……先月からストーカー被害に悩むようになった。
大学からの帰り道、誰かが執拗に私の後をつけてくるのが気配で分かった。気味が悪くて、何度も迂回したり回り道をしたり、本屋に寄ってみたりしたけれどだめ。相手の男はしつこくつけ回してくる。ようやく振り切った頃には、日はすっかり沈み、辺りは薄暗い闇に包まれていた。
安堵の息を吐きながら、一人暮らしをしているアパートの部屋へと入る。警察に相談すべきかどうか思案しながら、カーテンを閉めようと窓際に近づく。
「あっ……」
窓の外。通りの道に立っている電柱の陰。一人の男がこちらをじっとねめつけるように見ている。男は黒い帽子に黒いパーカー。黒いズボンを履いており、全身黒ずくめだった。顔は……ここからじゃ遠過ぎてよく分からない。慌ててカーテンを閉め、窓の施錠も確かめる。それからベットに入り、まんじりともせず夜が明けるのを待った。
翌日から知らないアドレスから頻繁にメールが届くようになった。文面には一言「すき」とだけ。知らない番号から電話が掛かってくるのはしょっちゅうのこと。一番驚いたのは、どうやって入ったのか知らないが、私の部屋に侵入し、クローゼットの中の衣服をズタズタに切り刻んだり、トイレの汚物入れから使用済のナプキンを取り出して壁一面に張り付けられていたこともあった。
ここまでくると、もう嫌がらせだ。警察にも相談したが、夜の間だけアパートの周囲を警官が見回るだけといった、ごくごく簡単な処置しかしてくれない。アパートを引っ越すのも手だと思ったが、何分私はまだ学生の身。親に仕送りして貰い、どうにかやりくりしているため、引っ越しなんて出来るはずもない。かといって、このまま黙って我慢していたら、気が変になってしまいそうだ。私は悩んだ末、彼氏の凌太に相談することにした。思い当たる節があったのだ。
「凌太……。和樹君のことでちょっと相談があるんだけど」
日曜日。私はバイト帰りの凌太と駅前のカフェで待ち合わせをし、話を切り出した。和樹君というのは凌太の幼馴染であり、親友だ。幼稚園の頃からの付き合いだというので、男の友情というものは長続きするのだなあと感心させられたものだ。
和樹君とは私も面識がある。夏には凌太や和樹君、それに数人の友達とでバーベキューをした。よく凌太や和樹君と飲みにも行く間柄だ。和樹君は凌太と比べると、口数が少なく大人しめ。肉食系の凌太とは反対に草食系男子といったところか。でも、凌太と和樹君は傍目から見ても仲が良く、彼女の私といる時よりも凌太が楽しそうにしているので、少しばかり嫉妬もあった。
そんな和樹君との間に転機があったのは……先月のこと。和樹君が私のアパートを訪ねてきたのだ。そして告白してきた。私に初めて会った時から一目惚れしていたこと、親友に横恋慕してはいけないとずっと苦しんできたこと、しかし、どうしても私のことが忘れられず、想いを伝えに来たことを彼は打ち明けた。気持ちはありがたかったし、凌太と付き合っていなければ、私も彼と付き合っていたかもしれない。でも、高校時代からずっと付き合ってきた凌太を裏切ることは出来なかった。丁重に断りを申し出ると、彼は寂しそうに笑い、「分かった」と言ってくれたのだけれど……。
それから和樹君はぱたりと私の前に姿を現さなくなった。そしてその頃から、私はストーカーに悩まされるようになった。単なる偶然に過ぎないのかもしれない。確たる証拠もないのに、疑うのはどうかと自分でも思う。だけれど、他に思い当たることがないのだ。勘違いならいいのだけれど……和樹君からの告白を断った時、彼は「分かった」と返事をする前に、小さく舌打ちしたのだ。一瞬だったが、顔が醜く歪んでいた。普段は大人しい彼の凶悪な一面を垣間見てしまったような気がして、ぞっとしたものだ。
凌太は私の話を黙って聞いていた。自分の大切な親友のことを悪く言われて、いい気分の人はいないだろう。凌太もきっとそうに違いない。だが、最後まで話を聞いてくれた。話を聞き終わると、凌太は「……ごめんな」と呟いた。
「あいつは大人しい性格で、なかなか自分の気持ちをハッキリ言えない奴なんだ。そのせいで、これまでも恋愛で失敗してるんだ。元カノのことが忘れられなくて、何年もストーカーっぽいことしてたらしい。だけど、悪い奴じゃない。ただ、不器用な性格なんだよ。そこは誤解しないでやってくれ」
「分かってる。凌太の親友だもの。悪い人じゃないことぐらい、私も知ってるよ。でも……」
不安を隠しきれない私に、凌太は宥めるように言った。
「大丈夫。俺がきちんと話つけてやるから。あいつはいい奴だから、きっと分かってくれるさ」
その夜のこと。部屋でテレビを見ていたら、玄関のチャイムが鳴った。出てみると、そこには凌太がいた。
「美穂。もう大丈夫だからな。きちんと話はつけてきた」
「本当!?本当に!?ありがとう、凌太!」
私は嬉しさのあまり、凌太に抱きついた。良かった、これで安心して夜も眠れる。
「そういえば……私をストーカーしていたのは本当に和樹君だったの?」
「そうみたい。お前のことが好きで、好き過ぎて、ついつけ回していたそうだ」
「そっか……」
やっぱり、ストーカーの正体は和樹君だったのだ。仮定の話が現実だったということか。少し驚きもあるものの、妙に冷静な自分がいた。心のどこかで和樹君がストーカーだと決めつけていたからだろうか。どちらにせよ、凌太が話をつけてくれたのだから、もう大丈夫。私は感謝の気持ちでいっぱいだった。
「大丈夫___ちゃんと話はつけてきたからさ」
ふいに凌太がにニヤリと嫌な笑い方をした。煙草嫌いな私の前では絶対に煙草を吸わないはずの凌太が、今日は珍しく煙草に火を点けた。部屋中に充満する燻した匂いに、思わず顔をしかめる。
「ちょっと、りょう___」
「親友は……裏切れないんだよなぁ」
凌太はニヤニヤしている。人を小馬鹿にしているような顔つきだった。
「でも、俺もお前のこと好きだからさ。仲良く半分こしようって話したんだ」
「……は、半分こ?」
「そう。俺が美穂の上半身で、和樹が下半身。これなら喧嘩にならなくて済むだろ?あいつももうすぐ来るよ」
凌太が火の点いたままの煙草をプッと吐き出した。それはフローリングの床にぽたりと落ち、ゆらゆらと白い煙がたちのぼっていく。私は何も言えないまま、茫然と煙がゆらめいているのを見ていた。恐怖のあまり、がちがちと歯が鳴った。
コ イ ツ ラ ハ サ イ テ イ ダ___
ピンポーン。チャイムが鳴った。絶望の幕開けを告げるチャイムの音が無情に響く。
「お。早かったな」
ガチャリ。ドアノブを回す音がした。
作者まめのすけ。-3