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大学に入って初めての冬。冷えきったワンルームを見回す。小さなストーブが欲しかった。気合いで蒲団をはね除け、気合いで着替える。支度を整え、着古したダッフルコートを羽織る。袖口の解れた糸を引っ張って切った。
大学まで徒歩圏内。冷たい空気を鼻から吸い込む。脳内がクリアになる。
「やあ、元気だったかい?」
途中、駅の構内を突っ切るのだが、やけに、にこやかな男が俺を止めた。
「楠木だよ、よかった、元気に通ってるみたいで」
「えっと」
どなたですか? は濁した。
「忘れたかい? 忘れたほうがよかったのかな。楠木メンタルクリニック。一年間、お世話してあげたのに」
元気ならいいんだと笑う。
「これから学校かい?」
「はい」
「終わったらクリニックに来て。なかなか来ないから呼びにきたんだ」
楠木は名刺を出して、俺が受け取るとじゃあねといなくなった。
誰かと勘違いしているんだろうか。名刺をポケットに突っ込んで大学に向かった。友人が寄ってくる。
「ダッフルコートって懐かしいな。今はみんな、ダウンだぞ」
軽くていいぞと言う。
講義を三つこなして学食で昼飯にする。カツ丼大盛にした。窓際の小さなテーブルに座ると目の前に小夜子が座った。同じカツ丼大盛だ。
「胃が破裂しないか?」
膨らむ胃がなさそうなスレンダーな肢体。小さな陶器仕立ての顔。長い足はゼブラ柄のタイツに包まれていた。
「ねえ、先輩。コート買いに行きたいの。講義、終わったでしょ」
よく分からないクリニックより小夜子と買い物する方が楽しそうだ。
「軽いダウンがいいらしいよ」
「あら、アタシは重いコートが好き。軍服みたいなの。重いと」
生きてる感じがするじゃない? と言ってカツ丼を食べ始めた。
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作者退会会員