲り上げていたのだ。
チラリズなんてもんじゃない。大胆に、そして包み隠さず。ショコラのむっちりとした白い太ももと、そして下着が目に入るーーー
「…………」
まじまじ見てしまった。色から柄から面積やら……。そうか、ショコラってはあんな下着を履いていたのか……意外だな。
って、おい!
「何をしてるんだお前は!ちゅ、中学生が、そっ、そんな、そんな下着を履いてるなんて!犯罪じゃねぇのかそれ!?」
「お駄賃よ♡」
デートに付き合ってくれるためのね、と。ショコラは可愛らしくウインク一つ。
「私のパンツ見たんだから、デートに付き合ってくれるよね♡」
……何かズルくないか、それ。
◎◎◎
「最近、ネットでヒジョーにキョーミ深い都市伝説を見つけたのよ」
隣を歩くショコラはやや食い気味に話し始めた。あれから俺達は学校を出て、最寄り駅から電車に乗っている。そういえば、ショコラと電車に乗ることは初めてかもしれない。
二人で肩を並べて座りながら、ショコラはスマートフォンを操作し、あるサイトを見せてきた。それは日本各地の都市伝説を纏めたホラーサイトだった。
「ほらっ、これよ。その名も”呪いの黒い缶ジュース”」
ショコラが指差す先には、確かに「呪いの黒い缶ジュース」と出ている。ひきこさんや一人かくれんぼなどのメジャーなものではないらしいが……俺自身も初めて聞いた。
「しっかし、呪いの黒い缶ジュースときたか。飲んだら呪われるジュースってオチじゃないよな」
「そんなもん、都市伝説でも何でもないでしょ。衛生管理の問題になるだけよ。そうじゃなくてね……」
ショコラは一瞬黙って、それから「ん」とスマートフォンを差し出してきた。詳しい説明は自分で見ろということらしい。
スマートフォンを受け取り、「呪いの黒い缶ジュース」をクリック。すると赤い筆記体で書かれた説明文が表示された。
それが以下の内容である。
【呪いの黒い缶ジュース】
○○県●●市に「一(イチル)公園」がある。公園の裏手は駐車場になっており、その敷地内には缶ジュースの自動販売機がある。
自動販売機の最上段の一番右端ーーーそこには何のラベルも貼られていない真っ黒い缶ジュースが並んでいる。値段は普通に売られている缶ジュースと同じく百二十円だ。
真っ黒い缶ジュースーーーそれは”呪いの黒い缶ジュース”と呼ばれているのだ。
その黒い缶ジュースを購入し、呪いたい相手の名前を呼びながら缶を振ると、相手に呪いが掛かると言われている。
「…………」
説明文を一通り読んだが、いまいち意味がよく分からない。この気持ちを一言で表せば「で?」だ。
で?だから何なの、みたいな。
嘘くせーし、アホらしい。呪いたい相手の名前を呼びながら缶を振ると、相手に呪いが掛かる?
……はっ。アホらし。もう少し捻ろうよ。幾ら何でも芸がなさ過ぎる。
「アホらしーって顔してるわよ、欧ちゃん」
「だってアホらしーって思うもん」
「アホみたいな顔してるわよ、欧ちゃん」
「それはただの悪口だろうが!」
どさくさに紛れて言いたいことを言うんじゃないよ。悪口には敏感なんだからな。
「で。お前はその呪いの黒い缶ジュースを見に行こうって言いたいんだな」
「んふふー。そうよ。だってほら、一公園って電車で行ける距離にあるしね。話のタネになりそうじゃない」
「話のタネねぇ……それはもうデートって言わなくないか?」
デートっていうよりもロケって感じ。心霊ロケで心霊スポットに出掛けてきまーす!みたいな。
「デートだよ。大丈夫、クライマックスにはちゃんとホテルで一発ヤラせてあげるから」
「中学生が爆弾発言をしてんじゃねぇよ!」
ポカポカ地雷踏みやがって。顔が赤くなってきちゃったよ、もう!
「ほら、欧ちゃん。ここで降りるよ」
ショコラに手を握られ(指と指とを絡める恋人繋ぎだ)、俺達は電車を降りた。そのままショコラの案内で改札を出、一公園とやらに向かう。
一公園は駅から大体十分くらい歩いた場所にあった。今時の公園にしては珍しく、たくさんの遊具に溢れている。
ジャングルジム、滑り台、ブランコ、砂場といったレギュラー陣は勿論、中にはどんな風に乗って遊ぶのかすら分からない奇抜な物もあった。
「こっちよ。裏手の駐車場は」
ショコラに手を引かれ、公園の裏手に回る。そこには小さな駐車場があり、その隅に比較的新しい自動販売機が悠然と立っていた。
「ふーん、これが……」
「そ。噂の自動販売機よ」
売られているジュースやお茶などは普通に売られている物である。炭酸飲料もあればスポーツドリンクなどもあるし、珈琲やココアなど、品数は結構豊富なようだ。
その上段ーーー右端。確かにラベルのない真っ黒い缶ジュースが並んでいた。銘柄もないし、絵柄もない。ただただ真っ黒な外観の缶。もはや缶の中身がジュースであるかも不明だ。
「なあ……。これ、ただの悪戯じゃないか?誰かがこっそりと普通のジュースと黒い缶を入れ替えたとか……」
「その可能性もなくはないけどね。でも、自動販売機の管理は全て業者が請け負っているし、盗品防止のために厳重な設備になってるらしいわよ。素人がちょちょいと入れ替えられるとは到底思えないわ」
「素人が無理なら業者の仕業ってことか?」
「そんなわきゃないでしょ。何のメリットもないし、すぐバレちゃうわよ」
ショコラはニヤリと笑うと、鞄からピンク色の小さな小銭入れを取り出した。そこから百円玉と二枚の十円玉を取り出す。
「お前、まさか買う気なんじゃ……」
「当たり前じゃない。現物があるんだから、買わにゃ損損よ」
「買ってどうすんだよ」
「どうしましょうかねー」
投入口にコインが入る。ショコラは寸分も迷うことなく、黒い缶を選択してボタンを押した。
ガコン、と缶が出てくる。ショコラはふんふんと頷きながら、缶を矯めつ眇めつ観察する。
「見た感じ、素材は普通のアルミね。軽いから中身は空っぽなのかしら」
「……マジで買うとは思わなかったな。早く捨てろよ、そんなもん」
「何言ってんの、せっかく買ったのに。買ったからには使わなきゃもったいないでしょーが」
「何言ってんのはこっちの台詞だよ!使うって
お前、誰かに呪いを掛けようって言うんじゃないだろうな」
「この缶の利用価値が誰かに呪いを掛けることであるのなら、その理に従うべきでしょう」
「従うなそんなもん!」
全力で逆らえ!
ショコラは「んふふふ」と笑った。笑うとただでさえ細い目が更に細くなり、まるっきり猫だ。にゃんこみたい。
「……試してみたかったんだけど。お邪魔虫が来たから止めとくわ」
「お邪魔虫?」
「ほら、上よ上」
ショコラは俺に缶を手渡しながら、視線を自動販売機に移す。つられるようにしてそちらに視線を移せばーーー
「よお、欧介。誰がお邪魔虫だかもっぺん言ってみろ」
自動販売機の上に釈然と脚を組んで座り、俺達を楽しそうに見下ろしている人物が一人。
その名を玖埜霧御影。俺の姉さんだった。
◎◎◎
「な、何してるの姉さん。そんな所に腰掛けて」
「浮気の素行調査」
姉さんは長い脚を優雅に組み替えた。パーカーにショートパンツといったラフな服装から、学校帰りというわけではないらしい。
「家に帰ってみたら、欧介いねーんだもん。早く帰って来いっつったのに。跡つけてみりゃ女とデートかよ」
「あ、いやね、ほら別にこれはデートとかじゃなくて……」
なぁ、ショコラと。隣にいるショコラに助け舟を求めるも、そこには誰もいなかった。
一人で逃げやがったな、あいつ。ホテルで一発ヤラせてくれるという約束はどうなった。果たされない約束なんて、最初からするんじゃないよ。
「あの子……お前の浮気相手の子。クラスメートか?」
「浮気相手って……。うん、クラスメートの女子。日野祥子って名前で、渾名はショコラだよ」
「ふうん……。まあ、十中八九偽名だろーな」
「え?偽名?」
「何でもない。にしてもだ。デート現場を押さえたのはいいけど、随分とまた色気ねー場所だな。駐車場の、それも自動販売機の前って。せめて公園くらい行けよ。やるにしろやらないにしろ」
「何をやるの!?」
ふん。姉さんは鼻を鳴らすと、ひらりと自動販売機から舞い降りた。忍者宜しく見事な着地である。
「面白いモン持ってるじゃん。そんな真っ黒い缶、初めて見たよ」
「あ、これはーーー」
ん?よく見ると、缶の上部に小さな穴が開いていることに気付いた。キリで開けたような小さな穴で、注意深く見ていなければ見落としそうな穴だ。
この穴は一体……?
と。説明をしようとしたら、人影が見えた。年の頃は二十代後半くらい。長い黒髪をうなじの辺りで縛っている。
すっきりとしたグレーのパンツスーツに、踵の低いパンプス。黒いショルダーバックを掛けた、OL風の女性が立っていた。
「……あら。あなた達もですか」
女性はにこりと微笑んだ。優しげな笑顔だったが、どことなく翳りのある表情だ。
「呪いの黒い缶ジュースを買いにいらしたんでしょう?」
「あなた達もってことは……」
「私もなんです」
私は姫坂と言います、と。女性は簡単に自己紹介をすると、ショルダーバックから財布を取り出した。
姫坂さんはツカツカと自動販売機の前に来ると、小銭を入れた。そしてボタンを押し、出てきた黒い缶を大事そうに抱えた。
「ネットでね、見つけたんですよ。都市伝説が掲載されているホラーサイトで、この黒い缶ジュースのことを知りました。これを購入するの、これで二度目なんですよ」
「に、二度目?」
「そう。効果は抜群ですよ。だって、」
ーーー死んじゃいましたから。
姫坂さんは目を細めた。唇の端が小刻みに痙攣している。
「職場に嫌な先輩がいたんですよ。私のことが気にくわないんでしょうね……何をしても文句を言うんです。仕事がトロいとかメイクがダサいとか、そんなことまで言うんですよ。わざわざ皆の前で。これみよがしに大声で」
ぶつぶつと呟く姫坂さんの肩に、小さな赤い物が見えた。蛆虫だろうかーーー数センチほどの大きさをした蛆虫みたいな物が、うねうねと動いている。
どこかで虫が付いたんだろうか。
指摘しようと思ったが、どうも話し掛ける雰囲気ではない。両手に包み込みようにして持っている黒い缶を見つめる姫坂さん。彼女の焦点は、合っているようで合っていなかった。
「……この間なんか、有給取って彼氏とハワイに行ってきて。皆にお土産を配っていましたよ。上司にも同僚にも後輩にも。でも、私の分だけなかったんです。完全な嫌がらせですよね。本当に性格が悪い女だわ」
肩先に蠢いていた赤い蛆虫が一気に増えた。肩に乗らない分はボタボタと地面に落ち、グチャリと潰れた。蛆虫は肩からだんだん腕のほうへと滑り落ちていく。
「年が一歳上なのがそんなに偉いことかしら。仕事ではミスばかりしている癖に。自分のミスはいつも私に押し付けて。残業だって毎回何かと理由を付けてやらないし……彼氏とディナーだか何だか知らないけれど、社会人としての自覚がないのよ」
ぶわっ。蛆虫は更に勢いを増し、肩から首筋へと移動していく。うねうねと蠢くそれは、顎から口へと上がってきた。微かに開いていた彼女の唇から、口腔内へと入り込んでいく。
「ひ、姫坂さん。口に虫が……」
「だからね、呪ってやったんです」
ぶわわっ。赤い蛆虫は彼女の顔全体を覆い尽くした。
「ネットであちこち探して、ようやく見つけたの。最初は胡散臭いと思っていたけれど……でも、本当に黒い缶ジュースが売られていたから。さっそく買ってきて試したのよ。そしたらね、死んじゃった!」
ヒャハハハハハハ!姫坂さんは大口を開けて笑った。口の中は既に赤い蛆虫でいっぱいだ。歯から歯茎から舌から上顎から、びっしりと蛆虫で覆い尽くされている。
「ストーカーに付け回されて、陵辱されて、殺されて!遺体は山に棄てられてたんだって!遺体が発見されたのは一週間後だったんだけど、遺体には蛆虫がわいて酷い有り様だったそうよ!彼氏が遺体見て悲鳴を上げたらしいもの!ヒャハハハハハハ!美人も蛆虫がわいたらお仕舞いよねぇ!」
ぶわわわわわわっ。蛆虫は姫坂さんの頭から爪先まで、全身隈無く覆い尽くした。蛆虫が人型となって蠢く様は、言葉に出来ないくらいに気持ち悪い。
「……あのさ。ちょっとあんたに確認したいんだけど」
腕を組んで自動販売機に寄りかかっていた姉さんが、チラリと視線を上げる。僅かに眉をしかめたその表情からは、機嫌の悪そうな様子が窺えた。
「呪いを掛ける時、穴は塞いだのか?」
「あ”ぁ……なァ?」
姫坂さんが振り向く。既に人間の原型を留めていない彼女の口や鼻、耳からは、ボトボトと蛆虫が汚らしく吐き出される。
姉さんは「そう。穴だよ」と頷く。
「人を呪わば穴二つ。人を呪うと、相手の墓穴を掘るつもりが自分の墓穴までもを掘ってしまうー一ーその墓穴が缶に開いた穴だよ。穴は墓穴を意味してるんだ」
「…、は、はかァな”……?」
「あんた、先輩を呪う時、穴を塞がなかったんじゃないか?そもそも穴が開いてること自体気付いてないんだろ?」
図星なのか姫坂さんはピタリと黙った。眼球すら蛆虫に食い尽くされ、ぽっかりと穴が開いただけの両の眸で。視力を完全に失ったその眸で。姉さんを見つめている。
気怠そうに姉さんは横目で姫坂さんを見た。不本意そうに。嫌そうに。心底軽蔑しているようなー一ーそんな眸。
姉さんはどんな時でも正しい答えを選択し、間違いを嫌うのだ。間違いを起こした人間を執拗なほどに嫌う傾向がある。
自分の犯した間違いは自分で償えと。自業自得だと言わんばかりに。
手厳しい言葉をー一ー姉さんは投げ掛ける。
「穴はあんたが呪いを掛けた先輩の墓穴とー一ーそして、あんた自身の墓穴だ。その穴を塞がなかったということは、あんたが入る墓穴も開いたままだということさ」
「ゎ……わ”だしの……、はがァな……?」
「人を呪わば穴二つ。一つの穴には先輩が。もう一つの穴にはあんたが入るんだ。あんた自身が呪った先輩と隣り同士、仲良く墓穴に入るんだな」
「は……、はがァな。はがァ……はが、はがあ……。はかあな?ハ…、ガァな。はがあな。はがあな。ばがァァなァ……………」
足から崩れ落ちるように姫坂さんがへたり込む。ボトボトボトッ。吐瀉物の如く、口や鼻から大量の蛆虫を吐き出す姫坂さん。見れば見るほどに哀れで、おぞましい。
やがて彼女は力尽きたように倒れ臥した。それを傍らで見つめながら、姉さんが容赦なく呟く。
「最後に一つだけ教えてやるよ。墓穴に入る前に聞いときな」
呪いってーのはさ。呪いを掛けられた相手よりも、呪いを掛けた本人に還ってくるほうが大きいんだよ。
◎◎◎
「都市伝説は年々新しい噺が増えていく。それらは留まることを知らず、派生に派生を繰り返し、様々なバリエーションを生み、あらゆる方向へと変化していく。都市伝説の恐ろしさはそこにある」
電車に揺られながら、姉さんはそう言った。
「コックリさんという降霊術があるよな。これだって色んなバリエーションがあるんだぜ。キューピッド様、エンジェルさん、天使様……呼び名は違えどルールは変わりないんだけどね」
ただ。
「呼び名をどんなにソフトにしても、危険なことには変わりない。都市伝説は全般的に危険なものが多いんだよ。誰が言い出したのかは誰も分からないし、嘘だという確証も真実だという確証もない。あやふやで曖昧でー一ー根拠のない噺。だからこそ危険なんだよ」
「危険……」
「デンジャラス。危険だよ。多くの人間が信憑性の高い噂だと信じ込めばー一ーその噺は“本当“になる。例え最初は出鱈目な作り噺だったとしてもだ。誰かが真偽を突き止めない限り、根拠のない出鱈目でも恐怖の対象となる。恐怖の対象が行き着く先は一体どこかー一ー」
姉さんはにぃーと笑って、俺の顔を覗き込んだ。近い距離からじわりと見つめられ、色んな意味で怖い。
「……人間の破滅だよ」
都市伝説とはー一ー嘘から出た真。姉さんはそう締めくくった。
先ほどの光景を思い出し、気分が悪くなった。姫坂さんはどこで道を間違えたのだろう。どこで道を踏み外したのだろう。
「……人を呪わば穴二つ。まさに正鵠を得た言葉だったんだね」
「怨みは新たな怨みを生むだけだ。螺旋階段みてーに途切れることなく渦を巻く。その連鎖反応を打ち切れるか打ち切れないかは自分自身なんじゃねーか?」
どうだっていいけどな。要は自分が責任を取るだけなんだから。
至極どうでも良さそうに呟くと。姉さんは「ところでさ」と言いながら、俺の鼻を突ついた。
「今日、ハイランビだから。早く家に帰ろうね♡」
作者まめのすけ。-2