wallpaper:23
music:1
前もって言っておくが、これは怖い話ではない。
俺には、祖父がいる。
いや、正確には、いた。
俺が物心付く前に亡くなったので、祖父と過ごした記憶もほとんど薄れている。
覚えている事と言えば、頑固で厳格で、手先が器用だったということ。
wallpaper:629
俺はイタズラをする度に、祖父に押入れに閉じ込められ、泣いて反省していた。
虐待とかそういうのではなく、昔風のお仕置きというやつだ。
今この時代でそんなことを聞いたら、幼児虐待とでも騒ぐだろうが、少なくともそのお仕置きは、分からず屋の俺には効果があった。
悪い事をしたら、押入れに閉じ込められる。
そう思うと、下手にイタズラは出来なくなっていた。
押入れの中の暗闇を一度味わうと、ある意味でそれは抑止力となった。
でも、俺はそれが怖くても閉所恐怖症にはならなかった。
変なところで優しい祖父は、俺を押入れに閉じ込めても、戸のすぐ側で座りながら俺の様子を見ていた。
ただ監視してただけなのかもしれない。
でも、そうは思わない。
俺が押入れの中にいる途中でも飲み物をくれたり、戸を少し開けて換気もしてくれた。
wallpaper:23
今思えば、俺のことが可愛いくて仕方無かったんだと思う。
スーパーで親におもちゃをねだって買ってもらえなかった時も、祖父は「内緒だぞ」と言って後で俺におもちゃを買ってくれた。
厳格な中にも、確かな優しさがあった。
祖父は、たまに戦争の話を俺にしてくれた。
後で父から聞いた話によると、祖父は脚が弱いため、前線ではなく本営に近いところで通信兵をやっていたという。
結果的に人を殺めることなく帰還出来た。
良かった。
それは今だからこそ、そう言えるのかもしれない。
友が戦地に送られ、死んでいくのをただ見ていることしか出来ない。
祖父は悔やんでいたという。
戦争はやってはいけない。
本当にそう思えるのは、実際に戦争を経験した人にしか分からない事なのかもしれない。
wallpaper:27
そんな祖父が、肺ガンを患って亡くなった。
俺は全ての式に立ち会ったが、まだ幼い俺には「死」という概念を理解出来ずにいた。
ただ、もう祖父とは会えないという事が分かった時、俺の目からは自然と涙が流れた。
人のために泣いたのは、それが初めてかもしれない。
逝く間際、病室で祖父は俺の手をしっかりと握り、こう言ったのを覚えている。
「真の正義の為なら自分の全てを投げ出せる、そんな強い勇気を持て。お前なら立派に生きれる」
かすれた声だったが、その言葉は今でも俺の胸の中にある。
それから数年経った、ある夜の日。
wallpaper:69
俺は用を足しにトイレに向かった。
暗闇に目が慣れた頃、廊下の奥に人影が見えるのが分かった。
目を凝らして見ると、それは軍服のようなものを着た祖父だった。
「...おじいちゃん?」
俺が問いかけると、祖父は
「よく俺が分かったな」と言わんばかりに、くしゃくしゃの顔で微笑んだ。
これは夢だろうか。
俺は目をこすった。
すると、祖父の姿はもうそこにはなかった。
wallpaper:23
翌朝、そのことを母に伝えると、俺にこう言った。
「おじいちゃんは、○○(俺)がちゃんと良い子にしてるか見に来たんだよ」
そこで父は言う。
「満足して成仏したなら、もう生まれ変わってるはずだろう。ここに来る訳ない」
祖父が言いそうな台詞だ。
祖父は理屈っぽい。
父も理屈っぽい。
そして俺も理屈っぽい。
ちゃんと遺伝してるんだな...。
それから十数年経つが、俺は毎年お盆に実家に帰郷している。
お盆の間はピアノが鳴ったり、風が吹いてもいないのに戸が開いたり、犬が部屋の一点をじっと見つめたりしてる。
でも不思議と怖くはない。
廊下を通る時も、たまに気配を感じる。
でも、どこか懐かしい感じがする。
怪現象にも関わらず、生理的嫌悪感というのを何故か抱かないのだ。
たぶん祖父なんだと俺は思う。
帰省する日、両親は朝早いため、俺が最後に鍵を掛ける日があった。
玄関を出る時、心の中で祖父に告げた。
(また来るよ)
扉を閉める時、2階から
「ポーン」
とピアノの音が聞こえた。
wallpaper:149
祖父は今でも俺のことを見守ってくれている。
それを踏まえて、改めて言わせてもらいたい。
俺には、祖父がいる。
作者Diablo616
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
6回目の投稿となりました。今回のお話は、いわゆる怖話ではありません。期待された方には申し訳ないです。実話というコンセプトに基づいて投稿してる私にとって非常に書きたい体験でもあったので、投稿するに至りました。
ご家庭におじい様やおばあ様がおられる方は、是非大切になさって下さい。