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「あれはいつの頃だったかな。小学校にあがってすぐ、年の暮れだったと思うけど…」
三井さんは友達の家で遊んだ帰り道、お寺の裏庭で女の人が焚き火をしているのを見つけた。
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「こんにちは」
女の人は寒さに頬を真っ赤にしている三井さんを見つけると微笑んだ。
「こんにちは」
その声に誘われる様に三井さんも火の傍に寄った。
「その人はお寺の若奥さんで嫁いできたばかりの人だったんだ」
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長い間、ふたりは何も言わずに燃えさかる炎を眺めていた。
焚き火の炉になっているのは天辺を切りぬいたドラム缶で、炎が勢いよく上がっては、時折、火の粉がふわふわと羽虫のように空に舞い立っていた。
三井さんは焚き火が好きだった。
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三井さんの父も、よく駐車場の隅で同じようにドラム缶を使って火を焚いていた。
瞬時に形を変える炎を見つめていると、いつまでも飽きる事がなかった。
火に向かい、手を当て、尻を当て、背中を暖めていると幸せな気分になった。
時にはあまりに長く当たりすぎているので、
「寝小便するぞ」
と、追い返される事もあった。
しかし、そんな時の父の顔は必ず笑っていた。
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「あったかいねぇ」
三井さんが呟くと若奥さんは、
「ほんとだねぇ」
と、答えた。
暫くすると、若奥さんはドラム缶の下に四角く切った火口から、真っ黒焦げになった新聞紙の塊をふたつ、火掻き棒でほじくりだした。
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「ほい。これ嵌めて」
彼女は割烹着から軍手を取り出し、三井さんの小さな手に渡した。
そして、新聞紙の塊をふたつに折ると、湯気のたつサツマ芋が出てきた。
「あっ」
「ふふん。食べる?」
三井さんは大きく頷き、手を伸ばした。
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かじかんだ指にサツマ芋の熱が軍手を通して伝わってきた。
断面は艶のある透き通った栗色をしていた。
「本当に旨かったなぁ。あの芋……」
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「あ、ちょっとごめんね」
不意にどこからか声をかけられた若奥さんは残った芋を三井さんの手に渡し、本堂の方へ戻って行った。
三井さんはひとりになった。
ぱちぱちと景気よくドラム缶の中の木切れが音をたてていた。
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顔を上げると既に夕方ではなく夜になっていた。
焚き火の炎が明るいだけに周囲の風景がよけいに暗く見えた。
三井さんはずっと炎を見つめ続けた。
滝のように竜のように次々と形を変える炎は本当に美しかった。
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彼はしゃがみこむと火口を覗き込んだ。
燃えた木切れや薪が灰になり、熾となっていた。
風や空気の流れによって熾は明るくなったり暗くなったりした。
まるで火の蛍のようにそれらは静かに息づいていた。
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「おもしろい?」
ふと気がつくと、男の人が一緒に屈んでいた。
「うん」
三井さんは振り返りもせずに頷いた。
昔は焚き火をしているとよくこんな風に人が集まってきた。
そして挨拶程度の他愛もない話を父と交わして《それじゃ》と去っていくのが慣いのようなものだった。
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「綺麗だね」
男の声は子供番組によく出てくる体操のお兄さんに似ていた。
子供を安心させる声だった。
「服は黒っぽい格好。全体のイメージはわからないんだな。ただ怖い感じではなかったよ」
男の声を聞きながら三井さんはどんどん火口の熾に魅せられていった。
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この世にこんな美しいものがあるのだろうか、と思った。
宝石のように思えた。
すると男が、つっと火口に手を伸ばし熾のひとつを摘んで口に入れた。
驚いた三井さんの耳に、かりこりと軽い音が聞こえてきた。
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細面の男だった。父よりうんと若く見えた。
男は三井さんが驚いているのも無視して、また手を伸ばすと熾を摘み、口の中に放り込んだ。
かりこりかり……。
「熾はね。ここまで燃えてしまうと明かりだけになっちゃうんだね。もう熱くはならないんだ。力を全部、燃えるのに使ってしまっているからね」
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男はまたひとつ口に入れた。
「おいしいの?」
三井さんは訊ねた。
「甘いよ。飴鬼灯っていうんだ。そんな色だろう?甘味がたっぷり詰まっていて、そんな芋とは比べ物にならないよ。うん」
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そしてまたひとつ。
三井さんはすっかり冷めてしまったサツマ芋を置くと、火口の中にある炭の破片に目をやった。
それらは橙色の崩れた氷砂糖のようであり、とてつもなく美味しそうに思えた。
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「今日のはよく出来てる……本当によく出来てる。がばっと思い切って食べてみると良い。昔の子供は皆よくそうしたもんだ………がばっと……さぁ」
男の声が頭の中一杯に広がった。
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「莫迦!なにしとる!」
大音声と共に、突然首根っこを引きずられ三井さんは放り出された。
それを見た若奥さんが血相を変えて傍のバケツの水をかけてきた。
若住職が目の色を変えていた。
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「俺は火口に頭を突っ込むところだったそうだ。あのままなら即死だったろう」
三井さんは掌にうっすらと残る蚯蚓腫れを見せた。
「あの日、寺の若夫婦は檀家整理をしていたんだな。もう連絡もつかない者の墓石をどかし、新しい墓所を整えていたんだ。あの時燃やしてたのは全部、そうした人達や無縁さんの古くなった位牌や卒塔婆だったんだと」
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今でも三井さんは家族と焚き火をするのが大好きだ。
だが、決して火の前を子供一人にしないようにしてるという。
作者メリーさん