いつも通りの朝、満員電車の吊り革で身体を支えながら揺られていた。代わり映えのないこの風景に少しだけ哀愁のような気持ちが湧くのは末期の癌と宣告されたからだろうか、、、わからない。
車内の中吊り広告を読み終えてふと、車窓を覗こうと目をやると吊り革に捕まって揺れる男の刈り上げた‘うなじ’が目に入った。
ソイツの‘うなじ’には赤く腫れたアセモのように小さく盛り上ったものが4〜50程もあり、その腫れた数個のデキモノの先端から白く濁った液が飛び出しそうだった。
『気しょいわ、なんやのコレ?イチゴみたいな吹き出モンしょったオッさんが隣かい?イヤ、いやアカンやろ。イチゴ汁プッシューってなったら、どないすんねん?余命わずかやって言われた次の日に、これかい?あんまりやわ?ホンマ神も仏も無いわな』
『いいえ、居ます』網棚に横になって頬杖をついた(ぬ)が涼しい顔で話し始めた。
(注)、、、(ぬ)とは俳優の温水さん風の“誘導員”です。委細は前駄作「誘導員」にてお読み頂けるとご理解を頂けるかと存じます。 蛇足ですが、既にお分かりでしょうが『』内の言葉は心の言葉と言う設定です。
『出たなぁモズク河童!お前、消えたと思っとったら、何しとんねん』
『言うに事欠いて、何ですか、そのモズク河童って? まぁ死に行く人に怒っても仕方が無いですけどね。それより左側の男性の方に興味をお持ちなんですね』
『どアホ、興味やない、この隣りヤツの吹き出モンが気持ち悪いっちゅう話しや。この満員電車で身動きも出来けへんやろ?そこにやで、コイツの変な汁が噴き出て、わしの顔にでも付いてみぃ、生きる全てのチカラ奪われんで』
『ほぅ、鼻からウドンが出ても平気で笑いそうな貴方も、潔癖な所があるんですね』
『こら、死神!ワレ調子に乗ってるやろ?誰が鼻からウドンじゃ、わしの鼻はバリウム出す肛門か?おぉ?ええ加減にせぇよ。ん?え?ふぁっはっはっは〜 オノレ今、網棚に寝くさっとるけど、ようみて見い。お前の下にいる剣道高校生の背負っとる竹刀がオノレの尻に刺さっとるやないか! お前は串刺しおでんの玉子か?、、、お前、メモるな言うてるやろ』
『えっ?はい、話題を戻しますが貴方の隣りにいる男性には人面瘡があります。
貴方が見ている、その男性の吹き出物は霊体が見える‘ひと’にしか見えません』
『なんやて?ジン、メン、ソウ?なんじゃそりゃ?ほうれん草より偉いんか』
『ハイ、ハイ、はい説明を致します』
『そこはスルーして放置プレイか』
『その男性のうなじには恨みを抱いた霊が取り付いています。貴方が見られた吹き出物はその霊体が人面瘡と化したものです』
目を凝らすと、イチゴの様な吹き出物は人面瘡のちょうど鼻の部分であった。
刈り上げられた後頭部の髪の隙間から、その人面瘡の、よどんだ虚ろな目を見た時、叫び声を無理矢理、飲み込んだ。
『あゔぅ〜でかぁ、めっさ、でかいやん。人面瘡や言うたら、こまい出来もんに目鼻が付いたヤツちゃうんか?これやったら、松井⚪️喜の3倍サイズやん、鼻から下はワイシャツに隠れとるがな』
『だけど、ホームランは打てません』
『下手な突っ込み、いらん言うてるやろ?メモるなメモるな、その小学生のチ⚪️ポの毛みたいな残りの毛全部いてもうたるぞ』
『私の髪は生えたばかりの陰毛ですか?』
下手な掛け合い漫才のさなか突然、低く割れたような、うめき声が響いてきた。
『ゔぅぇゔぅ、、、』
その声は人面瘡からだと分かったが、その音をかき消すように車内のアナウンスが鳴り響いた。
「間も無く⚪️⚪️駅に到着いたします。本日は⚪️⚪️電鉄をご利用いただきありがとうございます。尚、車内は大変こみあっておりますので、お降りの際は車両出口から順序良くお降り下さいます様にお願い申し上げます」
吐き出されるように人の流れが改札口へと向かう。会社へと歩みだした自分の傍らには他の人には見えない“誘導員”がいる。
『まだ、貴方には聴き取れなかったでしょうが、あの人面瘡は自殺した男の霊魂だったんです。ある小さな街で両親から受け継いだ書店を営んでいました。
その店によく来る素朴な女子高生と恋に落ち、ささやかな家庭を育んでいたんですが、彼には大きな悩みがありました。
万引きですよ、万引き。書店の利益なんて粗利20%、そこから経費を引いた後の僅かなお金が生活費となるんです。
だから、心ない本の万引きはそんな彼の生活を狂わし始めていったんです。
彼は愛しい家族のために毎日、お店が終わった後、アルバイトを始めました。
そんなある日、彼のたった一人の息子が重い病にかかり、治療の為に多額のお金が必要になったんです。
お金が無く、病床に伏せる我が子の傍には痩せた妻がただ、ただ泣き続けています。
結果、彼は失望の暗闇に落とされ、全てを失いました。親から受け継いだ店も、家族も全てを失いました。
僅かな光をと壁に爪を立てて懸命に生きようとする彼に限界がおとずれました。
辞めずにいたアルバイト先で、学生達のたった一言でした。
「万引きなんてさ、ガキの遊びだよ、遊びあきる迄やればいいんだよ」
彼は子供の遊びに自分の全てを壊されたんだと分かった途端、生きる気力を奪われたんです。そんな彼は死んだ後も現世に留まり彼の店で“遊び”をした人達の人面瘡となって生気を吸いとる事が彼の遊びになったんです。
笑えない話しですね』
(ぬ)は毛のない頭を掻きながら消えていった。
作者神判 時
お読みいただきありがとうございます。
懲りずに続編として投稿致しました。
どうぞ、よろしくお願いします。