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『ふぇ!?』
この声は私じゃなくて夜魅だ。
時刻は昼下がり。二人で、街角の客が一人もいない喫茶店に入り、私がたっての望みを言うと、この反応だ。
さっきまで矢真田さん達の話をしていたのに、急にこんなことを言ったから驚いたのかもしれない。
『え、あかん?』
『いや…ダメと言うわけでは…いや、でも…』
夜魅は釈然としない態度で、ウインナーココアのクリームをサクサク崩して溶かしだした。
夜魅いわく『ここのマスターはわかってるんです!!私が見えてお店に入った瞬間にはウインナーココアを出してくれるんです!!』と興奮気味に話していた。まぁよくそんな甘ったるいものを飲む。しかも、マスターが夜魅を見た瞬間にココアを出すとは…常連か…。
私は普通にコーヒーを頼んだ。
『いや、ご迷惑ならいいねんで?ただ、出来るなら夜魅の両親にお会いしたい』
『……』
私の強い言葉に、夜魅は顔をココアに向けたまま呟いた。
『母、話が通じるか、わからないですよ?妹が死んでから、精神的に…』
確かに、大事な娘を失った母親が精神的に不安定になるのは当たり前だろう。でも、どうしても行きたいのだ。夜魅の家に。
『じゃあ、様子を見て考える。だから、行くだけ行かせて』
私が、お願い、と頭を下げると、夜魅は小さく溜め息をついて頷いた。
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『あの事件を忘れるためにも、あの山から離れたところに引っ越そうってなって、今は駅に近いところに住んでいます』
閑静な住宅街を歩きながら、夜魅は淡々と続ける。
『でも、母が落ち着くことはありませんでした…』
『お母さん、そんなにひどいん…?』
『はい。はっきり言って、日常生活にも支障が出ています。今日は一層変だと思いますよ』
『なんで?』
『…今日が妹の…命日ですから。午前中は一周忌の法事でした』
『そっか…』
散歩中のお爺さんや、世間話をしている主婦たちが、チラチラこちらに目を向けている。
夜魅の美しさからなのか、話している内容が近所でも有名なのか…。
そんなことに夜魅は目もくれず、ひたすら足を進める。
駅から15分ほど歩いただろうか、白い壁の大きな家にたどり着いた。【長谷川】という表札がかかっている。夜魅の家のようだ。
夜魅は私にチャイムを押すよう促した。
ピンポーンと間抜けた音が鳴った直後、中からドタドタドタっと走る音が聞こえ、ドアが凄い勢いで開いた。
『ミヨ!?ミヨ!?帰ってきたん!?ミヨ!?』
目を見開き、息を切らしながらミヨを連呼する人が、夜魅の母親だろう。取り乱して狂気さえ感じるが、とても美人な人だった。ミヨというのが夜魅の妹の名前なのか、と今さら知った。ヨミとミヨ。なるほど。
『あの、いえ…わたしはその…夜魅さ…』
私が勢いに押され、上手く言葉を継げないでいると、中から男性が慌てた様子で出てきた。私の耳元で夜魅が『父です』と呟いた。
『あぁ…母さん…。…あなたは?』
『あ…えと…初めまして。ミヨさんのことについて…調べている…明星と申し』
『警察の真似事なんてやめなさいっ!!』
あまりにも図星の指摘。私は思わず俯いてしまった。すると夜魅のお父さんは優しく言った。
『ミヨの…お友達か?』
『…はい、まぁ…』
『そうか…。さっきも言うたけど、こんなことやめなさい…。でも、ありがとう』
自分の爪先を見つめていた私の耳に届いたのは、扉が閉まる音だった。きっと夜魅も、家に入ってしまっただろ――
『麗奈さん?』
『ふぇ!?』
振り返ると、さっきと全く変わらない位置に夜魅はいた。
『え?家に入ったんちゃうん?』
『え?麗奈さんがもう帰られるなら私も帰りますけど…?』
『あ…いや…あぁ…そうやなぁ…今日は帰ろうか…。あ』
『はい?』
人様のご両親にあんなことしといて、このお願いは許されるのか。少し迷ったが、夜魅に聞いてみた。
『夜魅…家の庭さぁ、ちょっと見して?』
『庭…ですか?うーん…塀の外からなら』
ありがとう夜魅。でも塀の外からって酷じゃないかい。塀をよじ登るのを人には見られたくないのだが。泥棒か。
でも仕方ない。
私たちは家の裏側に回り込み、夜魅に周囲を見張らせた。
『夜魅?誰か来たら言うてや!』
『了解です!!』
身長より少し高い塀の上に手をかけ、体を持ち上げる。
広い庭には綺麗な芝生が広がっていて、白い椅子と丸机が隅におかれている。茶色い土が露出している部分はない。
私は、自分なりの推理が外れていたことに少しがっかりしながら塀を降りた。
『いかがでした?何かわかりました?』
『んー…。死体を持ち帰った先が、家なんじゃないかなぁって思ってさ』
『…?この家に越したのは、妹が消えて少したってからですよ?』
『うん。ただ、犯人が妹さんを隠し持ってて、引っ越してから持ってきて埋めた、とかさぁ。芝生生えてるならあかんけど』
『なるほど…。でも、なんで家なんかに隠したって思ったんですか?見つかる確率が高いのに』
『根本的にさぁ、なんで犯人は死体を持ち帰ったのかって考えてみてん。だって、普通意味ないやん?そんな行為。でも例えばさ、両親ならどうやろ?妹さんのことを愛している両親なら、連れて帰って、一緒にいれるからって理由が……………夜魅?』
話すのに夢中になって、夜魅が俯いて肩を震わせているのに気付かなかった。
『別に……火葬を待てば……形は変わっても……帰れるじゃないですか……麗奈さんは……父と母を……疑って…』
ヤバい。推理が外れたとはいえ、夜魅にとっては耳障りのいい言い方ではなかった。夜魅ごめん、と言おうとした私に夜魅が顔をあげて叫んだ。目には涙が溜まっていて、完全に怒っている。
『麗奈さんひどいっ!!!!!!もう結構です、お帰りください!!!!!!』
そのまま走ってどこかへ行ってしまった。
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あーーー………やってしまった。夜魅が怒るなんてよっぽどだ。そしてそのよっぽどの原因は完全に私だ。
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頭を抱えながら、私はさっきの喫茶店にふらふらと舞い戻ってきた。相変わらず客はいない。鼻眼鏡をかけ、長い髭を蓄えた白髪混じりのマスターは、私の顔を見て微笑んだ。
『仲違い…ですか』
『…はい』
『コーヒーを、お入れします』
『あ、いえ、お金…』
『結構です。夜魅ちゃんのお友達ですから』
…あいつはどれだけ常連なんだ…。
マスターと向かい合う席に座り、コーヒーを啜って事の経緯を話すと、マスターはカップを拭きながら言った。
『なるほど…。夜魅ちゃんが怒るとは珍しい。でも、家族を疑うのは良くないですね』
『……』
『……でも…』
マスターは遠い目をして呟くように続けた。
『……夜魅ちゃん…の妹さん…ミヨさんにとっての帰りたい【家】は…あの家なんでしょうかねぇ…?』
マスターは。
『…夜魅ちゃんを愛していたのは…家族だけだったんでしょうかねぇ…?』
マスターは何を言っているんだろう。
『聞こえてましたよ…お二人の会話…。麗奈様…貴女はもう、正解に辿り着けていますよ』
『あ、あの…何を言っているのか…』
マスターは微笑みを崩すことなく言った。
『私が言えるのはここまでです。夜魅ちゃんは、貴女にこの件のご依頼をされました。あの子は…貴女に初めて会った日、ひどく興奮していらっしゃいました。『真実をくれる人をとうとう見つけた』と…。貴女は特別なのです。どうかあの子を…救ってあげてください。貴女にしか出来ません。………さぁ、お代は結構です。今日はお客さんも少ないですから、そろそろ店を閉めましょう。ありがとうございました』
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追い出される形で店を出た私は、しばらく歩いてから立ち止まった。
マスターの言葉が、頭を高速回転している。帰りたかった家。ミヨの家は。ミヨを愛していたのは。
そして夜魅は、夜魅はあのとき着いてこなかった。今思えば不自然なことだらけだ。一緒にバスに乗ったとき、彼女は運賃を払っていただろうか。
今まで得た情報が、頭の中を駆け巡っていく。
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私は走り出した。この速度で行けば、次のバスには乗れるかもしれない。走りながら、私は携帯を取りだし、夜魅に電話を掛けた。数コール後、夜魅が出た。
『…はい』
『夜魅ぃ!?』
『ふぇ!?そうですが…』
『今すぐ学校に向かって!。!私も向かうから!!詳しくは会ってから話すから!!急いで!!』
『わ、わかりました!!』
続けて、大学に電話を掛ける。
『もしもしすみません!!今日、心理学部3回生の木ノ下さんと山田さんと矢真田さんは研究室いますか!?…あ、いる!?はい、ありがとうございます!!』
間に合うだろうか。私の考えが合っている保証もないが、これが答えな気がする。でも、そうだとしたら…悲しすぎる。
頭のなかに、あの言葉が浮かんでいた。
『…家に…帰りたかったやろに…』
作者ほたて
お久し振りです。ほたてです。やっと終わりが見えまして、話もなんとかこじつけることが出来そうです。矛盾点とかあったらごめんなさい。
麗奈と夜魅は真相を知ることが出来るのでしょうか。