突然の尿意で俺が目を覚ましたのは、夜も更けた午前2時ごろだった。
「寝る前に飲みすぎたかな・・・」
そんなことを考えながら、寝起きでしょぼしょぼする目を擦る。
すぐ隣の窓から、カーテン越しに外の月明かりが透けている。
俺は何とかまた寝付こうとゴロンと寝返りをうった。
だめだ、寝返りをうっただけで今にも漏れそうだ。
俺は夜中にトイレに行くのがとても嫌だった。
理由は単純かつ明快、怖いのだ。
いくら明かりを点けても、今この時間が「真夜中」という事実だけで、昼間とは打って変わった恐怖が俺にのしかかるのだ。
大袈裟だと言われるかもしれないが、マンションに一人暮らしの俺にとっては真夜中のトイレというのはそういう存在だった。
しかし今回は我慢して寝ることもできない。
俺は布団からゆっくりと起き上がった。
膀胱に力を入れていないと今にも決壊しそうだ。
すぐ目の前にある明かりのヒモを引くと、パッと部屋が蛍光灯の白い光に照らされた。
俺の住んでいるマンションは、玄関を上がって短い廊下、その先にテレビなどが置いてある8畳程の居間兼寝室、その他にトイレと浴室といった感じの作りになっていて、今から俺が向かうトイレは、この短い廊下の調度中間地点にある。
部屋の奥の布団から抜け出した俺は、部屋を横切って扉を開いた。
扉の先には真っ暗な廊下ーー
奥に暗いがぼんやりと玄関の扉も見える。
俺はすぐに壁に点いている廊下の明かりのスイッチをいれた。
居間の蛍光灯とは違う、電球の黄色い光が廊下を照らす。
「やっべ~漏れる・・」
俺はひょこひょこと変な歩き方で足早にトイレへと向かった。
ここまで俺は終始ドキドキしていた。
やはり扉を開ける瞬間や、明かりを点けて暗闇が明るくなる瞬間は俺にとっていちいち勇気を必要とする場面だった。
俺はトイレの扉を開けて中に入った。
すぐに芳香剤の香りが鼻へ入ってくる。
トイレはどこの家ともたぶんほとんど違いはないだろう。
縦長の空間の奥に洋式の便器と、壁にタオルとトイレットペーパーが掛かっている、そんな感じだ。
トイレの明かりは自動なので、すぐに廊下と同じ黄色い光が灯った。
俺はトイレの扉は閉めない。
もしも閉めたら、用を足した後扉を開けるのがとてつもなく怖いからだ。
外にもし何かが立ってたらなどと思うと、たまらなく怖かった。
いつもどおり扉は閉めずに、俺はズボンを下ろし、用を足し始めた。
しかし、深夜とはやはり昼間とは全く違い、なんともいえない緊張感がある気がする。
普段は気にしない、視界の端にある扉の向こうの廊下が気になって仕方が無いのだ。
「見ない見ない・・・」
そう思いながら、俺はひたすら用が済むまで便器のほうに意識を集中させ続けた。
例えばの話だが、何か気配を感じたとき、思い切って振り返ったり、そこにバッ視線を送れば、結局何もいなかった、みたいな経験はしたことがないだろうか。
要するに、何かがいる気がしても、それはあくまで何かがいる’’気’’がしているだけということだ。
この時の俺もそんなノリだった。
気になるなら見てしまえと、視界の端の廊下へと意識を向けたのである。
俺はそれを酷く後悔した。
用はとっくに済ませたが、そこから動くことができなかった。
視界の端っこギリギリに何かが立っているように見えるのである。
あともう少し顔をそちらへ向ければ、その存在の有無もはっきりするのだが、どうしても俺はそちらを向くことができなかった。
だが、その視界の端の何かが俺に向かって手を振った瞬間、単なる思い込みではなかったということが分かった。
それは肘から先をブンブンと存在をアピールするかのように振り続ける。
「あぁ・・・・」
あまりの恐怖に俺の口から声にならない声が漏れた。
ふいにそれが手を振るのをやめた。
視界の端のそれはしばらく俺をじいっと見つめていたかと思うと、ふいに扉に手を伸ばし、
力いっぱいその扉を閉めた。
バタンッ!!!!
物凄い音と共に、ドアに遮られたそれが見えなくなった。
俺はあまりの衝撃に目を見開いてその場に固まっていた。
しばらくして、今自分がまだズボンを下げたままだということに気づき、呆然としたまま履きなおした。
扉におそるおそる視線を送ると、やはり扉は閉じていた。
「どうしよう・・・」
扉を開けるなんて怖くてできるはずがなかった。
きっとまだあいつは扉の外にいるのだ。
そう思うと、恐怖で鳥肌が立った。
トイレのなかで途方に暮れていると、
バツンッ!
何かが切れたような音と共にトイレが闇に包まれた。
「なっ・・停電!?」
あの音じゃトイレだけでなく、きっと廊下もその他の部屋も真っ暗なのだろう。
トイレは居間と違って窓も無く、差し込んでくる月明かりもない。
本当の真っ暗闇だった。
暗闇の中、ただ俺の荒い息遣いの音だけ聞こえる。
「只今、大規模な停電が発生いたしました。そのまましばらくお待ちください。」
そんなアナウンスが静寂を破った。
俺は息を呑んだ。
その無機質な声は、明らかに俺の部屋の中からのものだった。
もちろん停電を知らせるシステムなど俺の部屋には無い。
吐き気にも似た寒気が足元からこみ上げる。
「只今、大規ボな停電ガ発生イタシましタ。そのまマしばらクお待チクダさい。」
ー
ー
ー
「スグニソチラヘムカイマス。」
空気を震わすような低い声が聞こえた次の瞬間、
ダァァン!!!!!!
俺の居間の方から床を両足で踏み鳴らしたかのような大きな音が響き渡った。
ダダダダダダダダダダダダ・・・・
それと同時に足音が物凄い速さで居間の中を走り回る。
「ひぃっ・・・」
俺は思わず耳を塞いでその場にしゃがみこんだ。
ダダダダダダダダダダダダ・・・・バァァァン!!!
物凄い音で居間の扉がぶち開けられる音と同時に足音が廊下を走って近付いてくる。
ダダダダダ、ダダン!!!!
その足音はトイレのすぐ目の前までくると、そこでまた足を踏み鳴らして、止まった。
ただならぬ気配が扉のすぐ向こうから伝わってくる。
俺はとっさにトイレの鍵を閉めた。
案の定、鍵をしめた瞬間にドアノブが凄い勢いでひねられた。
ガチャ!ガチャガチャガチャ!!!
鍵が壊れてしまうのではないかと思うほど強い力で、何度も何度も扉をこじ開けようとしている。
「や・・・やめてくれぇぇぇぇ!!!!」
耐え切れなくなった俺は耳を塞いだまま大声で叫んだ。
途端にピタリと音が止み、ドアノブの動きも止まった。
また真っ暗闇の中、静寂が戻り、聞こえるのは俺の息の音だけになった。
「はぁ・・はぁ・・はぁ・・・」
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
ーーー
「こっち」
「ぎゃああああああああああああああ!!!!!」
すぐ耳元で囁かれたその声に、俺は絶叫をあげてトイレから転がり出た。
勢いよく飛び出しすぎたため、向かいの壁で思い切り頭をぶつけた。
「うぐっ・・・・」
首の骨にまで響くその衝撃に俺は頭を抱えた。
おそるおそるトイレを振り向くと、扉は閉まっており、気配も感じなかった。
廊下は真っ暗でほとんど見えなかった。
「明かり・・・明かり・・」
俺はそう呟きながら立ち上がると明かりのスイッチがあるべきところを手で探った。
「!!!!」
俺は凄い勢いで手を引っ込めると、壁に貼りついた。
触れたのは、完全に誰かの手だった。
スイッチを入れようと探った先に手があったのだ。
「いやだ・・・もういやだぁ・・・」
俺は涙を流しながら玄関の方へと這うように向かった。
すがるように玄関のドアノブに手をかけ、力いっぱいひねった。
ガチャ・・
「あれ・・・あれ・・なんで」
いくら捻っても扉が開かないのだ。
鍵は開けた、チェーンもついていない。
それだというのに、扉はまるで接着剤かなにかでピッタリと固定されているかのようにびくともしなかった。
俺はとうとうその場にへたりこんだ。
その時、
「只今、大規模な停電が発生いたしております。そのまましばらくお待ちください。」
すぐ後ろであの声が響いた。
「う、うああぁぁあ!!」
俺は玄関の靴箱の上に置いてある小さなライトを手に取ると、すぐ後ろへと向けてスイッチを入れた。
廊下が円形状にぼんやりと淡い黄色に照らされる。
そこにはなにもいなかった。
「どこだ!!馬鹿にしやがって!!おぉぉい!!」
俺の感情は恐怖を通り越して何か怒りのようなものに変わっていた。
しかし体は正直なもので、涙と鼻水は止まらなかった。
俺はぐしゃぐしゃの顔で廊下をライトで照らしながらズンズンと進む。
しかし何もでてこない。
壁に当たった円形の光の中で俺の影がハッキリと映っている。
「・・・・・」
俺はふいに違和感を覚えた。
俺はライトを自分の体よりも前に構えている。
そんな状態で果たして俺の影が壁に映ることがあるのだろうか・・・。
その瞬間、光の中の黒い影が凄い勢いで手を降り始めた。
「ひっ!!」
思わず手から離したライトが床に落ち、ガタンと大きな音を立てた。
また廊下がふっと暗くなった。
「ライトが・・・」
俺はその場にしゃがむとライトを拾い、タンタンと叩いた。
なかなかライトが点かない。
ガンッ
力いっぱいライトを叩いたとき、やっと光が戻った。
「あ・・・・・・」
目の前に、首を傾け白目をむいた子供の顔があった。
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A:「ねぇ、Bさん聞いた?ここのマンションで昨夜人が亡くなったんですって。」
B:「えぇ、またなの!もうこれで何人目よ。」
A:「しかもまだ20代前半の若者ですって。」
B:「まぁ・・・」
A:「なぜか靴箱の中に上半身だけつっこんで亡くなってたみたいで・・まるで何かから隠れようとしてたみたいね。」
B:「それ、前のと全く同じじゃない。このマンション、絶対何かおかしいわよ。最近良く電気も落ちるじゃない?変なアナウンスも流れるし、もう引っ越そうかしら・・気持ち悪いわ。」
A:「え、私の部屋は大丈夫よ?Bさん、大家さんに言ったほうがいいんじゃないの?」
B:「知らないの?大家さん、最近小さな息子さんを亡くされてそれどころじゃないのよ。」
この数日後、同じマンションでBさんの遺体が同じ姿で発見され、それ以来このマンションは封鎖されている。
作者籠月
こんにちは、籠月です。
連日の投稿すみません(汗)
夜のトイレって怖いですね・・・。
自分は何が何でも我慢する派です。
追記:タイトルを大幅に変更致しました。申し訳ないです。
#gp2015