中編3
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祖父

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前もって言っておくが、これは怖い話ではない。

俺には、祖父がいる。

いや、正確には、いた。

俺が物心付く前に亡くなったので、祖父と過ごした記憶もほとんど薄れている。

覚えている事と言えば、頑固で厳格で、手先が器用だったということ。

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俺はイタズラをする度に、祖父に押入れに閉じ込められ、泣いて反省していた。

虐待とかそういうのではなく、昔風のお仕置きというやつだ。

今この時代でそんなことを聞いたら、幼児虐待とでも騒ぐだろうが、少なくともそのお仕置きは、分からず屋の俺には効果があった。

悪い事をしたら、押入れに閉じ込められる。

そう思うと、下手にイタズラは出来なくなっていた。

押入れの中の暗闇を一度味わうと、ある意味でそれは抑止力となった。

でも、俺はそれが怖くても閉所恐怖症にはならなかった。

変なところで優しい祖父は、俺を押入れに閉じ込めても、戸のすぐ側で座りながら俺の様子を見ていた。

ただ監視してただけなのかもしれない。

でも、そうは思わない。

俺が押入れの中にいる途中でも飲み物をくれたり、戸を少し開けて換気もしてくれた。

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今思えば、俺のことが可愛いくて仕方無かったんだと思う。

スーパーで親におもちゃをねだって買ってもらえなかった時も、祖父は「内緒だぞ」と言って後で俺におもちゃを買ってくれた。

厳格な中にも、確かな優しさがあった。

祖父は、たまに戦争の話を俺にしてくれた。

後で父から聞いた話によると、祖父は脚が弱いため、前線ではなく本営に近いところで通信兵をやっていたという。

結果的に人を殺めることなく帰還出来た。

良かった。

それは今だからこそ、そう言えるのかもしれない。

友が戦地に送られ、死んでいくのをただ見ていることしか出来ない。

祖父は悔やんでいたという。

戦争はやってはいけない。

本当にそう思えるのは、実際に戦争を経験した人にしか分からない事なのかもしれない。

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そんな祖父が、肺ガンを患って亡くなった。

俺は全ての式に立ち会ったが、まだ幼い俺には「死」という概念を理解出来ずにいた。

ただ、もう祖父とは会えないという事が分かった時、俺の目からは自然と涙が流れた。

人のために泣いたのは、それが初めてかもしれない。

逝く間際、病室で祖父は俺の手をしっかりと握り、こう言ったのを覚えている。

「真の正義の為なら自分の全てを投げ出せる、そんな強い勇気を持て。お前なら立派に生きれる」

かすれた声だったが、その言葉は今でも俺の胸の中にある。

それから数年経った、ある夜の日。

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俺は用を足しにトイレに向かった。

暗闇に目が慣れた頃、廊下の奥に人影が見えるのが分かった。

目を凝らして見ると、それは軍服のようなものを着た祖父だった。

「...おじいちゃん?」

俺が問いかけると、祖父は

「よく俺が分かったな」と言わんばかりに、くしゃくしゃの顔で微笑んだ。

これは夢だろうか。

俺は目をこすった。

すると、祖父の姿はもうそこにはなかった。

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翌朝、そのことを母に伝えると、俺にこう言った。

「おじいちゃんは、○○(俺)がちゃんと良い子にしてるか見に来たんだよ」

そこで父は言う。

「満足して成仏したなら、もう生まれ変わってるはずだろう。ここに来る訳ない」

祖父が言いそうな台詞だ。

祖父は理屈っぽい。

父も理屈っぽい。

そして俺も理屈っぽい。

ちゃんと遺伝してるんだな...。

それから十数年経つが、俺は毎年お盆に実家に帰郷している。

お盆の間はピアノが鳴ったり、風が吹いてもいないのに戸が開いたり、犬が部屋の一点をじっと見つめたりしてる。

でも不思議と怖くはない。

廊下を通る時も、たまに気配を感じる。

でも、どこか懐かしい感じがする。

怪現象にも関わらず、生理的嫌悪感というのを何故か抱かないのだ。

たぶん祖父なんだと俺は思う。

帰省する日、両親は朝早いため、俺が最後に鍵を掛ける日があった。

玄関を出る時、心の中で祖父に告げた。

(また来るよ)

扉を閉める時、2階から

「ポーン」

とピアノの音が聞こえた。

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祖父は今でも俺のことを見守ってくれている。

それを踏まえて、改めて言わせてもらいたい。

俺には、祖父がいる。

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AokiMinoさん:
コメント&評価ありがとうございます。
そう言って頂けると嬉しいです。

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鎮魂歌さん:
コメントありがとうございます。
感動したとのお言葉、大変嬉しく思います。私も、このお話を通じて皆様とお気持ちを共有出来たことに感謝しております。こちらこそ、ありがとうございます。

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野暮なことは言いません。
本当に感動しました。

いつまでも自分を見守ってくれる人がいる事、
自分を正しい方向へと導いてくれる人がいる事に
感謝しなければなりませんね。

ありがとうございます。

返信

隅漣さん:
コメント&評価ありがとうございます。
お褒めの言葉を頂き、大変嬉しく思います。また、わざわざ評価も下さり、ありがとうございました。

返信

ロビンMさん:
コメントありがとうございます。
また、名作とのお言葉、ロビンMさんから頂けて大変光栄に思います。
ロビンMさんのおばあ様は、大変長生きされておられるのですね。とても微笑ましく思います。健康第一で生きてこられた証ですね。是非、これからもおばあ様を大事になさって下さい。

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Noinさん:
コメントありがとうございます。
感涙されるほどこの作品から何かを感じ取って頂けたのなら、私も書いた甲斐がありました。ありがとうございます。
Noinさんのおじい様も、素晴らしいお言葉を残して逝かれたのですね。私も感動しました。是非、お盆時に墓前で語り掛けられてみては如何でしょうか。おじい様もお喜びになられると思います。

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ガラさん:
コメントありがとうございます。
本来なら怖話の趣旨とズレてしまうのですが、たまには変化球も投げてみたくなります(笑)
お褒めの言葉、ありがとうございます。

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MEGさん:
コメントありがとうございます。
私も、産まれる前に祖母が亡くなったので、お気持ち分かります。たしかに、昔の教育の仕方には愛があったと、よく耳にしますね。悪さをしたらゲンコツで殴られるなんていうのも日常茶飯事で、子の親も、それに対して当然だと思うような世代だったらしいですね。今では体罰体罰と口うるさく言いますが、逆に、本気で叱られることのない世代もどうなのかな、とも思います。

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素敵なおじいちゃんですね。怖くはないですが、良い話を読ませていただいたので、感謝の気持ちを込めて怖いを押します。

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やあロビンミッシェルだ。

Diablo616氏、(T △ T)… 俺も93歳になる九州のバッちゃに逢いたくなっちまったよ!…ひ… 素晴らしい名作をサンクス!!

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ヤバい目から汗が···
私の祖父から似たような事をされてましたから、
余計、涙を誘われました。
まあ、私の祖父は
「無知は罪だ。だが罪だからと言って悪い事という訳では無い」
が最後の言葉だったんですけど。
長文スミマセン、何か思いでした物で······

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凄くいい話ですね、怖い話だけじゃなくこういう話もあっていいと思いますよ俺は。

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うちは、じいちゃんもばあちゃんもみんないなくなってしまって..

なんだか泣けました。・゜゜(ノД`)

昔の教育の仕方もよくわかるし

怒られても、単なる苛立ちや虐待ではなく、確かに愛情を感じていたから

素敵なおじいちゃんだったんですね(*^^*)

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